告知の日からのガン日記(上咽頭がんー丸山ワクチン日記)

08年7月の告知。5年生存率60%の標準治療を断わる。丸山ワクチンを決断。団塊世代、男性。試行錯誤の過程をリアルタイムで

丸山ワクチンでガンが休眠中

2010年05月31日 | Weblog
ガンには自然退縮がある。精神科の医師が書いた本には、ごく小さい確率ではあるが、確かに自然退縮が認められると書かれてある。複数の医師が書いている。石原結實医師の本にも書かれてある。ガンの告知の際に、自然に治る場合もあります、などと医師から言われたら患者もとまどうことだろう。しかし、確かに自然治癒は起こりうる。

退縮でなくとも現状維持というのもある。56人の治療をしなかった胃がん患者を追跡した研究。6~137ヶ月間の追跡期間で20人(36パーセント)が早期ガンにとどまり、36人(64パーセント)が進行ガンになった。早期ガンにとどまった平均期間は44ヶ月(4年弱)だった。さらに手術をしていないことが明らかになった38人の患者について追跡したところ、5年後の生存率は62.8パーセントと報告された。(「治療をためらうあなたは案外正しい」よりの要約)


抗がん剤使用にも休眠療法という選択枝がある。千葉大学大学院医学研究院がん分子免疫治療講座、高橋豊教授の2008年9月の論文がある。

Tumor dormancy therapy, がん休眠療法とは, 血管新生抑制に得られる状況として知られていたtumor dormancyという状態が, 他の治療, 特に抗癌剤治療においても得られるとともに, 抗癌剤による不変状態が延命につながることを初めて示したことから著者が提唱した概念である. つまりは, これまで「縮小なくして延命なし」という言葉が金科玉条のようにされていた癌治療において, 不変すなわちがんとの共存を目指すという新しい戦略を打ち立てたものである. 分子標的剤の開発とともに, この概念はほぼ認められ, 現在は抗癌剤の効果判定にも広く使われるようになった. しかし, 抗癌剤治療自体には変化なく, 現在も最大の縮小を目指すために, ヒトの生死の限界量である最大耐用量による方法しか存在しない. 著者らは, この最大耐用量法において, 継続性と個別化の2点からの改革の必要性を見いだし, 個別化最大継続可能量なる新たな濃度設定法を考案した. 現在, 種々の癌において, 臨床試験を進めているところである. この改革案により, 抗癌剤治療は, 低毒性で長期間継続が可能となり, それが生存期間の延長につながると期待される.

この方法による臨床試験が現在全国的に進められているようだ。早く、結果が示されることを望みたい。私の場合は丸山ワクチンで現在、休眠状態にある。


傷つけることば

2010年05月29日 | Weblog
ガンを患う病人だけでなく、ガン患者の周囲にいる人がストレスをかかえるケースも多いようだ。言葉遣いに注意することがストレスになるようだ。なんでもない言葉の投げかけがガン患者を傷つけることになるという。「元気そうじゃない。なんともないみたいだね」「くよくよしていたら、治るものも治らないよ」「早く元気をだして、治しましょうよ」「さぁ、がんばってみよう」「今はガンは治る割合が高くなっているんだから」 「大丈夫、きっと治るよ」どんな言葉であっても、ガン患者が傷ついたと思えば、それは傷つけることばになる。ただ聞いていてくれること、理解しようとしてくれていること、この態度だけが患者のストレスを軽減させるという。


ガン患者に対しては、若い医師が対応することは難しい部分が多いのではないだろうか、先日の診察で感じたことである。近代医学への信頼が強い。学んできたことからは、病気が治るではなく、治すという意識が強いように感じる。でもガンという病はまだまだ克服されていない。


人に話しを聞いてもらえるだけでストレスが軽減する。ガン患者の場合は、相手がだれでもよいというわけにはいかない。自分のストレスが少なくなった分、相手のストレスが増すことにもなる。緩和ケアの専門家であることがベター。患者の苦しみや気持ちを理解してくれているということが問題の改善につながるという。ガンという病は医師が治してくれるのではなく、患者が自ら克服する部分が多い病である。



告知後1年10ヶ月と2週間目の診察

2010年05月27日 | Weblog
ガンの告知を受けた総合病院の耳鼻科に診察を受けにでかけてきた。 いつの間にか、前回の診察からほぼ半年が経っている。相変わらず患者さんで混んでいる。初めて見る若い医師だった。カルテに十分目をとおしたあと内視鏡を鼻から入れる。「まぁ、大きさとしては前回と変らない」と、初めての医師からそう告げられた。自覚症状として耳に異常があるがわかっている。「どうしますか」 そう聞かれた。いまさら標準治療を受けるとは思えないが一応聞いておこうという態度に見えた。まったく患者の偏見である。標準治療の抗がん剤治療は受けたくないが、中耳炎だけなんとかしてほしいという願いは虫が良すぎる。


会った時の態度から、治療を受けないという患者には関心がないように思えた。緩和ケアを紹介して欲しいと答えてしまった。「現状で、何のため?」 自らガン難民になっておきながら・・・というふうな意味なのだろうか。ガンは大きくなっていないけれど、耳管のすぐそばまで迫ってきており、中耳炎から内耳、前庭、さらに脳への影響まで考えてしまう。そうならないためには鼓膜に穴をあけカテーテルを留置する必要がある。その際には当然に耳鼻科でのケアが必要になってくる。


ガンの標準治療を断った負い目がある。勝手な患者の気持ちも汲んでのケアを望みたい。緩和ケアを受けたい理由は、ウツなどの精神的な疾患や、眠れないとなった時にすぐに対応してもらいたいからだ。今回、診察でのちぐはぐな会話になったことを反省している。それは、面と向かった時にオーラを感じなかったせいか。患者をいたわるというオーラが飛んでこなかった。もっとも、患者側としても病人らしく、困っているというオーラを出すのを忘れていたせいでもある。



ハイチの日本人マザーテレサ

2010年05月25日 | Weblog
昨日、放映されたNHKクローズアップ現代のタイトルはハイチを救えというものだった。登場したのは83歳のハイチで活動する女医さんだった。マザーテレサさんは医師ではなくて看護士さんだったのでは・・・細かいことはさておき、女医さんがハイチに渡ったのは49歳の時。もともと結核の研究を専門分野としており、ハイチは結核での死亡率が世界1だったことから、現地に渡り、その後現地で医療活動に従事しているという。女医さんの名前は須藤昭子さん、その姿からはクリスチャンのようだ。尊い活動からは、医療は単なるビジネスではなく、宗教とは密接に繋がる人道的な活動でもあることを再認識させられた。

今年1月の大地震によりハイチは壊滅的な打撃を受け、病院に患者が殺到した。結核治療施設にも一般の病気の患者が訪れ、接触による結核感染の拡大の恐れが増しているという。さらに、耐性菌が出現することが危惧されているという。病院への飲料水の供給がストップする危機的な状況。事態は深刻である。結核、ハンセン氏病、エイズ、そして貧困が複雑に絡み合って脅威が拡大しつつあるようだ。

結核といえばストレプトマイシンなど現在では抗生物質によって治療される。かつては丸山ワクチンも結核のための薬だった。日本においても死亡率第一位の座を占めてきた。丸山千里医師も旧制中学を卒業する直前に肺結核におかされ、3年間の闘病生活を余儀なくされた。希望のない、暗い日々であったという。ワクチンがあれば、この難病が救えるのではないかと考えたという。

結核に対する化学療法剤 ストレプトマイシンやパス、ヒドラジットが出現したことで、ワクチン療法は忘れ去られた。丸山医師は、それでもワクチンの研究を続ける。やがて肺結核にも効果を示すようになり、空洞の縮小、そして消失に、きわだった効果を発揮することがわかった。さらに、化学療法の効き目がなくなった耐性の菌をもった結核患者にも効果をあげた。忍耐強くワクチンの改良につとめ、結果的にはこれが幸いした。ハンセン氏病の治療に効果をあげ、さらにはガン治療の道へと続く。 丸山ワクチンへの評価については微妙な現状ではあるが、現役ガン患者である私は、精神的な部分を含めて恩恵を受けている1人だ。


ガンには免疫力で対抗する

2010年05月23日 | Weblog
ビジネスとしての医療を考えた時、ある種のパラドックスを感じるときがある。体の免疫力を高めることでガンに対抗するという治療法を薦める医師は、きっと儲けが少ないと思う時だ。抗がん剤や放射線治療でのガン治療は免疫力を低下させる。余病を併発しやすくさせる。感染症を引き寄せる。抗がん剤には副作用というのもある。制嘔剤、副腎皮質ホルモン、痛み止め、便秘の薬、多様な薬が必要になる。それらの全てがガンの医療のビジネス部分を支えている。 一方、免疫力を高めることによってガンに対処しようとする医師の生活基盤はあまりにも脆弱である。どちらがガン患者にとって有益かは問題ではない。ビジネスとして成り立たなければ、その主張がいくら正しくとも衰退していくことになる。


さらに、破綻しかけているといわれる健康保険財政についても考えがいく。どちらの治療をガン患者さんが選ぶほうが保険財政の負担にならないのか明白である。保険財政の赤字は、年金と同様、子供たちの世代の負担が増すことに繋がる。


ガン患者団体の主張が理解できない時がある。主張のなかに、抗がん剤のタイムラグをなくしてほしいというのがある。海外では使われている抗がん剤が日本では使えない。それは厚生省の認可手続きが遅いから。自己負担による個人輸入ではなく、すぐ使えるように、保健医療の3割負担で使えるようにして欲しいという主張である。(個人輸入していたときより、認可された後の価格がかなり高く設定され、認可されても患者の支払う費用は軽減されないというおかしな現実もある。) そのほか、早期がん発見のための検診を無料にすることやワクチン代に公的補助を出すべしとの主張も見られる。大多数のガン患者が望んでいることなのだろうか。ガン患者は自分のことを考えるだけで精一杯なのだろうか。たとえそうであるとしても、これらの主張が認められて利益を得るのはだれになるのだろうか。こんなことを考えながらガンと闘う。時折、むなしい気持ちになる。



上咽頭ガン、病状のメモ

2010年05月21日 | Weblog
耳鳴りがだんだん大きくなってきている。
左の耳を中心として聞こえる。
聴力はあるので中耳炎ではなさそう。
喉の違和感も範囲が広がっている。
鼻の通りはよいので、多分、腫瘍は大きくなっていないだろう。
風邪を引いたのか?
耳管が開きっぱなしになっているのだろうか?
自分の声が変に響くときがある。

左の肩が凝っている。背中がいたいときもある。
神経を圧迫、それとも、肺に転移か? 
触った感じでは頸のリンパ腺や耳下腺に腫れはない。
冬場にたびたびの左手のしびれは自然とよくなっている。

痰に血が混じる。でも痰の量は少なくなっている。
喉が渇いているような感覚がある。
痰が少なくなって呼吸は楽になった。

ガンが消えたように感じる日もある。
でも、翌日は大概、そうではないと思い知らされる。
自覚症状としてはこんなところ。
1年前からみると、ジワジワ進行しているように思える。
今日は、丸山ワクチンを毎日打ちたい気分である。


口蹄疫のニュースは悲しいね

2010年05月19日 | Weblog
獣医師の仕事は死の場面に出くわすことが多い。それは人に比べると動物の寿命がたいてい短いからでもある。人の医者と違って安楽死も選択できる職業。その際には確固たる倫理観が必要になってくる。動物は自分で治療法を選択できない。動物の気持ち、また飼い主の気持ちを共有しなければ獣医師稼業はやっていけない。こんなことを考える際にまっさきに頭に浮ぶのが愛情を持って育てた豚や肥育牛を出荷する飼い主の気持ちである。この辺のところが一般の方々と死生観に対する違いが大きいと感じるところだ。


テレビのグルメ番組、高級旅館に芸能人が宿泊する。ブランド牛を食する。「なんと、肉汁が・・・口のなかでとろける・・・幸せ」などと言いながら口にする場面。ことばの後にもうひとつ付け加えて欲しいといつも感じる。感謝する気持ちがあってほしいと感じる。もっとも玄米菜食に惹かれる現在の私は、そんな場面を見てもよだれはまったく出てこないけど・・・。


最近の獣医師のなかには「私は安楽死はやりません」と断言するものも多くなってきたようだ。さらに、エビデンスがある治療法だけしか行わないという主張が支持されつつある。人間に対しては極めて有効な抗生物質であっても草食動物のウサギにとっては致死的に作用する薬もある。食用の家畜と愛玩動物と人の違いは? 私はみずからの意思でこれからの道を選択する。



眠りにつく前に読んでください

2010年05月17日 | Weblog
1954年9月26日、青函連絡船の洞爺丸が津軽海峡上で座礁転覆。1155人の死者を出す大惨事になってしまった。その1155人のなかにリーパーとストーンという2人の宣教師が含まれていた。船が座礁転覆する前に、船内放送で救命胴衣を着用するよう指示がだされた。2人は慌ててパニックになる乗客を落ち着かせ、救命胴衣の着用を手助けしていた。そのとき救命胴衣のヒモが切れて泣いている少女を見つけた。リーパーさんは迷うことなく自分の救命胴衣を外し「私よりあなたのほうが若いから」と、その少女に着せてあげた。また、ストーンさんも同じように、別の青年に救命胴衣を譲ったそうです。その結果、少女と青年は無事に生還し、2人の宣教師は帰らぬ人となりました。来日したストーンさんの息子さんの話では、ストーンさんはまったく泳げなかったようです。そして、自分の命を顧みず、青年を救った父のことを誇りに思うと語ったそうです。


私が5歳の頃に起きた事故になるのだろうか。ほんの小さな確率でだが、神様の振ったダイスが私を指していたなら私は幼いときにこの世から姿を消していた。葬式はいらない、それは死後の世界はないと思ってはいるからだが、神様は居ると信じている。矛盾しているがそれが現在の気持ち。神様が人の運命を左右している。だから聖職者には敬意をはらいたい。これからの残り少ない人生を出来るだけ有意義に過ごすことが望み。今日も眠れない。「眠りにつく前に読んでください」というのは本の題名だ。



不信感といらだち

2010年05月15日 | Weblog
家族は私ががんの患者で明日も知れないという状態であることを忘れているようだ。本人はいつ働けなくなるか、コントロールできない痛みのため入院することになるか、に不安を感じているということにまったく思いが行かないようだ。免疫力を高めるという「笑いヨガ」というのもときおり実践しているからだろうか。深刻な病気を抱えているという人間にみてくれない。時には弱者としていたわって欲しいと思う時がある。とりあえず笑いヨガは家庭内では止めておくことにした。


スーパーマーケットのイオンが葬儀事業に進出したというニュース。お坊さんを紹介するというサービスもオプションにあるという。その際のイオンの手数料は無料だとも書かれてある。法要をおこない戒名をつける行事には確かな価格が存在する。一定の基準が公に示されることには好ましいことだ。宗旨、極楽浄土、戒名、仏心、セレモニー、喜捨、おとく感。この記事からいろいろなことについて考えてしまった。でも、やはり私は死んだ後は朽ちて大地の肥やしになることだけが望みである。静かに旅立ちたい。僧侶もできれば断わりたいと思っている。でも家族はそうではない。世間体や世間並みということを優先するだろう。エンディングノートに残しておいても、はたして故人の意思を尊重してくれるだろうか。もっとも、死んだ者にはどうでもよいことである。


戒名は自分でつける

2010年05月13日 | Weblog
今日の朝刊で目についたのは、戒名は自分で決めるという本の広告だ。島田裕巳著、たった10文字程度の死後の名前が約40万円!かくも高額なのはなぜか・・・とある。購入したい気持ちになった。定価777円。しかも、戒名作成チャート付きとある。買ってみようかな。


高額な代替医療、サプリメントや健康食品に貴重なお金を使うのはばかばかしいことだ。ガン専門医の本にはこのような記述がよくみられる。ガン患者の懐のこともアドバイスをしてくれている、心配してくれていると感じるところ。死んだあと、周囲の人に高額な出費を強いる悪習にも一言アドバイスしてもらいたいものである。死に逝く患者にトータルケアを・・・


先日、近くの図書館に出かけてみると、井口民樹著「再考 丸山ワクチン」という本が見当たらなくなっていた。1年ほどまえに借りてきた時にもかなりぼろぼろな状態だったので、処分されてしまったのかもしれない。1987年に発刊された本だ。現在貸出し中という可能性もあるが、ちょっとショックである。丸山ワクチンを理解するためには最適の本である。