告知の日からのガン日記(上咽頭がんー丸山ワクチン日記)

08年7月の告知。5年生存率60%の標準治療を断わる。丸山ワクチンを決断。団塊世代、男性。試行錯誤の過程をリアルタイムで

置き去り20世紀の奇談その11 完

2009年05月19日 | Weblog
ひたすら、ガン患者のために、と孤軍奮闘した丸山は「認可を見るまでは死ぬわけにはいかない」と執念を燃やし続けたが、平成4年3月、90歳で亡くなった。

その9ヵ月前の平成3年6月、丸山ワクチンを濃縮した『アンサー20』が認可されている。しかし抗ガン剤ではなく、放射線治療の白血球減少抑制剤としての認可だった。「親父はもう寝たきりだったけど、“うーん……”と言ったきりで、うれしそうじゃなかったな。あくまでも抗ガン剤としての認可を待ち望んでいただけに、不本意だったのでしょう」(長男の丸山茂雄)

アンサー20の認可で医学界の偏見はかなり軽減したとも言われるが、主流派による妨害は相変わらず続いている。 東京・丸の内で丸山ワクチンのシンポジウムが開催されたのは平成11年12月のことだった。患者家族の会の事務局長、南木雅子は準備段階でこんな体験をしている。

「主催を承諾してくれた産経新聞社に、癌研究会の理事が直接乗り込んで“丸山に関わるシンポジウムを主催するなら、今後、癌に関する取材協力は一切しない”と言ってきたのです。産経新聞は、広告やチケットを刷り終えていたにもかかわらず、慌てて主催を降りてしまいました」



最近、毎日閲覧しているのは梅澤充医師の 「現在のガン治療の功罪~抗ガン剤治療と免疫治療」 というブログだ。梅澤医師はガンの外科医である。ユニークな極少量の抗ガン剤を用いたガン治療を実践している。それに免疫療法を加える。ガンが縮小する量ではなく、副作用が出ない量を基準に抗がん剤を処方するので癌に対するエビデンスはいまのところはない。しかし、患者は長生きするひとが多いようだ。ちょっと興味がそそられる。

60パーセントの5年生存率

2009年05月17日 | Weblog
時折、左側(ガンがある側)の鼻の通りが悪いときがある。そんなときは、やはり気分が落ち込む。感覚をとぎすますと左の耳が痒いような気がしないでもない。しびれた感覚も起きてきた。やっぱりダメか、とまで考えが行ってしまう。最初からあきらめていたにもかかわらず、いざとなると悟りをどこかに忘れてしまうようだ。


治療を受けても5年生存率が60%といわれたことを考えてみる。これは40%の確率で5年生きれないということだが、放射線なり抗がん剤は一旦ガンを縮小、消滅させる効果があるから使われているわけで、5年以内に死亡するということは、一旦消滅したガンが再発もしくは転移することから始まる。

その際、再び治療を受ければ前回よりも5年生存率は低下するだろうから仮にそのときから新たに5年生存できる割合が50%とすると、初発の段階で80%の患者さんで再発や転移が認められることで半数の40%が死に至る計算になる。つまりは、ほとんどの患者さん(80%)で再発、転移は必須ということのように思うのだが、いかがなものだろう。つまり、2年後に再発した患者はその後3年以内に死亡する。4年後に再発された患者はその後の1年以内に死亡する。これらの患者を含めて、最初の5年後死亡率が40%と集計される。つまり再発率は患者総数の80%よりも高いということになる。

患者さんのブログを診ていると治療後もひんぱんに検査を受けているようだ。ガンが消えた後も執拗に抗がん剤を続けられているのはこういう理由だろうか。当然、生活の質もだんだん低下する。医師は最初から分っていて治療しているのだろうか? 最初の段階で再発や転移は必須といわれていたら何人の患者が治療に納得するだろうか?

この計算、まちがってますか?

置き去り20世紀の奇談その10

2009年05月16日 | Weblog
「当時、癌治療薬の市場は年間800~1000億円と言われていました。うち、クレスチンが市場の半分に当たる500億円を売り上げています。うちは、丸山ワクチンがクレスチンの3分の1から4分の1でも売れてくれれば、と考えていました。そうなれば年間200~300億円の売上げになる。これは裏を返せば、年間べースで1億円の経費を使っても元がとれる、ということです。製薬メーカーは、ひとつの商品がヒットすればビルが建ったり、株価が2桁上昇することさえあります。ですから新薬を認可してもらうためなら、カネに糸目を付けず、人海戦術で接待します」 だが、この弱小メーカーのトップには、経費をばら蒔いて実を獲るだけのしたたかさが無かった。

「うちの社長は丸山先生に似て職人気質のところがありました。丸山ワクチンの申請にしても、我々が“厚生省の官僚や審議会の先生方に根回しをする必要があります”と、接待の必要性を意見したのですが、社長は“良いものは必ず認められる。そんなカネは必要ない”と。おかげで、経費を捻出するために領収書を誤魔化したりして、たいぶ苦労しました。うちは経費が使えなかった分、他社に比べると厚生官僚や薬事審の委員へのパイプが細い。つまり、ゼリアは他社に比べると、政治力は格段に落ちるのです」

では、本物の接待とはいかなるものなのか? ある中堅メーカーの幹部が、医薬品業界の想像を絶する内幕について、重い口を開いた。

「まずハイヤーで厚生省や病院まで迎えに行って、赤坂の料亭で食事をする。その後は銀座のクラブを2~3軒ハシゴしてハイヤーで帰すのです。無論、ただで帰すのではなく、“今日は大変勉強になりました。これは奥様へのお土産でございます。それとお車代を”と言って、三越や高島屋で適当に買ってきた甘味類と、その下に現金を忍ばせる。少ないときで5~10万円、多いときは50万円でした。しかし大手は常に50~100万円渡していた」

そのほか、ここぞという時のスペシャルコースもある。「クラブで飲んだ後、女性が5人くらいいるお店に行くわけです。そこで官僚や医者に“どのコにしますか”と囁くと、相手もニヤけながら“あのコがいいな”と指さすのですよ。まあ、売春クラブですね。当時で10万円でした。無論、ホテル代もかかりますから20万円。その前のクラブとかひっくるめると50~100万円ですね」

ただし、大手の接待はこんなものではない、という。「大手メーカーと昵懇になった先生が急にクルマを買い替えることはザラで、一戸建の大きな家や別荘を突然建てる人もゴマンといました」圧巻はパーティである。「大手がよく使う手は『新薬試験中間発表会』などと称して、帝国ホテルやニューオータニで200~300人を集めてパーティを行うのです。しかし研究発表も立食パーティも形式だけ。肝心なのはその後。全員に帰りハイヤーを用意しますが、その際に車代を渡します。金額は少ないひとで10万円、多いひとだと数百万円は渡していましたね。うちも同じようなパーティを開催したことはありますが、ある先生から“やはり大手とは違うな”と厭味を言われたことがありました」

高級官僚の天下りポストも、大手はしっかり用意していた。 「ピシバニールを製造・販売していた中外製薬は昭和54年、厚生省の坂元貞一郎事務次官を副社長に迎えています。坂元副社長は、薬事審の委員の前で“おれの目の黒いうちは絶対に丸山ワクチンは認可させない”と言っていました」

一方、ゼリアの社内は、丸山ワクチンがなかなか認可されない現状を「山村先生と丸山先生は同じ研究をしているので、ライバル関係だから仕方がない」と考えていたと言うが、そのうち、こんな噂が飛び交い始めた。先の元幹部が明かす。

「山村先生が丸山ワクチンに対してあまりに酷いことを言うので、うちにも何か恨みでもあるのでは、とみんなで疑心暗鬼になっていったのです。当時、社内では“ある社員が山村先生の娘さんと婚約している”という噂がまことしやかに流れました。そんなコネがあるのなら何とかしよう、とみんなで該当者を探したが見つからない。そうこうしていると、今度は“その婚約は破談になったので、山村は丸山ワクチンばかりかゼリアも憎いのだ”と話が変わってきたのです。そこまでくると、我々もバカらしくなって、何もしませんでしたが」

他メーカーの、なりふりかまわぬ実弾攻撃に比べれば、なんとも呑気な話ではある。生真面目で誠実な医師の丸山と、融通の利かない弱小メーカーが組んだところに、丸山ワクチンの不運があった。



医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以て、志とすべし。わが身の利養、専に志すべからず。天地のうみそだて給える人を、すくひたすけ、万民の制止をつかさどる術なれば、医を民の司命といい、きはめて大事の職分なり。この週刊誌に載った記述が本当のことかどうかは疑わしい。偏見と推測をもとにした記事であることは間違いない。わたしも医師というのはたいへん尊い職業であることは充分理解している。

「ただ生きるな、よく生きよ」とソクラテスは言った

2009年05月15日 | Weblog
三木たかしさんは下咽頭がん、忌野清志郎さんは喉頭がんを告知された。このところ、私と同じような頭頸部のガン患者の有名人が相次いで亡くなられた。今週号の週刊新潮によると、清志郎さんが喉頭がんと宣告されたのは2006年7月。外科手術は避け、抗がん剤と放射線治療による治療を選択したようだ。その後、2008年2月10日に武道館でライブを敢行、復活をアピールした。しかし、実は西洋医学を拒否していたと書かれてある。

ハードロッカーはハード・ベジタリアンでもあったようだ。その後、玄米菜食や漢方でガンを治したと人に話していたという。自宅にはクリーンルームも作られていた。1983年に肝臓を壊して、医師から再起不能と診断されたが独自の食事療法とハリで復活した経験から医療には不信感があったようだ。おそらく、標準治療と代替治療を併用していたのだろう。途中までは、自分の選択が正しかったと思っていたのだろう。しかし、2008年7月に骨盤(左腸骨)にガンが転移しているのが確認された。

週刊新潮にある記事の最後のコメントには、外科手術を受けるべきだったかどうかは大変難しい問題ですね。生存率は上がりますが・・・とある。でも、ガンは局所だけの問題ではないのは、よく経過を見れば明らかだろう。 正しい選択であっても、生き延びることはギャンブル的だと感じる。クリーンルームを作ったのは、免疫力を下げる治療を併用していたからだろう。西洋医学は大きらいでも、放射線治療と抗がん剤の治療を受けざるを得なくなった心境はどんなものだったのだろう。

ドクターハラスメントという言葉から

2009年05月14日 | Weblog
「なにもしないと、あなたの寿命は半年ぐらいでしょう」ガン患者が医師から告げられることばは、患者にとってはドク・ハラにあたるという。医師は真実を告げたつもりでも、患者の側からすれば、ショックを受ける言葉だから・・・ハラスメントとは迷惑という意味になる。

キャンサーフリートピア代表でガン外科医でもある土屋繁裕著の「ドクターハラスメント」という本を読んだ。キャンサーフリートピア とはガンのセカンドオピニオンを通し、患者とともに、がん治療のコーディネイト・アドバイスをしてくれる組織だ。

「手術をお勧めします。すでに予約も入れておきます」
「ガンとわかったら、転移しないうちに治療することが大切です」
「幸い、あなたのガンは早期がんです。切れば治る可能性は高い」
「なるべく早く決断してください」
検査はゆっくりやっておいて、いざガンとわかると急がせる。考える時間も余裕もありゃしない。「なんだこりゃあ」私なら怒ってしまいます。入院したまま、結果を説明し治療法をおしつけるのは、卑怯な手口です。(本文より)


「早く、治療をしたほうが良い」「今すぐにでも治療に取り掛かったほうが良い」「あなたは60%という5年生存率に不満があるようだが、もうすこし高いかもしれない。70%ぐらいかもしれない」「治療を受けなければ6ヶ月で手遅れになるよ」「最後には顔の骨を切り取って手術しするしか手がなくなるかもしれない」

咽頭部のがんに精通しており、医大で学生の教育にもあたっている、経験を経た医師からこう告げられた。もう少しで「よろしくお願いします」と口から出そうになった。患者の心は常に揺れる。いつも確たる信念を持ち続けることも難しい。今考えると、なぜ治療を拒否できたのか。多分、死を覚悟していたのと、著書を読んで丸山千里医師の生き様に興味があったせいだろうと思う。丸山ワクチンに対する医学的な興味もあった。だから、告知された時からこのブロクを書いている。

その後、幸いにしてガンが大きくなっていない(現在のところ)状況のなかで、ほおっておいた患者さんがどうなったかについての知識はほとんどないと耳鼻科の医師から告げられたこともある。以前にも書いたことだが(違う医師からの話だが)私がその医師にとって標準治療を拒否した初めての患者だと告知から約7ヶ月がたった頃、告ってくれた。

医師の技量と誠実さということとは、一致するわけではないとも感じている。むしろ、手術なり抗がん剤なりのガン治療についての経験やノウハウに自信を持っている人ほど、強引に治療を患者に対して薦めることになるのかもしれない。

置き去り20世紀の奇談その9

2009年05月13日 | Weblog
桜井欽夫は、今なお囁かれる数々の疑惑に対してどう答えるのか? 薬事審の新基準については「あれは丸山ワクチンが出てきたから作ったもの」と認めつつ、こう語る。「あのとき、免疫の基準というものはこれでいいのか、という世論が起こってくる。それでインターナショナルな情報を集めて作ったんです。厚生省に、丸山ワクチンを認めない基準を作れ、と言われたわけじゃない」だが、自らが開発に関与したクレスチンの爆発的なヒットも大きく影響した、という。

「クレスチンが馬鹿売れするから、大蔵省が“こんなに税金はつぎ込めない”と悲鳴をあげ、厚生省を攻撃したんだ。困った厚生省は調査会に任せちゃったわけだな」早い話が、調査会は大蔵省と厚生省の意を汲んで、丸山ワクチンを不認可にする新基準を設けた、というわけだ。しかし厚生省は平成元年、クレスチンとピシバニールについて「効果なし」の答申を出し結果的に1兆円もの医療費が、医者と医薬品メーカーの懐に消えている。丸山ワクチンは、まったく効果のない、この小麦粉同然の抗ガン剤のために認可を阻まれた、といっても過言ではない。

桜井は山村との関係は「親しくしていた」と認め、こう語る。

「学問のレベルで言えば、山村先生は丸山先生なんて問題にしていなかったと思う。山村先生は結核菌の第一人者で、結核をやりたい人間はみんな先生のところへ行ったんだから。大きなグループがあって、研究費も方々から入って、私立大学の一研究者とは違うよ」

丸山を歯牙にもかけなかったはずの山村が、こと丸山ワクチンの認可に限っては、大いに注目し一貫して反対の立場をとっていた。

「山村先生は結核の専門家だから、実験の根本を詳しく知っている。スタッフも優秀だし多くの論文も書かれていたし玄人なんですよ。対して、丸山先生の論文は素人みたいなものだったからね」 「一人のお医者さんがいくら一生懸命研究してね、病理検査もしないで、癌に間違いないとか、それが治ったとかいうのをただ記載して出されても、ホントに信用していいのか分からないでしょう」「置き去り20世紀の奇談」2001年週刊新潮の記事より



東京大学医療政策人材養成講座が昨年3月に行った調査によると、がん患者の4人に3人が「現在の仕事を続けたい」と希望しているのに対し、実際はこのうち3人に1人が転職していた。治療中や治療経験のあるがん患者403人(男性40人、女性363人)に尋ねた。がんと診断された時点で「これまでの仕事を続けたい」が75.9%だったが、このうち31%が診断後に仕事が変わった。内訳は解雇14人、依願退職23人、廃業8人など。収入が下がった人は38.7%だった。調査時点で働いていた280人のうち、「仕事継続に不安」は61.1%。

置き去り20世紀の奇談その8

2009年05月12日 | Weblog
昨日、三木たかしさんが下咽頭がんで死去。64歳。告知を受けてから約3年間の闘病。手術を受けた療養中に突然の死とある。ご冥福をお祈りします。

これは本当かどうか定かではないが、抗がん剤が医薬品として認可される時の条件は、20パーセントの患者さんで腫瘍の面積が半分以下に縮小し、その状態が4週間以上続くこと、とされている。これを読むと、あと4週間たてばさらに半分に、またその後は・・・と考えてしまうでしょう。


当時、新たに認可基準を設けたのは、中央薬事審議会の抗悪性腫瘍調査会だった。 「この調査会の座長を務めた、桜井欽夫・元癌研究会癌化学療法センター所長が疑惑の人物。桜井氏は、クレスチンの開発にも携わっており、審議会の委員として、認可に賛成している」(新聞記者)

つまり桜井は、自分が開発したクレスチンを自分で認可したわけだ。同時に、もし認可されれば、クレスチンの手ごわい競合商品になったに違いない丸山ワクチンを門前払いした新基準も作成しているのだから、さすがに国会でも問題になった。昭和56年7月30日の衆議院社会労働委員会で、「薬審会の委員として自らが関与した薬剤を審査する立場はどのようなものか」と、薬品メーカーとの関係等を厳しく追及された桜井はこう答えている。

「そういうことは信用できぬ、ということであれば、私は不適任だと存じます」 

疑惑はまだある。丸山ワクチンを徹底して忌避したといわれる山村雄一・元大阪大学総長との関係だ。「当時、文部省の『科学研究費がん特別研究審査会』の主査が桜井さんで、副主査が山村さんだった。55年当時で予算が18億円。この分配を2人は取り仕切っていたのです」(医事評論家)

丸山ワクチンの不認可後、基礎研究に従事した野本亀久雄(64)=がん集学的治療研究財団副理事長=もこう語る。

「私は、丸山ワクチンとは何か、癌にどのような影響を及ぼすものかを2年間、徹底的に研究した。山村が一番潰したがっていたのは私ですよ。私が丸山ワクチンは効かない、と言わないから。どんな妨害があったかは言いたくもない。医学界のトラブルというのは生易しいものじゃないんだから。文部省の補助金分配にしても、いまやっていたら逮捕だろうね。文部省のパイの山分けをやっていれば、それは強いよ。ただ、私はそんなもの、一銭も貰っていなかったから関係なかったけどね。それまで山村に恩恵をこうむっていた人が、山村が“ただの水”と言ったらそれになびくのは当然なんだ」

丸山ワクチンを擁護するデータを出した研究者が、補助金をばっさり切られた、などという話もあるが、ともかく丸山が、山村、桜井という医学界の大物2人と対立する立場にあったのは間違いない。薬事審のメンバーの1人もこう証言する。「桜井と山村は非常に親しかったですね。彼らにとって、我々はチンピラみたいなものです。桜井は、初めから丸山ワクチンを不認可に持っていく姿勢だった。あれでは裏に何かある、と勘ぐられても仕方ありません」「置き去り20世紀の奇談」2001年週刊新潮の記事より。

よみがえる生命

2009年05月11日 | Weblog
丸山千里著 「丸山ワクチン」のまえがきの部分から抜書きしてみる。丸山医師の著作がワニブックスで書かれたこの一冊だけということに驚いてしまう。しかも、装丁も普通のポケット・ブックスで、奇をてらった題名でもない。いつも感じさせられることだ。



医学の進歩した今日でも、難病といわれるものがたくさんある。そのなかでも、ガンはもっとも手ごわい病気のひとつである。ところで、ガンに対する治療であるが、きびしい副作用との戦いを余儀なくされ、あげくのはて、不幸な転帰をとる場合も少なくない。その場合、ガン患者にとっては、治療そのものがすでに死闘であるといっても良いであろう。(中略)

いうまでもないことであるが、治療というものは、効果がたしかで、患者に対して、精神的にも肉体的にも負担にならないものが、最善である。その点からみれば、ワクチン療法は充分にその資格をそなえていると思う。負担にならないだけでなく、その治療成績もかなりの成果をおさめている。(中略)

ガンを結核ワクチンで治そうというわけである。理論的には簡単に納得できない事がらであるが、現実の問題として、ガンの治療にかなり実績をあげているのである。医学がひとつの進歩をとげるとき、理論か先にくることもあれば、事実が先に来ることもある。(中略)

医学者としての私の願いは、これまでの研究の成果が、いくらかでも医学の進歩に貢献し、患者のために役立つことである。その成果に、多少なりとも信頼が寄せられている現在、ワクチンを1人でも多くの患者に使用していただくように願わないではいられない。(1976年8月)



一般の病院や薬局で手に入らないのは、一つのビジネス戦略だったようで、某大学にもらいに行くというスタイルが人気に拍車が掛かった理由だと書かれた本がある。医薬品として正式に認可されていないのは、その条件がクリアされていないからだ。治ったという体験談も、ひとつのプラセボ効果だと、そして、最後には、肺結核の患者には肺がんが少ないという話も否定されていると文章は〆られている。

肺結核の患者に肺がんが少ないのではなく、ガンの患者が少ないことを知ってから丸山ワクチンをがんの患者に使うようになっていった。一日おきにワクチンを打ち続けるというのは患者にとってはきびしい。ガンのワクチンには蓮実ワクチンというのもある。こちらは、5日に一回の注射で良い。しかも、指導を受けた後、自己注射も認められているという。この違いはどこにあるのだろう。蓮見ワクチンはガン組織そのものをワクチン化したものだ。→ ハスミ・ワクチン友の会 

置き去り20世紀の奇談その7

2009年05月10日 | Weblog
「こんなことが許されていいのか」―医学界で今もそんな声が渦巻くガン治療薬・丸山ワクチンの不認可問題。一徹な職人気質の医学者によって生み出されたこの薬は、医学界の不条理な権威主義や官民の癒着の中で苦難の道を辿ることになる。患者を置き去りにした不可解な認可審議は、なぜ許されたのか。気鋭のライター・祝康成氏が医学界最大の奇談を解き明かす。

丸山ワクチンと同じ免疫療法剤でありながら、昭和50年に認可されたピシバニールと翌51年認可のクレスチンが医薬品史上、最大のヒット商品となったのは、前回述べた通り。しかし昭和51年に認可申請が行われた丸山ワクチンは56年、厚生大臣の諮問機関である中央薬事審議会が不認可としている。そしてこの裏には、医学界主流派の露骨な“丸山潰し”があった。取材に当たった新聞記者が語る。

「クレスチンとピシバニールが認可された後、薬事審は急遽、認可基準を上げて、丸山ワクチンを弾いたんですよ」 従来の基準なら、丸山ワクチンは間違いなく認可されていたという。「もともと、丸山ワクチンにいい感情を持っていない学者たちが、この基準を盾に、不認可にしたのです」

当時の流れを時系列に検証していくと、なんとも不自然な認可の形態が浮かび上がってくる。例えばクレスチンは、申請から認可まで、わずか1年しかかからず、しかも審議はたったの3回。ピシバニールも認可まで2年である。専門家に言わせれば「前例の無い異例のスピード」だという。

一方、丸山ワクチンは、51年の申請から53年にわたって計3回、厚生省薬務局から追加資料の提出を求められ、しかも資料提出の直後、今度は薬事審と厚生省に比較臨床試験までやらされている。その結果が56年の不認可とは、どう考えても丸山ワクチンを狙い撃ちにした、“苛め”である。厚生省は「新しい基準に沿ったまで」と涼しい顔だが、実はこの新基準には大きな疑惑が存在する。「置き去り20世紀の奇談」2001年週刊新潮の記事より。


5年生存率。ガン治療を選択する時に患者が選ぶ目安になることば。これを聞くと、それだけでは物足りないと感じてしまう。5年後満足率、10年後生存率、転移率、再発率、5年後労働復帰率などなど、指標になるものを加えてほしいといつも感じる。

近況

2009年05月09日 | Weblog
ガンを告知されてから10ヶ月が過ぎた。標準の治療は断って丸山ワクチンだけを2日に1回打ち続けている。体調には異常は感じられない。そろそろ、検診にでかけてみたいという気がしてきた。告知を受けた病院は先月、あと3ヶ月経ったら又見せてくださいといわれた。だから今度はセカンドオピニオンを受けた病院に出かけてみようと思う。多分、変化はないと思うが、そのときになってみないと分らない。医師としてのアドバイスがほしい。さらに、今の状態を見て医師がどう思うかについても興味がある。患者である私が理解出来ない状況にあるからだ。丸山ワクチンの効果か、はたまた誤診だったのか、これがガンというものなのか、この先、どうなっていくのだろうという興味がある。すこし余裕が出てきた。

きっと、医師には嫌われている患者だろうと思う。診察だけを受けに来る患者。ガンの標準治療を拒否した患者。わたしも、確信があるわけではないから、ニコニコ笑いながら拒絶する。医師にとっては不気味な印象を与えているのではないかと感じるが、そうせざるを得ない。

現在、ガンは不治の病ではなく、ガンと宣告を受けた患者の5年生存率はトータルで約40%に達しているそうだ。私は、標準治療を受けた時の5年生存率が60%と説明を受けた。ガン患者としての立場からか、80%でも10%でもそれほどの違いがあるという気持ちはない。悪いほうになっても納得してくれという説得の数値に思えた。40%の確率で5年生れないのであれば、悔いの残らない治療法を選択したい(確率が高いというのではなく)と思っただけのことである。

同じことを何回も書いている。つまり、やっぱりガンは間違いなく不治の病だ。ガンは全身病。早期発見で早期がんを摘出することは正しい選択肢だとは感じるが、ガンの本質はその患部だけにあるのではないと思う。