告知の日からのガン日記(上咽頭がんー丸山ワクチン日記)

08年7月の告知。5年生存率60%の標準治療を断わる。丸山ワクチンを決断。団塊世代、男性。試行錯誤の過程をリアルタイムで

置き去り20世紀の奇談その2

2009年04月30日 | Weblog
ところが周知の通り、この丸山ワクチンは、まだ厚生省の認可が下りず使用の際は、煩雑な手続きを強いられることになる。まず投与を希望する患者とその家族は担当主治医に「承諾書」を書いてもらったうえで日本医科大を訪ね、レクチャーを受けて丸山ワクチンを購入(40日分9000円)主治医の元へ持ち帰り、ここでやっと注射してもらうことが可能になる。昭和56年12月より、2回目以降の丸山ワクチンの郵送が認められたが、それまでは丸山ワクチンの購入のつど、直接日本医科大に出向いて長蛇の列に並ばねばならないという、不認可薬ゆえの苦労を強いられていた。それでもワラにもすがる思いの患者は、日本全国はもちろんのこと、海外からも日本医科大へと集まった。丸山ワクチンは有償治療薬という摩訶不思議な名称のもと、例外的に投与を認められた、世界で最も有名なガン治療薬なのである。

では、丸山ワクチンは何故、認可されなかったのか?その背景を探ってゆくと、医学界の想像を絶する権威主義と、薬品メーカーを巻き込んだ利権争いの構図が見えてくる。

22年前、皮膚ガンを宣告され、自らも丸山ワクチンを投与し続けている医事評論家の生天目(73)はこう語る。「医学界の主流派は東大です。その東大の植民地でしかない私大の日本医科大の、しかもマイナーな皮膚科の無名の医者丸山千里が、自分の名前を冠したワクチンなんてとんでもない、という意識でしかなかったんですね」

昭和51年、丸山は製造認可を申請するが、56年、厚生大臣の諮問機関である中央薬事審議会は「有効性を確認できない」と不認可に、ただし厚生省は「引き続き研究する必要がある」とし、治療薬として全額自己負担なら購入可とする、玉虫色の判断を下す。ここから丸山ワクチンの先の見えない迷走が始まった。

「中央薬事審議会なんて、年4回会合を開くだけだから、膨大な書類にハンコを押すだけの機関なんですよ。昭和36年の薬事法施行により発足して以来、すべての申請に「可」のハンコを押してきた。実質上の認可は厚生省がやるわけで、厚生省の窓口が受理した申請は全て承認されていたのです。ところが中央薬事審議会は、わざわざ丸山ワクチンのために「否」のハンコを作ったと言われています」

この露骨な丸山ワクチン潰しの陰には、ある男の意向があった、と囁かれている。医学界のドンと呼ばれた山村雄一・元大阪大学総長(平成2年没、享年71)である。当時、取材にあたった新聞記者が明かす。「山村先生は免疫学の第一人者で、牛型結核菌のワクチンでガン治療をやっていた。ところが、牛型結核菌というのは副作用を取り除く技術がなかなか確立できない。それで丸山先生に、人型結核菌から副作用を取り除いた技術をどうやって開発したのか、教えろ、とかなり高圧的に迫った」

昭和51年、丸山が製造認可を申請する数カ月前のことだった。当時の丸山の反応を長男の丸山茂雄はこう記憶している。「親父は断ったんです。そのときは。そんなばかなことができるわけないじゃないか。というような反応でした。」「置き去り20世紀の奇談」2001年週刊新潮の記事より。
 


なぜ、癌が発見される時は1つであることが多いのだろう? 無数に発生するほうが多くても不思議ではない。発ガン物質や発ガンウィルスはなぜひとつの細胞の遺伝子だけを変化させるのだろう。つまり、タバコを吸えば肺全体に無数に癌の塊が出来ると考えるほうが自然ではないだろうか。ふと感じた。 記事は明日に続く。


丸の内にある「がんサロン・ピアネット」

2009年04月29日 | Weblog
昨日、名古屋中心部の丸の内にある「がんサロン・ピアネット」に行ってきた。市と患者サポートのNPO法人 ミーネットが共同運営するがん患者のためのサロン。一ヶ月ほど前の中日新聞に記事が載せられていた。市街地の公共スペースにこのようにガン患者同士が交流を深める施設が常設されるのは全国的にも珍しいそうだ。

ガンに関する図書が並んでいる。斜め向かい側にある愛知県図書館と違うのは、新しく発刊された書物が並んでいることだろうか。がんの治療は日進月歩。古い書物からは得るところは少ない。当然の事ながら、丸山ワクチンに関する本も並んでいない。

運営する「ミーネット」の代表者は花井美紀さんという56歳の女性。花井さんはアナウンサーの学校に通う傍ら、披露宴の司会などで生計を立てていた。あるとき医師会の番組の司会を担当したことから健康・医療関係の仕事が多くなったとある。

ガン患者を支援するきっかけは28歳の時、父親が直腸ガンになったことから。3年の闘病生活の末に父親はなくなられた。その体験が今日の活動に繋がっているようだ。がんを抱えながら、最後まで生き抜きたい、よりよく行きたいと思っている人たちのお手伝いをしたいと2004年に ミーネット を結成。現在では患者、家族、医療関係者など500人近い会員がいるという。

狭いながらも和む雰囲気のあるスペース。お茶を出された。私はクリント・イーストウッドのようなアウトロー。現在のガン治療には疑問を感じている。

「鳥越俊太郎の遺言」を見る

2009年04月28日 | Weblog
昨日の7時からのテレビ番組に「鳥越俊太郎の遺言」とのドキュメンタリーが放映されていた。ガンの患者としては見逃せすことはできない。鳥越さんは反骨のジャーナリストという印象がある。ガン告知に対してもアグレッシブだ。

なぜか番組は、ガンを告知される前の段階からテレビクルーを同行させる映像で始まった。最初に発見されたのは大腸がんが2つ。一つは内視鏡でとれる大きさだが、もう一つは大きく開腹手術が適応となった。その後、肺に転移らしき?病変が見つかり、これは内視鏡手術で取り去った。その後、肝臓にも転移病巣が見つかったという。こちらも手術で取り去ることが出来たようだ。番組の見出しには4度の手術とある。もう一つについては見逃したのかもしれない。

ガンから生還してほしいと心から願う。入院中の映像も映し出される。手術に際して充分な説明、手術後のケアも万全な様子が感じられる。現在のガン治療の現場に対しての理解が深まった。

次々に転移するガンを次々に取り去る手術を行うこと。鳥越俊太郎さんのガンとの闘い方に異存はないが、これは、ガンと共存するという考え方ではない。転移したガンを次々に手術で取り去ることを続けるつもりなのだろうか。


私のガンは脳に近い部分なので、もとから手術は適応になっていない。しかも一旦、治療を進めるとあともどりは出来ない。ジェットコースターのようなものだ。最初から乗らないと決めた。

置き去り20世紀の奇談その1

2009年04月27日 | Weblog
「間違いなく効くね。ただどうして効くのかと、言われてもみんな生きている。がんは残っているが元気だ、としか言えないんだ」東大法学部名誉教授の篠原が、膀胱ガンを宣告されたのは、昭和48年、48才の時だった。切除手術を受け、放射線治療の苦しみとガン再発の恐怖の中ですがったのが丸山ワクチンである。以来、25年間、ワクチンを打ち続けており、再発がないまま今日に至っている。篠原は、丸山ワクチン患者家族の会代表でもある。
 
「ぼくの先輩は10年間、打ち続けて、もう治ったろう。と止めた途端、再発して亡くなった。主治医には内緒でワクチンを使っていて、解剖したその医者が不思議がっていた。身体中、いたるところに古いガンがあり、どうしてこの人は10年も生きていられたんだろう。と首を捻っている。ワクチンを止めてから、ガンが一気に復活したんだな」

 丸山ワクチンは、平成4年、90歳で亡くなった丸山千里、日本医科大学名誉教授が作り出したガン治療薬、戦時中、皮膚結核の治療用ワクチンを開発した丸山が戦後、結核患者にはガンが少ない、ことに気付き、丸山ワクチンの研究開発に乗り出したエピソードはあまりにも有名である。昭和39年に投与が始まって以来、これまで丸山ワクチンを使用した患者は35万人にのぼり、現在も年6000人近い新規患者が、投与を始めている。

東京千駄木にある日本医科大学ワクチン療法研究施設を訪ねると、それこそ頬をつねりたくなる「奇跡の体験談」がごろごろ転がっている。たとえば、横浜在中の男性(70)の話はこんな具合。「女房が使い始めて26年になります。末期の結腸ガンで、医者に余命三ヶ月と言われてね。腹がパンパンに膨らんで手術で切り取った腹の内部はわずかしか空いていなかった。さずがにこれはダメだと思いましたよ。しかし、丸山ワクチンを打ち始めたら、みるみる健康になって、いまじゃ風邪もひかない。丸山先生は命の恩人ですよ。」

篠原はこんな話を披露する。「最近、末期で丸山ワクチンだけで治癒した有名人というと、平成10年に亡くなった安東民衛(戦後革新勢力の指導者、享年70)だね、最初は食道ガンでね、当初は完全にとったから、大丈夫ということだったけど、暫くしたら肺に転移していることがわかった。それで抗ガン剤を打つとなったら、安東は、絶対イヤだ、丸山ワクチン一本でいく、と。すると医者は、まあ、この体では来年の桜は見られませんな、と言ったらしい。安東は結局2回、桜を見ましたよ。”ざまあみろ、おれは桜を見ているよ”と笑っていた」最後まで痛みはなく、散歩に出かけたり、篠原とビールを飲んだりしていたという。
「抗ガン剤を打つと、毛は抜けるし、寝たままでしょう。健康な細胞まで殺して命を縮めてしまう。しかし、丸山ワクチンは副作用もなく、精一杯生きられる。安東は、本当に感謝して死んだからね」 「置き去り20世紀の奇談」2001年週刊新潮の記事より。



私の場合、告知から10ヶ月目で癌は大きくなっていない。進行が極めて遅い癌なのかもしれない。しかし、この後、途中からスピードアップするということはありうるのだろうか?
丸山ワクチンの効果の効果であっても、別段たいしたことではない。そんな体験談の人は日本医科大学にごろごろころがっているようだ。

マイクロバブルでガンの治療

2009年04月26日 | Weblog
マイクロバブルというのはごく小さい気泡のこと。医療用のマイクロバブルは直径3マイクロメートルで、これは血管を流れる赤血球の三分の一の大きさになる。細い毛細血管でも自由に流れることが出来る。ガラクトースという糖の一種から作られているので人体にも無害だとある。マイクロバブルがはじける時に、強い衝撃波が発生し、高熱も出すことが知られていた。そこでガンの病巣にマイクロバブルを注入し、そこに超音波を当ててバブルをはじけさせ発生する熱によってガンを死滅させるということが考えられている。

マイクロバブルを利用して、薬剤を患部に届けるというドラッグ・デリバリー・システムとの研究も進められている。診断分野ではさらに実用化が目の前だという。マイクロバブルを血液中に流し、その後、エコー(超音波断層撮影)装置で診断する。超音波に当たったバブルが振動することで鮮明な画像が得られるという。



昨日は国立がんセンターでどのような治療が行われているかについて書かれてある本を読んだ。ガンを撲滅するにはガンにならないこと。予防についても紙面が割かれてある。食事内容に気をつけること、早期発見のための検査をうけること、タバコはガンの大きな発生要因だということ。しかし、載せられている資料が1996年に発表されたものにはガッカリする。最新の資料はなかったのだろうか? ガン治療の現場からは、近い将来に希望を持てるレポートは少ない。

ガン撲滅の日はいつやってくる?

2009年04月25日 | Weblog
ガンにならない食事というたぐいの本を読むと、たいがい肉食は×で菜食が○ということになっているが、それに対するエビデンスはあるのだろうか。この世の中には完全菜食主義を実践している人も多いだろが、はたして、その人たちはガンに侵されることはないのだろうか、寿命も長いのだろうか? 健康と食事に関する常識はほんとうに正しいのだろうか。

食事に関して最近、疑問を感じたのはテレビを見ていたときだった。大食いの番組に出場しているのはデブばかりではなかった。スリムな体系の人間のほうが多いのは何故だろう。

いくら食べても太らないような遺伝子が備わっているとしか考えようがない。特に狩猟民族だった人間の祖先は、毎日、定期的に食事にありつけるとは決まっていなかった。そのためにエネルギーを体に貯めるような仕組みが遺伝子に組み込まれた。太る体質の人には、その遺伝子が伝わっているという説だ。つまりラクダのコブのようなもの。

ガンに関しても、ビタミンCやニンジンに含まれるベータカロチンは、ガンを抑制するというデータとは逆にガンの増大を促進するというデータもある。放射能は発がんを促すことは間違いないが、ガン患者が湯治に出かけるのはたいがいラジウム温泉だ。タバコと肺がんの関連性に疑う余地はないが、なぜ前立腺ガンなど、その他のガンとの関連性を裏付けるデータがないのだろうか。


ガンが撲滅される日はやがて来るのだろうか。

病理医が明かすタチのいいがん悪いがん

2009年04月24日 | Weblog
私は私の癌細胞を見たことがありません。手術後、病理の結果も主治医からの説明でした。新たに知らされたことは、リンパ節への転移の数が7個と、多数であったことと、三期の進行癌のためのしっかりした術後治療が必要だということでした。

あるかないか断定できない微小転移巣のために行う治療は辛いものでした。自分が何のためにこんなに苦しんでいるのか分からないもどかしさの中で、私は、もしもこの癌が私の死因になるのであれば、自分を殺すかもしれない犯人の顔が見たいと、強く思うようになりました。

いえ、それより、最初の告知の時点で、病理の医師から、自分の癌について説明していただき、それをこの目に見せていただいていたら……。対象がはっきりしていれば、治療に関する迷いや悩みもこれほどではなかったのではないかと、正直とても残念に思っています。でも、手術から時間が経てば経つほど、患者の方から「病理の医師に話が聞きたい」とは言い出せなくなってしまうのが実情です。特に、主治医が懸命に治療してくれていればいるほど、不満を持っているように思われたくないとの気持ちから、ますます口にできなくなってしまうのです。

そうでなくても、告知を受け止めるだけで精一杯、余力の残されていない患者のために、どうか病理医の先生方の方から、手を差し伸べてはいただけませんでしょうか。誠に厚かましいお願いとは存じますが、何卒宜しくご検討いただけますよう、お願い申し上げます。


これは藤田学園大学の病理学の堤寛(つつみゆたか)教授の「病理医による病理診断の説明の奨め」に紹介されていた文章です。教授は患者に顔の見える病理医であることを目指している。積極的にがん患者に対して病理診断の説明を行う姿勢が感じられる。ガン患者としてはたのもしく感じる存在です。

先日、病院で借りてきたプレパラートは堤教授によるセカンドオピニオンを受けようとのつもりだった。しかし、コンタクトをとるのに迷っている。丸山ワクチンでの治療を受けていることを説明するべきかどうか・・・丸山ワクチンに拒否反応を示す医師は少なくないと感じているからだ。できれば、この先死んだ後も、ガン組織がどういう状態にあるのか調べてもらいたいとも思っている。

再び梅澤充医師のブログについて

2009年04月23日 | Weblog
毎日のように更新されている梅澤充医師のブログを読む。その内容もすごくレベルが高い。昨日の記事は、NHKのガン特集の番組についてのことだった。 その内容は見てもらったほうが早い

→ 現在のガン治療の功罪

まったく、そのとおりと感じるのは私だけ? ガンに対する現在の標準治療に疑問を持っている私だけだろうか? 以前にたまたま見たNHKのガン特集の番組を思い出した。ガン難民が治療を断られて、受けてくれる病院を捜し歩くという番組内容だった。医師や厚生省の役人、ガン患者団体の副トップなどが集まって話す内容は、もっと現在のがん医療に資金を出して充実させる必要があるといったことだった。 患者をだしにして、現在のガン治療のピーアール活動を感じたことを覚えている。さらにひどい内容の番組が組まれていたようだ。この番組に登場する患者はだれが見つけてきたのだろう? 

ある抗がん剤が保険適応でないので毎月40万円の医療費をかけているという患者が紹介されていたという。 だから早く保険適応になることが患者にとって良いことになるといった内容のようだ。しかし、その抗がん剤のエビデンスについての説明はされていなかったという。梅沢医師はこの抗がん剤については効果や副作用にも問題があり、検討の余地があると言う。もっとも、保険が適応されても、3割負担分は年間133万円。金額だけで、まちがいなく私では支払い続けることは出来ない。

「アメリカ的ガン闘病記」

2009年04月22日 | Weblog
著者は日本人の妻。アメリカ国籍の夫がガンを宣告されたときからの闘病を記した本だ。左頸の付け根にコリコリとしたシコリを発見したことからはじまった。それがみかん大になったことで医師の診察を受けた。病名は非ホジキン性リンパ腫という悪性腫瘍だった。すぐさま4種類の抗がん剤による治療を受けた。アドリアマイシン、シトクシンは血液中の白血球、赤血球、血小板の数値を低くする副作用がある。ビンクリスチンは髪の毛が抜ける。プレドニゾンは落ち込んだ身体や心をハイにする薬で、副作用として不眠に陥りやすい。

一週目の化学療法が終わった段階で、頸の腫瘍は跡形もなく消えてしまった。それでも最後の化学療法が終わった後、医師は骨髄移植とさらなる抗がん剤での治療を薦めたという。結果的には、その治療の過程で容態は急変し、脳内出血でなくなられた。出血を止める血小板の数値が低くなっていたことが素因に挙げられる。ガンの告知を受けてから7ヶ月目のことだった。

日本の医療との対比。印象に残ったのが宗教に関しての記述部分だ。

亡くなられた後の葬儀の前に、神父はオフィスに招きいれ、そして子供たちのほうに向いて語りだした。「あなた方のお父さんは、いま、神様の下に召されたのです。神様はとても優しい方で、あなた方のお父さんの側に、いつもついてくださいます。天国は、それは素晴らしいところで、平和で幸せに満ちています。ですから、あなた方のお父さんは、いま、とても幸せなのです。あなた方が、もしお父さんに会いたくなったら、お父さんのことを考えなさい。そのとき、お父さんは、いつもあなた方と一緒にいるのです」
その後、婦人に向き直りこう言ったという。
「あなたが、大切な人を亡くされて、どんなに嘆き悲しんでいるか、よく分ります。しかし、人間は、とても強い生き物です。すべて、時が解決してくれるでしょう。一枚一枚、オブラートをはいでいくように、きっとあなたの傷ついた心も、時とともに癒されていくでしょう。今日は私は心を込めて、あなたのなくなった方のために、天国への扉を開けて差し上げたいと思います」


入院した病院のなかにキリスト教会とユダヤ教会があり、聖職者が依頼に応じて各病室を回り、説教や悩みを聞いてくれたりと、病人の心のケアにあたっているという。どうして、天国が素晴らしいところだと知っているか?というひねくれた子供のような疑問は抜きにしても、この状況にあれば、きっと心を打たれたことであろう。死んだ後で、僧侶から意味不明の読経を聞くよりも、生前に分りやすいことばで、心の平安を説いてくれるほうがどれだけありがたいことだろうかとも、死を見据える私からは思ってしまう。

ガンはあなどれない

2009年04月21日 | Weblog
東田寿和さんの著書「西に向かう」を読み返してみた。東田さんは私同様に上咽頭ガンに侵された。最初にガンが見つかったのは1999年7月。3ヶ月ほど前より頭痛が頻繁に起こるようになっていたという。ある日、舌の動きが悪くなり、左の目がゆがんで見えるようになった。すぐさま治療を受けて、一旦は抗がん剤と放射線での治療でガンは消えた。その3年後の2002年夏に米粒代のガンが再発した。それから先は、治療を一切受けずにいくことを選択した。

「戦うオヤジの応援団」に出会ってフォーク世代の仲間を得た。オリジナルのCDを出した。24時間テレビでも紹介された。本の中では友人のデューク更家との再会と交流。そして、7年後の2007年9月に永眠された(享年52歳)。これについては以前にも書いた。

もっと詳しい様子を知りたくなった。東田寿和さんのホームページを教えてもらった。読んでみると最後のほうには、入退院を繰り返して抗がん剤治療も受け入れていたようだ。やはりガンは侮れない。まったく身が引き締まる思いがする。

→ 東田寿和さんのホームページ 


最近、ガンが大きくなってこないことで、気が緩んでいると痛感させられた。後悔しない人生を見据えていかなければと・・・そして、ちょっとだけ鬱になってきた。