モアイのためいき

日々のこと・ハンドメイド・若い頃の旅など

1989夏*北海道*番外*旅から戻って

2010-11-22 23:30:18 | 1989年*夏*北海道

1989年・夏・北海道、

JR周遊券(20日間)を利用しての旅で、

前半は友人と二人で、後半は一人旅になったわけですが、

YH(ユースホステル)を利用したことで、

人と話す機会も多く、時には住所を交換したり、

一緒に回ったりすることもでき、

本当に充実した日々を送ることができました。

YHは常連さんがいたりして、気を使ったりすることもあるようですが、

今回の旅では、夏休みで混んでいたということもあり、

常連さんに煩わされることはなかったでございます。

嫌なめには、1度も合いませんでした。

北海道から横浜に帰って、

1週間後には、高校時代の友人トモと、上越新幹線で新潟へ。

トモも自分もお互い新潟に親戚がいて、

1泊一緒に過ごして、その後それぞれの親戚宅へ。

新潟から帰宅して、数日後、

大学の友人、安ちゃんと房総へ二泊三日プチ旅行。

その1週間後には、ゼミ合宿で、

福岡県久留米市へ・・・。

帰路はゼミ仲間女子4人で、青春18きっぷで、寄り道しつつ

2日かけて横浜まで帰ってきました。

1989年夏休み、今考えると、出かけすぎではと自分に問いたくなるが、

親もきっとあきれていたのでしょうね。

携帯電話もなく、どこにいるかもわからぬ娘(=私)。

稼いだバイト代も湯水のように旅行に費やしておりました

現代の学生は就活で旅行どころじゃないのかな。

自転車にもよく乗ったし、よく歩いたし、

道内時刻表を熟読し、不便だと思われる移動も楽しみに変えて・・・。

その時代ならではの旅ができたと思います。21歳でした。 ~おしまい~

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1989夏*北海道*20*帰路はB寝台個室

2010-11-21 09:31:55 | 1989年*夏*北海道

1989年夏、北海道の旅も20日目、

前半は友人タケと二人旅、後半は一人旅。

JRの周遊券が期限を迎えた朝は、

道東、厚岸におりました。

帰路は・・・フフフ・・・、

寝台特急「北斗星」のB寝台「個室」を予約してありました

前回、北海道から帰宅する際、

2日連続夜行列車という手段をとってみたところ、

結構きつかったので、

今回は、前もって北斗星の予約を取りに行ったわけなのです。

乗車日の1ヶ月前、早朝に横浜駅のみどりの窓口に並んだんだっけか。

B寝台6180円+特急3090円、計9270円。

厚岸からは寄り道をせずに、

北斗星の乗車駅である千歳空港駅まで行きました。

(現在とは駅名が変わっているかな?)

厚岸は牡蠣で有名で、名物の駅弁もありますね。

厚岸から釧路まで普通列車で約1時間。

釧路から千歳空港駅まで、特急おおぞらで約4時間。

途中、時間があれば夕張駅に行く汽車にも乗ってみたかったのですが、

旅の最後で何か・・・汽車に乗り遅れるとか・・・あっても困るし、

時間的にもあまり余裕がなかったので、

次回のお楽しみに、ということで。

おおぞらが走る石勝線の車窓から、

たまに、エゾ鹿が見えたりするので、森林の多いところでは、

目を凝らしたりしました。

都会に住む人間には、野生動物も珍しく、

・・・当地の方々にとっては、時に害獣なのかもしれませんが、

そういったところも北海道の魅力のように思います。

列車の旅は好きなほうだと思いますが、

列車そのものにはほとんど知識はありません。

それでも、特急おおぞらに何度か乗ってみて、

エンジン(?)の「グォ~ッ」という呻りと、

「今惰性(下り坂?)で走ってますよ~」的な軽い線路の響きは、

郷愁を感じさせるのであります。

車窓や汽車の音・・・しばしお別れ、北海道1989年。

さて、千歳空港駅では、おみやげ物に目を凝らし、

当時おいしいと言われていた「夕張メロンシャーベリアス」も購入。

1個200円だったので、高く思われましたが・・・、

その他、いくつか名産を買い求め、

・・・旅の終わりで、財布の紐はゆるくなりまして・・・、

この、学生時代の旅は、

学業に本腰を入れながらも、

バイトに精を出して貯めたお金を使っているので、

普段はケチでも、使うときは使う、そこが肝心。後悔せぬように。

寝台特急「北斗星」のB寝台の個室は、

実はこの時は2度目でした。

1度目は初めて北海道に来たときの往路でした。

そんなわけで、わくわく感はそこまでなかったのですが、

駅弁の美味しそうなのを買い、

個室なのをいいことに、ほとんどごろごろして帰ってきました。

個室は気楽だね~。  ~あと1回つづく~

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1989夏*北海道*19*涙岬

2010-11-14 10:30:35 | 1989年*夏*北海道

~1989年・夏・北海道の旅~

朝、根室からジープで霧多布へ、そして午後は、

レンタサイクルで霧多布から厚岸方面へ10数㎞の知られざる名所、

「涙岬」へ向かいました。

当時、涙岬はほとんど口コミの観光地(?)だったので、

駐車場もなく、

注意しないと通り過ぎてしまうかもしれない・・・と聞いていたので、

急ぎつつ、尚且つ注意しながら、自転車をこぎました。

道道1020号線は思ったよりも起伏があるように感じ、

琵琶瀬展望台で霧多布湿原をみたあとは、

ひたすら目的地までまっしぐら

幸いなことに、8月なのに道東の気候は暑くなく、

自転車を漕ぐのにはちょうどよかったように思います。

そして・・・道路から少し空き地があるところが目印と言われていたとおり、

涙岬の入り口に到着

涙岬はその岩の形が、

女性の横顔に見えることから知られるようになったそうです。

そのいわれについては、割愛させていただきますが、

自分も旅がこれで終わるし、なんとも物悲しい気持ちに・・・。

ようやくここまでたどりついた、という気持ちと、

霧多布までまた戻らなくては・・・と、気も急いていて、

感慨に浸るのもそこそこでございました。

ちなみに、涙岬では自分以外に人はいなくて、

起伏を利用してオートシャッターで自分も入れてしました。

涙岬から霧多布までの帰り道はあまり覚えていないのですが、

霧多布に近づいてから多少時間に余裕も見えてきたので、

霧多布湿原の遊歩道でも歩いてみようかと、

うろうろ探しましたが・・・、

見つからず・・・、

人に聞こうにも人通りもなく、看板も見当たらずで、

結局、心残りのまま、あとにしました。

霧多布からJR浜中駅までバスで移動し、

そこから厚岸駅へ・・・その夜は厚岸のYH(ユースホステル)に宿泊。

前日に満室ぎりぎりのところで予約が取れました。

YHでは旅の最後の宿泊地になるわけで、

荷物の整理などをしているうちにすぐに時間が過ぎ、

疲れもあって、あっという間に寝てしまったように思います。

簡単に旅日記もつけていましたが、この日はあまり書いていません。

翌日は北海道を離れる日・・・。

もっとゆっくり回りたかったけれど、

学生の身の上、金銭的にも、スケジュールの上でも、

JRの20日間周遊券はよくできておりますね。 ~あと少し続く~

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1989夏*北海道*18*霧多布岬・湿原

2010-11-13 12:49:21 | 1989年*夏*北海道

・・・霧多布湿原・・・

~1989年・夏・北海道の旅~

JRの周遊券の期限(二十日間)はあと二日となりました。

根室から次に向かうのは、「霧多布」です。

その半年前、初めて北海道に来て最初に泊まったのが、

霧多布近くの浜中YH(ユースホステル)でした。

その時に、霧多布岬に行ってみて、

あまりの寂しさに北海道の洗礼を受けた・・・というか、

ある意味、北海道が好きになった気がします。

そんな中、YHはとても温かく、旅の良さを教えてもらいました。

というわけで、この夏の旅の終わりは、

霧多布で〆ようかと思ったのであります。

根室YHで、同年代の青年2人組がジープで霧多布に向かうと言って、

乗せてくれるというので、

もう一人、社会人のお兄さんと一緒に、

便乗させてもらいました。

正直なところ、根室本線の海を臨む車窓や、

ちょっと荒涼とした中を汽車に揺られるのも楽しみだったのですが、

せっかくのお誘い、断るのもなんだし・・・。

さて、ジープでの移動。

いわゆる、横座りで、幌がかかっているジープは、

乗るのも初めてで、

窓は、透明ビニールなので景色はあまり見えず、

若い青年の運転はなんだか荒くて、

ときたま、体が浮き上がり跳ね上がり

ドアがないので後ろから転げないかと、

一緒に乗った社会人兄さんは、「大丈夫か・・・」みたいに言っていたけれど、

数時間かけて無事に霧多布に到着

途中、オフロードの道も通ったので、ジープの本領も発揮していたし、

ジープに乗れたのはまぁ楽しかったです。

その後の人生でも、ジープに乗ることはなかったし、

今となっては貴重な体験となりました。

前回、一人で冬の霧多布岬に行ったときは、

市街地から延々歩いたのですが、

今回は岬の近くまでジープであっという間でした。

4人で岬の灯台のほうへ行きましたが、

8月の上旬、道東は霧が発生しやすい時期で、

気温も低くて、長袖をはおるようでした。

「ボー」っと灯台から鳴っているのか霧笛(?)も響いて、

夏なのに冬景色のような・・・。

さすが名前のとおり「きりたっぷ(り)」です。

冬に見た海は穏やかに見えたのに、

この日の海は大荒れに思われました。

岬に行ったあとは、霧多布のバスターミナルまで送ってもらい、

ここで同行者とお別れ・・・

残る半日かけて、ある場所へ行ってみるつもりでした。

それは「涙岬」という、あまり観光ガイドにはなかった場所です。

霧多布から厚岸方面へ海沿いの道路を通って行くのです。

ただし、バスの本数は少なく、歩いて行くには遠いので、

霧多布でレンタサイクルを借りて行きました。

涙岬までは片道10数㎞はあると思われ、

霧多布を出発したのが午後になってからだったので、

往復で30㎞・・・あまりのんびりしていると、

予定しているバスに乗れなくなると思い、

・・・結構必死にペダルをこぎました。

夏休みで、同じような若者も数人見かけましたが、

やっぱり、ほとんどすれ違う人も車も少なく・・・。

ほどなく、霧多布湿原を見下ろす、

「琵琶瀬展望台」に着きました。

ここで、しばし湿原を見て・・・なんだか涙が出てきた。

湿原が雄大とかすばらしいとか、

そういった気持ちもあるにはありましたが、

旅の終わりを感じさせるのにぴったりな景色でもあり・・・。

まわりに観光客もいないし、感傷に浸りました。

地元のおじさん(漁業の?)が、

「気をつけて行きなさいよ」と言ってくれたので、

涙岬に向かってもうひとこぎです。 ~つづく~

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1989夏*北海道*17*緑の大地・別海

2010-11-06 22:46:22 | 1989年*夏*北海道

~1989年・夏・北海道の旅~

午前中、根室本線の落石(おちいし)岬に行き、

午後はそこから厚床までJRで移動して、

そこからバスで別海へ行くことにしました。

別海に行きたかった理由は、

根釧台地の雄大な放牧地が見られるのではないかと、

単純に思ったからであります。

それと、半年前にJR標津線が廃線になって、

町並みが寂れていってほしくないという、感傷的な理由もありました。

大きなお世話なのかもしれませんが

厚床から別海まで約30分だったと思います。

うろ覚えですが、バスは緑の大地を走って行くという印象で、

結構起伏のあるように思えました。

別海町自体は当時全国で2番目に広い町です。

みどころは色々あると思いますが、

とりあえず、緑の大地が見られればよかったので、

別海の市街地でバスを降りまして・・・。

降りたら、そこは普通の町で(当たり前といえば当たり前?)、

とりあえず、観光案内所らしきところへ向かってみました。

まわりに観光客らしき人は全くいませんし、

地元の方の人影もありません。

たまたま一人、年配のおばさんが「学生さん?」と声をかけてくれて、

緑の大地を見たくてバスで来たと言ったら、

「おみやげに、ぜひ別海の乳製品を」と、笑顔で宣伝されました。

なんだか、声を掛けられて嬉しくなってしまい、

お言葉につられて、乳製品を配送で自宅に送る手配をしました。

「べつかいの牛乳屋さん」の牛乳とかバターなど。

後日、家で頂きましたら、

バターはホロホロするような、あまり食べたことがないタイプでした。

おいしかったですよ。

そのあたりをぐるっとまわると、もう特に行くところもなく、

かと言って、バスの本数は少ないので、次のバスまで間があります。

何しようかな~と考え、そうだ、バスどおりの道を歩いてみよう、

と思い立ち・・・歩きました。

バスどおりの道は意外と車も通っていて、

空き缶とか結構捨てられていました。

緑の大地に空き缶は似合わない・・・、

それで、気がつくと、空き缶を拾いながら歩いておりました。

車で通る人から見たら、

「何やっているんだろう」と思われたと思いますが・・・。

たまたま持っていたビニール袋に、結構たまってきて、

ふと・・・「この拾ったヤツ、バスに持ち込むのか?自分は。」

と、我に返って慌てふためき、

かといって、バス停に置き去りにすれば、

自分が空き缶を捨てた張本人と思われてしまう

余計なことはしないほうがいい時もありますね。

結局バスに持ち込んで、駅で捨てました

さて、根室YHに戻ると、

昼間、落石岬で写真を撮りあった男子学生と再会。

夕食は外で北海名物「チャンチャン焼き」で、

ほかのホステラーさんたちとも仲良くなり、

チャンチャン焼きはおいしいし、楽しい夜となりました。

関西の男子学生は自分の大学の友人の友人というつながりもあったり、

・・・YHではしばしばそういったつながりがあるのも楽しいのですね。

道内に入ってこれから旅が始まる人のいる中で、

自分の周遊券の残りはあと2日・・・ちょっとさびしいな~つづく~

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1989夏*北海道*16*落石(おちいし)岬

2010-11-04 10:29:20 | 1989年*夏*北海道

~1989年・夏・北海道の旅~

いよいよ旅もあと数日というところで、

北海道の東端、根室へ行きました。

宿泊した根室YHはまだ開所して間もなかったらしいです。

とてもやさしそうなペアレントさんが、

「まだ慣れていなくて・・・忙しいんだよ」とおしゃっていて、

私も図に乗って「暇そうな人に手伝ってもらったら?」と言って、

サロマ湖で数日お手伝いした話をしたら、

早速「ヘルパー募集」と大きな張り紙をされていました

根室はその半年前、納沙布岬をまわった事があったので、

今回はJRで少し戻って、「落石」に行き、

その後、厚床からバスで別海に行くことにしました。

ペアレントさんから「なぜ、そんなところに行くの?」と聞かれましたが、

別海に関しては、「なんとなく・・・」としか言えません。

小学生の社会の教科書で「根釧台地・パイロットファーム」という

語句があって、それが印象に残っていたので、

別海ならそれが見られるのではないかと・・・。

まず、「落石(おちいし)」へ。

JRの駅からてくてく数㎞歩いたでしょうか・・・。

方角的にはこっちで合っているんだろうなぁ、

と少々不安も感じながら、落石岬の駐車スペースに着きまして、

そこからまた、木道を歩いたりしながら、太平洋を望む岬へ。

この日はよく晴れていて、木道の脇の緑も鮮やかで、

・・・しかし、困ったことが

トイレに行きたくなった・・・が見当たらない

周りには人は見当たらない・・・ので、

木道を下りて(←きっといけないのでしょうね)、

草が生い茂る人が隠れるところへ行き、(小)をしてきました。

下世話な話ですみませんが、本当にこの時は人が来ないことを祈った。

いちおう、若い女性だったもので。

さて、すっきりして何事もなかったように木道に戻り、

岬へ向かうと、数人、人がいらっしゃいました。

あ~かち合わないで良かったと心から思いましたよ。

自転車で来たと思われる男子学生がいて、

・・・当時自転車の旅行者はバイクの「ライダー」をもじって

「チャリダー」と呼ばれていたように思いますが・・・、

すごく日焼けして痛そうでしたが、

お互い、写真を撮りあったりしました

落石岬はそんな感じで「たどりついた~」感が強くて、

景色に感動するよりも「人に(小)をするところを目撃されなかったか」と、

気もそぞろに、早々に引き上げてきました。

今となってはそんなエピソードが心に残っていて、

木道を下りた時のちょっと軟らかめの土の感触とか、

それも思い出のひとつになっておりますが

余談ですが、落石はそのちょっと寂しげな感じからか、

ドラマ「北の国から」の続編で、

蛍ちゃんが不倫して逃避行(?)した住所として出てきます。

自分が行った時は晴れて太平洋がきらきらしていました。 ~つづく~

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1989夏*北海道*15*釧路湿原

2010-11-03 08:41:22 | 1989年*夏*北海道

~1989年夏・北海道の旅~

前半は友人タケと二人旅で、後半は一人旅。

気が向くままに後半の旅は進み、

サロマ湖のYHでは人手不足ということで数日お手伝いをすることになり、

気がつくと、

JRの道内周遊券の期限はあと3日になっておりました。

あと、行ってみたい場所といえば・・・

この半年前に初めて北海道に来た時の旅で、

初めてYHに泊まったのは霧多布の近くにあった浜中YHでした。

不安だったYHデビューでしたが、

ホステラーさんやペアレントさんがとても温かい方たちで、

その後の一人旅を導いてくれたと言っても過言ではないくらいです。

その時に周辺の見所を教えていただいたけれども、

冬だったので行きづらい所もあったので、

夏になったこの時に、ぜひ行ってみたいという場所がありました。

ところが、1989年夏には浜中YHは休業(?)しておりまして。

周辺のユース民宿は混んでいるだろうし・・・、

・・・ちょっと離れるけど、根室のYHに宿泊することにしました。

サロマ湖からバスで網走に出て、

人気の釧網本線で、途中「釧路湿原駅」に寄ることにしました。

はっきりとは覚えていないのですが、

途中、弟子屈駅から、数日前にサロマ湖で会った男子学生たちが乗ってきて、

その人たちと立って会話した記憶があるので、

釧網本線はなんだかとっても混んでいたように思います。

彼らは私のことを「ヘルパーさんだ」と覚えていてくれましたが、

それは違うのだよ・・・と訂正しまして。

彼らも釧路湿原駅で下りて、近くの細岡展望台まで行くというので、

ご一緒させてもらいました。

細岡展望台から見る釧路湿原は、

あまりにも雄大でした。

この旅は天気には大変恵まれており、

ここでも、空の広さと湿原と台地の地形に感動いたしました。

この時、一緒にいた学生が私を入れて湿原の

写真を撮ってくれたのは有難かった、

・・・ですが湿原だけの写真がなくてここではアップできませぬ。残念。

次の列車の時間に合わせて駅に戻り、

釧路湿原駅では、コスプレ()用に駅員のブレザーと帽子を貸していたので、

それを着けて写真を撮ったり、

・・・こういう時同行者がいるって良いですね~・・・

楽しいひとときとなりました。

釧路駅でそれぞれの方向に分かれ、

自分は根室へと向かいました。

時間的に、根室本線の海が見える風景は、

午後の日差しがオレンジっぽくキラキラ輝いて、

ちょっと荒涼感も漂い、

これが駅舎という駅もいくつかあって、駅名も面白い、

ちょっと異次元的だったように思います。

こうして、根室に到着しました。 ~つづく~

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1989夏*北海道*14*サロマのYHで・・・

2010-10-30 23:56:45 | 1989年*夏*北海道

~サロマンブルーの湖とオホーツク海~

サロマ湖畔のYH(ユースホステル)で、

なぜだか数日お手伝いをすることになり、

とはいえ、食事作りなどはほとんど猫の手のほうがましな程度の働きで、

ほかにはお掃除などをしました。

ペアレントさんが交代したばかりで、

ヘルパーさんもいない状態の夏休み、食事の支度だけでも大変で、

自分に出来る事と言えば掃除機を丁寧にかけるとか、

ベッドの布団を干すとか、お風呂場の掃除とか、

そんなことくらいです。

今だから言えますが、掃除機が業務用なのでよく吸い込み、

それが面白くて、生きたままの虫・・・蛾やハエなどを、

ぶんぶん吸い込んだので、

あとで出てきたらどうしようかと思いましたが。

数日後にはヘルパーさんが数人来るというので、

自分はあくまでもそれまでのお手伝いという心の余裕もあって、

お手伝いは純粋に楽しかったです。

食事は、片付けがあって、ほかのホステラーさんと一緒にできなかったので、

あとで、ペアレントさんと一緒に、

北海しまえびを頂いたり(これがおいしかった)、

YHの色んなお話を聞いたりしました。

ペアレントさんが以前にいたYHは、

自分の父の実家のすぐ近くということがわかって、

そんなことで話が盛り上がったり・・・。

お手伝いばかりでは気の毒と思ったのか、

YHから自転車で行ってみれば・・・と勧められたのが、

ジェットコースターの道とハイジの丘。

当時はガイドブックには載っていなかったと思いますが、

ジェットコースターの道は、ただの道路ですが、

とにかく急坂(のぼりくだり)が3連続位であって、

下った勢いで上りの途中まで自転車をこぐ・・・的なのが面白く、

車も全然通らない、北海道ならではの道でした。

ハイジの丘は、ただ花が咲いている原っぱという感じで、

とにかく「あぶ」なのか「ぶよ」なのか巨大な「蚊」なのか、

刺されると痛みのある虫がブンブン寄ってきて、

何故「ハイジ?」と閉口しながら戻ってきました。

今はどうなっているかしら?

こうして、サロマ湖畔YHには4泊し、

ヘルパーさんもそろそろ来るらしいし、

自分も、そろそろ次の目的地へ行こうかなと旅立ちました。

ここでは思い出深い体験をさせてもらいました。

ヘルパーにはまる人たちがいるのもわかるような気がします。

ほんの数日だけだから、楽しい体験だったのでしょうけれど。

このあとも2回ほどサロマ湖畔YHにはホステラーとして行きました。

後日談・・・旅を終えて家に戻ると、

ペアレントさんからお手紙が届いていて、

なんと来る予定だったヘルパーさんがドタキャンになったそうでした

あの食事の量をペアレントさん二人でこなしたのか、

お手伝いしてくれる人が現れたのかどうかは不明。~つづく~

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1989夏*北海道*13*サロマ湖・幌岩山

2010-10-29 23:20:30 | 1989年*夏*北海道

~1989年・夏・サロマ湖畔から昇る朝日~

夏の北海道は夜明けが早く、

朝、4:00a.m.頃、東の空が明るくなってきます。

この日は雲のないところから朝日を臨めました。

刻々と太陽が動いているのが実感できます。

YH(ユースホステル)の朝食の準備のお手伝いをすることになりまして、

ハムを切って並べたりするのですが、

ただ並べるのではなく、

野菜を葉っぱにみたててハムを花のように置いたりして、

勉強になりました

午前中は一緒にお手伝いをしたAちゃんと、

幌岩山に登ることにしました。

幌岩山はサロマ湖、オホーツク海を望む376m位の高さです。

Aちゃんがサロマ湖に来た理由は、

どこかのポスターで見た「サロマンブルー」のサロマ湖があまりにきれいで、

その「サロマンブルー」がよく見えそうなのが幌岩山だということで、

自分もそれに便乗したわけです。

YHから自転車で30分くらいの登山口まで行き、

そこからは徒歩で展望台を目指して歩きです。

Aちゃんは体育会らしく、すいすい登って行きます。

一方、自分は歩くのも遅いし、

この夏の北海道は例年より暑かったこともあり、

息を切らしながら登る有様でございました。

この時代はペットボトルはなかったので、

来る途中に缶ジュースを買っておいたけれども、

展望台につくまでは我慢我慢と、喉の渇きもごまかし、

ようやく1時間近くかけて到着

サロマ湖の向こうにオホーツク海も見えます。

サロマ湖とオホーツク海の間には細ーく陸地がありまして、

この日は快晴といってよい天気で、

「サロマンブル~」も見ることができました。

展望台には数人の若い男性もいて、

違う道をバイクや車で来たそうで、なぜか一緒に記念撮影

ひとしきり、北海道の観光情報などを歓談しました。

缶ジュースで喉を潤し、

えっちらおっちら登った登山道を、下りはあっという間に下りてきて、

Aちゃんは午後には次の目的地に行くとかでYHに戻り、

自分はもう少しサロマ湖周辺をサイクリングしてから戻りました。

その日も夕食のお手伝いをして、1日が終わりました。

YHは満室に近く、ペアレントさんも大変そうでしたが、

少しは役に立ったかな ~つづく~

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1989夏*北海道*12*サロマ湖へ

2010-10-24 18:14:28 | 1989年*夏*北海道

1989年夏・北海道に入って約10日が過ぎ、

友人タケが所用で先に帰り、一人旅も3日目に入りました。

増毛の住民の方には失礼な言い方ですが、

タケと二人の旅ならば、

増毛に行くことは多分なかったと思います。

現に、それまでのYH(ユースホステル)では、

女子学生ペアをよく見かけましたが、

増毛では女子率は低かったのです。

そういう土地でも行ってみたいときに行けるのが、

一人旅のよさですね。

早朝に増毛を出発して、

次の目的地は一路オホーツク海側・・・サロマ湖へ向かいました。

実は、その半年前、冬にサロマ湖へ行ったのですが、

日程の都合でただ宿泊するだけになってしまい、

「次は連泊でいらっしゃい」と言われていたので、

今回はきちんとサロマ湖を見てみたいと思ったわけです。

JRを乗り継ぎ網走駅へ・・・そこからはバスで約1時間。

少し歩いてサロマ湖のYHに着きました。

・・・がペアレントさんが代わっておりまして、

ここのYHは直営なので、転勤のように、代わったばかりだったのでした。

YHでは、ヘルパーさんという、繁忙期を手伝う人たちがいますが、

こちらはヘルパーさんの募集が間に合わず、

大変忙しいご様子で、

今後の予定もほとんど決めていない自分は、

どういうきっかけだかは忘れてしまったのですが、

その日の夕食の準備のお手伝いに借り出されることになりました。

もう一人、四国出身で津田塾大のAちゃんも一緒に、

キャベツの千切りやら、なんやらかんやら・・・、

普段食事を自分で作ることもほとんどなかったので、

できるだけ簡単なことだけでしたが・・・。

こちらのYHは収容人数が多めで、

夏休みということもあり、かなりの食事を用意しなければならないのに、

食事の内容は豪華できれいでした。

たとえば、葉っぱを庭から摘んできてお皿に敷いたり、

名物のホタテも見栄えよく盛り付けたり、

ホステラーを気持ちよく迎えようという意識の高さにちょっと感動。

お手伝いさせていただいて、

こちらも気分のよい1日となりました。

数日後にはヘルパーさんも来る予定だというので、

それまで、できる範囲で手伝ってほしいとの打診を受け、

「数日なら OKです」と快諾しました。

その夜はほかのホステラーさんたちと星を眺め、

台湾から観光に来たおばさんとお話したりして、眠りにつきました。

翌朝はサロマ湖から上る朝日を見るために、

4:00a.m.の起床です ~つづく~

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1989夏*北海道*11*北瑛~増毛

2010-10-23 20:05:36 | 1989年*夏*北海道

美馬牛駅から拓真館を経て、美瑛駅へ・・・という

パッチワークの丘の散歩を堪能した翌日、

午前中はレンタサイクルで「北瑛」のあたりを回ることにしました。

宿泊していた民宿に北瑛の手作りマップがあり、

またちょっと違った丘の風景が見られそうだったので。

北瑛は美瑛駅の西側一帯で、

CMのロケで使われた有名な木があるので、

前日にまわった丘よりもカメラを持った人々は若干多く思われ、

バイクの人たちにもしばしば追い越されて行きました。

その中で一人のバイク青年が声を掛けてきて、

「一人旅をすると、自分が写った写真はなかなか撮れない」

という話題になり・・・、

そう言われたら、「写してあげましょうか?」という流れになり、

バイクにまたがった姿の青年を丘を背景に撮ってあげました。

さて、次は自分も撮ってもらおうかと思っていたら、

・・・青年よ・・・なぜ、すぐに去ってしまったのかい

普通は「次はあなたの番ですよ」的なことを儀礼でも言わないかい

そんなわけで、あまり人通りも少ない丘で、

ほかにシャッターを押してくれそうな人も見当たらず、

とうとう自分が写った丘の写真を撮ることはできませんでした。

北瑛の丘をぐるりとまわり、美瑛駅に戻って、

次の目的地は・・・。

多分、観光的にはあまり有名ではないのですが、

「増毛(ましけ)」です。

日本海側の留萌本線の終点です。

北海道内、JRで移動しているうちに、

道内全線乗ってみようという気持ちがわき、

日本海に沈む夕日を見てみたいという気持ちもあり、

そして、YH(ユースホステル)も幸い空いていたので、

行ってまいりました

増毛の第一印象・・・さ~びしいところだなぁ・・・と。

とはいえ、YHのペアレントさんは面白い方でした。

宿泊者も思いのほか多く、

連れ立って日本海の夕日を見に行きました。

こういう点はYHの楽しいところです。

夕日は残念ながら雲に沈むかたちとなりましたが、

空のオレンジと、海の群青がすばらしい色合いで、

それを見ただけでも価値があり・・・。

日が暮れてからは、海に沿って北の方角に灯りがちらついて、

湾曲した海岸線が幻想的に見えました。

増毛は連泊すれば暑寒別岳などの見所もあったようですが、

残念ながら自分は夕日を見るのと、鉄道に乗るのが目的で、

翌日は次の目的地へ出発しました。さぁ、どこへ ~続く~

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1989夏*北海道*10*美瑛の丘

2010-10-17 13:13:36 | 1989年*夏*北海道

~1989年・夏・北海道・拓真館~

いよいよ心待ちにしていた美瑛の丘。

朝、宿泊していた白金温泉から美瑛駅へ移動し、

荷物を預けて、隣の美馬牛駅へ。

そこから、ほぼ1日かけてのんびりと丘を散歩するつもりでした。

このときルートの助けになったのは美瑛駅に置いてあった、

手作り印刷の地図です。

だいたい10数キロの行程でしょうか?

地図のおかげで、丘に続く道はすぐにわかり、

パッチワークの丘を、歩く、歩く・・・。

ジャガイモの葉の色、アスパラガスの葉の色、

オレンジに燃えているのは小麦でしょうか。

丘なので、自分が丘の低い所にいるときは、

目の前にグーッと小麦畑がせまり圧倒され、

丘の上にいるときはパッチワークの畑と木と雲と空と十勝連峰。

その景色をまわりに人もいない中で味わえるのです。

途中、関西の男子学生と少し雑談しながら歩いたりしましたが、

ほとんど人に出会うこともなく、拓真館に到着しました。

拓真館というのは、写真家・故前田真三さんのギャラリーです。

前田さんは美瑛の丘の風景を

ここまで有名にした方と言っても過言ではありません。

このギャラリーは入館無料で、

このころはまだ観光地化も進んでいなかったので、

旅人の休憩所の役割も果たしていたようでした。

何年か後には観光バスが入る駐車場も近くにできたようですが。

自分はこの半年前にYH(ユースホステル)で会った女性に、

拓真館のことを教えてもらい、

いつか絶対行くぞ~、と思っており、

期待に違わない佇まい、写真の素敵さ、敷居の低さに、感動しました。

芳名帳のようなものに名前と感想を残してきたら、

後に拓真館のカレンダーの案内が送られてくるようになり、

以来、カレンダーが我が家の壁を彩っております。

拓真館へはこの後も何度か訪れました。

拓真館を出ると、あとは美瑛駅に向かってひたすら歩きました。

道といってもほとんどはダートの農道だったりするので、

すれ違う人も車もほとんどありません。

昼ごはんは朝売店で買ったお菓子だったかな。

一人旅だとご飯も適当になりまして、

自分がよく食べていたのはかっぱえびせんでございました。

それを片手に歩き食い、

拓真館で見た写真に影響されてにわかカメラマンになり、

鼻歌を歌っても誰に聞かれることもなく、

丘の稜線をてくてく・・・

自分がどのあたりを歩いているのかもよくわからなかったのですが、

次第に市街地に近づいているのがわかり、

なんだか散歩の終わりが物悲しく感じられ・・・。

その夜は民宿「ほおずき」というところに泊まりました。

いわゆる「ユース民宿」と巷で呼ばれるタイプの民宿です。

当時美瑛にYHはなく、ほおずきは人気の宿でした。

夜、宿泊者と外に出て星空を眺めたことは忘れられません。

多分、人工衛星と思われる小さなゆっくりとした光が見えたこと、

もう、見ることはないでしょう・・・。

そして、駅に置いてあった手作り地図は、

ほおずきのスタッフが作っていた模様(確かではありません)。

この日は、文章には表せないくらい充実した一日でした。~つづく~

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1989夏*北海道*その9*美瑛・白金温泉

2010-10-14 09:39:04 | 1989年*夏*北海道

~1989年・夏・北海道~

JR道内周遊券の期限は20日間。

その前半は、友人タケと一緒にまわっていましたが、

タケは所用のため帰宅し、

いよいよ後半、一人旅の始まりです。

北海道をJRでまわるのに欠かせないのが時刻表です。

「道内時刻表」という、確かA5判、厚さ1㎝位のものを、

上野駅で買っていきました。

千歳空港の展望デッキでタケを見送りながら、

これから行きたい所をピックアップし、

時刻表とにらめっこし、大まかなプランを立てまして・・・、

この作業は結構好きです。

ただし、混んでいる夏休み、宿泊場所が確保できればよいのですが。

・・・早速、公衆電話から、

その日に行こうと思っている美瑛の民宿に電話してみましたが、

その日は満員で、翌日ならOKとのこと。

とりあえず、翌日の民宿を確保して、

その夜は美瑛からバスで行く、白金温泉のYH(ユースホステル)に

泊まることにしました。

1989年の時点で、美瑛にはYHはありませんでした。

美瑛の丘に行きたいと思っていたきっかけは、

その半年前、初めて北海道に行った時に、

YHで同室だった女の子から薦められていたからです。

写真を見せてもらって(冬景色でしたが)、

とても心惹かれてしまい、自分の目で見たかったのです。

さて、石造りの美瑛駅に着くと、

駅には手作り印刷の「びえいマップ」が置いてありましたので、

ありがたくいただきました。

このころは富良野の景色は有名になっていたけれど、

その近くの美瑛の丘は口コミで人気が出る兆しのあたりで、

駅ものんびりした雰囲気が漂っていました。

宿泊地、白金温泉はそこからバスで40分位だったか・・・?

本数が少ないので、乗りはぐれる前に、さっさと移動することにしました。

乗りはぐれて大変な目にあったことがあるもので、

以来、自分の中で、旅の掟です。

バスの中から印象的だったのは、

白樺の林(かな?)を通り過ぎたとき。

「白樺」ってよく聞くけれど、あらためてこんなに多くの白樺を、

見ることって滅多にないよなぁ・・・って。

一人旅のいいところのひとつに、

景色が写真のように焼きつくことがあります。

友人との旅はもちろん楽しいけれども、

会話に集中したりすると、景色を見ているつもりでも、

あまり思い出せないような気がするのです。

白金温泉に宿泊を決めたのも、友人と一緒だったら、

駅に近いビジネスホテルを探したりするかもしれません。

元来、乗り物は好きなので、

多少不便でも駅から離れたところに泊まるのも、

楽しみと捉えられるのも、一人だからこそです。

さて、白金温泉・・・そういえばこの時北海道に来て、

函館の湯の川温泉、帯広の十勝川温泉(←この名称は不確か)、

そして白金温泉に入ったわけですが、

あまり温泉に詳しくないので、泉質や効能とか気にしないで入ってました。

白金温泉のYHは確か旅館も兼ねていたような・・・、

部屋は和室で、宿泊は自分一人。

ふすまを隔てた和室に4人組くらいの女子学生がいましたが、

全く交流はありませんでした。

談話室のようなところで、男性と話はしましたが、

白金温泉の見所については確か何も話さず・・・、

近年になって、近くにコバルトブルーの川があることを知り、

「そのときに知っていれば見たかった・・・」と思ったしだいです。

YHは今はないようですが、

この時代、トイレのあとに手を洗う水が、

吊り下げられたバケツの底のスイッチのようなものを押して、

水が出てくる仕組みに衝撃を受けたことを覚えています。

こうして、白金温泉で静かに眠りにつきました。~つづく~

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1989夏*北海道*その8*休息日

2010-10-11 09:06:46 | 1989年*夏*北海道

~1989年・夏・北海道~

朝、霧の摩周湖へウォーキングした後、

次の目的地帯広へ。

JR弟子屈(てしかが)駅から釧網本線で釧路へ。

釧網本線は車窓の景色がすばらしいことで有名ですね。

「弟子屈」は「摩周」と駅名も変わってしまいました。

釧網本線は一人旅のときに、

車掌さんから声を掛けてもらったり、

お手製の沿線マップをいただいたりして、

旅の思い出をよいものにしてくれました。

こちらもつられてオレンジカードを買ってしまいましたが

さて帯広での目的は、

有名なお菓子屋さん「六花亭」に行く事です。

マルセイバターサンドやチョコレートが有名で、

大きな駅や飛行場でも買うことができますが、

ぜひ、お店に行ってみたかったのです。

六花亭では喫茶室に入りました。

思っていたより庶民的で、子連れのお客さんも多く、

メニューも価格も敷居が高くない

有名なお店なので、ちょっと心配しておりましたが、

ホッとしながら、おいしく頂いた記憶があります。

噂では喫茶室がお休みの日に、

それを目当てに来た旅行客には、

売店のケーキを、椅子に座って食べてもいいと言って下さったとか。

もしそれが本当なら、旅人の一人として、嬉しく思います。

帯広で、温泉に入り、洗濯をし、

旅の前半で買ったお土産などを家に送る荷造りをしました。

そして、この時荷物を送る旨、家に電話しまして・・・、

この時代携帯電話もなかったので、

用事でもなければ家に電話することもなく、

今思えば親たちも心配だったのではないかしら。

このときも、親の心配など考えもせず、

上富良野で買ったラベンダーが乾いていないので、

干しておくように頼んだりしてました。

その翌日は、友人タケが帰宅する日です。

飛行機で戻るので、千歳空港まで一緒について行くことにしました。

タケは家に戻ってから、今度は家族旅行で、

利尻礼文に行く事になっておりました。

ご家族の意向で一度戻ってきなさいということで、

なんとも忙しいタケであります。

タケにとって、ユースホステルの旅はどうだったのか、

直接聞くことはしませんでしたが・・・

ハードスケジュールの日もあったので、疲れがたまってしまったかなぁ。

タケが乗った飛行機を展望デッキで見送り、

これから旅の後半、一人旅が始まります。

予定はほとんど決まっておらず、

周遊券の残り約10日間、行きたい所を回れるか・・・

しばらく飛行機をボーっと見ながら考えておりました。~つづく~

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1989夏*北海道*その7*摩周湖

2010-10-08 06:53:05 | 1989年*夏*北海道

1989夏・北海道に入って1週間、

摩周湖の近くのYH(ユースホステル)に宿泊し、

同室の、関西からきた学生二人(それぞれ一人旅)と、

友人タケと私の4人で、

摩周湖へ早朝ウォーキングに出かけることとなりました。

・・・が、朝方、タケが「体調がよくない」と訴え、

心配ながらもタケを置き去りにして出発することとなりました。

ここ数日、自分のペースでタケを引っ張りまわしていたのかもしれません。

タケは普段から気を遣う性質で、

旅の始めのほうから「YHだと気疲れするのかな」と危惧しておりまして、

談話室に行かずに部屋で過ごしたりして、

なんとか楽しい旅にしようと思ったのですが。

昼間も強行スケジュールや、肉体労働(牧場体験とか?)で、

疲れがたまってしまったということもあるかも。

友人と旅してみて、

いわゆるツアー的な、連れてってもらう旅が好きなタイプとか、

あまり目的を決めずに旅を楽しむタイプとか、

YHよりビジネスホテルが気が楽だとか、

色々な人がいます。

自分は比較的YHのような、人と触れ合う旅は好きですし、

地元ならではの穴場情報を教えてもらったり、

手作り感がある旅は楽しく感じます。

それでも、旅の合間にあえてビジネスホテルに泊まることもあったし、

・・・さすがに女子学生一人で温泉宿は、費用などの面からも

できませんでしたが。

YHの旅は、タケにとってはあまりいい旅ではなかったのかなぁと。

さて、摩周湖へ早朝ウォーキングです。

関西の女子学生の方たちは、

ふたりともおとなしくて、3人で何を話しながら歩いたか、

まったく覚えておりません。

ただ、YHから片道4~5㎞ほど、黙々と歩いたのだったかしら。

それとも、YHの情報などを話したりしたんだったか。

摩周湖の言い伝えとしては、

「初めて摩周湖を見た時に湖面が見えたら婚期が5年遅れる」

と聞かされていて、

この頃は結婚願望がそれほど強くなかったので、

婚期が5年遅れることなど気にするわけでもなかったのですが・・・。

それでも、見えないほうがいいような気もしました。

歩いている途中から、

こりゃ~もう、絶対に摩周湖は見えないよ~くらいに、

霧が出てきて、

取りあえず歩く・・・みたいに歩いて、

気がつくと着ている服はかなり湿っていて、

でも雨が降っているわけではなく

これはこれで、「霧の摩周湖」なんだなぁと。

そしてようやく、摩周湖の看板の前に到着しました。

一応、看板と共に記念撮影をしておきました。

どちらの方角に湖があるのかはまったく分からず、

ただただ、霧が深くて、

ミルク色の景色の上方に、太陽があるのは分かりました。

3人でYHまで戻ると・・・、

休んでいたタケは体調はまぁまぁ回復したらしくて、一安心。

タケに「摩周湖は霧で全く見えなかったよ」と報告したら、

「それはそれで(婚期が遅れることはなくて)、よかったね」と。

そう、自分も、見えなくて残念だったと、あまり思わなかったのであります。

ちなみに、摩周湖の湖面はこの1年半後に無事見ることができました。

それは、また別の機会に綴ります。 ~つづく~

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