告知の日からのガン日記(上咽頭がんー丸山ワクチン日記)

08年7月の告知。5年生存率60%の標準治療を断わる。丸山ワクチンを決断。団塊世代、男性。試行錯誤の過程をリアルタイムで

小児神経芽腫の集団検診

2009年05月08日 | Weblog
これまでの検診についての疑問は岡田正彦医師著「医療から命をまもる」という本に書かれてあったものです。小児神経芽腫という小児ガンの集団検診がかつておこなわれていたという記事にも興味深いものがある。

神経芽腫とは神経細胞がガン化するという子供の病気、集団検診の方法も確立され、生後6ヶ月の赤ちゃんを対象にした検診(尿の中の異常物質を調べる)が10年以上にわたりおこなわれていた。ところが2003年に効果が認められないという理由で突然中止に。

「不要な治療をまねくおそれあり」という見出しが新聞に載った。集団検診で見つかった患者およそ2500人が抗がん剤などにより治療を受け、うち16人が副作用で死亡した。

集団検診をおこなうことで患者の早期発見、早期治療に繋がると思われていたが、集団検診が始まると患者の数も異常に増加した。これはおかしい。

その後、小児神経芽腫というガンはほおっておけば自然に治る例がかなりあることが分ったのだ。遺伝子解析の技術も進歩たことで、遺伝子に異常がおきると悪性度が高まることがわかり、集団検診で見つかった患者の遺伝子を調べたところ異常が認められなかった。

しかし、最近、次のような新聞報道もある。

広島大の檜山英三教授を中心とする研究グループは29日、小児がんの一種である神経芽細胞腫が発生する仕組みについて、東京都内で新説を発表した。日本では中止されている幼児期の集団検診の有効性を実証したもので、10月にドイツである国際小児がん学会で発表する。神経芽細胞腫は自然に治るケースも多いが、悪性度が高いと死に至る。檜山教授は、かつて国内で集団検診していた時の症例データを海外と比較。治りやすい腫瘍が治りにくい腫瘍に変化することを突き止めた。

国の集団検診は1984年に生後6カ月の乳児を対象に始まったが、自然消滅する腫瘍まで治療する「過剰診断」が問題視され、2003年に中止された。檜山教授は「集団検診は、悪性度を増す危険がある腫瘍を早期に見つける上で意味があった」と検診の重要性を指摘。1歳半の時点での検診が有効だと提案した。(中国新聞 2008年9月29日)

集団検診には年間約9億円の実施費用がかかっていたという。子供の命を救うためであれば、もったいないとはいえない。


肺がん検診、日本でのデータは・・・

2009年05月07日 | Weblog
肺がん検診を受けることで死亡率は低下するか?という調査は日本でもおこなわれていたようです。2001年の統計処理によると、まず肺がんで死亡した人 328人を選び出し、次に、年齢、性別、喫煙、居住地の4条件が同じような、肺がんでない人のデータと比べてみたところ、肺がんで死亡した人たちは、前年に肺がん検診を受けている割合が明らかに低いことがわかりました。つまり、肺がん検診を受けていない人は手遅れの肺がんになりやすいということになります。計算すると「毎年、肺がん検診を受けると死亡率が48%減る」という結論が導かれたようです。

この調査のプロジェクトは4つの県で同時に行われました。そのうちの3つの県でおなじ結果になったようです。残りの一つは双方のグループの死亡者は同じという結果でした。つまり、毎年の肺がん検診を受けたほうが、死ぬ率が低くなるという結論になりました。

昨日のフランスの調査とはまったく正反対の結果になったようです。

一般の人は疑問を感じるところはないでしょうが、私を含めガン患者さんは、たちどころにこの結論はおかしいと思われることでしょう。

ガンは転移するのです。治療を受けることで肺ガンでなくなられる方は少ないでしょうが、転移した先のガンで亡くなられる人も少なくありません。忌野清志郎さんは喉頭ガンではなく、がん性リンパ管腫で亡くなられました。肺がんの場合はイレッサ(ゲフィチニブ)による治療もおこなわれることでしょう。間質性肺炎という病名でお亡くなりになる方もいる。そのほかにも抗がん剤の副作用死も少なからずあります。この統計において重要なのは、肺がん以外の病名でお亡くなりになった数がどうだったかということです。もっとも、年1回の肺がん検診を受けない人というのは、私のように自己の健康管理に問題がある人が多いのかもしれません。

納得のいく死に方でありたい。

肺がん検診を受けることで死亡率は低下するか?

2009年05月06日 | Weblog
肺がん検診を受けることで死亡率が低下するかどうかどうかについての調査がフランスでおこなわれたことがありました。大規模な調査です。約6000人が参加した調査です。

治験に協力してくれた人を2つのグループに分け、その一方にはただ3年間、年2回の肺がん検診をうけてもらうというものです。検診の内容は、胸部レントゲン撮影と、痰の病理検査です。もう一つのグループには、その間、一切検診を受けないという約束をして、3年間の観察をおこないました。

ガンは潜伏期と呼ばれる長い年月を経て発生します。観察期間が終わってから、さらに3年後から、双方のグループに年1回の胸部レントゲン検査を受けてもらいました。

この結果、驚くべきことに肺がんの発生率や総死亡数が検診を年2回受けていたグループのほうが圧倒的に高くなっていたという結果になりました。つまり、肺がん検診を受ける回数が多いほど寿命が短くなってしまうという結果になりました。

この結果には3つの理由が考えられるそうです。

一つは、年の2回ものレントゲンの検査を受けたことで、放射線の影響があるということです。胸部レントゲン検査で受ける放射線量は、自然界から人が1年に受ける放射線量の10分の1程度に過ぎないのですが、短時間にほぼ一ヶ月分の放射線を体に受けることでガンの発症リスクが高まるのではないかということです。

もう一つはガン治療の質の問題です。早期ガンが見つかれば、ほとんどの患者は治療を受けることになります。したがって、抗がん剤の副作用やガンの転移が早まって死に至ることも考えられます。ガンの治療を早くおこなったことで寿命を縮めてしまう可能性があったということです。

最後の一つは検査で異常があった場合は、患者が不安になるという精神的な要素です。ガン患者の私からは、これもありうると思います。ガンかもしれないと思うことが、他の病気を引き起こす引き金になることがあるという推測です。

さらには、ガンの疑いがあるということで、さらなる検査、バイオプシーという確定診断の為の生検が、ガン細胞を体中に散らばらせることになるという推測もあります。これは医師の間では信じられていることです。

現在でもガン撲滅に関しては、早期発見、早期治療が喧伝されており、そのためにはレントゲンの検査をたびたび受けることは重要なことだともっともらしいことばで医師から薦められることでしょう。はたして、ガン患者の皆さんはどのように思われるでしょうか?

置き去り20世紀の奇談その6

2009年05月05日 | Weblog
もし、認可されていたら、製薬メーカーには莫大なカネが転がり込むことになる。一般的に抗癌剤は「がんには効かないが、株には抜群に効く」と揶揄されるほどで、それが注目を集めている丸山ワクチンなら、歴史的なヒット商品となったのは間違いない。

昭和50年から51年にかけて、認可された2つの抗癌剤のケースを見ると、それがどんなにボロい商売かが分かる。「中外製薬」が開発販売した注射薬の「ピシバニール」と「呉羽化学工業」が開発し「三共」が販売した粉末薬の「クレスチン」である。

「抗癌剤は大別すると2種類あり、直接がん細胞を叩く、化学療法剤と、人間の体内にある免疫力を強化する免疫療法剤に分けられる。この免疫療法剤の第1号が50年に認可されたピシバニールで、第2号が51年認可のクレスチン、そして、第3号になるはずだった免疫療法剤が丸山ワクチンです」(医事評論家)

ともかく、ピシバニールとクレスチンの売れ方や凄まじく、発売10数年間で1兆円を上回る売り上げを記録、なかでもサルノコシカケの培養菌糸から抽出したクレスチンに至っては副作用が皆無で、しかも内服薬という利便性もあり、57年には年間売り上げが500億円と、全医薬品中の第1位に躍り出た。しかも、トップの座を62年まで6年間も譲らず、日本の医薬品史上、最大のヒット商品となっている。ところが、平成元年12月、厚生省はこの2つの抗癌剤について、「効能限定」の答申を出した。つまり、単独使用による効果が認められないので、化学療法剤との併用に限定するというもの、要するに「効果なし」というわけだ。

がんに効くと、もてはやしておきながら、一転、効果なし、ではガン患者も家族も死んでも死にきれない。患者の命を無視した国と製薬業界のあり方に、国公立、大手民間など約2330病院が加盟する最有力の病院団体「日本病院会」は激しく抗議。「これまで両剤に投じられた1兆円にのぼる医療費は無駄使いだったことになり、死亡したガン患者や家族、さらに健康保険財政に大きな損害を与えた」と厚生省と日本製薬団体連合会を非難している。




患者の命を無視した国と製薬業界のあり方に、国公立、大手民間など約2330病院が加盟する最有力の病院団体「日本病院会」は激しく抗議したという。単独使用に効果が認められなかったのはなぜか。承認前の治験は行われていなかったのだろうか。化学療法剤との併用であれば、ますます効果は認められないことは間違いない。免疫をつかさどる白血球。その数を下げる抗がん剤治療と併用することで、免疫力が高まることには、医師でなくとも難しいと感じるだろう。丸山ワクチンが認可されていたなら、健康保険財政にも大きな負担になっていただろう。認可されていれば、抗がん剤と併用という形で臨床応用されていただろうから、成績もかんばしくなかったと想像できる。いまごろ、丸山ワクチンは使いたくとも使えない状況にあったかもしれない。つまり、丸山ワクチンが認可されなかったことで、今、私は生きておれているのかもしれない。

置き去り20世紀の奇談その5

2009年05月04日 | Weblog
長嶋茂雄と丸山千里の、こんなエピソードがある。語ってくれたのは、生前の丸山と親交のあった研究者である。あれはたしか昭和47,48年頃のことでした。丸山先生の机の上に、長嶋茂雄の直筆のサインボールがドンと2箱、置いてあるんですよ。なんでも、膠原病に悩んでいた亜希子夫人に丸山ワクチンを差し上げたら、えらく喜ばれて、後日、サインボールを持ってきてくれた、というんですね」 つまり、丸山ワクチンは難病中の難病、膠原病にも効いた、という話になるわけだが、その効能のほどはともかく、サインボールの後日談が丸山の闊達とした人柄を物語る。

「丸山先生は患者さんに、おたく、坊っちゃんいますか、野球は好きですか、長嶋のサインボール、あるけどどうですか”と、どんどん配っちゃうんですよ。患者さんが“うちは子供、2人いるんですけど”と言うと“ああ、失礼しました。もう1個、どうぞ”と、もう長嶋サインボールの大盤振る舞いでした」「置き去り20世紀の奇談」2001年週刊新潮の記事より。




ガンの患者さんのブログは多い。たいへん参考になる。しかし、生活に関する記述は少ない。ガンの治療が終わった後は仕事に復帰できているのだろうか。たびたび、病院に通って検査を受けなければならないよう感じられた。はたして仕事が出来る状態にあるのかが最大の関心事だ。命をなくすよりも。

標準治療を断ったのは働くことを休みたくなかったからかもしれない。ガンの治療は永遠に続くというイメージがある。住宅ローンもかなり残っている。保険でカバーできるのはほぼ医療費だけだ。さらに、告知された時の体調も悪くなかった。

ガンに効くと書かれてあるキノコなどの健康食品がある。かなり高額だ。効くかどうか分らないものに大金を投じて試してみるのは愚かなことだと書かれてある本は多い。しかし、その人の気持ちはなんとなく理解できる。生活の質を下げない選択肢を選ばざるをえないのだろうと。

置き去り20世紀の奇談その4

2009年05月03日 | Weblog
もっとも、丸山ワクチンにも弱点はあった。科学的データの不足である。当時の中央薬事審議会のメンバー、古江尚、帝京大学名誉教授(74)は、丸山ワクチン反対派の頭と言われた人物だが、「なにも闇雲に反対していたわけではない」と言う。「わたしは悪者にされていましたけれど、データ不足を解決できれば認可しよう、という立場でした。薬事審議会でわたしが問題にしたのは、製剤以前の問題。つまり、常に同じものが使われなければならないし、検証しなければならない。その方法がまだ未解決であったこと」そして、もうひとつが、丸山ワクチンの独特の投与の仕方、濃いA液と薄いB液を交互に打つ、という投与方法だった。「ABABという投与の仕方が全然検証を経ていないし、データも無い。ただ単に丸山先生が経験上、これが一番良い、と言うだけだった。なぜ、ABABなのか、という科学的証拠がなかった」

もっとも、大規模な臨床試験を行った学者はいた。後藤、東北大学名誉教授(75)である。確実な効果が出ていたにも関わらず、審議会はことごとく無視したという。後藤が、怒りもあらわにこう言う。「初めから、これは潰そうという話しですからね。このデータは嘘ではないか。とまで言っているんだな。先生が臨床した膀胱がんの患者は慢性**の誤診でしょう、と。こんなふざけた話はないから、調査会に異議申し入れ書を送りましたよ」

審議会内部の反応について、古江がこんなショッキングな証言をする。「後藤先生のデータは立派なものでした。わたしは、この審議会の委員の中でもこんあいい臨床を出来る者はいないだろう。この結果をもっと真剣に考えるべきだ。本当に無効と言っていいのか、と迫ったんですが、無駄だった。相手が無茶を言うんですよ。重箱の隅をつつくようなことをね。たとえば動物実験で、マウスに関する実験はあるが、ウサギについてはない。、とか。そんな身も蓋もないことを言うなよ、と嘆きたくなるくらい、醜いアラ探しだった。結局、事前に厚生省との間で拒否ということが決まっていたんですね。われわれ委員会は、いい面の皮ですよ。ああ、俺は飾りなんだな。と痛感しました。だって、何を言っても通用しないんだから」

臨床実験のデータを無視された後藤が言う。「なせ、そこまでして丸山ワクチンを潰さなくてはならなかったか。と言えば、がん学者はみんな他の製薬会社はそれぞれコネがあるんですよ。やっぱり丸山先生はがん学者じゃないわけです。学者というのは、専門以外の人間を認めたくないんだね。たかが皮膚科の医者が、というような偏見を持っていたんですよ。



なぜA液とB液を一日置きに打つか、という部分が説明できなければ弱い。同じ免疫製剤であるピシバニールは一週間に一度という間隔になっていた。これらはどうして決められたのだろうか? 認可されているワクチンの力価は抗体価の上昇で調べることが出来る。丸山ワクチンは結核に対しての抗体価は調べられているのだろうか?

忌野清志朗さんが昨日死去。58歳、がん性リンパ管症。

置き去り20世紀の奇談その3

2009年05月02日 | Weblog
長野県生まれの丸山は、幼い頃から病弱で、とても30歳までは生きられない。と言われたほど。大正11年、のち日本医科大学となる日本医学専門学校の予科に入学し、卒業後は大学に残って研究ひとすじの生活で、権威とはまったく無縁の人生だったという。
「普通は医学部の教授と言ったら、一週間に一度、助教授とか引き連れて大名行列みたいに病院を回るでしょう。ところが親父は患者さんの元へ毎日、一人でい行くわけですよ。土曜日曜はもちろん、元旦まで行っていた。だから、患者さんは感激して退院後、自宅までお礼に来られる。親父は現金は絶対に受け取らないから、自分の家でとれた米とか野菜を持ってね。御中元とか御歳暮の時期は、生鮮食料品が山のようになっていました。」

この温厚で生真面目な丸山が、唯一、激情を発露させた時期がある。昭和25年、日本医大と早稲田大学の合併問題が持ち上がった時だ。日頃は無口な丸山が、学生を前に、「日本医大がこのまま医科大学であるなら、いつまでたっても東大の支配から抜けだせないだろう」と、演説までブッっている。周囲も驚いたこの変貌の裏には、妻の父親が早稲田に野球部を創設した安部で、岳父の影響を強く受けた丸山が強烈な早稲田ファン、という事情もあったらしい。しかし、合併は敢え無くとん挫し、推進派の急先鋒だった丸山は当時の大学に睨まれ、以後、冷遇されることになる。給料もボーナスも大幅にカットされ、長女が通う都立大学の月謝も滞るという困窮生活も経験している。

一方、山村雄一は、丸山とは対極の人生を歩んだ。昭和16年に大阪大学医学部を卒業すると海軍の軍医となり、激戦地となったガダルカナルにまで赴いている。戦後、九州大学医学部教授を経て、母校大阪大学に戻るや、トントン拍子に出世し、昭和42年に医学部長、54年には大学総長の地位まで昇り詰めた。総長時代は、「アメリカのスタンフォード大学のように広大な医学部にせなあかん」と北千里に広大な土地を購入し、医学部、工学部などを一挙に移転させるというビッグプロジェクトを成し遂げている。学外では、日本免疫学会会長、日本癌学会会長等を歴任し、昭和61年に学士院賞を受賞、63年には文化功労者にも選ばれ、まさに栄光と名声に彩られた学者人生だった。

この挫折知らずのエリート学者に唯一、屈辱を味わわせた人物が、『東大の植民地』日本医大の無名の医者、丸山だったわけだ。当時、取材に赴いたジャーナリストは、山村が、さも憎々しげに「皮膚科出身の丸山が、人類を危機に陥れるガンという病気に果敢に挑まれているようだが、けしからん」と言い放つのを耳にしている。

また、山村と親交のあった医学者はこう証言する。「山村先生は尊大でしたね。威張っていた。山村先生は丸山ワクチンには反対でした。それは間違いない。実際にそういう内容の手紙をもらいましたよ。なぜ反対だったかは知りませんが、もし丸山先生に先を越されたことへの嫉妬だとしたら下らん奴ですね」 「置き去り20世紀の奇談」2001年週刊新潮の記事より。
 


動物にもガンは出来る。犬では10歳を超えると老犬だ。老犬になるとガンを発生することが多くなる。ガンは一つの細胞が早期がんと呼ばれる1センチほどの塊になるまで10年~20年ほどかかるということを書いてある本もある。犬のガンの場合は成長速度が違っているのだろうか。いつも不可解に思うことだ。

ただ生きるな、よく生きよ

2009年05月01日 | Weblog
ガンを宣告された後、医師からの早く治療を!という薦めを断った。自分の考えで丸山ワクチンを試してみて10ヶ月がもうすぐ経つ。今のところ異常が感じられない。ガン組織も内視鏡での検査だけだが、大きくはなっていないようだ。 同じガン患者さんからは、今のところ大きくなっていないように見えるだけで、大きくなるに連れてスピードは増すと経験的に思われる方も多いかもしれません。ガンに対処するのは思うほどたやすくないぞと、たしかに、その可能性もある。これから先の不安も感じている。

エビデンスのない丸山ワクチンには試してみる価値がない。時間のムダだ。もし、君に今のところ、ガンが進行している様子がないというのであれば、それは丸山ワクチンのせいではなく、ほおっておいても同じことだったということだ。つまり、ガンというのは自然治癒も数は少ないけど今までもないことはない。医師による本を読むとそう書かれてある文章も目に付く。ガンはなにもしないのに自然退縮することが時として起きるようだ。

しかし・・・

丸山ワクチンがなかったならば、標準治療を断ることが出来なかっただろう。かといって、それほど強く丸山ワクチンに期待している強い信念の持ち主でもない。半ば死を覚悟しての行動だった。つまり、標準治療のガン治療を受ける患者さん達とは、同じ気持ちだったという感覚がある。標準治療を受け入れるにも勇気が必要だろう。あるガン患者さんの本にガンを宣告された患者の気持ちが次のように表現されていた。

いってみれば、神様が握っている弾薬が装填され、撃鉄が引き起こされたれたレボルバーを、頭の後ろから突きつけられながら生活しているようなもの。

神様、どうか引き金を弾かないで下さい。この先、ずっと、私も生きた心地はしない日が続くだろう。