モアイのためいき

日々のこと・ハンドメイド・若い頃の旅など

サーフィンのテレビで・・・

2019-12-19 22:10:47 | タヒチ*1990年

何気なくサーフィンのテレビを見ていたら、

タヒチの「チョープー」というところで開催されていて、

「チョープー?どこだろう?」と思ったら、

アルファベットの綴りが「Teahupoo」となっていて、

ひょっとして、「ティアフポー」なのかなぁと思って調べたら、そのようでした

1990年に、当時大学生だった自分と、友人クミちゃんの2人で、

タヒチ、イースター島へ行ってきました。

その時、時間がまぁまぁあったので、タヒチイチ(タヒチ島のくびれた南東の地域)まで足を伸ばし、

とりあえず、ル・トラックで行けるところまで行こうとチャレンジしようとしたのが、

ティアフポーだったのです。

結局、ル・トラックが来なくて、ティアフポーにはたどり着けなかったのですがね。

(その際の旅日記は「タヒチ*1990年」にあります。)

泊まっていた宿の奥さんは「ティアフポー」と発音していたように聞こえたけれど、

確かに我々も、その際発音が難しかったように記憶しています。

今は、一般的には「チョープー」なのかな?あるいは「チョーポー」と書かれている記事もあり。

最近の記事では、2024年のパリオリンピックのサーフィン会場が、タヒチになるって出てたけれど、

自分にとっては幻のティアフポーがオリンピックの会場になるかもとは、感慨深い・・・。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地図帳のはなし*ピトケアン島

2009-10-30 23:53:25 | タヒチ*1990年

地図帳のはなし*ピトケアン島

学生時代(1990年)タヒチに行った時に、

夜、時間があいたときなどに

持参したガイドブックや地図などを見ていて、

南太平洋にいかにたくさんの知らない島があるものだと思いましたが、

「イギリス領・ピトケアン島・人口40人くらい」

・・・絶海の孤島のようなところに、40人くらい

どうやって暮らしているのか、とっても謎だったのですが、

現在のように簡単にインターネットで調べることもできない時代、

旅から帰って、図書館に行ってみたものの、

人口40人というのは誤植ではないことと、

反乱をおこした人たちが流れ着いて住み着いた末裔だということが

わかったくらいでした。

それからも心の片隅に「ピトケアン島」はひっかかっておりましたが、

ある時、テレビのドキュメンタリー番組で、

時任三郎さんがピトケアン島に滞在したのを放映したのです。

(調べたら1997年くらいでした)

ニュ-ジーランドから船旅で数日(いや、もっとだったかな?)、

ピトケアン島へは飛行機はなく、行くのも大変です。

放送によると、3ヶ月に1回定期船が物資を運んできたり、

島内は発電施設(発電機?)があったり、

想像していたより文明的な生活の暮らしぶりでした。

自分の中で知りたかったことが、クリアになって、

「時任さん、よく行ってくれましたね」と感謝したほどです。

さて、その後、インターネットが普及して、

ピトケアン島についてもすぐに調べられる時代となりました。

が、もちろんよくない話も見えてくるわけで・・・。

地図で見ていたときは、ロマンあふれる島を想像しておりましたが、

現実を知らないほうがよかったりして

絶海の孤島に浮かぶ少人数の島・・・未来はいかに?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タヒチで買った布

2009-08-02 18:19:26 | タヒチ*1990年

1990年3月のタヒチの旅で買ってきた布です。

もちろん「パレオ」という、現地の方たちが服代わりに使っている布も

買って、旅の合間に重宝してきましたが、

おみやげ物を探してパペーテの町をうろついている時に、

布地屋さんをみつけて、つい、入店。

1mずつ、3種類カットしてもらいました。

その1

大きな柄です。よく見ると・・・

タヒチっぽい図柄がプリントされています。直径12㎝くらいかな。

その2

絵の具のビリジアン色が鮮やかな・・・

そして、タヒチ島の形のプリントですね。

 やはり、ロゴのプリント

 海辺のおうちでしょうか

その3

なんだかすごい色だな~いつもなら絶対に買わない布だけれど、

確かこの柄だけ190CFP(≒300円)/mで安かったので

ちなみに上2種類は540CFP(≒800円)/mで、

この頃の日本の布よりは高いと感じたような気もします。

たぶん、綿のブロードだと思います。

クッションカバーか掛け布にでもして、タヒチ気分を味わおうと

買ってきたはずでしたが、

日本に戻ってくれば、自分の部屋の色と合わない・・・

というわけで、20年近くも保管されたままでございます。

幸い、かびは生えていないような・・・。

最近、モンステラ(だっけ)柄を多く見かけますが、

ちょっと、それっぽいなぁと思います。

オークションに出してしまおうか・・・でも、古いしなぁ

余談ですが、タヒチから帰ってきて、確か10日後位だったと思いますが、

はしかに似た赤い発疹と熱が出ました。

予防接種は受けていたので、医者にもよくわからないと言われ、

念の為何日か外出を控え、ほどなく、回復しました。

タヒチの旅とは関係ないかもしれませんが、

栄養不足や疲れなども重なったのかもしれません。

倹約旅行で、野菜不足だったしなぁ。

倹約旅行とはいえ、3週間の旅は約50万円かかりました。

そのうち6割が飛行機代ですけれど。

バイトで汗水たらして得たお金をバァ~っと使ってしまって、

周りから見たら贅沢だ・・・と思われるかもしれませんが、

若さゆえ、お許しくだされ

~おしまい~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1990年タヒチ紀行*その13*おみやげ

2009-08-01 23:57:36 | タヒチ*1990年

マルシェの魚売り場 見るだけ

 

~1990年3月・タヒチ・パペーテ~

いよいよ、3週間のタヒチの旅も残りわずか。

タヒチ・イチ(島のくびれた小さいほう)に近い田舎町で

予定外に5日間も過ごす羽目になってしまったので、

中心地パペーテに戻ってきたのは日本に帰国する前日のことでした。

私自身の発熱の為、そして日曜日はル・トラックがない・・・など、

計算外の出来事で、

田舎町、タラバオの辺りに見所があればまだよかったのですが、

かなりのどかな所だったので、

時間配分がもったいなく思えました。旅の心残り。

ル・トラックで2時間近くかけて戻ってきたパペーテ、

最後の1泊は、10日ほど前にお世話になった新しい宿に行ってみて、

運良くお部屋が空いていたので、泊まることができました。

残り少ないパペーテでの時間、おみやげ物を探しに街探検へ。

私は体力が戻っておらず、途中休んだりしながらとなりましたが、

夕食にタヒチ名物のルロット・・・車の屋台・・・で、

ちょっと栄養補給とばかりに「チャオメン(あんかけヤキソバっぽい)」を

おいしくいただきました。900CFP≒1350円なり。

宿では本当に久しぶりにテレビを見ました。

もっとも、フランス語で何を言っているのかさっぱりわかりませんでしたが。

第2外国語はクミちゃんがドイツ、私は中国だし。

約3週間の旅でしたが、フランス語はボンジュールとメルシーくらいしか

使わなかったなぁ・・確か。

今だったら電子辞書もあるだろうけど、

1990年頃はボディランゲージ

3週間あまり、実家にも1度もはしませんでした。

今だったら親に「携帯電話で連絡取りなさい」などと言われるのでしょうね。

パペーテで買ったお土産は、べたに、ココナツ石鹸。

ヒナノビール(タヒチ産)。パレオ。Tシャツ。布。

貝のネックレス。タヒチアンミュージックのテープ。など・・・

布はクッションカバーでも作って南国の雰囲気を味わおうと

買ってはみたものの、

家に帰ったら色やテイストが自分好みではないということに気づいて、

結局、今もそのままあります。

これを機にオークションに出してみようかと思いますが、

20年も前の布、どうなのでしょうかね~

近々ブログで画像をアップできたら・・と考えています。

翌日、FAAA国際空港で、日本から来た時に同じ飛行機だった、

日本人男子学生の1人と再会しました。

彼はランギロア島という大きなラグーンのある島で、

スキューバダイビング三昧だったそうです。

そういえば、我々はあまり海に入らなかったなぁ。

それもちょっと心残りではあったけれど・・・。

ボラボラ島のマティラポイントを宝物として、それで充分か

こうして、日本に向けてエールフランス機で帰国いたしました。

~続く・・・かも~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1990年タヒチ紀行*その12*タヒチ・イチ

2009-07-29 23:50:32 | タヒチ*1990年

~1990年3月*タヒチ・イチ~

タヒチ・イチというのはタヒチ島の南東部にくびれてくっついたような部分です。

くびれた所はタラバオという町で、

ここから北部に行く道と南部に行く道に分かれます。

特に観光名所があるという情報はなかったのですが、

とりあえず時間はあるので、パペーテのような都会から離れて、

田舎のタヒチも見てみたかったのです。

二日前にタラバオに近い宿を見つけて、こちらに来て、

前日はタヒチイチの北部をル・トラックで終点まで行ったので、

次は南部の終点まで行ってみようと思いました。

宿の奥さんの話ではその町はティアフポーといい、

きれいなお花畑があるとか・・・

さぁ出発と思っていた日は午前中雨で、午後から出掛けてみたけれど、

待てどもル・トラックは来ません。もとから時刻表などないのですが。

ちょうど宿の奥さんが車で通りかかり、

途中まで乗せてくれたのですが、

結局そこから先には歩くのも無理がありそうなので、

戻ることにしました。・・・が

行きのル・トラックがないということは、戻りのル・トラックもないのではないですか

そんな単純なことも忘れていて、

歩くしかない・・・10㎞以上はあるだろうな~・・・と

へこんでおりましたら、

青年が運転するミニクーペが拾ってくれました

ちなみにこのあたりが何という町だかもわかっていませんでしたが、

お店も見当たらず、道の脇は森のようになっていて、

人も車もあまり通らないような感じだったので、

ヒッチハイクで乗せてもらえて、助かりました。

ひょっとしてこちらの方面には、ル・トラックはほとんど走っていないのでは・・・

乗る人がいなければ、路線として成り立たないでしょうから。

それはわかりませんが、宿の奥さんは何も言ってなかったしなぁ。

タヒチでは、ヒッチハイクとか車に気軽に人を乗せてあげるという、

そういう気質で、奥さんも帰りは適当に通りがかりの車に

乗せてもらって帰ってきなさい・・・ということだったのかしら。

そんなわけで、タヒチ・イチ巡検は半ば失敗に終わりました

もちろんこんな田舎町で日本人に会うこともなく、

見所もほとんどなく(単に気づかなかっただけかもしれませんが)、

妙に疲れてだるくなって帰りました。

その翌日、午前中ル・トラックでゴーギャン博物館へ。

パペーテからは遠いけれども、タラバオからは10㎞くらいかな?

本物の絵はほとんどここにはありません。

併設のレストランで、マヒマヒという白身魚を食べました。

タヒチのレストランはフランスパンが無料でついてくるようです。

でも、こんな1品料理で2000円以上です

物価の高さの為か、観光客料金なのか・・・

さて、帰り道、昨日に引き続き、ル・トラックが全然通りません。

ここでハタと気づいた・・・今日は土曜日で、半ドンなのでは・・・

こうなったら待つより歩くしかないのですが・・・宿まで10数㎞。

普段ならしゃかしゃか歩く距離なのですが、

なんだか体に異変が・・・熱が上がってきたようです。

前日からちょっとだるいなぁと思ってたら、案の定、

体温計がなくても、熱があるのがわかりました。

歩く道路の脇には道標があって、例えば「パペーテから○㎞」と記してあるので、

「1㎞歩いた・・・2㎞・・・」と重い体でフラフラ歩いておりました。

5㎞位歩いて、さすがに「10㎞も歩けるのだろうか」と気が遠くなってきたところで、

・・・女神様が舞い降りて・・・

もとい、タヒチアン女性たちが乗ったトラックが止まってくれて、

荷台に乗せてもらうことができました。

この時は涙が出そうなくらい嬉しかったです。

こうして無事に宿にたどり着き、即ベッドに倒れこみました。

予定では翌日パペーテに戻るつもりだったのですが、

そんな元気がないかも・・・などと思っていたら、

宿の奥さんからの情報で、日曜日はル・トラックが来ないらしい。

というわけで、幸か不幸か翌日は1日ベッドで寝ることになりました。

クミちゃんには迷惑かけたなぁ。

一人で近辺を散策したり、バンガローの下で水浴びしていたらしいです。

こうして、この田舎の宿には結局5泊もしてしまったのでした

タヒチの時間はのこりわずか・・・ ~続く~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1990年タヒチ紀行*その11*木の上の宿

2009-07-28 23:20:50 | タヒチ*1990年

木の上のバンガローに登る様子わかりづらいですね

 

~1990年3月・タヒチ島・・・タヒチ・イチヘ~

3週間のタヒチの旅・・・イースター島に約5日、ボラボラ島で3泊&船2泊、

といううちに、タヒチでの時間があと1週間くらいになってしまいました。

友人クミちゃんと協議した結果、

すぐ近くのモーレア島という新婚旅行者が多そうな島はパスして、

タヒチ島の南東部、タヒチ・イチまで足を伸ばしてみたいと意見が一致しました。

観光案内所オパティで情報収集すると、

目的のタヒチ・イチからあまり遠くない所の宿のちらし(日本語)を

見つけまして・・・木の上と水上のバンガローですが、

いわゆるリゾート系の高級なホテルではなく、

建築家の趣味のような宿なので、我々の財布にも優しい感じ。

そこに泊まれるかどうか、公衆電話から尋ねてみると(byクミちゃん)、

泊まれるということで、我々の行き先は決まりました。

パペーテからル・トラックで時計回りに約1時間半、

距離にすると5、60㎞くらいでしょうか?・・・ファアオネという町あたりで

トラックから降ろしてもらって、宿に着きました。

木の上のバンガローに泊まってみましたが・・・ムムム・・・

建築家のご趣味ということで、正直泊まり心地はかなり悪かった。

地上5メートルくらいの木の枝の間に丸太を組んで造った小屋は、

狭いし、丸太がそのままの床で不安定で、

トイレは木の下まで降りて行かなくてはならないし

そのトイレはたまたま壊れていたので、草っぱらで用を足し、

買い物に出てみれば、マーケットまでは結構な距離、

そして、蚊だかダニだか、かゆくなってしまい・・・。

それでもたくましいクミちゃんに、「旅の思い出だね」と言われて、

なんとか気を取り直しておりました。

宿のオーナー(建築家)の奥さんは何故か、

「フジテレビのマーク」の腕時計をしていました。

翌朝、朝食用のフランスパンは、たぶん、

ネズミにかじられてしまっていたようでした。

丸太の床に直接せんべい布団を敷いた寝床だったため、

さすがにクミちゃんも、「ここに泊まりたくないね~」となり、

水上バンガローに移ることにしました。

こちらのほうはかなり広くて、寝るスペースは平らだし、水道もついております。

ちなみに1泊1人、木の上は1500CFPで水上は2000CFP。

トイレはオーナーが直してくれて、ここからは快適な宿となりました。

ここからタヒチ・イチへ、ル・トラックで約30分。

終点タウティラという町に着きました。

何にもないところでした。

とりあえず、終点まで来たことに満足し、

それでも2時間ほどそこにいたのかな・・・

ちょうどル・トラックがきたので、戻りました。

宿で、タヒチアンらしく裸足になって、パレオを着て過ごしました。

翌日にはまたタヒチ・イチやゴーギャン博物館に行く予定ですが・・・。

またもやちょっとしたハプニングか? ~続く~

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1990年タヒチ紀行*その10*船でのハプニング

2009-07-27 23:39:47 | タヒチ*1990年

荷台に乗る人々我々もこんな感じで乗りました・・

 

~1990年3月タヒチ・ボラボラ島からタヒチ島へ~

充実していたボラボラ島満喫DAY・・・の翌朝、

タヒチ島に帰る船は12時頃の出港のつもりで、午前中のんびりするつもりが、

宿のオーナーが「船の出港が10時半になったらしい」と知らせに来て、

その時は10:15頃で、かなりあせってしまった。

おまけにオーナーの車が壊れたとかで、

オーナーが通りに出てヒッチハイクをしてくれるという。

タヒチ島でお世話になった宿の紹介で、

なかば強制的に連れてこられてしまった「ディスコ(の裏の)宿」・・

普通の旅行者だったらあまり泊まらないような所でしたが、

のんびり気ままに過ごせてお礼も言いたかったのに、

そんな別れを言う暇もなく、ヒッチハイクの四駆トラックの荷台に乗せられ、

港へ・・・

結局あせった割には、出港は11:30頃でした。

実はこの船の中でちょっとしたハプニングがありまして・・・

・・・今となっては笑い話ですが・・・

倹約旅行の我々、タヒチ島⇔ボラボラ島を船で往復し、

船も、観光客船ではなく貨客船で安く済ませたわけで、

せめて、クシェットという寝台のチケットをとったのですが、

寝台といってもカーテンなどがあるわけではなく

2段ベッドのようなものが壁についているだけのもので、

夜中そこに寝ていると、酔っ払ったフランス系お兄さんが、

にこにこしながら私の足元に寄り添っていたのです。

あまりにも驚いて「ぎゃ~ Far away」と叫んでいました。

英語が合っているのかわからないけど

フランス系お兄さんも驚いて退散してくれまして、

声を聞きつけた、船のクルー(ポリネシア系ヤングマン)も駆けつけてくれました。

安く済ませようと船を選んだわけですが、この時はちょっと後悔しました。

タヒチの治安のよさに油断していたのでしょうね。

船を下りてからも、騒いでしまった自分に対して報復があるのではないかと

周りを気にしつつの行動で、少し怖かったです。

早朝タヒチ島に着いて、さて、これからタヒチ島でどう過ごすかな?

~続く~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1990年タヒチ紀行*その9*マティラポイント

2009-07-25 23:42:09 | タヒチ*1990年

ダンスショーの演奏の方々です

~1990年・3月ボラボラ島1週

ボラボラ島三日目、ようやく観光客らしく、島随一のきれいな海、

マティラ・ポイントへ行くぞ~・・・と言っても、

簡単に歩いて行くという距離ではないので、

レンタサイクルで島内1周を兼ねて行くことにしました。

島の中心地ヴァイタペで、自転車1日1300CFP(約2000円)を借りました。

自転車はブレーキもスタンドもない、大丈夫か?的なものでしたが、

のんびり出発そうそう、島の東側はお店があるかもわからないので、

食料と飲み物も忘れずに・・・。

友人クミちゃんと自転車でガタゴト・・・道は白くまぶしい~

椰子の木は緑濃く、空は青く・・・これぞ南国

途中、島の東側の道端で小休止・・・海に入ったけれども、

ここいらはきれいなビーチではなく、なまこのような生き物が多くて、

すぐに退散しました。水着に短パンTシャツなので、こういう時、

パッと入ってパッと出られて、気軽でいいねぇ(今ならこうはいかない)。

ほとんど出会う人も車もなく、島1周約32㎞の4分の3ほど行ったところで、

マティラポイントにつきました

ここは別世界・・・白い砂浜、遠浅、ラグーンの中なので波もなく、

熱帯魚はそこかしこに見えます。ごみもない、エメラルドグリーンの海。

ラグーンの外の海はマリンブルーの海で、コントラストも素晴らしい。

惜しいことに、そのときの写真がほとんどなく、あっても自分が写っているので、

アップできないのが悲しい・・・。

でも、この海はいくらでもネットやTVで見られるでしょうね。

こんなにきれいな色合いの海に、人はまばらで、

海に浸かっているのは、我々とほか数名くらい。

その中のおじさんが、クミちゃんにシュノーケルの道具を貸してくれて、

クミちゃんはしばし、海中の様子を楽しんでいました。

私はただただ海に体を委ねて浮いていたり、沖を眺めたりして、

とにかく「この海は自分のものだ」と思えるシチュエーションに感謝しました。

 この周辺にはリゾートホテルがたくさんあったので、

日本人客は、ホテルのプライベートビーチにいたのかもしれませんが、

ここでも、日本人に会うことはありませんでした。

おそらく、これ以上きれいな海に出会うことはないだろう・・・と思って、

マティラポイントをあとにしましたが、

やはり、今でも自分の中でのベストの海です。今も変わらないといいけれど。

さて、島1周サイクリングが終わり、その夜

もうひとつのタヒチでのお楽しみ、「タムレダンス」が見たい

・・・タムレダンスとはタヒチアンダンスのことなのですが・・・

私が持っていた旅のガイドブックでは、

我々が泊まっている宿のディスコでも、ダンスショーを不定期に

やっている・・と書いてあったので、

宿のオーナーに「ダンスが見たい」と言うと、

「今日、クラブメッド(会員制ホテル)でショーがあるよ・・・」というわけで、

真っ暗な電灯もない道を歩いて15分位の所にある、

クラブメッドに馳せ参じました。

 会員制の施設なので、ビジターでも大丈夫かと心配でしたが、

ビュッフェ料金4500CFP(≒6800円)払えばOKとのこと。

高い~と思いましたが、せっかくのダンスショー・・・

そして、ご馳走もいただけるということで、見ることにしました。

ここでは、日本人の女性スタッフが対応してくれて、

そのスタッフは我々日本人女子を見て、たいそう喜んでくれました。

フランス料理のビュッフェは豪華で、思いっきり高そうなものを食べ、

ダンスショーのタヒチアンダンスも素早い動きに圧倒され、

一緒に踊る人もいましたが、我々はそこまでの熱意はなく、

贅沢な時間を過ごさせてもらって、

静かな真っ暗な道を宿まで歩いて戻って・・・寝ました

翌日は、ボラボラを発って、タヒチ島に戻る日です。あっという間のボラボラ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1990年タヒチ紀行*その8*のんびりボラボラ

2009-07-18 22:40:31 | タヒチ*1990年

ボラボラ島・・真っ白い道に濃いグリーン・・

 

~1990年3月・ボラボラ島でのんびり~

ボラボラ島は島内を1周する道路があるので(約32㎞)、

サイクリングをする計画を立てていました。

島についたのは土曜日昼頃で、午後の半日は食料買出し&街散策。

宿はボラボラの中心街「ヴァイタペ」の北のはずれにあり、

週末はディスコ営業があるというので、

夜になってこっそり偵察に行ってみました。

お客さんはほとんどおらず、ミラーボールが寂しく回っているようでした。

宿のオーナーが「踊ろうよ」と誘ってくれましたが、

クミちゃんも私もちょっと疲れがたまっていて、

やんわりとご辞退申し上げました

このあとになって、島のヤングマンたちが集ってきて、

音響ガンガンで、盛り上がっていたようです。

翌日・・・日曜日・・・はレンタサイクルはお休みでした!

日曜日が定休というのは海外ではグローバルスタンダードなのですね。

たまたまその日は天候がぐずついていて、

自転車を借りても気持ちよいサイクリングは望めなさそうでした。

そんなわけで、宿の敷地内の屋根のあるコテージで、

折り紙を折って、のんびり過ごしました。あと、洗濯も・・・。

午後からスコール覚悟で散歩に出かけると、

現地の子たちが興味深そうにニコニコ近づいてきて、少しの間一緒に散歩。

普通に裸足で歩いてました。かわいらしい子供たちでした。

その後、数日振りに日本人に遭遇・・・20名の集団です。

マラエという遺跡で、ガイドさんの説明を聞いているところでした。

20名さんの一人が近づいてきて、

「ガイドを日本語に訳してくれない?」とおっしゃるので、

難しいことはわからないけど・・・と、簡単な部分だけ通訳しました。

・・・主にクミちゃんがね・・・

20名さんは親戚ご一行だそうで、ブラジル・サンチアゴ(チリ)・

イースター島・タヒチ・・・と巡ってきたそうな・・・なんともリッチ

こうして、とってものんびりなボラボラ島の時間を過ごしました。

日本人はほとんど高級リゾートホテルとビーチで過ごしているのか、

街中で会うことはこれ以降ありませんでした。

ボラボラ島の水上バンガローなどは1泊5万円以上するみたいだったけれど、

新婚旅行なら泊まるのでしょうね  いいなぁ

我々の泊まっているディスコの裏手の宿は1泊2千円ちょっと。

海は見えないけれど、結構清潔だからよしとしようか。

日曜の夜は静かで、翌日のサイクリングに向けて、早く寝ました。

~続く~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1990年タヒチ紀行*その7*ボラボラへ

2009-07-17 23:23:53 | タヒチ*1990年

貨客船にスイカを積み込む様子

 

~1990年3月タヒチ・・ボラボラ島へ~

タヒチに着いてから、イースター島へ行き、あまり落ち着くこともなく、

今度はボラボラ島への船旅を予約した我々・・・。

飛行機だとタヒチ島からボラボラ島まで約10,000CFP(≒15,000円)。

予約した貨客船のクシェット(寝台付きのような感じ)で、2,100CFP(≒3,150円)。

この違いは大きいので迷わず船旅を選びました。

ただし、飛行機なら1時間くらいのところを船なら20時間

さて、ボラボラ島へ出発の日・・・

船は17時の出港なので、それまで博物館に行ったり、

ちょっとしたレストランに入って、タヒチの味を堪能したりしました。

宿の方はチェックアウトはあまり気にしないでいいよ・・・

という感じで、荷物を置かせてくれていたので、

午後、宿に荷物を取りに行くと・・・

宿のご主人のお友達が港まで車で送ってくださるというのです。

なんだか甘えっぱなしで、日本人の面汚しになるんではないかと

ちょっと心配でしたが、断る流暢な語学力もなく、

また、ご好意に甘えてしまいました

そのお友達は40代くらいの男性で、俳優の竹中直人さんにちょっと似ていて、

送ってくださるという割にはほとんど笑顔もなく、英語もあまり通じず、

何か魂胆があったらどうしようかとちょっと勘繰りました。

さて、車で港に行く途中、竹中似さんは商店で車を止め、

勝手に惣菜パンなどを買い始めました。

そして、スプライトをおごってくれて、これまたほとんど無言で、

友人クミちゃんと私はちょっと戸惑いつつも、商店の店先で、

スプライトをいただきました。

乗る船、タポロは港の端の方にあり、車で送ってもらい、とても助かりました。

竹中似さんは最後まで笑顔はなかったのですけれども、

船に乗るとき、先ほど商店で買った惣菜パンやジュースを

我々に持たせてくれて、

我々は、まさか先ほどの買い物が私たちへの物だとは思ってもみなかったので

驚いてしまい、また断る言葉もうまく通じないので、

メルシーボクーメルシーボクーで受け取りました。

金額のことを言うと大変失礼なのですが、

これらのパンひとつ200CFP(≒300円)くらいで、高かったような

竹中似さんはお金持ちっぽくは見えなかったけれども、

実はお金持ちなのか・・・?わかりませんです。

いよいよボラボラ島へ出航

竹中似さんにお礼は言ったけれども、うまく伝わったかどうか・・・。

日本の女子学生たちにどうしてこんなによくしてくれたのか??

無愛想ではありましたが、本当にご好意でしてくれたのだと信じてます。

貨客船タポロは現地の方たちはデッキに敷物を敷いて寝っ転がっていて、

我々はその一角にある2段ベッドのような(クシェットという)所で

ほとんど横になっていました。

夕方の出航ですぐに暗くなるし、船酔いにならないように眠るに限る

内海ではないので、結構揺れたような気もします。

貨客船なのできれいではなく、トイレも壊れ気味で極力使わないようにし、

決して快適とは言えない船旅でございました。

しかしこんな経験は後々できるものでもなく、よかったと思います。

食欲もあまりなかったので、竹中似さんからの差し入れのパンは

翌朝船の中でひとつ食べて、船から下りて残りを頂きました。

惣菜パンはいわゆる日本のパン屋さんで売っている、

コーンマヨネーズとかピザ風とか、キッシュ風パンで、

日本の味を思い出させてくれるようなおいしいものでした。

幸い船酔いもせず、翌日正午頃、ボラボラ島に到着

船を下りると、人ごみの中から、我々の名前が書いてある紙を持って、

おじさんが近づいてきます・・・ひょっとして・・・

パペーテの宿で断ったはずの、宿の方かしら?

・・・そのとおりでした・・・

私もクミちゃんも船旅の疲れもあり、断る語学力もなく、

結局、その宿にお世話になることにしました。

港から宿まで車・・・赤い軽トラ・・の荷台に乗っかって、出発。

着いたところは町外れの「ディスコ・・・?」

週末だけ営業するディスコの裏手が宿泊施設になっていて、

結構清潔そうでした。

これから、ボラボラ島の数日、のんびり過ごせるかな。~続く~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1990年タヒチ紀行*その6*船のチケット

2009-07-16 09:52:08 | タヒチ*1990年

ル・トラックの中の様子

~1990年3月タヒチ・ボラボラ島へのチケットを買う~

前日、ちょっと失敗だった宿を後にし、

できて間もない清潔な宿を見つけて、なんとなく落ち着きました。

そこのオーナーの中華系ご主人が、今後の予定を我々に尋ねました。

片言の英語で、友人クミちゃんと私は

・・・「船でボラボラ島に行きたい」・・・

まだ日程は決めていませんでしたが、飛行機は高いので、

時間はあるし、船で行く体験もしてみたかったのです。

すると、昼過ぎに奥さんがボラボラ島に行く船のオフィスに

車で連れて行ってくれると言ってくださり、ご好意に甘えることにしました。

さて、ボラボラ島へ行く船は、貨客船(庶民の足)と、観光客主体の

フェリーの2種類ありましたが、

どういういきさつか忘れてしまったけれども、

連れて行ってくれたところは「タポロ」という貨客船のほうでした。

そこで、翌日の夕方に出る船のチケットを購入し(2100CFP)、

その後、奥さんが黒砂のビーチまで連れて行ってくださいました。

「帰りはル・トラックで帰るのよ」・・・と案内してくれて・・・

どうやらビーチはホテルのプライベートビーチの様相で、

「勝手に入って良いのかしら?」と思いつつ注意されることもなく、

しばらく海で遊んでおりました。

黒砂のためか、異常に砂が熱かった~。

いわゆる南の島の白い砂浜とは違うイメージで、結構波もありました。

結局タヒチ島で、海水浴をしたのはこの1回だけ。

南の島だからマリンスポーツとはなかなかいきませんねぇ。

連れて行ってもらわなければ、高級ホテルに泊まらない限り、

タヒチ島ではきれいなビーチを見つけられずに帰ってきたかも。

宿の奥さんに感謝です

宿に戻ると、ご主人が「ボラボラ島での宿は決まっているのか?」

と尋ねてきましたが、答えは「NO」です。

すると、ボラボラ島の知人の宿に泊まらないか?というご提案。

しかし我々は、自分たちでさがしてみる・・・と一応お断りしたのです。

海がきれいなところのそばに泊まってみたかったので、

もう少し、ガイドブックや観光案内所でさがすつもりでした。

断ったはずでしたが、その後、宿のお手伝いの方なのか、

年配の優しそうな女性が来て、盛んにその宿を勧めてきます。

(但しその女性はフランス語オンリーで、何を言っているのか

よくわからず、宿の名前を盛んに言っているので

多分勧めているのだろうと捉えました)

我々は、それでも断ったつもりだったのですが・・・。

~続く~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1990年タヒチ紀行*その5*パペーテ

2009-07-14 21:23:37 | タヒチ*1990年

パペーテのマルシェです

~1990年・タヒチ島での宿泊について~

イースター島で4泊したあと、パペーテで最初に泊まった宿は

日本人がオーナーの宿でした。

今もあるならちょっとごめんなさい・・・なのですが・・・

イースター島に行く前に宿泊の予約を入れに伺ったところ、

我々は、二人部屋で一人1泊2500CFPで予約を入れました。

ところが当日行ってみると、

ドミトリー(相部屋)1泊2000CFPに案内され、

まぁ相部屋でもいいかと思っていると、

同室の宿泊者は男の人も数名いて、

テーブルなども汚く使われていて、食べかすだらけ。

どうやら常駐している宿泊者がいるみたいで、

その一人、熊のようなタヒチアンぽい男が少々酔っていて、

我々にフレンドリーに話しかけてくる。

我が友人クミちゃんは名前を聞かれて教えたのはいいのですが、

熊タヒチアンはフランス語系のためか「ク」の発音が何度やってもできなくて、

それにつきあわされて、うんざり疲れたです。

寝ようにも、男の人々がいる中で熟睡できる感じもなく、

また別のカップル(常駐者っぽい)も いちゃついているような感じで、

幸い、ベッドが遠かったので被害はなかったけれども、

翌朝、アメリカ人女性が「この宿はクレイジーだ」と怒るほどでした。

私もクミちゃんも「日本人がオーナーの宿だからなんとなく安心」と思っていたけど、

でも大らかな島で暮らしているうちに、大らかな人種になるんだね・・・

と、こちらも大らかに受け流し、

しかし、この宿にはこれ以上いられない・・・と、

朝早々に次の宿を探しに観光案内所オパティへ。

そこで、できたばかりだという宿を見つけて、早速その宿に行きました。

すると、前の宿で怒っていたアメリカ人女性も、

こちらの宿へ移ってきたところで、「同志よ」と頷きあいました。

こちらの宿はオーナーが中華系のご主人とフレンチ系の奥さんで、

このあと、とってもお世話になりました。

二人部屋で1泊一人1700CFPくらいで、新しいので清潔でした。

お世話になった話はまた・・・ ~続く~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1990年タヒチ紀行*その4*物価のはなし

2009-07-11 22:55:26 | タヒチ*1990年

~1990年タヒチ・物価などのはなし~

日本がバブル景気で湧いていたとはいえ、我々は学生の身分。

旅にかかる費用はアルバイトで貯めたお金でまかないました。

バイトの時給は600円~700円代の時代です。

海外旅行は少しづつ格安チケットが出てきているころで、

しかしタヒチはまだ主流ではなく、格安チケットはあまりなかったように思います。

我々のチケットは3週間オープン(往復)で保険も含めて約20万円でした。

タヒチの物価はぶっちゃけ高かった!

日本の物価が世界のなかでも高いといわれますが、

同等か、物によってはそれ以上・・・

島なので、外から入ってくるものはみんな高いのでしょうかね。

ビーチサンダルを買ったら、1700CFP(約2500円)!

日本のより履き心地がよく、愛用できたのが救いでしたが

宿泊も日本人が日本から予約するようなリゾートホテルは

素泊まりでも1泊1万円以上が普通で、

そこまで出せない我々は民宿系で、2000CFP(3000円)を目安にしました。

食事もフランスパンはとてもおいしくて安かったけれど、

それ以外は安いものはあまりなく、素食を心がけました。

缶詰とか、ヨーグルト(ヨープレイト)、

それからまだ日本ではあまり普及していなかったペットボトルの飲み物が

300ml位で150CFP(約220円)であったのは便利で、よく買っていました。

安い食材を求めてマルシェ(市場)にも何度か行きました。

魚などは調理してお腹を壊すのが怖かったので見るだけ

さつまいもらしきものを買ってゆでて食べたりもしました。

パパイヤを買ってみたら熟す前のサラダ用(?)だったりして、

海を見ながら食べようと思っていたのにまずくて海に投げたり・・・。

結局マルシェでも決め手になるおいしくて安い食材は見当たらず、

あまり健康的な食生活ではなかったようです。

現在も物価は高いのでしょうかね・・・。

現地の人々は物価が高いのは普通なのでしょうかね・・。?素朴な疑問?

~続く~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1990年タヒチ紀行*その3

2009-07-09 23:08:58 | タヒチ*1990年

~1990年3月タヒチ・パペーテへ~

空港で朝が来るのを待って、明るくなってきたので空港の外へ出てみると、

南の島の風景です

現地の女性が貝のネックレスや葉で編んだかごを作っていたり、

なんともゆるやかに思えます。

とりあえず、そばの道路に出てみると、

「PAPEETE」と書いてある ル・トラックがありました。

日本で言うところのバスのようなもので、

一応行き先を確認してから、ル・トラックに乗りました。

100CFP(約150円)です。

朝、6:30頃だったと思いますが、小中学校らしいところで子供を多く見かけ、

島の朝は早いのかしら~と感心しておりました。

順調にパペーテに着き、空港で一緒になった日本人女子学生2人組と、

友人クミちゃんと私でサンドウィッチの朝食をいただきました。

フランスパンに野菜とハムをはさんだサンド。

港で海を見ながら、味わいのあるフランスパンに感激

食べ終わって、女子学生2人組とここでお別れ・・・。

クミちゃんと私はマルシェ(マーケット)をぶらぶらし、

旅行代理店でイースター島行きのチケットを購入し、

(・・・このくだりについては、イースター島のカテゴリーに記載)、

イースター島から戻ってきたときの宿泊場所を予約し、

水族館に行ったりするうちに、時差ぼけか徹夜に近い状態だった為か、

疲れが出てきたので、早めに空港に行って体を休め、

その夜遅く、イースター島へ飛び立ったのでした。~続く~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1990年タヒチ紀行*その2

2009-07-05 23:23:02 | タヒチ*1990年

~1990年3月・タヒチに出発~

北半球の日本と南半球のタヒチは季節が逆なわけで、

日本を出発する時は、荷物を減らすため重ね着をして出掛けました。

贅沢旅行ではないので、汚れてもいいような服装で・・・

妙な格好だったと思います

さて、いよいよ出発の日、成田空港に着くと、

タヒチ行きのエールフランス機が機材不備とかで翌日の出発になっており、

今さら家に戻るのもなんだかなぁと思いましたが、

ホテルと食事は用意してくださるということで、

そのままバスで品川のPホテルへ移動・・・シティホテルです。

泊まったことがないようなランクが上のホテルに、妙な格好の我々・・・

せっかくのレストランのご馳走もあまりの場違いさに、

早々に部屋へ切り上げ、翌日の早起きに備えて寝ました。

3月2日8:00AM、エールフランス機タヒチへ向けて離陸です。

機内はすいている感じで、座席を広く使ったりできました。

およそ10時間半後、現地時間23:30頃(3月1日)、

真っ暗なタヒチ、FAAA国際空港に着陸。

日本との時差が19時間ということで、時計の針を5時間進め、

気温26℃ということで、半袖になり(湿度が高いっ)、

順調に入国手続きを済ませ、さぁ行くぞ~・・・

って、深夜だから、街にも出られず、ホテルも決まってないし・・・

予定では昼間に着いているはずだったからね。

新婚旅行らしきカップルやビジネスマンらしき人たちは、

ホテルのお迎えがあるらしく、いいわねぇ・・・と眺めているうちに、

空港に残されたのは、我々を含めて日本人若者6人。

自然とかたまって情報交換などしながら、朝を待ちました。

幸い、日本からの直行便が始まってからそれほどたってないためか、

日系人女性がいらっしゃる観光案内所があいていて、

そこでも情報を仕入れることができたし、

銀行も開いていて、CFP(フレンチパシフィックフラン)に両替もできました。

それにしても、空港で明かりがあるからなのか、

現地の若者は深夜にもかかわらず、フットサルで遊んでいました。

なんともおおらかな人種です。

飛行機から降りて、入国を待つ間、

若い女性職員がタヒチの花「ティアラ」を耳の上にさしてくれて、

現地の方々によるタヒチアンミュージックの演奏も心に沁みました。

飛行機が深夜着になったのに、わざわざ時間に合わせてくださったのですね。

そして、演奏の最後に、「maururu」という言葉・・・。

こちらこそ、「ありがとう」です。今も心に残っています。~続く~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする