告知の日からのガン日記(上咽頭がんー丸山ワクチン日記)

08年7月の告知。5年生存率60%の標準治療を断わる。丸山ワクチンを決断。団塊世代、男性。試行錯誤の過程をリアルタイムで

ガン患者の願いと残された者の気持ち

2010年08月31日 | Weblog
妻がなくなってから約3ヶ月間は私にとって精神的にも肉体的にも大変過酷な時期となった。わたしたち夫婦には子供がいない。したがってお互いに助け合って40年間、幸福に暮らしてきた。私の生活は崩壊した。強い精神的衝撃と食欲不振と肉体的影響を引き起こした。酒びたりの生活となり、ひとりのときは涙があふれた。もはや妻と対話することができない事がこれほどつらいとは思わなかった。


国立がんセンター元総長、垣添忠生さんの文章から。亡くなったガン患者の家族のつらい気持ちは想像以上だったようだ。日本ではがんで配偶者を亡くすのは約20万人といわれる。文章はその後、その残された人たちにも医療的、社会的支援体制が必要だと説く。グリーフケアと呼ばれるそうだ。そのための診療報酬についても考える必要があると主張する。先の著書のなかには、ガンの早期発見のための検診体制の重要性が書かれてあった。検診に対する健康保険財政からの補助も増やすべきとの主張が載せられていた。


これ以上健康保険財政に負担をかけるべきではないと考える。それは次世代の日本を支える人たちの負担を増すことになる。私は丸山ワクチンという健康保険外治療を選択した。願うことはひとつ。医師が患者ひとりひとりの気持ちになって考えてもらいたいこと。医学はまだまだ発展途上。医学の今日の常識は明日の非常識になっているかもしれない。キズはなるたけ消毒薬を使わないということが医学関係者のなかで認知されはじめたのも最近のこと。風邪の子供には風呂は禁止すべきか、否かというのが最近の医学会の話題だ。医師は全知全能ではない。丸山ワクチンに賭けてみようと思うガン患者は丸山ワクチンについてしっかり調べている。それでも、丸山ワクチンに賭けてみようという患者には、エビデンスがないからダメだといわずに、やさしく寛容な気持ちで患者に接してもらいたい。丸山ワクチンを選択するためには医師の承諾が必要なのです。

24時間テレビ・・・余命0期

2010年08月29日 | Weblog
やっぱり、24時間テレビを見てしまった。チャリティの番組だから、恒例のようにガン患者が登場する。昨日の夜に登場してきたのは、元気の良い、明るいガンの患者さんだった。私のガンが判明したのと同じ時期に、余命3ヶ月と宣告をうけた。そして1年8ヶ月が経過しているという。余命ゼロ期、未知の領域に踏み込んでいる。しかし、家庭は明るい。みんな元気が良い家族だ。患者さんも動き回る。一般人がみれば、ガンに対するイメージが変わってしまいそうだ。ガンは我慢できる病気だと錯覚してしまいそうだ。 それは卵巣捻転の痛みから始まった。手術できない状態であるのを、本人から希望して除去手術を受けた。そのあと抗がん剤を続ける。肝臓や肺にも転移が見られた段階で、治療は受けないことを選択した。現在は痛んだ時の痛み止めの処置を受けているだけのようだ。効くか効かないかエビデンスのない抗がん剤治療は生活の質を低下させる。正しい選択だ。医師も現在の状態はミラクルと頸を捻転しているという。


ガンの宣告を受けた2年2ヶ月前から今まで、まったく痛みを感じたことがない私もガン患者である。少し前から下血が見られるようになった。転移か・・・それがよくなると今度は便秘。麦水をしっかり飲むほかは、正しい食生活をおくっているのにと心配になる。そんな些細な日常のことは家族には告げない。最近は、私がガンであることを知っている家族でさえも、最近はすっかり忘れているかのような態度である。これには少々悲しい思いがある。ガン治療の専門家から目のかたきにされている丸山ワクチンを信頼し、これを続けている。だれにも理解されない日陰のガン患者。



ガン患者だけが不幸を背負っているわけではない

2010年08月27日 | Weblog
67才までどうにか生きてきましたが、良い日、良い年でありませんでした。電話代も無く、部屋を借りるところもなく、もう終わりです。2年ほど、よく持ったと思う。一番最後に何か熱いものを腹いっぱいたべて終わりにしたかった。皆様に元気な姿でもういちど会いたかったです。虫のいい話ですけど。この2.3日寒くって夜も昼も寝られず体力の限界です。年金を貰ってますと福祉の方も都合よくいかず、市営住宅もなかなか当たらず、世の中はつめたい。見栄も外聞もないですけど、酒ものまず食べるだけの楽しみですが、20キロほど痩せて終わるのが残念です。この2年間は20年くらいの気分でした。


タバコの消費が減ってきてJTをリストラされたサラリーマンかもしれない。遺書を9回、書き直したあと、このホームレスの男性は本当に自殺した。人の世ははかなく、かなしいことだらけ。人は死んだあと土となり、その養分が新しい生命を育む。死は無になるのでなく、代わりに何かが生まれる。自殺を選択できるのは人間だけ。病気の苦しみから逃れるために自ら命をたつひとも多い。それを非難すること、私は出来ない。丸山ワクチンを選択したことで、自殺を選択したと医師から見られた経験があるから。「もったいないね」とつげられたことを思い出す。



本日も大勢の方の閲覧に感謝しております。時折のぞいているガン患者さんのブログ。最近、かなり厳しい状況になってきたようです。ついでに覗いていただけると、アクセス数だけ本人にとっての生きる希望に繋がるのではないかと思います。帰りついでにワン・クリックをお願いしたい気分です。 
→ あるがん患者さんのブログ 

元国立がんセンター総長、ガンを語る

2010年08月25日 | Weblog
先日の読売新聞の第一面にあった特集「地球を読む」より。日本対がん協会の垣添忠生さんは奥様をガンで亡くした。2006年春に小さな肺ガンが見つかった。陽子線治療を選択し一旦病巣は完全消失した。半年後、肺門リンパ節へ転移、難治の小細胞肺ガンであることが確認された。化学療法を約4ヶ月続け、放射線治療もおこなった。そして、その完治を確認するための検査で脳、肺、肝、副腎に多発性に転移していることが判明。もはやこれまでと2人ともに直感したが、さらに約3ヶ月間、新しい2種類の抗がん剤の投与を受けた。最後に妻は「家で死にたい」と強く希望し、帰宅後の同年12月31日夕刻になくなられた。


国立がんセンターの総長時代の垣添忠生さんの本「がんを防ぐ」がある。表表紙そして裏表紙にも満面の笑みを浮かべた垣添さんの白衣姿が印象的である。この笑顔の意味はとガン患者の私は考える。ガンの治療法は進化しており、ガンの宣告を受けてもまったく心配することはありませんよ、と言っているかのようだ。ガンにならないためにはどんな生活をすれば良いのかというのが本の内容となる。ガンの発生にかかわる要因の35パーセントを占めるのが食事内容で、喫煙が30%、慢性炎症10%、その他に運動不足、職業、遺伝、ウィルスが原因として推定されるとある。


本を読み進めていくと、表紙の笑顔の理由と思われる文章に出会う。垣添さん自身が2度のガンを経験していたのだ。1997年10月の健康診断で便の潜血反応が陽性に、内視鏡で3個のポリープを切除し、その切除したポリープを検査したところガンの所見が判明した。2005年5月には、これも健診のエコー診断で左の腎臓に約1センチの腫瘍が見つかった。このときは手術によって治した。過去2回の腫瘍は、健康診断で見つかっており、自覚症状はまったくない状態だった。つまり、ガンを克服するには早期健診が大事であることがわかる。


喫煙もおこなっていないであろう、ガン予防のための食生活も実践されていたであろう、本人とご家族が相次いでガンになったということに注目する。そして、代替療法も考えるガン患者の私は思ってしまった。その笑い顔が免疫力を高めてガンが消滅したのではないだろうかと。


死にゆく母、病院を拒否

2010年08月23日 | Weblog
同居の長男は当時、無職で収入がなく、母親に病院に行こうといったが、金がなかったことで遠慮したのか、104歳になる母親は病院で治療を受けることを断わったという。リウマチで寝たきり状態の母親。昨日の朝刊、死亡届のない白骨の遺体が見つかった事件はまったく人事のように感じないニュースだった。


在宅ターミナルケアでなくなった場合は、在宅医に連絡をとることになる。継続して訪問看護を受けていたのであれば、改めて医師が診察しなくとも死亡診断書は原則、発行できるようだ。最後の瞬間に周囲のものが慌てて救急車を呼び、病院に運ばれてしまった場合は、これまで一度も診察したことのない医師の診察を受けることになる。この場合に医師は死亡診断書を書けないケースも起こりうる。死体検案書から警察の介入(検視)もありうるとのこと。さらに、救急車で病院に運び込まれると本人が望んでいない延命治療もほどこされるかもしれない。スパゲッティの大盛り。末期には医療的な処置を何もして欲しくない意思があるのならば、(民間療法、健康食品にすがる場合を含めて) あらかじめ訪問診療を受けて医師にその希望を前もって話しておくことが賢明のようだ。在宅医から死亡診断書を得て、死亡届を役場(24時間受け付けている)へ提出すると、火葬許可書が交付される。死亡から24時間後、すみやかに荼毘にふされたい。おっと、その前に、医学の発展のために献体に申し込んでいたことを忘れていた。


ガンの宣告を受け、治療を受けても5年生存率が60%だと言われて、抗がん剤を主体とする治療をキッパリ断わった。その時には死も覚悟した。どういう死に方がベストかも考えた。ガンから生還することを期待すべきでない。死を目前にした病人の80%は病院のベッドの上で最後のときを迎えている。しかし、病人の多くは最後の瞬間を自宅で迎えたいと望んでいる。アンケート結果がある。



丸山ワクチンの適正濃度について

2010年08月21日 | Weblog
前回の記事にある体験談。AB方式をBB方式に変更した理由については判らない。AB方式で効果が認められなければ、濃度の高くなるAA方式への移行を考えるのが一般的だと思われる。低い濃度のワクチンが反応したのはなぜ、というより低い濃度を試す気持ちになったことが理解できない。


東京大学薬学部水野伝一名誉教授の研究は安部茂氏と連名で発表された。滝沢肉腫をマウスに移植しておこなった実験では丸山ワクチンの効果は認められなかった。水野教授はそれはマウスがツベルクリン陽性に転化していないことによると考えた。人はほとんどツベルクリン陽性である。ツベルクリン陽性のマウスを使って、これにエールリッヒ癌を移植、丸山ワクチンをいろいろな濃度に分けて注射する実験をおこなった。この結果、当然ながら生理食塩水だけの対照群では癌の抑制効果は認められなかった。一方、丸山ワクチンを接種した群の癌は小さくなっており増殖抑制が認められた。ただし、濃度の濃すぎる場合には効果がなく、微量を投与した場合に効果があった。この微量は、現在ヒトに投与されている量とほとんど一致していたという。


東北大学医学部石田名香雄教授のグループ(鈴木富士夫、林芳郎)が発表した研究。丸山ワクチンがインターフェロンを誘発するという研究。インターフェロンとは、ウィルスの増殖を防止する因子、糖タンパク質のひとつ。これがマクロファージを活性化することにより癌細胞も攻撃する働きがあるのではないかと考えた。マウスに丸山ワクチンを接種したのち、血中のインターフェロン力価を測定した。 その結果、丸山ワクチンの量が少量すぎても(マウス1キロ当たり0.5ミリグラム)、また大量すぎても(1キロ当たり50ミリグラム)、有意なインターフェロンの産生は認められなかった。マウス1キロ当たり5ミリグラムの投与したとき、投与から5時間後にもっとも効率よく血中にインターフェロンが産生された。丸山ワクチンを投与しなかったマウスではインターフェロンの産生は認められず、エックス線照射マウス(700R)に対しても同様にインターフェロンの産生は認められなかった。丸山ワクチンを投与したマウスから得られたマクロファージは正常マウスのマクロファージよりも4倍高い貧食能力を示した。実験からは、丸山ワクチンはマクロファージの活性化に関連していると認められた。


ぜひ追試験されることが望まれる。適正な濃度はいくらなのか、自分の身体で試してみればと自分の中から声がする。大きくなっていないことに感謝すべき。身体の中から完全にガンを排除するなどという気持ちは欲張りすぎともう1人の自分が答えた。

ガンを克服した人々の手記

2010年08月19日 | Weblog
昭和51年発行の丸山千里著「丸山ワクチン」には、患者からの手記が多く載せられている。手記はほとんどが本名で紹介されているとある。まさによみがえる生命。


舌ガン・後藤茂氏(63歳・医師・東京都板橋区赤塚)
「先生、こんどは私が患者です」そう言って、板橋区の医師会会長の後藤茂博士は弱々しい笑みを浮かべた。後藤博士は丸山ワクチンに関心を寄せ、42年頃から自分の患者にワクチンを使っていた。今度は自分の番だという。「どうなさったんです」「これですよ」口を開くとブツブツが出来ている。それは放射線治療をこころみてできたものだという。ガンに気づいたのは47年10月。舌の入れ歯にあたった部分がざらざらと荒れており、少ししょっぱい味がする。48年2月生検、扁平上皮ガン。頸のリンパ腺にも転移、その後2ヶ月間入院し、外側からベータートロン照射と舌に直接放射線照射をおこなった。口に潰瘍ができてものを食べれなくなった。「まだつづける必要がある」というのを振り切って退院。丸山医師のもとを訪れた。

48年12月、別の場所に新しいガンが発生した。翌49年2月には、それが2箇所になった。次第に大きくなった。5月9日から、ワクチン注射をAB方式からBB方式に変えてみた。10本ほど打った後「どうもきのうと形が変わっている感じがする。小さくなったようです」報告を受けた。

徐々に小さくなって、半年後にガンは完全に死滅してしまった。12月5日、ガン死になった部分がポコッととれ、これが今も瘢痕を残している。良い医者になるためには、その病気をいちど患ってみること。とんだ回り道であったが、すばらしい経験となった。(要約)



2010年08月17日 | Weblog
ときどき感謝の念が起きる。まだ見たことも無いこの世の中の創造主に対して。ひとりひとりに違った人生を振り分けるのは大変な作業になるだろうと思う。キャスターの鳥越俊太郎さんは5年前に大腸がんを発症、その後、肝臓、肺に転移してそのたびに計5回の手術を受けた。70歳の現在はジムに通ってトレーニングに精をだしているという。マッチョな肉体が雑誌に紹介されていた。これがガン患者かと驚いた。体調すこぶる良好のようだ。


私の場合、まず、今の体調が悪くないことに感謝したい。生きていることのありがたみを感じたという部分でガンの宣告を受けたことにも感謝すべきかも。さらには、標準治療を断る気持ちになったことに、すぐに丸山ワクチンを試してみる気持ちになったことに対しても、ガン告知を受けてすぐにブログを始めようという気持ちにさせてくれたこと、すべてに感謝したい。人の行動の全てをあやつっている全知全能の神様、ありがとう。でもこれで満足していてはいけない。食事内容を考え、運動に精をだして、さらなる体調をアップさせることを考えたい。鳥越さんを追いかけたくなった。



代替療法でガンから脱却する

2010年08月15日 | Weblog
スーパースプラウト。発芽して3日目の新芽のこと。とくにブロッコリー・スプラウトは大腸がんのリスクを半減させるといわれている。理由はわからない。 

サメは唯一ガンにかからない魚とある。なぜ? だからサメの軟骨を食べるとガン発生のリスクが減る? 短絡的ではある。サメにガン細胞が発生しないということも確かなのだろうか。

夜の晩酌のビールはガン予防になるという説も・・・。マウスに発ガン物質を投与し、その後、ビール酵母を投入すると80パーセントの確率で細胞の異変がおさえられたという。 するとビールよりもエビオスの方が効き目は高いのだろうか?

尿療法。定期的に話題になる健康法。費用はゼロ。こっそり試すしかない。周囲からの白い眼を撥ね退ける勇気が必要だ。これも一種の免疫療法なのだろうか。

オゾン療法。以前からオゾン発生装置というものがあった。かいでみるとオゾンの臭いがした。オゾンには殺菌作用がある。細胞も傷つけられることにならないのだろうか。逆に活性酸素を除去することはガンに抑制的に働くともいわれている。

免疫ミルク。出産直後の赤ちゃんがお母さんの母乳を飲むことで病気にかかりにくくなる。これは初乳に免疫に必要な各種の抗体が含まれているからだ。乳牛に対して各種の病原体を植えつけるとその母乳に免疫抗体が含まれるようになる。これを免疫ミルクと呼ぶ。同じような仕組みでの方法を頭の中で想像した。ガンの抗体が母乳の中にできるだろうかと。


苦痛をともなわないガン治療法を考えてみた。


抗がん剤、本当のところは、好がん剤

2010年08月13日 | Weblog
ガンの宣告を受けたのが18年の7月のことで、その年の夏はほとんど体調に異常はなかった。もっとも、それほど早くガンが成長するとは考えていなかった。丸山ワクチンは確実に隔日に注射していたけれど、周辺整理を少しずつおこなっていた。蔵書はブックオフへ、書類は処分、衣類もかなり廃棄した。最後の段階で慌てないように、悟りについて書かれた本を読んだ。ホスピスについて書かれた本も読んだ。そして、一年が過ぎ、また夏が来た。それでも体調にはあまり変化が無かった。


そのとき、東田寿和さんの本「西に向かう」を読んだ。1954年大阪府生まれ。44歳の時に上咽頭ガンの告知を受ける。約2ヶ月の入院加療によって生還を果たすが、4年後に再発、その後は一切の治療を受けず、自分でおとしまえをつけることを決心した。戦うオヤジの応援団と出会い、ギターを弾き人前で歌った。2005年夏、24時間テレビに出場。木村拓哉とともにステージに立った。(2007年9月28日  52歳で永眠)


健康に留意する必要があると思った。ガンで死ぬ前に、脳血管障害、アルツハイマーなどの病気になりたくない。だいいちそうなれば、丸山ワクチンも継続できなくなる。食生活にも気をつけるようにした。そして、今年が2年目の夏になる。ガンが消えた様子はまったく無いが、体調だけはぐんぐんよくなっている。身体が軽くなった気分でそれは確かに体重が減っているからだ。ガンが進行しているから、多分そうではないと思う。これからも寿命までずっと生きていけるような気もしてきた。この気持ちには戸惑う。ポッカリ空いた、新しいこれからの人生、時間をどのように使えば良いのか考えなくてはならないからだ。それはまだまだ早い。それは来年の夏が来たときに考えることにしよう。


追記
うだうだ、とりとめもないことを書いているだけのブログにほぼ200名の方が毎日訪れていただいていることに感謝します。