真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

切った枝などを処分

2009年09月16日 23時02分30秒 | Weblog

昨日の歩数:15301歩
起床時間:6時00分
血圧  :103  64
脈拍  :66
体温  :35.5℃
体重  :65.4kg
---------------------- 
折角目が覚めたのに私のスイッチが入らない。疲れているのか。
長年生きていると、おかしくなる前にスイッチが切れるのかもしれないのが、わかるのかもしれない。 だから無理に起きず横になったままテレビを見ている。
初めのうちは時間を無駄に過ごしているのでウォーキングの距離を短くしよう、などと思っている。
また起きない、時間がただ過ぎて行く。
8時に家を出て8時半受付開始の免許書き換えに行こうと考えを替える。
しかしまだ起きられない。
 午前中に帰れないと13時からの手塚邸での片付けに間に合わない、免許書き換えはあしたでも出来る。
そんな言い訳をして 結局は何もしなかった。
妻が出かける寸前の8時半やっとお勝手へ下りて行き「6枚切り1枚ちょうだい」と妻に言う。
8枚切りをだいぶ前に切らしてしまっていたからだ。
スライスハムとチーズを乗せ、今日は気分を変えて冷たい牛乳で朝食を食べておく。
 次は何時食事を取れるか分からないからだ。
そして妻が出かけて行きやだて長男も出かけて行く。
9時50分中央図書館へ行く事にする。
受付 返却と貸し出しに若い(学生?)男の子が実習生?一人は前に見ている。
何か久しぶりに図書館へ来た感じ。
うしうをそうじ先生の「手塚治虫とボク」調べてもらうと予約リクエストが無かった。再度借りる。忙しくはないのに、なかなか読めない。
久しぶりに市役所2階生活文化課へ顔を出す。
帰りがけ2階ソファーであるこう会の力久さんが4,5人と打ち合わせをしている。挨拶して下に降りると市民プラザに腕用ポンプが展示してあった。


 大正11年神山村消防組に配備され昭和35年の火災が最後の出動であったとの事。



「大正11年新調、武州川越江戸警察署前、瀧上ポンプ製作所」と言うプレートがはっきり読める。



 携帯で写真を撮る。
11時過ぎ家に戻る。
JFNの取材が19時からあるが、河井先輩の車に便乗して蝉丸に行く予定。
歩いて手塚邸に行く。
リックに着替え上下。帽子、などをビニール袋に入れてリックの下に詰める。
携帯蚊取線香入れに蚊取線香を入れる。そしてライターも。
 鎌に鋸、鉈は危ないので刃のところを布で包み、それらを別のビニール袋にいれリックに詰める。
その上にいつも持ち歩いているバックを入れえる。
トレーナーとランニングシャツ、に着替え長袖のヤッケをリックに入れて12時前家を出た。
 ひょっとすると、早めに河井先輩がきたら会えると、小金井街道に出て手塚邸に向かう。思っていたより早く、12時20分には手塚邸の前に着く。
 昨日の天気がうそのよう、「お天気男か女か」は分からないが3人のうちの一人であると決まったようなもので、今までの庭いじりは全て前日は雨だったのだ。
日差しを避けて電柱の影で待つ。
 待ち合わせ10分前に河井先輩も到着、手塚邸に入る。
 前回剪定したままの枝などを片付けて小さく気ってゴミ袋に入れる作業。
 たいした事ないといっていた河井先輩がいきなり「あなたたちお二人が言うようにこれは大変、私の思い違いであった」と謝られてしまった。
前日たいした事はない簡単に終わるといっていたので簡単かどうか、お手並み拝見といこうと、手薬煉引いていたのにいきなり謝られたのでは、拍子抜けしてしまう。
それほど片付けは残っていた。
 そんなわけで河井先輩は、前日の口ほどではないと、あてにしなかったたが、河井先輩の奥さんが凄かった。
テキパキと片付けて行く。それにあおられ、こちらも息切れしながら必死な思いで作業をする。
 16時を過ぎるまだまだ半分以上が残っている。これはだいぶ残してしまうと覚悟を決めた。
そこからが凄かった。奥さんいきなりトップギヤに入れた。
 見る見る片付いていく。
16時半ガレージ前にゴミ袋をを運び始める。
17時前には2トントラック2台分はあろうかというゴミを、とうとう片付けてしまったのだ。
手塚奥様がガレージが開かなので見てほしいと言われた。
土に埋まっていた配線まわりが枯葉やゴミを綺麗にしたので地中から出てしまい、むき出しになっている。
 漏電かショートをさせたのか。思い当たる事が頭をかすめる。
2つシャーターのガレージなので電気系統やモーターなら両方いっぺんに故障する確立は低い。
 ブレーカーを見せてもらう。地下室と書いてあるスイッチがオフになっているほかは全てオン。
「今は地下室は使っていないのですよ」と言う奥様、わざと地下室はオフにしてあるのだろうと思った。
そしてブレーカーは異常なしと判断した。
 ほかにそれらしい痕跡はない。配線が分からないしテスターもない。
 ひょっとしたら見てもらっている電気屋があるのではと思い手塚プロの小林先生に電話をする。
こんなときに限って携帯の調子が悪い。かからないエラーが出てカードがどうのこうのと書いてある。
前にもそんな事があったのを思い出した。落とした拍子にカードが抜けた事があったのだ。少し前腕に付けたケースから携帯がはずれコンクリの上に落としていた。
 電源を切って電池ケースをはずしカードを入れなおす。そして電源を入れる。
だめ。再度今度は時間を掛けてゆっくりと、同じ方法でリセットする。
 修復した。
やっと電話をかけることが出来る。小林先生が直ぐに出てくれた。状況を話し助けを求める。
小林先生が誰かに指示している声が電話の向こうに聞こえる。心強い。
 「手配するから終わったら電話をくれる」と言う。そして、すぐに電話が来た。
 練馬からかかりつけの電気屋さんが向かうと、1時間ぐらいかかると言うことであった。
 だから電気やさんが到着するまで、誰かが奥様についていてほしいとも、頼まれた。
ならばJFNの取材は河井先輩に行ってもらうことになり。取材のため河井先輩に急いで帰ってもらうことにする。
18時を過ぎるとまわりは暗い。
 「お部屋にいてください」と言ったが、奥様は庭に出てきてくれて私の話し相手になってくれた、電気屋さんが到着するまで奥様と昔の話やお子さんのお話などをした。
電気屋さんは前に警備システムなど、配線周りを知り尽くした人であった。
順序良く点検しブレーカはどうであったかと尋ねられた。
 地下室以外のブレーカーには異常が無かった。地下室だけブレーカーが落ちていたと答えた。
ガレージは地下室にもつながっているのでそれが原因ですと直ぐに分かった。
 ブレーカーをもどすとガレージのシャッターは回復した。
念のため配線周りも点検をしてもらうがほかに異常は無かった。
 過日リッジトリマーの電源をとったソケットも地下室用電源からきているとの事。
トリマーで大きな負荷かったのかも知れないということにした。
 もしこの次電源が切れたら直ぐにブレーカーを見れば良いということに。
19時前、電気屋さんを見送り奥様に挨拶をして手塚邸を後にする。途中河井先輩に電話をしてブレーカーであった事を報告する。
 河井さんは「今取材を受けているが、女性は美人で若い人」と言っている。
「残念」と言い返してやった。
小林先生にも報告をしながら、歩いて19時50分家に戻る。
 今日は蝉丸で取材があり行くから帰り遅くなると妻に言っていた。
ならばと、妻にとっては始めての事「職場で飲み会に誘われたので、行って見る」と妻がいっていた。妻は飲めないので今まで飲み会には出かけたことは無かったのだ。
 子供たちには、すき屋のお弁当を買ってきてある。しかし当然私の分は用意してない。
しかたない「こっぺにジャム」をつけた菓子パンが買ってあった。それと冷たい牛乳とで夕食とするか、と食べる。
 やはり今日は食難の日か。お昼も食べていない。(いや食べている、河井奥さんがアンパンをくださり、河井先輩が嫌いと言うのでその分も食べていたのだ。)
なら朝昼晩と辻褄は合っていたのだ!。
20時半車の後部座席をたたみ、新聞紙を敷いて準備し、手塚邸に行く。
明日は駅の西側ほとんどの地域で燃えるゴミが出せる日である。
 公園や大きな木々のある家の付近のゴミ置き場に、枝や、草など出してある場所を調べておいた。それに地域の方に迷惑がかからない場所。
またルールとして一箇所にゴミ袋2つとまで。迷惑にならないよう一つずつ出して来る。
 車には大きい袋なので8個しか載らない。4度、市の西部地区のゴミ置き場で前もって調べておいた置ける場所を回ったら、そんな場所は少なく、西地区をほとんど回ってゴミ袋を出して来た。
 22時すぎ家に戻ると妻が帰っていた、車からおろした荷物を乗せる手伝いをしてくれる。
「何か食べたの」「パンを食べた」「何か作る」「春雨ラーメン」
お湯を沸かしてインスタントのカレー味春雨ラーメン、3分間待って、暖かいのを食べてひとごこちする。
風呂にはいる、顔が真っ黒こんなにもほこりが付いたのだ。鼻の中まで真っ黒、こんなに汚れたとは。かなりしつこく汚れていた。
 やっとパソコンこれを書いていたら日付が変わっていたよ。
寝よう。
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