モアイのためいき

日々のこと・ハンドメイド・若い頃の旅など

1989夏*北海道*その6*牧場体験

2010-10-07 10:17:50 | 1989年*夏*北海道

1989年夏・北海道の旅、

旅のきっかけとなった、ドラマ「北の国から」の富良野を訪れる、

という目的を果たし、

次なる訪問地は「摩周湖」。

今となっては、「なぜ、摩周湖?」との思いもありますが、

若かった頃の何かが、マシュウという響きに引き寄せられたのかもしれません。

富良野からJRで帯広―釧路―弟子屈(当時の駅名・てしかが)、

そこから、摩周湖に近いYH(ユースホステル)へ向かいました。

友人タケとの二人旅、

前もってYHには予約を入れておきました。

着いてみると、YHにログハウスがあり、うろ覚えなのですが、

宿泊は1日おきに男の日、女の日とあったようで、

到着した日は女の日で、ベッドに空きがあったので、

ログハウスに泊まれることになりました。

前日に麓郷で「黒板五郎の丸太小屋」を見てきたので、

「ログハウス・・・木の香りがして、心地よく眠れるんだろうなぁ

などと、高揚感が出てきます。

さて、YHの案内を見ると、

「一日牧場体験」なるものが!・・・これは面白そう。

タケに聞いてみると、「やってもいいよ」・・・とのことで、

翌日のプランが決まりました。

摩周湖へは早朝に歩いて行ってみようということになり、

それは翌々日の朝行くことにしました。

牧場体験。

近隣の一般の牧場をされているお宅で、

午前中は牛舎の掃除などをし、合間に子牛にミルクをあげたり、

乳絞りをさせてもらったり、

ほとんど労働力にはなっていなかったのではないかしら

・・・作業着はつなぎを貸してくれました。

お昼ご飯におにぎりを頂き、

午後は、牧草をロール状にまとめたもの・・・

直径2メートルくらいありそうなゴロゴロしたものの

ひもを括ったりする軽作業で、

なんだかちっともお役にたってないなぁ、という有様でした。

それでも我々にとってはとっても貴重な体験で、

牧草のロールをじかに触ったりすることなど、まずないし、

牛のことを思う牧場の方の気持ちに触れることができたり、

有意義な一日となりました。

ちなみに費用は昼食代のみ300円(当時)。

あとでYHの方に聞いたら、

我々が行った牧場のお宅は、近隣の中でもきれいな牧場で、

牧場主の方が朴訥な方であったので、

より一層よい体験ができたみたいです。

牧場体験が終わり、

その夜はログハウスではなく、通常のお部屋に移りました。

・・・ちなみにログハウスは、

ただっ広い印象で(うろ覚えなのですが)、

衝立などなかったのであまり落ち着かなくて、

寝心地としてはどうだったのかしら

通常のベッド(YHでは2段が多い?)のほうが、

狭いけれどもなんとなく落ち着く・・・のは貧乏性なのでしょうかね。

そして、その夜は同室の、関西から来た学生さん二人、

・・・それぞれ一人旅のかたですが・・・とお話して、

翌日の摩周湖早朝ウォーキングに一緒に行こうということになりました。

YHではしばしばこうして、同室の方と一緒に行動したりするのも

楽しかったりするのですが・・・ ~つづく~ 

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1989夏*北海道*その5*上富良野

2010-10-02 18:27:37 | 1989年*夏*北海道

1989年夏・北海道の旅

午前中、富良野市街地から麓郷まで

必死こいて自転車で往復し、

午後はラベンダー畑に行くために、

列車に乗って、上富良野町日の出山公園へ行きました。

日の出山公園は小山一帯にラベンダーが咲き誇っていて、

この年は、運良く、ちょうど見頃だったのでした。

そしてこの日は、お祭りのようなことをやっていて、

人出が多かったようなのですが、

それでも背景に人が入らないように写真を撮ることもできました。

ラベンダー畑は、遠目に見ると紫色の絨毯のようですが、

近くで見ると、株と株の間は離れていて、

香りが想像していたより青臭かったです。

ラベンダーといえば富良野と思いつくほどの名産地。

もとはラベンダーから精油を採るための産業が、

観光も兼ねたお花畑になって、心を和ませてくれる・・・。

中富良野にはファーム富田さんという先駆的お花畑もありますね。

ラベンダーを堪能し、列車の時間もあることだし、

遅くなる前に上富良野から富良野駅に戻りました。

YHに戻ってから、お洗濯タイムです。

この日は結構汗をかいたし、数日分の洗濯物がたまっておりまして。

この北海道記を綴るにあたって、

当時使っていた手帳を引っ張り出してきました。

手帳には使ったお金の額と、YHで知り合った方の住所などを

記録してありますが・・・。

富良野から麓郷の往復、ペットボトルがない時代、

のどの渇きはどうしていたのかしら・・・と思ったら、

多分、缶飲料3本飲んで、喫茶店にも入っておりました。

この頃、お土産としてよく買っていたのが、

地元の景色のオレンジカード(JRで切符が買えるカード)です。

はい、日の出山公園でも買っています。

こうして、富良野の日はあっという間に過ぎてゆきました。

富良野駅ではさだまさしさんの「あーあ~あああああ~あ~」が

流れておりました。「北の国から」のテーマ曲ですね。~つづく~

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1989夏*北海道*その4*富良野

2010-10-01 22:42:46 | 1989年*夏*北海道

~1989夏・北海道の旅~

小樽からは富良野まで、途中乗り換えはあるにしても、

特急列車での移動です。

札幌も素通りです。

余談ですが、何度か北海道に行っていますが、

札幌は列車の乗り継ぎの待ち時間に少し歩いたことがあるだけ。

北大のクラーク博士の像と、時計台は見ました

小樽から富良野も移動に時間を取られてしまい、

富良野に滞在できるのはほぼ1日半です。

富良野はこれまた定番、ドラマ「北の国から」で憧れの地であり、

今回の旅のきっかけになったわけであります。

宿泊は前もってYH(ユースホステル)を予約しておきました。

ここで情報を仕入れ、翌日の行動が決まりましたが・・・、

ちょっと、強行スケジュールの予感

YHのミーティングでペアレントさんのお話を聞いて、

(心に残るお話でしたがここでは割愛)、

早めに部屋に戻って、翌日に備えました。

、レンタサイクルで、一路「北の国から」のロケ地、

麓郷へ

富良野市街地から麓郷までは片道15km以上でしょうか。

ひたすら自転車をこぎ続けました。

この時代、ペットボトルなどなかったのですが、

のどの渇きはどうやっていやしたのだったか。忘れてしまった。

タケはどちらかというとインドアタイプ人間なので、

サイクリング、大丈夫かな~とちょっと心配でしたが、

取り敢えず前進のみ・・・で麓郷に到着

このころ(1989年)はまだ麓郷の森としてそれほど整備されておらず、

この日、観光客は数えるほどでした。

黒板五郎の丸太小屋が(ドラマで)焼けてしまって、

住むことになる小屋がみすぼらしくて、ドラマとはいえ絶句。

蛍ちゃん、頑張りましたね。

さて、大好きなドラマの舞台だからといって、

のんびりするわけにはいきません。

次の目的地は上富良野町のラベンダー畑です。

さすがに自転車ではなく、

富良野まで戻って、列車で行きます。

・・・となると、列車の時刻に間に合わせなければならず、

またまた、ひたすら自転車をこぎました。

多少は起伏があるので、上りはきつかったです。

それでも学生だから自転車での移動もいとわず、

今なら車で行っちゃうだろうし・・・、

これは一種、旅の醍醐味と言えるかもしれません。

こうして、午前中のうちに、往復で30㎞くらいサイクリングし、

無事に富良野駅に戻ることができました。~続く~

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1989夏*北海道*その3*小樽

2010-09-30 11:20:46 | 1989年*夏*北海道

~1989夏・北海道の旅~

函館から小樽まで、JRでのんびり普通列車で移動。

小樽ではYH(ユースホステル)に泊まりました。

夏休みということもあり、YHは学生でほぼ満室でした。

今回の旅はタケと二人なので、

YHには前もって予約を入れておいて正解でした。

小樽では定番に小樽運河の散策、

工芸館、オルゴール堂、北一硝子、

ステンドグラスが美しかった市役所などを見て回り、

さて、食事はなにか名物料理でも・・・と思ったものの、

何故か「モスバーガー」に入ってしまいまして・・・。

歩き疲れて、つい定番のお店に入ってしまったのでした。

小樽と言えば、イメージとして、落ち着いた雰囲気。

一日中街を歩いていて、ほぼ、イメージどおりだったと思いました。

またまた、つまらぬ事を覚えているのですが、

今でも印象に残っているのが、

YHの近くで、7月なのにたんぽぽが満開で、

たんぽぽはセイヨウタンポポではなくニホンタンポポだったので、

外来種に負けるなと思ったのであります。

ニホンタンポポよ、今でも頑張っていますか~

さて、タケとはその前の年の夏に一緒に旅行しているので、

そんなに気を使わない間柄なのですが、

・・・どうも、タケにはYHが合わなかったようで、

もともとタケはとっても気遣いのある性質で、

逆に、無神経な目に合うと、テンションが下がってしまい、

YHと言えば、相部屋が基本なので、

同室に不愉快さを感じさせる人がいたことが、

ストレスになってしまったようです。

特に満室状態だったため、色々な人から「どちらから来たの?」と聞かれ、

会話を発展させなければ、という気疲れもあったのかも。

YHではミーティングで地元の情報を得たり、

人と知り合ったりするのも楽しみの一つなのですが、

タケは部屋でゆっくりくつろぎたかった模様でした。

小樽には2泊して、次の目的地、富良野へ。

なんせ、行ってみたい所を点々とするわけで、

広い北海道、移動距離が長い

周遊券で特急も乗れることに、ホント、感謝です。~つづく~

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1989夏*北海道*その2*函館

2010-09-26 09:17:01 | 1989年*夏*北海道

1989年・夏・函館の夜景

上野駅から青森駅行きの夜行急行に乗り込んで、いざ出発。

細かいことまでは覚えていないのですが、

深夜に出発して、そこそこ眠れたような気はします。

当時、周遊券を使って北海道を旅する若者は、

関東から出発する場合は、この夜行列車を使うパターンが多かったです。

この頃には青函トンネルが開通しており、

青森からは列車で函館まで2時間くらいだったかな。

すでに私は青函トンネルは経験済みだったので、

窓際は、友人タケに譲りました。

そして、函館着。天気は上々

この時我々のワクワク感が目立っていたらしく、

・・・いえ、決して騒ぐようなキャラではありません、我々は・・・、

後に知り合いになる関西の学生に写真を撮られておりました。

現在なら「勝手に撮るな」というところですが。

函館は私は2度目。と言っても、

1度目はその半年前に、列車の乗り継ぎで余った時間で、

うろついただけなので、観光はほとんどしておらず、

実質初めてのようなものです。

タケと、定番の五稜郭やトラピスチヌや街中を散策し、

夜は函館山の夜景を見てきました。

定番も定番

夜景の写真はうまく撮れなかったので、

いただいた物を使わせていただいております(冒頭の写真)。

その日の宿は湯の川温泉で、

ここで、列車で我々の写真を撮ったという関西の学生に会いました。

カメラが趣味だということで、

気になったものは何でも撮る・・・というスタンスだそうで、

我々も勝手に撮られた事を怒ることはしませんでした。

 

翌日、これまた定番の朝市へ行ったり、

街中をうろついたりして、

午後には次の目的地、小樽への列車に乗り込みました。

小樽へは普通列車で行ったので、

地元のおばさんとお話しする機会に恵まれ、

話題は・・・今でも覚えているのが、

ドラマ「北の国から」でキタキツネを餌付けしようとする場面がありますが、

おばさんは農作物をキツネにやられてしまって、

とっても悔しいんだということ。

そして、我々が「あずき」と呼んでいる「小豆」を、

「しょうず」と言っているのが印象に残りました。

変なことばかり覚えているものですね・・・

小樽への列車はディーゼルの音が時にうなったりして、

普段電車しか乗らない自分には、

その音さえも旅を盛り上げるように聞こえたのでした。~続く~

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1989夏*北海道*その1*出発まで

2010-09-24 06:24:05 | 1989年*夏*北海道

1989年・夏・・・学生時代

大学の友人、タケと北海道旅行に行きました。

きっかけは、お互い、倉本聡さんのドラマ「北の国から」が好きだったから。

その半年前に北海道一人旅を経験して、

ユースホステル(YH)のお気軽さ(良さ)を体験した私は、

タケにも、有無を言わせず?YHと列車の旅を提案し、

了承され、めでたく出発です。

当時のきっぷのお値段は、

東京都区内―JR北海道の周遊券・20日間・学割で¥29360。

北海道への往復と、北海道内は、自由席なら特急も乗り放題で、

とっても安いと思うのですが、今もあるのかしら。

順に追って行くと行数がいくらあっても足りないので、

まずは、ルートをおおまかに。

青森まで夜行急行―函館―小樽―富良野―摩周湖。

ここでタケは所用の為、千歳空港から帰宅。

千歳空港でタケを見送った私は、ここから一人旅で、

美瑛―増毛―サロマ湖―根室―厚岸―

夜行列車―寝台特急北斗星で帰宅。

今思えば右往左往のルートですが、

行ってみたい所を移動したので、こんなことになってしまったのです。

ちなみにタケの所用とは、家族旅行。それも、利尻・礼文へ

移動時間と飛行機代がモッタイナ~イ

けれど、ご家族の意向に逆らえなかったそうです。

出発の日、バイト先に立ち寄り、給与を手にして来ましたので、

資金も問題なしです。

そんな感じで20日間の北海道の旅が始まりました。~つづく~

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