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おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

ガーデンパーゴラを作ったぞー

2011年05月26日 06時40分51秒 | 日記
今週はずっとガーデンパーゴラ(アーチ)の製作に掛かりっきりになっていたが、昨日ほぼ完成。

妻の要望なので庭のどこに据えるか検討して写真のように設置することにした。後は束石を取り付け、コンクリで固定するだけ。



高さは2m、長さ2m、上にちょっと細工してサメをイメージした造形にし、色もグリーンと黄色を使い派手にした。

ジグソーを買ったのでいろんな形が造形できるので楽しい。

「まるで幼稚園の子供が遊ぶ庭みたい!」妻の一声。

今日はさらにリビングテーブルの椅子の横に置くキャスターが付いたサイドテーブルを作る。すでに切り込みを終え、ほぞもノミとドリルを使って掘った。幸い杉板で丁度いい広さの天板があるのでラッキーだ。今日完成すると思う。

木工は楽しい。退職後、田舎暮らしを始めて農作と木工を始めたのだが、両方とも自分にとって新しい試みで、失敗の連続だが、だんだん慣れてきて、自分ではうまくなってきたと自負している。自分の新しい発見でもある。

                

この地方も梅雨に入ったようだ。ぐずついた天気が続いている。しかし昨日はつかの間の晴れ間があったので、早生タマネギを収穫した。

これまでうまくできなかったタマネギだが、今年はじっくり腰を据えて栽培したお陰で結構いいタマネギができた。収穫の時期は隣人に尋ねて茎が倒れてきたらもういいというサインー

全体の4分の1の量採り入れた。



中には男の手のグーより大きいものもある。

昨日はタマネギと今盛んに生っているスナップエンドウのテンプラとタマネギと豆腐の味噌汁。えびが入った自家製キャベツと同じく自家製西洋フダンソウのサラダを食べた。殆ど自分で栽培したものだ。

庭に上がると(丘陵地なので畑は一段下)、果樹を植えているところでイチゴが赤く熟してきた。今日は食べようと思う。鳥から守るために防護ネットをしている。味はわからないが大きく育っている。



ゆったりした時間の流れの中で、自然としっかり繋がった生き方、農薬など撒き散らさない自然と一緒に生きることを心がけ、その中でほんのちょっとした小さな喜びを心一杯に満たす。仕事現役時代にはできなかったことだ。

寝ていてトイレに起きたらそのまま眠れなくなった。時計を見ると4時半。清水幾太郎の「ジョージ・オーウェル 1984年」を読む、しばらくすると眠くなっていつもならまた寝るのだが、今朝はサイドテーブルのデザインが頭の中を占領してイメージが膨らんで眠れなかった。お陰で形は想念では完成している。

やるぞ!おー


人の持つ原初の野性性はどこに行った?

2011年05月25日 06時27分14秒 | 日記
今朝は珍しい夢を見て目が覚めた。時間はいつもと同じ明け方の5時少し前。

少し疲れを感じるのでもう少し眠ろうと思ったけれど、眠れなかった。

寝る前に読んだ小檜山博の「光る女」の所為なのかわからなけれど、顔を思い出せないが若い男が出てきて、「先輩、小説書いてきました」と原稿の束を寄越す。その隣にいた後輩の「本読み」も釣られる様にして「僕も57枚書いています」という。
頭の中を書き始めていたもの80枚は超しているのだが、読み直すと恥ずかしくてどうにもならない。「俺もちゃーんと書いているさ」とは言えない。

焦りが体の奥の方から沸きあがってくる。どこかで、でも緊張と刺激いいよな・・・と思っている。

田舎に引っ込んで、本の世界に耽溺する以外はこの手の接触がなくなっている。

考えてみると想像力もたいしたことないし、かといって小心者の私はジョージ・オーウェルみたいに小説家になるために戦争に従軍して、敵弾に喉を貫かれるなんてできない。

昼は村の知り合いがやっている小さなレストランで1000円のパスタランチ食って、満足する小市民のプチブル生活者なのだ。

小檜山博の文章を読んでいて、久しぶりに野性味を帯びた作家に出会えたなと思った。

中上健次をすぐ思い出した。

本の表紙に出ている作家の写真を見ると古いようだが若いので、歳は40前か?

よく見ると「光る女」の初版が1983年、生年1937年というから大先輩だ。そうか迂闊だった。

北海道の山奥から女を連れ戻しに上京してきた男の話。
この男、身に纏っているのはその年に獲った熊のチョッキと競馬用ズボン。裸足で背中に自製のナップザックを背負っている。
これで都会を堂々と闊歩するんだ。

このシチュエーションはリチャード・ギアだったと思うのだが、(間違ったらごめんなさい)ワニガワのベストを着てニューヨークに現れる男の話、映画だけれどなんか似た雰囲気がある。

出稼ぎに出ていて久しぶりに山の中の我が家に帰ると、親父は首を垂れて斧でまきを割っている。

家に入ると母親の位牌がある。

街で稼いだ金をオヤジに渡そうとすると「そんな金はいらねえ。俺一人の食い扶持は何とかなるだ」

翌日再び職を求めて家を出ようとする息子にオヤジがいう。「正月も帰ってこんでいいからー二人分の食料はねえからな」

この村で将来を誓い合った女がいた。貧しくて上京していった。

数年後、先に書いた縄文人の姿で女を追って上京すると、女はマンションの部屋で薬を使い男と交わっている。

ナップザックに入れていた一年分の稼ぎの殆ど200万円をドアの隙間から女の裸の見える部屋に向けて投げつけて帰ってくる。

この前読んだ金城一紀の「GO](KODANSHA)も良かった。「在日」の思いがよく伝わってきた。そして強いエネルギーを感じた。
この時も中上健次を思い出していた。
ミトコンドリアDNAの話、よくわかる。日本人の出自も「うんだな」と思った。少ししつこ過ぎると思わないでもないがー

なんだかお疲れモード

2011年05月23日 07時24分38秒 | 日記
昨日は姪の結婚式に出席するために街に下りた。

式場は日航ホテル。140人の出席者だという。最近冠婚葬祭は合理的思考で略式化しているんで、入籍だけとか結婚しないという選択肢もあり先日の教え子の場合のように式も挙げずに披露パーティーだけとか、出席者を限定して数をぎりぎり限定して簡略化したり・・・

その中で、140人規模というのは大きいと思う。弁護士関係がもっとも多いのだが、やっぱりいろんな派、先輩後輩、上司部下の上下関係、仕事上の人的計らいもあるのだろう。

中には顔の売れた政権与党の県連代表であり、国会議員もいた。

チャペルの式があって、披露宴会場へ。いつも思うのだが、なぜキリスト教n式を挙げるのだろうか?これがわからない。

神父は白人で時々英語を交えて話す。彼の言葉は英語しかわからない。なんちゃって

異教徒に賛美歌を強制するのは如何なものか?

日本人はなんでもござれだもんね。クリスマスを祝い、大晦日にはおに除夜の鐘を突きに行き、お正月に神道になる。寛容というか節操がないというか?

しかし、ウェディングドレスはきれいだった。イギリスの先日世界同時中継されたロイヤルウェディングの裾と長さは変わらなかった。

披露宴は似たようなもの。しかし、挨拶=祝辞をやった3人の弁護士、さらに乾杯の音頭を取ったと長老弁護士、あんた達は話が長い!!!!!!

きちんとした内容なのだが、裁判で慣れているのか自己陶酔もあって時間を完全に忘れている。乾杯の音頭まで「私も話をしたいのでグラスをテーブルに置いてください」ときた。

祝宴が始まって、県連代表にも祝辞を促される。「皆さん弁護士だけあってというか話が長すぎる」と突っ込みを入れながら同じようにながながだらだらとしゃべった。

歌の約束。意外に緊張はなく、自分では思うように歌えたつもりだがどうだろうかー知るものぞ知るーってか

披露宴前に控え室で食前酒でビールを1杯、ウイスキー水割りを2杯飲んで宴に臨んだのだから、もう純然たる酔っ払い。

まあ姪が喜んでくれたようだから、許してもらおう。おめでとう ○子 

つぶやき

2011年05月22日 05時47分06秒 | 日記
今日は姪の結婚式。

妹の長女だ。

相手は弁護士。

海釣りが好きだというからきっといい人だろう・・・

披露宴で演歌を歌うことになった。っていうか酔って調子に乗って「俺歌うよ」なんていってしまった。後悔している。

でも「歌のはなむけ」なのでしっかりこぶしを利かせて歌うしかない。

「フォークの神様?」は今日だけは演歌の帝王になる。がはは

歌の歌詞を認識して歌えばきっと泣く。わかっている

感情移入は一切なし。練習通りに歌う。カラオケではないらしいから、エコーなしで歌うことになるのだろうな・・・

さあ実力勝負だ。

エイエイ オ~ウ オ~ウ オ~ウ~

今日できることでも今日はしない・・・か

2011年05月21日 07時18分09秒 | 日記
昨日は村の行う各種催し物のうち、「男の料理あそび」という会に参加した。

去年の7月に住所を南阿蘇に移したので、晴れの村民になった。

必殺素浪人なのだから時間はたっぷりある。

何もしないと早く「老い」が訪れて、人様のご厄介になっては申し訳ない。後半生をアクティブに楽しく過ごそうと新年度になっていろいろ始めたところ。

一つは健康講話と料理を習う「おやじクラブ」、毎週月曜日のウォーキングの会、山登りなど等。

「おやじクラブ」は年五回ですでに2回参加。これは64歳の人対象だとかー

61才の私はここでは「駆け出しの青二才」。先輩諸氏に頭が上がらない。

昨日の「料理あそび」は男はだれでも可。といっても12000人の村、来るのは村外から移住者が殆ど。言葉がそれぞれの歴史を表している。東京弁あり、関西弁、昨日は入った3人の新人、私の他は京都、鹿児島でお国訛りでいわれなくともどこかわかる。

中心は地元出身で都会に出ていてユーターンしたGさん。この人が料理を仕切る。ウォーキングの会で知り合った。気さくで豪快で実に愉快な人。奥様もウォーキングでいつも一緒している。会計や準備をしてくださっている。

庭のさくらんぼを持ってきてくれて、畑からは今日の食材山東菜を山ほど搬入されていた。

会費は700円。食事をして余ったものを持ち帰る。決して高くはない。何しろお金に換えがたい楽しさがある。

昨日のメニュー=レシピは「里芋の山椒和え」、「山東菜と豚肉のいためもの」、「豚汁」と「ご飯」。

一方の「おやじクラブ」では管理栄養士と保健師がみっちり指導するので、調味料も小さじ何杯とか厳しい。

ここではG氏がやって見せてくれるのだが、「こん位でよかろ」、「後は味見して、追加すればよかけん」となるほど男らしい。

狙いはこれだっ!

食材切り、山椒をスリコギでつぶすこと、いろいろやった。

出来は?

大雑把な作り方であるにもかかわらず、これが実に美味かった。

会食のとき東京弁の方がいった。

「私たち第二の人生、ゆっくり慌てず生きるべし。今日やれることも今日やってしまわないで明日に持ち越す・・・これが生き方の要諦」

なるほど

今日は南外輪山のトレッキングが予定されているのだが、木工で「ガーデンパーゴラ?(アーチ)」を作りかけなので、今日はこっちに集中する。