告知の日からのガン日記(上咽頭がんー丸山ワクチン日記)

08年7月の告知。5年生存率60%の標準治療を断わる。丸山ワクチンを決断。団塊世代、男性。試行錯誤の過程をリアルタイムで

置き去り20世紀の奇談その9

2009年05月13日 | Weblog
桜井欽夫は、今なお囁かれる数々の疑惑に対してどう答えるのか? 薬事審の新基準については「あれは丸山ワクチンが出てきたから作ったもの」と認めつつ、こう語る。「あのとき、免疫の基準というものはこれでいいのか、という世論が起こってくる。それでインターナショナルな情報を集めて作ったんです。厚生省に、丸山ワクチンを認めない基準を作れ、と言われたわけじゃない」だが、自らが開発に関与したクレスチンの爆発的なヒットも大きく影響した、という。

「クレスチンが馬鹿売れするから、大蔵省が“こんなに税金はつぎ込めない”と悲鳴をあげ、厚生省を攻撃したんだ。困った厚生省は調査会に任せちゃったわけだな」早い話が、調査会は大蔵省と厚生省の意を汲んで、丸山ワクチンを不認可にする新基準を設けた、というわけだ。しかし厚生省は平成元年、クレスチンとピシバニールについて「効果なし」の答申を出し結果的に1兆円もの医療費が、医者と医薬品メーカーの懐に消えている。丸山ワクチンは、まったく効果のない、この小麦粉同然の抗ガン剤のために認可を阻まれた、といっても過言ではない。

桜井は山村との関係は「親しくしていた」と認め、こう語る。

「学問のレベルで言えば、山村先生は丸山先生なんて問題にしていなかったと思う。山村先生は結核菌の第一人者で、結核をやりたい人間はみんな先生のところへ行ったんだから。大きなグループがあって、研究費も方々から入って、私立大学の一研究者とは違うよ」

丸山を歯牙にもかけなかったはずの山村が、こと丸山ワクチンの認可に限っては、大いに注目し一貫して反対の立場をとっていた。

「山村先生は結核の専門家だから、実験の根本を詳しく知っている。スタッフも優秀だし多くの論文も書かれていたし玄人なんですよ。対して、丸山先生の論文は素人みたいなものだったからね」 「一人のお医者さんがいくら一生懸命研究してね、病理検査もしないで、癌に間違いないとか、それが治ったとかいうのをただ記載して出されても、ホントに信用していいのか分からないでしょう」「置き去り20世紀の奇談」2001年週刊新潮の記事より



東京大学医療政策人材養成講座が昨年3月に行った調査によると、がん患者の4人に3人が「現在の仕事を続けたい」と希望しているのに対し、実際はこのうち3人に1人が転職していた。治療中や治療経験のあるがん患者403人(男性40人、女性363人)に尋ねた。がんと診断された時点で「これまでの仕事を続けたい」が75.9%だったが、このうち31%が診断後に仕事が変わった。内訳は解雇14人、依願退職23人、廃業8人など。収入が下がった人は38.7%だった。調査時点で働いていた280人のうち、「仕事継続に不安」は61.1%。

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