おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

安藤美姫と高群逸枝

2013年09月27日 07時24分32秒 | 日記


何の関連もない二人の女性について牽強付会の説を為そうと思う。

今、高群逸枝の「娘巡礼記」(朝日新聞社)を読んでいる。

高群は知る人ぞ知る女性史研究家であり「母系制の研究」は彼女の代表作であり有名な著作。

この人の名は中学生の頃、裏山に登る途中その墓があったので郷土=水俣の人と思っていたがそうではないようだ。その詳しい事情はこの本が読了して調べてみようと思っている。

彼女24歳の時、大正7年初夏に熊本を出立、若い身空でひとり四国遍路に旅立っている。

巡礼というのは西国33ヶ所を巡るものを巡礼、四国88ヶ所を巡るものを遍路と区別する。はじめ彼女は西国33ヶ所を巡る巡礼を考えていたのでその名を題名にしたようだ。

途中で宿として立ち寄ったお宅のお爺さんがこの旅に連れ添うことになって二人旅になったけれど、今では考えられない勇気のいる旅だったと思う。しかも潤沢な資金があるわけではない。

泊まるところも安い木賃宿はいい方で、野宿を常套手段とするのだから「恐い」

彼女はその頃から注目されていた。元来新聞記者になろうとしたのだが失敗している。しかし、その九州日日新聞との交友が続き、「巡礼記」を書き送る約束で当時の金で10円を与えられていた。

彼女の才能を認めていたのだろう。

この本は日記になっている。その文章を読むと唸ってしまう。

次のような一節がある。


それより某海浜の宿駅に宿を乞いしかど諾はれず。次の宿駅につきたる頃は斜陽既に寂しく帰鴉(きあ)点々風声愁愁たり。依って心急はしく宿を求め歩きしも総て絶望、も早詮無し野宿と決すそは磯べの松原なり。前面直ちに海、日既に山に没せむとして金光一映一切紅なり

天才だろう。こういう人が昔存在したのだ。

さて現代。昨日どこか外国でアイススケートフィギアの大会があって、安藤美姫が久しぶりに大会復帰した。
彼女もスケートでは世界大会に確か2度チャンピオンになっている真央ちゃんのライバル。しかし、彼女は選手でありつつ「おんな」だった。

突然姿を見せなくなったと思ったら子どもを産んでいた。それもパパの名を明かさない。

しかしプレーを見ていたら体つきだけでなく動きに豪快さ、厳しさが消え、柔らかく優しくなった。

人間としての愛情の発露と裏表を味わったことだろう。ぐーんと大人になった美姫の今後に期待する。

オリンピックに出るためには厳しい試練が待ち構えているようだが頑張れ

俺がついてるどー


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