漫画、アンパンマンの生みの親 やなせたかしさんの夫人は 癌で亡くなられた。最初に癌が分ったのは、1988年12 月のことでした。即入院、そして手術。 手術のあと医師の説明を受けた。「お気の毒ですが、奥様の生命は長くて後3ヶ月です。癌が全身に転移しています。これは既に第4期の終わりで、第1期ならば完治したと思いますが、もう手の施しようがありません」
やなせたかしさんは千駄木の日本医科大学にでかけた。丸山ワクチンにかけてみることにしたのだ。「そんなもの効きませんよ」という医師に頼み込んで打ち始めたという。ところが驚くべきことが起きました。カミさんの血色が良くなり、どんどん太って体重が50キロを超えてしまったのです。余命3ヶ月はあっと間に通過して元気一杯。奇跡というのはあるもんだ、と喜んだ。 担当医師は「いやぁ、抗がん剤がよく効きました~」と言ったという。
その後、1993年11月13日、妻ののぶさん、容態急変して大貧血、緊急入院、直ちに輸血開始。11月15日ワラにもすがりつきたくなり頼み込んで、もう一度丸山ワクチンを開始。顔色がよくなり、少し元気になった。11月18日、医師から絶望と最後通告される。11月22日、朝から意識不明になる。前夜はとても明るく元気になり、その時ちょうどテレビにやなせたかしさんが出演しており、テレビを見て大喜びしていたらしい。心拍停止は午後の4時。享年75。本人の意思を尊重し、身内だけで密葬し、3ヶ月間は誰にも秘密にしたという。
余命3ヶ月と宣告され、丸山ワクチンのおかげでほぼ治癒したのにもかかわらず、医師の言葉に惑わされて丸山ワクチンを中断した。抗がん剤の副作用もあったという。それでも、手術から5年間、生命を保ち続けた。丸山ワクチンについては里中満智子さんに進められたという。 2004年6月の 「この道」という東京新聞夕刊の記事から抜粋した。
やなせたかしさんは千駄木の日本医科大学にでかけた。丸山ワクチンにかけてみることにしたのだ。「そんなもの効きませんよ」という医師に頼み込んで打ち始めたという。ところが驚くべきことが起きました。カミさんの血色が良くなり、どんどん太って体重が50キロを超えてしまったのです。余命3ヶ月はあっと間に通過して元気一杯。奇跡というのはあるもんだ、と喜んだ。 担当医師は「いやぁ、抗がん剤がよく効きました~」と言ったという。
その後、1993年11月13日、妻ののぶさん、容態急変して大貧血、緊急入院、直ちに輸血開始。11月15日ワラにもすがりつきたくなり頼み込んで、もう一度丸山ワクチンを開始。顔色がよくなり、少し元気になった。11月18日、医師から絶望と最後通告される。11月22日、朝から意識不明になる。前夜はとても明るく元気になり、その時ちょうどテレビにやなせたかしさんが出演しており、テレビを見て大喜びしていたらしい。心拍停止は午後の4時。享年75。本人の意思を尊重し、身内だけで密葬し、3ヶ月間は誰にも秘密にしたという。
余命3ヶ月と宣告され、丸山ワクチンのおかげでほぼ治癒したのにもかかわらず、医師の言葉に惑わされて丸山ワクチンを中断した。抗がん剤の副作用もあったという。それでも、手術から5年間、生命を保ち続けた。丸山ワクチンについては里中満智子さんに進められたという。 2004年6月の 「この道」という東京新聞夕刊の記事から抜粋した。