モアイのためいき

日々のこと・ハンドメイド・若い頃の旅など

父島*1989年*その3*カメ肉のことなど

2011-08-20 09:20:13 | 小笠原・父島*1989年

小笠原・父島・1989年3月*その3

父島は当時、船で28時間以上も揺られ、

定期船おがさわら丸は五日か六日ごとに父島に入港するサイクルで、

つまり、それまで内地からは物資が届かないというわけで、

おがさわら丸が着いたその日は、人々が商店に向かう日でもあります。

我々は旅行者なので、できるだけ島内の方に迷惑をかけたくはないと、

あえて、商店が混んでいない時に行ってみました。

すると・・・菓子パンなど、すぐに食べられるものはほとんど売り切れ(当たり前か)。

普段はあまり食べないジャムパンを一個、とりあえずの昼食のために確保しました。

商店には新聞の何日か分の束がセットになって売られております。

確か、テレビがようやく衛星放送で受信できるようになった時代で、

それ以前は情報もすぐには入ってこなかったのでしょうか。

さて、バナナ荘の周辺はいわゆる繁華街・・・というか、

多くの宿泊施設や商店や官公庁がある地区にあったので、

散策するのにも便利でした。

郵便局はカードでお金が下ろせるのかしら・・・と思って行ってみると、

電卓のようなの暗証番号を押す機械があったような気がします。

ふと、公衆電話ボックスに入って、電話帳を広げてみると、

欧米系の方が日本名にしたという苗字がずらっと並んでいました。

父島についてからは結構カルチャーショックというか、

日本でありながら少し違う国にいるような、そんな感じでした。

現在は当時ほど、父島と内地の差はないのかもしれませんが。

話はバナナ荘で出会った一人旅の面々のことになりますが、

我々と同様になんとなく南の島に行ってみたかったような学生が多かった。

思い起こせば難関大学の人が多く、

早稲田のKさん、Bさん、一橋のIさん、ICU出身のN先生、山形大のHさん。

あと、なぜか高校生のG君(ちょっと正体不明だったが)。

父島への旅行のことを思い起こすにあたって、インターネットで検索をかけたところ、

思いがけずバナナ荘で出会ったN先生の旅日記にヒットしてしまい(驚き)、

それを読むと、思い切って我々姉妹に声をかけてくれたようです。

彼らは見かけからしてもやましい下心は感じず、

こちらも化粧っ気もなく小汚い風貌だったので、声をかけやすかったのでしょう。

こうして連れ立って、小笠原名物「カメ肉」「島寿司」を食べに行くことになりました。

そのお味は・・・

カメ肉・・・刺身を食べましたが、正直好んで食べるものではないと

動物性たんぱく質の補給には島の人にとって格好の獲物だったのか。

刺身を食べた後に煮込みも食べて見ましたが、

お醤油で臭みが減った分だけこちらの方がよい。

スジ肉の印象でした。

島寿司・・・ヅケにしたお魚をわさびの代わりにからしを付けて握ったもの。

これはこれでおいしかったと思います。

お魚の種類は忘れました

姉妹だけだったら、これらの名産物を食べずに帰ってきたかもしれません。

その時、彼らと何を話したのかはほとんど覚えていないけれど(スマン)、

カメ肉のスジの感じとか、

盛り付け方が小料理屋さん的な情景は覚えております。

誘ってくれた彼らに感謝 ~つづく~

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ありあけのベジフルハーバー

2011-08-15 23:25:32 | グルメ

先日、新聞の地方版か何かで、

「ありあけのハーバー・神奈川限定版」・・・だったかな?の記事を読みました。

ありあけのハーバーと言えば、横浜銘菓(多分)。

子供の頃にはCMで歌がよく流れていたお菓子です。

このたび、神奈川産の野菜や果実を使ったハーバーが出るということで、

食べてみたかったのであります。

ところで、お盆休み・・・と言っても我が家にはあまり関係なく、

出掛けるにしても近場にドライブでもしようかと、

東名自動車道の海老名S.A.にでも行ってみることにしました。

海老名S.A.はかなり大きなS.A.で、この日も混雑。

まずは下りのS.A.でうろちょろしようと思いましたが、

暑い中、人ごみに紛れる気は起きず、

さらっと見て早々に退散することにしました

そんな中で、見つけたのが、この「ベジフルハーバー」

残念ながら認知度はいまひとつなのか、

あまり売れている気配はなさそうでしたが。

自分はこれを見つけただけでも、海老名S.A.に来た甲斐があった~

「きな粉×ほうれんそう」味と「湘南ゴールド×かぼちゃ」味の2種類です。

5個ずつ入って1050円でございます。

箱のはじっこには「supported by Potager」とありますが、

あの、野菜のケーキで有名なお店のことかしら

食べてみると、しっとりした焼き菓子で、

野菜の風味も感じられ、とってもおいしい。

箱が昭和風なのも、逆に狙っているのか?

お土産にも良いと思いました。

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父島*1989年*その2*バナナ荘

2011-08-07 20:59:05 | 小笠原・父島*1989年

小笠原・父島・1989年3月*その2

おがさわら丸で約28時間揺られ・・・、

現在はもう少しパワーアップして25時間位で着くようですが・・・、

無事に父島二見港に到着しました。

船から下りた人々は、皆陸地を踏みしめて確かめつつ、

「まだ揺れてるよ~」と口々に言っています。

港には、民宿の案内の方が来ていて、

自分も、妹と共に、予約を入れていた「バナナ荘」のところに行きました。

まだ宿が決まっていない人たちを呼び込み、

10人前後だったか・・・でバナナ荘へぞろぞろと向かいました。

どうやら、バナナ荘では、男女別相部屋が基本で、

いわゆる「ユース(ホステル)民宿」のようでした。

我々の同室は、山梨から来た女子大生のTさん。

卒論を書くために父島にやってきたそうですが、きれいで、物静かな方でした。

バナナ荘で女将さん(この言い方はそぐわないかもしれませんが)に会って、

予約を入れたときに感じた訛りの理由がわかりました。

欧米系の方だったのです。

父島に最初に住みついたのは欧米系の人種なので、その流れを汲む方なのでしょう。

お名前も、J〇〇〇さんというらしい。

その、Jさんに、「ちょっと、領収書を書いてくれないかしら」と、

宿泊代の領収書の代筆を頼まれました。

こうして、何枚かの領収書を書きますと、

宿泊者の中には欧米系の大平〇〇(=カタカナ)さんもいて、

Jさんとは何年ぶりかの再会らしいです。

大平さんというのは、後に読んだ有吉佐和子さんの著書によると、

欧米名はワシントンさんなのだそうです。

バナナ荘について早々に、父島の歴史を感じてしまった場面でありました。

お部屋は和室で文机が置いてありました。

女性の宿泊者は我々姉妹とTさんの3人です。

我々姉妹が島をうろついている間、Tさんはこの文机に向かっていたのでしょう。

Tさんはほとんど観光をしていない様子でした。

あとで妹と話していたのですが、TさんはJさんと親戚か何かではないのかと・・・。

Tさんのお顔立ちも少し白人ぽかったし。あくまでも想像ですが。

卒論の邪魔をしてはいけないと思い、あまりお話もできなかったのでした。

男性の宿泊者は年齢層が色々でした。

若い人たちは「ユースホステル」に泊まるつもりでいたみたいなのですが、

満室のため、バナナ荘に来た人が多かったようです。

そんなわけで一人旅の若者たち何人かと、

その後一緒に「カメ肉」を食べに行ったりすることになるわけです。

父島へ一人旅する若い男性・・・何を目的に?・・・と思いますが、

自分と同様に、「なんとなく・・・南の島に来てみたかった」的な人が多いみたい。

新島など、伊豆方面だとナンパ目的の軽そうな男性もいそうですが、

さすがに片道28時間も船に揺られて来る方々、

見た目、ちゃらちゃらした人たちは少ない模様でした。

バナナ荘の食事はあまり覚えていませんが、

島ならではの食事ということではなかったと思います。

そのため、宿泊者の方たちと、島の名物「島寿司」「カメ肉」を

居酒屋に食べに行くことになりました。

~つづく~

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父島*1989年*その1*おがさわら丸

2011-08-04 12:37:12 | 小笠原・父島*1989年

<おがさわら丸・パンフレット>

1989年3月16日、朝、東京・竹芝桟橋を父島へ、おがさわら丸は出航しました。

父島とは、東京から南南東へ約1000㎞の小笠原諸島の主島です。

なぜ、小笠原に行ってみたいと思ったのか、

今となっては明確には思い出せませんが、

ちょっと変わったところに行ってみたいと・・・、

そんな軽い気持ちだったのではないかと思います。

その当時、日本はたぶんバブル時代で、

学生だった我々にとっては、海外旅行に行くことも珍しくなく、

もちろん、その為にバイトで汗水たらして、働いて貯めたお金で行きましたが、

そんなわけで、仲のよい友人たちは、春休みに、

「イギリスへ1ヶ月行ってくるね~」とか、

「トルコ、エジプトへ1ヶ月さすらってくるよ~」とかいう感じで、

父島に一緒に行ってくれそうな友人はいませんでした。

とはいえ、父島と言えば「海」。

亜熱帯の海ならば水着になることもあるでしょう。

さすがに、女子大生一人では水着で海を楽しめないのではないかと思い、

旅費を持つという条件で妹を道連れにしました。

妹とは普段はほとんど一緒に行動はしませんが、

やはり女子大生だったので、時間はあったのです。

父島へは当時、おおむね6日周期でおがさわら丸が出航していました。

東京を朝出航して翌日の昼に父島着~父島で3泊停泊して、

5日目の昼に父島を出航して翌日夕方に東京着というパターン。

大体、28時間くらい船に揺られることになるので、

実のところ、船酔いも心配でした。

一等船室なら揺れは少ないのかしら・・・と思いつつ、

学生の身の上、豪華な旅は不要と、当然二等船室を予約。

確か、往復で一人3万円くらいだったような(記憶が不鮮明)。

いや、もう少し安かったかな。

次に、宿の予約。

ガイドブックを買ってきて、なるべく便利そうな立地の民宿にしました。

「バナナ荘」・・・当時の言葉で言えば、ナウくない感じですが、

そこになんとなく惹きつけられて・・・に電話してみました。

果たして、電話に出てくれた方は、ちょっと訛りのある中年の女性で、

こちらの名前などを何度も聞き返されたりして、ちょっと心配になってきました。

それとも父島は電話の回線が遠くて聞き取りにくいのか

もし、予約がうまく取れていなくても、

おがさわら丸に「ホテルシップ」という、停泊中の船に泊まることもできるので、

まぁ、いいか~と。

こうして、3月16日早朝に横浜の自宅を出発して、東京・竹芝桟橋へ。

無事、船上の人となりました。

おがさわら丸は約3500トン。

東京湾は意外と船が多くて、デッキから海上を眺めるのも楽しくて、

しばらく風に吹かれておりました。

さて、二等船室はどこかしら・・・と、番号札を持ってさがしていると、

(番号札255・・・冒頭の写真に写っています)

カーペットのフロアに、ずらーっと枕が置いてあって、

その間隔が思ったより狭い

見知らぬ人とこんな狭いところで雑魚寝なのか~と、ちょっと気分はダウン。

そして、ところどころに、アルマイトの洗面器がある。

船酔いで、間に合わなかった人の為用かリアルだ。

せっかくなので船内を妹と探検してみました。

食堂やシャワー室など、ちらっと見て回り、

トイレに行ってみると、多分、嘔吐の人用のトイレっぽいものが・・・

お世話になることがなければ良いが。

そして、下の階に行ってみると、そこにもカーペットのスペースがあるのだけれど、

フリースペースになっているみたい。

自分たちの寝床はあんなに狭いのに、こんな広いとこがあるじゃん、と

妹と荷物を持って、こちらに移動してきました。

夕刻、海に沈む夕日はぜひ見たいと思い、外へ出てみましたが、

あいにく、雲が多い日の入りとなってしまいました。残念

さすがに外洋に出てからは本格的に揺れはあって、

波を乗り越えてゆくように、常に浮遊感とGが掛かる感じがありました。

船底に近いスペースにいたためか、エンジン音?も豪快で、

いや、「快く」はありませんでしたが、

それでも、周りに人はまばらで(他にもこの広いスペースを見つけて来た人有り)、

心置きなく寝っ転がっていられたので、さいわい、船酔いにならずにいられました。

上方に取り付けられたテレビを何とはなしに見ていましたが、

それも、だんだんと電波の状況が悪くなってきて、

ザザッザザッと画面にノイズがはしり、

ついに映らなくなったのが、妙に印象的でした。

そのうちに、船のスタッフの方が、「こちらは閉鎖します」と知らせてきたので、

嫌々ながら、本来の自分の陣地へ行きました。

もう、夜になっていて、寝っ転がっている人が大半で、

自分も船酔いする前に寝てしまおうと、すぐに眠ってしまった

隣に人がいたはずなのですが、そのことはまったく覚えていません。

妹は他の乗客と少し談話をしていたみたいで、

島に何年かぶりに帰る人の話とか、夜中に洗面器に向かう人がいたとか、

そんなことを、後になって聞きました。

さて、早朝、今度は海から上る朝日が見たくて暗いうちに起きたのですが、

相変わらず揺れていて、

手摺につかまりながら外に出たような・・・、

白ずんでゆく朝、しかし残念ながら雲が多い空、

それでも、雲の切れ間から太陽を確認して、菓子パンを頬張りました。

潮風が少し寒かったような・・・凍えることはなかったけれど。

結局、船の揺れの為か食欲はあまりなくて、

食堂に行ってみようかという気も起こらずに、1日が過ぎてゆきました。

船酔いしないようにするには、自分には横になっているのが合うようです。

こうして、横になりつつ、うとうとと時を過ごし、

父島がやがて大きく見えるようになってきて、

父島二見港到着。いざバナナ荘へ

~つづく~

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