モアイのためいき

日々のこと・ハンドメイド・若い頃の旅など

『D列車(ドリームトレイン)で行こう』

2010-11-28 08:48:23 | 音楽・本

「D列車(ドリームトレイン)で行こう」  阿川大樹著

ここしばらく、学生時代の旅の思い出をブログに綴っていて、

北海道の鉄道について、思い起こしていたところ、

書店でたまたま平置きになっていたこの文庫本。

あらすじを見ると、

「廃線が決定したローカル鉄道を救いたいと・・・」という記述。

帯には「元気が出る・・・」とあるし、

たまには前向きな小説もいいかな~と思って読み始めました。

通勤電車の数駅で読み進めていたので何日かかかりましたが、

とても読みやすく、

内容は、「こんなにうまくいくわけないよな~」と思いつつも、

うまくいってよかったと、ローカル鉄道を応援しておりました。

「この疑問点はクリアされていないけれどどうした?」的な部分も数点ありましたが。

20数年前、北海道を鉄道で回ったときには、

もうすぐ廃線の路線にも乗りましたし、

車両内に数人しか乗客がいないという状況もたまにありました。

まだワンマン列車がないときには、

車掌さんがグッズを売りに来たりとか。

深名線(深川~名寄)では、

「ばからし切符」という切符を勧められました。

「しらかば」という駅名を逆さに読んで作ったという切符

買いませんでしたけれど。

車内販売では、今は懐かしいオレンジカードはよく買っていました。

それが北海道の路線を救うことになるのかはわからなかったけれど、

廃線は少ないほうがいいなぁとは思っていました。

本題に戻って・・・D列車・・・

時代背景が現代なので、廃線を救う手法はインターネットがかなり主になっていますが、

帯にもあるように、人を動かすのは人の情熱。

自分に置き換えると、

自分の普段の仕事はこの本のようには大きくないけれど、

些細なことにも気持ちをこめれば相手に伝わる・・・かなと。

仕事が忙しくなる年末だからこそ、心掛けます

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髪を切った私に・・・♪

2010-11-27 11:17:11 | 日記

数日前、髪を切った。

美容院に行ったのは約5ヶ月ぶりだ。

ここ何年も縮毛矯正をかけていて、

自分の場合、4ヶ月ごとくらいに美容院へ赴く。

縮毛矯正は時間がかかる。

以前は4~5時間は覚悟していた。

最近は年齢の為か髪の毛が以前のように頑固じゃなくなったのか、

はたまた薬剤が進化したのか、

4時間はかからなくなってきている。

それでも・・・美容院の椅子に長いこと座っているのは、

辛く感じるようになってきた。腰が・・・。

そして、自分の場合、お店の人と雑談を楽しむ性質ではないので、

女性誌を読みまくる。

読むのは結構楽しいのだが、目がホトホト疲れる

そんなわけで、縮毛矯正に行くときには体調を整えてからが賢明だ。

美容師さんは決まっていない。

待つのは性に合わないので、時間だけ予約を入れる。

縮毛矯正をして、カットしてもらって、

大抵、髪型に満足して帰ってくる。

そして、次に行ったときに「前回のようにしてください」と言いたいのだが、

美容師さんが同じではないのでそう言えないのが歯がゆい・・・

けれども、どの美容師さんでも、うまく切ってくれる。

今回も初めての美容師さんだったが、今のところはだ。

この年齢(40代)になると、髪形は女性の目を意識する気がする。

いや、若い頃もそうだったか

今回、職場では男性二人から「髪切りましたね」と言われた。

おとなしそうな人から言われたもので、ちょっと驚いた。

そのことを言うのに、ちょっと勇気が必要だったのでは・・・と想像するくらいに。

若い頃なら「この男性、自分に気があるのかしら?」と少しは思うかもしれないが、

既婚でこの年齢ともなると、

「よく、気付きましたね~合格」と、相手を褒めている自分がいる。

我が相方(夫)は昔から髪型などにあまり気付かない人間だ。

そういうところが、むしろ自分には合っているのかもしれないが。

今回も、「ちょっと美容院に行ってくる」と言って出掛けたにもかかわらず、

帰ったら、「髪型変わった?」と当たり前のことを言ってきた。

褒められると恥ずかしがる自分の性格を見越した発言なら、

ワンダフルなのでありますが・・・いかに

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学生時代の旅の費用(=バイト事情)

2010-11-24 06:23:48 | 旅行

20数年前、学生だった自分は、

休みがあれば旅行をしていたい人間でした。

バブル時代と呼ばれる世の中で、

学生は(当時でいう)ディスコに行く者、

DCブランドにお金をかける者、

それぞれ、好きなことにお金をかけられる時代だったのかもしれません。

飲食店のバイトの時給は500円台からスタートして、

景気とともに上昇し、辞めるときには700円台でした。

勤労学生として、扶養の範囲内で稼げる金額が100万円で、

だいたい、これに近いくらいはバイトで稼いでおりました。

ここはシフト制だったので、入れるときに入って、

休みたいときに休める・・・というわけで、

4年くらい働いておりました。

家庭教師や塾の先生もしました。

塾の先生としては最悪の部類の先生だったと思いますが・・・、

塾の時給は悪くなかったけれど、

自分も予習をして行くので、

結局その時間は換算されず、気を使うことに疲れ、1年で辞めました。

塾長のことも好きになれませんでした。

こどものことを好きだったように見えなかったよ、塾長。

デパートのお中元のバイト、

バブル時代で、お中元コーナーは学生バイトだらけでした。

つたない接客でも、お客様はいらっしゃった時代だったのか

接客の達人の女性社員の姿には、率直に尊敬しました。

ただし、使えない男性おじさん社員を目の当たりにしたのもここです。

手作りの布小物を販売してわずかに利を得ていたこともあります。

置いてもらっていたお店が引っ越してしまったので、

これも続いたのは1年間くらい。

ほかに、単発のマネキンさんなどのバイトもしました。

若かったので、掛け持ちでできたのですね。

そうして稼いだお金は、

自分のお小遣い、洋服代、

そして、かなりの額が旅行代になりました。

旅は行ってしまえば終わりと思っていたけれど、

今も、その思い出や経験は生きております。

若い頃に行っておいてよかったと

親にしてみれば、少しは学費にでも充てて~と言いたかったかもね。

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1989夏*北海道*番外*旅から戻って

2010-11-22 23:30:18 | 1989年*夏*北海道

1989年・夏・北海道、

JR周遊券(20日間)を利用しての旅で、

前半は友人と二人で、後半は一人旅になったわけですが、

YH(ユースホステル)を利用したことで、

人と話す機会も多く、時には住所を交換したり、

一緒に回ったりすることもでき、

本当に充実した日々を送ることができました。

YHは常連さんがいたりして、気を使ったりすることもあるようですが、

今回の旅では、夏休みで混んでいたということもあり、

常連さんに煩わされることはなかったでございます。

嫌なめには、1度も合いませんでした。

北海道から横浜に帰って、

1週間後には、高校時代の友人トモと、上越新幹線で新潟へ。

トモも自分もお互い新潟に親戚がいて、

1泊一緒に過ごして、その後それぞれの親戚宅へ。

新潟から帰宅して、数日後、

大学の友人、安ちゃんと房総へ二泊三日プチ旅行。

その1週間後には、ゼミ合宿で、

福岡県久留米市へ・・・。

帰路はゼミ仲間女子4人で、青春18きっぷで、寄り道しつつ

2日かけて横浜まで帰ってきました。

1989年夏休み、今考えると、出かけすぎではと自分に問いたくなるが、

親もきっとあきれていたのでしょうね。

携帯電話もなく、どこにいるかもわからぬ娘(=私)。

稼いだバイト代も湯水のように旅行に費やしておりました

現代の学生は就活で旅行どころじゃないのかな。

自転車にもよく乗ったし、よく歩いたし、

道内時刻表を熟読し、不便だと思われる移動も楽しみに変えて・・・。

その時代ならではの旅ができたと思います。21歳でした。 ~おしまい~

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1989夏*北海道*20*帰路はB寝台個室

2010-11-21 09:31:55 | 1989年*夏*北海道

1989年夏、北海道の旅も20日目、

前半は友人タケと二人旅、後半は一人旅。

JRの周遊券が期限を迎えた朝は、

道東、厚岸におりました。

帰路は・・・フフフ・・・、

寝台特急「北斗星」のB寝台「個室」を予約してありました

前回、北海道から帰宅する際、

2日連続夜行列車という手段をとってみたところ、

結構きつかったので、

今回は、前もって北斗星の予約を取りに行ったわけなのです。

乗車日の1ヶ月前、早朝に横浜駅のみどりの窓口に並んだんだっけか。

B寝台6180円+特急3090円、計9270円。

厚岸からは寄り道をせずに、

北斗星の乗車駅である千歳空港駅まで行きました。

(現在とは駅名が変わっているかな?)

厚岸は牡蠣で有名で、名物の駅弁もありますね。

厚岸から釧路まで普通列車で約1時間。

釧路から千歳空港駅まで、特急おおぞらで約4時間。

途中、時間があれば夕張駅に行く汽車にも乗ってみたかったのですが、

旅の最後で何か・・・汽車に乗り遅れるとか・・・あっても困るし、

時間的にもあまり余裕がなかったので、

次回のお楽しみに、ということで。

おおぞらが走る石勝線の車窓から、

たまに、エゾ鹿が見えたりするので、森林の多いところでは、

目を凝らしたりしました。

都会に住む人間には、野生動物も珍しく、

・・・当地の方々にとっては、時に害獣なのかもしれませんが、

そういったところも北海道の魅力のように思います。

列車の旅は好きなほうだと思いますが、

列車そのものにはほとんど知識はありません。

それでも、特急おおぞらに何度か乗ってみて、

エンジン(?)の「グォ~ッ」という呻りと、

「今惰性(下り坂?)で走ってますよ~」的な軽い線路の響きは、

郷愁を感じさせるのであります。

車窓や汽車の音・・・しばしお別れ、北海道1989年。

さて、千歳空港駅では、おみやげ物に目を凝らし、

当時おいしいと言われていた「夕張メロンシャーベリアス」も購入。

1個200円だったので、高く思われましたが・・・、

その他、いくつか名産を買い求め、

・・・旅の終わりで、財布の紐はゆるくなりまして・・・、

この、学生時代の旅は、

学業に本腰を入れながらも、

バイトに精を出して貯めたお金を使っているので、

普段はケチでも、使うときは使う、そこが肝心。後悔せぬように。

寝台特急「北斗星」のB寝台の個室は、

実はこの時は2度目でした。

1度目は初めて北海道に来たときの往路でした。

そんなわけで、わくわく感はそこまでなかったのですが、

駅弁の美味しそうなのを買い、

個室なのをいいことに、ほとんどごろごろして帰ってきました。

個室は気楽だね~。  ~あと1回つづく~

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拓真館のカレンダーが来た!

2010-11-18 22:46:51 | 日記

11月になり、日が暮れるのも、ぐっと早くなり、

・・・北海道の美瑛の丘のフォトギャラリー「拓真館」より、

2011年のカレンダーの案内が届きまして・・・。

「拓真館」は美瑛の丘を有名にしたといっても過言ではない、

写真家故前田真三さんのギャラリーです。

ほぼ毎年、こちらのオリジナルカレンダーを購入しております。

今年もご案内を送っていただき、

・・・美馬牛(びばうし)の消印がきれいに押された封書で・・・

早速申し込み、そしてカレンダーは先日届きました。

真三氏のご子息・晃さんも写真家をされていて、

カレンダーは両者の写真で構成されております。

親子で撮る写真は似ているのか・・・

自分はまったくの素人なのでわかりませんが、

なんとなく「これは前田真三さんかな?」と思う

構図とか色合いがあるような気もします。

専門家の方は見分けがつくのかな

晃さんの写真は、郵便のかもめーる(暑中見舞いはがき)で

使われているのを数年前見ました。ラベンダーだったか。

カレンダーが届くと、新年を無事に迎えられるというか・・・、

一度注文をし忘れて、拓真館のカレンダーがなかった年は、

心の片隅で後悔し続けたものです。

どんな写真が使われたのか、気になって

一種ルーティンワークというのかしら。

カレンダーの写真を見て、心を洗って元気を出す。来年も。

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1989夏*北海道*19*涙岬

2010-11-14 10:30:35 | 1989年*夏*北海道

~1989年・夏・北海道の旅~

朝、根室からジープで霧多布へ、そして午後は、

レンタサイクルで霧多布から厚岸方面へ10数㎞の知られざる名所、

「涙岬」へ向かいました。

当時、涙岬はほとんど口コミの観光地(?)だったので、

駐車場もなく、

注意しないと通り過ぎてしまうかもしれない・・・と聞いていたので、

急ぎつつ、尚且つ注意しながら、自転車をこぎました。

道道1020号線は思ったよりも起伏があるように感じ、

琵琶瀬展望台で霧多布湿原をみたあとは、

ひたすら目的地までまっしぐら

幸いなことに、8月なのに道東の気候は暑くなく、

自転車を漕ぐのにはちょうどよかったように思います。

そして・・・道路から少し空き地があるところが目印と言われていたとおり、

涙岬の入り口に到着

涙岬はその岩の形が、

女性の横顔に見えることから知られるようになったそうです。

そのいわれについては、割愛させていただきますが、

自分も旅がこれで終わるし、なんとも物悲しい気持ちに・・・。

ようやくここまでたどりついた、という気持ちと、

霧多布までまた戻らなくては・・・と、気も急いていて、

感慨に浸るのもそこそこでございました。

ちなみに、涙岬では自分以外に人はいなくて、

起伏を利用してオートシャッターで自分も入れてしました。

涙岬から霧多布までの帰り道はあまり覚えていないのですが、

霧多布に近づいてから多少時間に余裕も見えてきたので、

霧多布湿原の遊歩道でも歩いてみようかと、

うろうろ探しましたが・・・、

見つからず・・・、

人に聞こうにも人通りもなく、看板も見当たらずで、

結局、心残りのまま、あとにしました。

霧多布からJR浜中駅までバスで移動し、

そこから厚岸駅へ・・・その夜は厚岸のYH(ユースホステル)に宿泊。

前日に満室ぎりぎりのところで予約が取れました。

YHでは旅の最後の宿泊地になるわけで、

荷物の整理などをしているうちにすぐに時間が過ぎ、

疲れもあって、あっという間に寝てしまったように思います。

簡単に旅日記もつけていましたが、この日はあまり書いていません。

翌日は北海道を離れる日・・・。

もっとゆっくり回りたかったけれど、

学生の身の上、金銭的にも、スケジュールの上でも、

JRの20日間周遊券はよくできておりますね。 ~あと少し続く~

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1989夏*北海道*18*霧多布岬・湿原

2010-11-13 12:49:21 | 1989年*夏*北海道

・・・霧多布湿原・・・

~1989年・夏・北海道の旅~

JRの周遊券の期限(二十日間)はあと二日となりました。

根室から次に向かうのは、「霧多布」です。

その半年前、初めて北海道に来て最初に泊まったのが、

霧多布近くの浜中YH(ユースホステル)でした。

その時に、霧多布岬に行ってみて、

あまりの寂しさに北海道の洗礼を受けた・・・というか、

ある意味、北海道が好きになった気がします。

そんな中、YHはとても温かく、旅の良さを教えてもらいました。

というわけで、この夏の旅の終わりは、

霧多布で〆ようかと思ったのであります。

根室YHで、同年代の青年2人組がジープで霧多布に向かうと言って、

乗せてくれるというので、

もう一人、社会人のお兄さんと一緒に、

便乗させてもらいました。

正直なところ、根室本線の海を臨む車窓や、

ちょっと荒涼とした中を汽車に揺られるのも楽しみだったのですが、

せっかくのお誘い、断るのもなんだし・・・。

さて、ジープでの移動。

いわゆる、横座りで、幌がかかっているジープは、

乗るのも初めてで、

窓は、透明ビニールなので景色はあまり見えず、

若い青年の運転はなんだか荒くて、

ときたま、体が浮き上がり跳ね上がり

ドアがないので後ろから転げないかと、

一緒に乗った社会人兄さんは、「大丈夫か・・・」みたいに言っていたけれど、

数時間かけて無事に霧多布に到着

途中、オフロードの道も通ったので、ジープの本領も発揮していたし、

ジープに乗れたのはまぁ楽しかったです。

その後の人生でも、ジープに乗ることはなかったし、

今となっては貴重な体験となりました。

前回、一人で冬の霧多布岬に行ったときは、

市街地から延々歩いたのですが、

今回は岬の近くまでジープであっという間でした。

4人で岬の灯台のほうへ行きましたが、

8月の上旬、道東は霧が発生しやすい時期で、

気温も低くて、長袖をはおるようでした。

「ボー」っと灯台から鳴っているのか霧笛(?)も響いて、

夏なのに冬景色のような・・・。

さすが名前のとおり「きりたっぷ(り)」です。

冬に見た海は穏やかに見えたのに、

この日の海は大荒れに思われました。

岬に行ったあとは、霧多布のバスターミナルまで送ってもらい、

ここで同行者とお別れ・・・

残る半日かけて、ある場所へ行ってみるつもりでした。

それは「涙岬」という、あまり観光ガイドにはなかった場所です。

霧多布から厚岸方面へ海沿いの道路を通って行くのです。

ただし、バスの本数は少なく、歩いて行くには遠いので、

霧多布でレンタサイクルを借りて行きました。

涙岬までは片道10数㎞はあると思われ、

霧多布を出発したのが午後になってからだったので、

往復で30㎞・・・あまりのんびりしていると、

予定しているバスに乗れなくなると思い、

・・・結構必死にペダルをこぎました。

夏休みで、同じような若者も数人見かけましたが、

やっぱり、ほとんどすれ違う人も車も少なく・・・。

ほどなく、霧多布湿原を見下ろす、

「琵琶瀬展望台」に着きました。

ここで、しばし湿原を見て・・・なんだか涙が出てきた。

湿原が雄大とかすばらしいとか、

そういった気持ちもあるにはありましたが、

旅の終わりを感じさせるのにぴったりな景色でもあり・・・。

まわりに観光客もいないし、感傷に浸りました。

地元のおじさん(漁業の?)が、

「気をつけて行きなさいよ」と言ってくれたので、

涙岬に向かってもうひとこぎです。 ~つづく~

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きれいなフォームを目指す!バドミントン

2010-11-07 16:36:11 | バドミントン

先日バドミントンの練習があり、

それから右太ももやケツ筋(尻)の筋肉痛が続いております。

その日はひたすら右前方に足を大きく出してシャトルを追う練習で、

すでに練習中から「筋肉プルプル」的症状が出てました

翌日からの仕事中も、なんだか動きがぎこちなくて、

駅の階段なんかも、びっこ引いて歩いてます。

筋肉痛薬よ、効いてくれ~

バドミントンのコーチは20代の女性で、

過去インターハイにも出ていて、

とってもフォームがきれいです。

よく、「もっと肩甲骨を意識して」とか「骨盤を開いて」とか、

注意されるのですけれど・・・、

骨盤を開くって・・・?よくわからないし

それに二つ以上のことに注意を払えない、自分は

強くなるのと、フォームがきれいなのと、

どちらが目標として優先されるかは、人によると思うけれど、

やっぱりきれいなフォームで打ちたいです。

コーチが通っていた高校はバドミントンの強豪で、

たまたま自分が通っていた高校と大会の時同じ地区で、

「どんな練習してるんだろうね~」と、当時から興味がありました。

最近、コーチにそのことを聞いてみたら、

よく、男子の強豪校に出向いて打っていたらしいです。

実戦で身に付けるという意味でしょうか。

もっと細かいショットの練習(例えばノックでひたすら身につける)とか、

戦術を磨くとか、

具体的な練習はしなかったのかと聞いたら、

女子高で下校時刻が早かったので、

そういう時間はあまりなかった、と言っていました。

・・・そんなものなのか?・・・とちょっと拍子抜け

秘密練習めいたものはなかったのか。

仕事があり、練習もなかなか行けませんが、

きれいなフォームを身に付けるべくイメージトレーニング、

そして、コーチが言う、

「腹筋、背筋、側筋を鍛える」よう心掛けよう。

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1989夏*北海道*17*緑の大地・別海

2010-11-06 22:46:22 | 1989年*夏*北海道

~1989年・夏・北海道の旅~

午前中、根室本線の落石(おちいし)岬に行き、

午後はそこから厚床までJRで移動して、

そこからバスで別海へ行くことにしました。

別海に行きたかった理由は、

根釧台地の雄大な放牧地が見られるのではないかと、

単純に思ったからであります。

それと、半年前にJR標津線が廃線になって、

町並みが寂れていってほしくないという、感傷的な理由もありました。

大きなお世話なのかもしれませんが

厚床から別海まで約30分だったと思います。

うろ覚えですが、バスは緑の大地を走って行くという印象で、

結構起伏のあるように思えました。

別海町自体は当時全国で2番目に広い町です。

みどころは色々あると思いますが、

とりあえず、緑の大地が見られればよかったので、

別海の市街地でバスを降りまして・・・。

降りたら、そこは普通の町で(当たり前といえば当たり前?)、

とりあえず、観光案内所らしきところへ向かってみました。

まわりに観光客らしき人は全くいませんし、

地元の方の人影もありません。

たまたま一人、年配のおばさんが「学生さん?」と声をかけてくれて、

緑の大地を見たくてバスで来たと言ったら、

「おみやげに、ぜひ別海の乳製品を」と、笑顔で宣伝されました。

なんだか、声を掛けられて嬉しくなってしまい、

お言葉につられて、乳製品を配送で自宅に送る手配をしました。

「べつかいの牛乳屋さん」の牛乳とかバターなど。

後日、家で頂きましたら、

バターはホロホロするような、あまり食べたことがないタイプでした。

おいしかったですよ。

そのあたりをぐるっとまわると、もう特に行くところもなく、

かと言って、バスの本数は少ないので、次のバスまで間があります。

何しようかな~と考え、そうだ、バスどおりの道を歩いてみよう、

と思い立ち・・・歩きました。

バスどおりの道は意外と車も通っていて、

空き缶とか結構捨てられていました。

緑の大地に空き缶は似合わない・・・、

それで、気がつくと、空き缶を拾いながら歩いておりました。

車で通る人から見たら、

「何やっているんだろう」と思われたと思いますが・・・。

たまたま持っていたビニール袋に、結構たまってきて、

ふと・・・「この拾ったヤツ、バスに持ち込むのか?自分は。」

と、我に返って慌てふためき、

かといって、バス停に置き去りにすれば、

自分が空き缶を捨てた張本人と思われてしまう

余計なことはしないほうがいい時もありますね。

結局バスに持ち込んで、駅で捨てました

さて、根室YHに戻ると、

昼間、落石岬で写真を撮りあった男子学生と再会。

夕食は外で北海名物「チャンチャン焼き」で、

ほかのホステラーさんたちとも仲良くなり、

チャンチャン焼きはおいしいし、楽しい夜となりました。

関西の男子学生は自分の大学の友人の友人というつながりもあったり、

・・・YHではしばしばそういったつながりがあるのも楽しいのですね。

道内に入ってこれから旅が始まる人のいる中で、

自分の周遊券の残りはあと2日・・・ちょっとさびしいな~つづく~

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1989夏*北海道*16*落石(おちいし)岬

2010-11-04 10:29:20 | 1989年*夏*北海道

~1989年・夏・北海道の旅~

いよいよ旅もあと数日というところで、

北海道の東端、根室へ行きました。

宿泊した根室YHはまだ開所して間もなかったらしいです。

とてもやさしそうなペアレントさんが、

「まだ慣れていなくて・・・忙しいんだよ」とおしゃっていて、

私も図に乗って「暇そうな人に手伝ってもらったら?」と言って、

サロマ湖で数日お手伝いした話をしたら、

早速「ヘルパー募集」と大きな張り紙をされていました

根室はその半年前、納沙布岬をまわった事があったので、

今回はJRで少し戻って、「落石」に行き、

その後、厚床からバスで別海に行くことにしました。

ペアレントさんから「なぜ、そんなところに行くの?」と聞かれましたが、

別海に関しては、「なんとなく・・・」としか言えません。

小学生の社会の教科書で「根釧台地・パイロットファーム」という

語句があって、それが印象に残っていたので、

別海ならそれが見られるのではないかと・・・。

まず、「落石(おちいし)」へ。

JRの駅からてくてく数㎞歩いたでしょうか・・・。

方角的にはこっちで合っているんだろうなぁ、

と少々不安も感じながら、落石岬の駐車スペースに着きまして、

そこからまた、木道を歩いたりしながら、太平洋を望む岬へ。

この日はよく晴れていて、木道の脇の緑も鮮やかで、

・・・しかし、困ったことが

トイレに行きたくなった・・・が見当たらない

周りには人は見当たらない・・・ので、

木道を下りて(←きっといけないのでしょうね)、

草が生い茂る人が隠れるところへ行き、(小)をしてきました。

下世話な話ですみませんが、本当にこの時は人が来ないことを祈った。

いちおう、若い女性だったもので。

さて、すっきりして何事もなかったように木道に戻り、

岬へ向かうと、数人、人がいらっしゃいました。

あ~かち合わないで良かったと心から思いましたよ。

自転車で来たと思われる男子学生がいて、

・・・当時自転車の旅行者はバイクの「ライダー」をもじって

「チャリダー」と呼ばれていたように思いますが・・・、

すごく日焼けして痛そうでしたが、

お互い、写真を撮りあったりしました

落石岬はそんな感じで「たどりついた~」感が強くて、

景色に感動するよりも「人に(小)をするところを目撃されなかったか」と、

気もそぞろに、早々に引き上げてきました。

今となってはそんなエピソードが心に残っていて、

木道を下りた時のちょっと軟らかめの土の感触とか、

それも思い出のひとつになっておりますが

余談ですが、落石はそのちょっと寂しげな感じからか、

ドラマ「北の国から」の続編で、

蛍ちゃんが不倫して逃避行(?)した住所として出てきます。

自分が行った時は晴れて太平洋がきらきらしていました。 ~つづく~

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1989夏*北海道*15*釧路湿原

2010-11-03 08:41:22 | 1989年*夏*北海道

~1989年夏・北海道の旅~

前半は友人タケと二人旅で、後半は一人旅。

気が向くままに後半の旅は進み、

サロマ湖のYHでは人手不足ということで数日お手伝いをすることになり、

気がつくと、

JRの道内周遊券の期限はあと3日になっておりました。

あと、行ってみたい場所といえば・・・

この半年前に初めて北海道に来た時の旅で、

初めてYHに泊まったのは霧多布の近くにあった浜中YHでした。

不安だったYHデビューでしたが、

ホステラーさんやペアレントさんがとても温かい方たちで、

その後の一人旅を導いてくれたと言っても過言ではないくらいです。

その時に周辺の見所を教えていただいたけれども、

冬だったので行きづらい所もあったので、

夏になったこの時に、ぜひ行ってみたいという場所がありました。

ところが、1989年夏には浜中YHは休業(?)しておりまして。

周辺のユース民宿は混んでいるだろうし・・・、

・・・ちょっと離れるけど、根室のYHに宿泊することにしました。

サロマ湖からバスで網走に出て、

人気の釧網本線で、途中「釧路湿原駅」に寄ることにしました。

はっきりとは覚えていないのですが、

途中、弟子屈駅から、数日前にサロマ湖で会った男子学生たちが乗ってきて、

その人たちと立って会話した記憶があるので、

釧網本線はなんだかとっても混んでいたように思います。

彼らは私のことを「ヘルパーさんだ」と覚えていてくれましたが、

それは違うのだよ・・・と訂正しまして。

彼らも釧路湿原駅で下りて、近くの細岡展望台まで行くというので、

ご一緒させてもらいました。

細岡展望台から見る釧路湿原は、

あまりにも雄大でした。

この旅は天気には大変恵まれており、

ここでも、空の広さと湿原と台地の地形に感動いたしました。

この時、一緒にいた学生が私を入れて湿原の

写真を撮ってくれたのは有難かった、

・・・ですが湿原だけの写真がなくてここではアップできませぬ。残念。

次の列車の時間に合わせて駅に戻り、

釧路湿原駅では、コスプレ()用に駅員のブレザーと帽子を貸していたので、

それを着けて写真を撮ったり、

・・・こういう時同行者がいるって良いですね~・・・

楽しいひとときとなりました。

釧路駅でそれぞれの方向に分かれ、

自分は根室へと向かいました。

時間的に、根室本線の海が見える風景は、

午後の日差しがオレンジっぽくキラキラ輝いて、

ちょっと荒涼感も漂い、

これが駅舎という駅もいくつかあって、駅名も面白い、

ちょっと異次元的だったように思います。

こうして、根室に到着しました。 ~つづく~

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リネンのミニトート

2010-11-01 23:55:21 | バッグ・ポーチ

~ ミニトート ~

職場に気が向いたときに持って行くお弁当。

それを入れる為のミニトートバッグを作りました。

裁断してから1週間たって完成。ペースです。

本当にシンプルなつくりですが、

最後、ミシンで口周りにステッチをかけようとしたら、

マグネットホックが邪魔でうまくかけられなかったので、

手縫いになってしまったり・・・、

毎回、なんらかの失敗事項がありますです

ま、自分用だからあまり気にしませんが。

本体のリネンは、あえて「しわ感」を残しております。

アイロンを手抜きしたわけではなく

またまた、こんな色で作ってしまいました。

電車通勤だと、お弁当が入っているっぽいバッグを見かけることがあり、

この色合わせは可愛いなとか、

真似したくなるのだけれど、

結局、家にある布を使ってしまおうと、

いつも似たような色合わせになってしまうのです。

先日職場の健康診断の結果が返ってきまして、

心配していた中性脂肪やコレステロールは、

どうにかクリアして、ホッとしました。

検診前に食生活を気をつけたのがよかったのか

これを自分では「逆ドーピング」と呼んでおります。

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