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ジストニアからパーキンソンへと診断。慢性膵炎疑診の治療中。でも人生は楽しまなくちゃね♪

はじめまして♪マリオガールです(*^_^*)

はじめましての方もお馴染みの方もこんにちは♪
慢性膵炎疑診と付き合いながらジストニアからパーキンソンと言われつつ奮闘しているマリオガールです。
身近になかなか同病の情報がないので
こうしてネットやブログで皆さんから頂く情報は
マリオ(通称)にとってとっても貴重です。
更新は亀状態ですがぼちぼちとお付き合いいただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。

もうすぐお彼岸

2018年09月20日 22時54分08秒 | いままでのこと…

三年前の今頃倒れたチチでしたが
気管切開し半年の入院後、年が明けて一月に医療療養型病院に転院しました。

気管切開して、暴れるので拘束での入院を受け入れてくれる病院は限られていました。

入院後すぐに胃ろう作成。

あれだけ暴れて拘束用の手袋を引きちぎりそうな位かみついていたチチも
薬の変更のせいかなのか、転院後落ち着きを取り戻しました。

救命病院から、医療療養型へ転院する際見学に行ったときには
その様子に驚きますよとケースワーカーさんにくぎを刺されていましたが
少しのことでは驚かないマリオもその様子にかなりショックを受け
どういうところに転院がいいのか、悩みました。

だって、300床もある大きな病院なのに、歩いている患者さんのすくないこと。

同じ時間に体位交換がはいるので寝たきりでみな同じ方向を向いて寝ている姿。

それはそれはショックでした。

でも…。

入院後考えてみますと、それだけ看護が徹底している証拠で
動線がはっきりしていて徹底した看護の動きのわかること、イコール安心とも受け取ることができました。

ストレッチャーで入院したチチも、自力では無理ですが週に一度は車椅子でリハビリに行くこともでき
それなりに…、私たち家族が倒れたチチを受け入れ納得できるまでの時間を過ごさせて頂きました。

しかし、トータル2年半の入院生活。
昨年の猛暑の夏も乗り越えたのですが、この春頃から徐々に体力が落ち
肺に水が溜まり状態が一気に悪化。
今年5月末のある日。
季節のいい時に家族に見守られお空の星となってしまいました。

入院生活は果てしなく続く…と家族は思いがち。

しかし、年齢相応の体力低下で入院に、介護に(?)は限りがあるのですね。

チチが亡くなりもうすぐ4か月。

入院から2年半。
家族に色々な覚悟をする時間をくれたのだと思います。

どんなことにも負けることのなかったチチが亡くなるということが
いまだに信じがたいですが、もうすぐお彼岸。
お仏壇に手を合わせ、残された家族が健やかに過ごせるように…と願う毎日が続いています。

久々に逢った知人に、チチが亡くなり、孫がもうすぐ一人増えることを伝えると
亡くなることは自然なこと、生まれることは奇跡なこと、
人が回っていること、いいことですね…と。

本当ですね。
命の繋がりあってこそですものね。

…そんなマリオも還暦。
健康で過ごさなくちゃね。

数年ぶりのブログ更新。

皆様のご健康をお祈りいたします。




2007年は寝正月にはじまり…

2007年01月02日 15時49分21秒 | いままでのこと…
暮の30日早朝に救急で診察を受け自宅に戻りました。
自宅に戻ってもなかなかお腹を曲げることが出来ない上に
手首もそらしにくくなっています。
以前にも体調がイマイチのときに散歩などをして手
首が動かしにくくなったりもしていたのですが同じ状態。
身体中に重りをつけているようで足も腕もヨレヨレです。

リオレサール芍薬甘草湯を飲んでとにかく横になりました。
横になっていても身体中がつってきていたたまれません。
痙攣のような不随意運動も起こります。
身体中に別な生き物が住んでいてしゃっくりを起こしているようです。
そして足の筋肉が収縮したりゆるんだり勝手に動きます。

でも本当につらいのは痙攣状の収縮後すぐ緩めばいいのですが
収縮したままでなかなかもとに戻らないことでした。
身体中勝手に動きます。
肩が収縮したままならなんとか腕を回せば緩むのですが
胸や背中がこのようになると呼吸もしにくく
自分自身でストレッチをしてもなかなか緩められないのです。
なのにある時間が経つとうそのようにふうっと緩みます。
首の後ろが熱く痛だるかったのはこのせいなのだと気付きました。

このような状態がずっと続いていたかと思うと
恐怖が襲ってきます。
そして薬でこのような症状を抑えていたのでしょうか?

とうとう暮から三が日まで薬を調節しながら
どういう状態でこういう症状が出るのか
かなり必死な思いでまるで人体実験をするように
試してみました。

2006年…暮

2006年12月30日 13時01分12秒 | いままでのこと…
やっと今までの経過が現在に近づいてきました。

今の段階でまだ診断されている状態でもなく
I医師の言葉を借りれば元にある何らかの病気が
疲労やストレスで症状が強く出ているのだろうと推測されます。

このブログを書くことで自分自身の不安を解いたり
今までの経過を思い出すきっかけとなったり…。
(症状が改善されると体調不良の状態を思い出せなくなりますものね。)
とにかく読んでくださっている方がいることが私を心強くさせてくれます。

さて、L医師の身体表現性障害という診断に
I医師と相談して再度対処療法のリオレサールを減らして
様子を見ましょうとのことになりました。

L医師はリハビリを受けているわけでもないのでリハビリ科にかかるより
すべて総合診療科にまかせてもらってもいいのでI医師と
相談してくるといいのではと言ってはもらっていたのですが
I医師に観察してもらわないということはとても不安でできません。
I医師も何も言わなくても必ず次の予約日を設定してくれます。
今までもう診察する必要がない等と言われることが多かったので
これも大きな安心材料になります。

師走の中旬、薬の量を減らしみるととたんに体調が悪くなりました。
また自宅でゴロゴロする生活、もちろん
食事のしたくや洗濯くらいはしますがそれ以上にやる気力がわきません。
(優しい家族は私がサボっていても一向に問題ないのです)
万が一身体表現性障害なら体調不良も気を紛らわす方法で
改善するかと思い総合診療科を受診する時間まで散歩に出かけることにしました。
そうしていると待合室で待つ頃には
身体の中がガクガク震えてくるようで身体が滑らかに動きません。
そうL医師に訴えましたが首をかしげながら
それでも心に自分でも気付かないストレスがあるのではといいます。
ご主人はどうですか?子供が暴力を振るうことはないですか?等など。

今の社会毎日新聞には悲惨な事件がたくさんにぎわしています。
だからってみんながみんなそうじゃないって!
我家は皆元気いっぱい!それぞれ自分の道で頑張っています。

そりゃあ人間やっていればストレスとは離れられない生き物だとは思います。
家族だってそれぞれ個性のぶつかり合いだし…。
でも年齢を重ねるにつれ仕事でも日常でも
困難に出くわして悩めることが何もない生活よりも嬉しくもあり
充実した生活を送っているつもりでした。

2006年…総合診療科

2006年12月29日 22時25分46秒 | いままでのこと…
I医師に紹介され翌日すぐに受診しました。

ちなみに総合診療科の流れとして問診の研修医がいて
じっくり1時間近く時間をかけて診察して状況をまとめます。
受診前にHPでリサーチしてあったので
今までの経過を詳しくまとめたものを渡して問診を受けました。

その日はL医師の担当でした。
L医師は立ち上がって名前を名乗り挨拶からはじまりました。
(どうも総合診療科ではそのように患者との関係を作って
診察をはじめるのが決まりのようです)

研修医との問診で今までの経過からくる不安から
かなり神経質になっていた私の様子に神経症のような
先入観をもたれてしまったようです。
どうもアプローチの方法を間違ってしまったようです。
30分以上も今までの生活暦など診察してもらったでしょうか?
指が動かしづらい・筋肉が震えるということにはじまって
今までの状況を伝えても状況からして
身体表現性障害なのでしょうとの診断でした。
身体表現性障害?心身症といわれていたもののようです。

????

それはもちろん精神的に参っているといろいろな症状が出てくるでしょうけど…。
こういう精神的なものに証明する方法もなく…。
もしかしてそういうことも100%否定できるわけではないのですが
自分の中では納得できる診断ではなかったのですが
本人の意識に上がらないところでこころにかかっているストレスなどが
原因でしょうと安定剤を処方してくれました。

もちろんこの夏からの悪化で不安が募っていたので
安定剤を使えばもちろん気持ちは楽にはなります。
でも根本の改善にはならず…。

自分自身を観察しながら2度目の受診の時には
とうとううつの症状もあるのでしょうと抗うつ剤を処方されました。

このことをI医師に報告すると、たとえ精神的に状態が悪くても
肉体的にあらわれるのはその人の持つ弱い部分にあらわれるので
元となる原因をはっきりさせる必要があると真剣に説明してくれました。

2006年…冬

2006年12月28日 22時17分23秒 | いままでのこと…
身体のぎこちなさ、息苦しさがつらく
足の裏・手のひら・舌のつっぱりが常に続きます。
顔もつっぱりしかめづらくなってきます。
進行性ではないといわれながらもいよいよ心配になってきます。

1年半通院してきた大学病院の受診を中止して
前回受診した国立病院に移ろうかとも考えましたが
万が一にもリハビリが必要になるなら
遠い国立病院よりも大学病院が便利なので
大勢の医師にかかったほうがいいというD医師の言葉を思い出して
いよいよ困ったら受診しようと考えました。

このような状態でI医師は次の手を提案してくれました。
同じ大学病院に総合診療科というのがあったらしく
そこを受診してはというのです。

HPをみると
 
『総合診療科では、患者さんを総合的かつ全人的に診察し、
患者中心の医療を実践することを目指しております。
特に「どの臓器・どの病気が専門」という科ではありませんが、
日常的なありふれた健康問題や専門細分化した医学・医療では
対応しづらい多様な問題・ニーズに対し、
幅広く柔軟に対応できるよう努力いたします。
また、当科の診察で専門医による診療が必要と判断した場合は、
適切な専門診療科へご紹介致します。

総合診療科では以上の観点から、次のような患者さんを診察しております。
・高度な臓器別専門医療を必要としない患者さん
・複数の疾患を持つ患者さん
・軽い抑うつ傾向や不安障害のある患者さん
・診断の難しい患者さん
・どの科にかかればよいか分からない方、まずは健康問題を相談してみたい方
・予防医学的なアプローチが必要な患者さん
どうぞお気軽にご相談下さい。』

これは検査や診断への方向へ進めるのではと期待が膨らみました。

2006年秋…国立病院受診

2006年12月27日 20時57分03秒 | いままでのこと…
大学病院の神経内科受診の再三の失敗(???)に
気持ちが落ちこみいたたまれない気分で帰路に着きましたが
自分の意思で他の病院を受診してみようと決意しました。

その国立病院の神経内科は難病中心で自宅からは少々遠かったのですが
以前仕事でお世話になった時にほっとする暖かい雰囲気だった記憶があり
翌日すぐ受診しました。

インターネットで外来日を調べて行ったにもかかわらず
たまたまその日は外来が休みとのこと。
でも病棟に出ていたK医師が診察してくれることになりました。

大学病院にもかかっているのにどうしてここにきたの?と聞かれましたが
なんとなく言葉を濁らせると
何かを察したように
今までの経過や症状などを簡単にまとめたメモを手渡すとじっくり見てくれ
家族暦や今の生活状況などかなり具体的に診察・血液検査をしてくれました。

私の思い描いている診察とはこういう感じなのだと
前回の失敗受診でびくびくしていた気持ちもすっと流れ消えるように
安心して診察を受けることが出来ました。

今までの状態から察するものがあるのか診察もかなり具体的になり
うんうん…といった感じ。
そしてI医師の観察状態で大丈夫だが動かない指は回復はしないけど
まあ老化みたいなもので…
血液検査その場で結果を聞かせてくれ筋肉の病気ではない、
そしてこの段階ではまだ筋電図をしてもだめだろうとのことでした。

このK医師の言葉でどれだけ安心できたことか。
今までも経過観察に時間がかかり診断もなかなか難しいと想像していましたが
性急に診断しなければならないような進行性の疾患では
という不安を消してくれました。

この結果をI医師に報告するとその先生にターミナル的役割を持ってもらうのも
いいのかもしれないね、とぽつり。
思いがけない言葉にどう答えてよいか判りませんでした。

その後秋が深まるころリオレールを中止してみると
身体の動きは緊張・つっぱりでますますぎこちなくなり
足元がふらつくことが気になります。
呼吸がしにくく数日でリオレサールを復活させてしまいました。

2006年秋…神経内科再チャレンジ

2006年12月26日 20時34分56秒 | いままでのこと…
夏からの体調不良や万が一難しい病気だったらどうしようという不安に駆られ
精神的にもかなり苦しい状態にありました。


I医師は進行性のものではないからと丁寧に説明してくれました。
そして私のそんな不安な状態を察して神経内科の受診を勧めてくれました。
この大学病院の神経内科には前述の苦い思い出があって
思わず受診はためらわれましたが
前回受診したH医師は今月いっぱいで退職するからとのこと。
手紙は院内メールで出しておくので気が向いたらいつでも行ってみてと
私の気持ちをかるく促してくれました。

I医師はそんなタイミングを待っていてくれたのかもしれません。
血液検査や筋電図の必要があるかもしれないと言葉を添えられて
早速一年ぶりに神経内科を受診しました。

初めてあうJ医師の診察を受けたのですが結果は…。
散々たるものでした。

予約がなかったので予約の患者のあとの時間での診察。
5時間待ちました。(その間に美容院にいけましたが…)

時間がかかるのはこういう場合最初からあきらめています。

3時位になってやっと名前を呼ばれました。
期待も大きく最近の症状などをメモしたものを持って診察室に入ったのですが
以前のH医師のカルテを見て一言。
ここに頚椎症とか手根幹症候群書かれているけど
今までの検査の画像とかを見る限りでは
そのような所見はないときっぱり。

手に持つメモを差し出して最近の症状をメモして持ってきているのですが…と
恐る恐る問いかけても見ようともせず流れ作業のように診察を続け
その次の言葉…

不定愁訴じゃないの?(診る必要がないと言わんばかり)
どうして取ったのか脳のMRIまでとってなに考えているんだか…との感じ。
またまた????

また話をする気力も失せました。
(人間観察・人生勉強になりましたが…)

こうしてI医師の作戦は(??)見事失敗に終わりました。

どうして患者の気持ちに沿って診てくれないのでしょう?
前回のH医師にも落胆しましたが
今回も医師の数のわりに患者数が多いという
地域の核となる大学病院の裏の顔を見たような気持ちでした。

I医師に不定愁訴…との報告をすると
そうやって患者の苦しみを自分の科じゃないからと切り捨てていたら
困るのは患者だよ。だれかがしっかり統括的にみなくちゃと
独り言のように話します。
まるで私の気持ちを代弁してくれているようで
どんなに心強かったかわかりません。

2006年夏

2006年12月24日 19時56分22秒 | いままでのこと…
春に職場を退職しました。
他にどうしてもやりたい仕事ができました。 
今までの仕事は充実していて満足の日々だったのですが
今度の仕事は拘束時間もとても少なく
やりがいもありもう絶対に機会がないと思っていた職種。
時間に余裕があると自分のためにも時間を使えるので
決断しました。

この頃は症状に特別変化もなく漢方の痛み止めなどのお世話にはなっていましたが
海外旅行に行ったり自分の時間を楽しめていました。

ところが旅行の疲れが出たのか
痛みを伴って腕がつってくるようになってしまいました。
他にも呼吸がしにくかったり、むせることが増えたり
ますます足元がおぼつかなくなりました。
どうしても思うように身体が動かないのでいままで予定していた時間の中で
家事が終わらなくなりました。
荷物を持てば腰が据わらず歩きにくい状態。
庭仕事をした後からは背中の筋肉痛に悩まされました。
運転するにも左腕の感覚がおぼつかなくハンドルを握りづらくなりました。


そんな症状にI医師は対処療法だけど…と言いながら
リオレサール・インデラルに処方を変更してくれました。

これを服用すると痛みや身体のぎこちない動き等
今までの症状がかなり改善されました。
筋肉の震えにはあまり効いていないようでしたが
振るえは生活にそう支障がないので日常生活が過ごしやすくなりました。

そんな状態に気をよくして猛暑の夏に
自宅の大掃除を数日やりました。

今までもそうだったのですが
力仕事が続くとどんどん腰が曲がってきて伸ばしにくくなってしまいます。
いつも夕方にはおばあさんのようになって作業がしにくく中断となりました。

そんな数日が過ぎた頃から体調が悪くなりました。
身体に力が入らずゴロゴロと過ごすようになりました。

リオレサールをインターネットで調べてみたら
頚椎症のほかにも数種類の難病に使われるとの記載をみて
命にかかわるような病気だったらどうしよう…と
不安がおおきくなってしました。

I医師に保険に加入する必要があるのでは…と不安を打ち明けると
どんな保険?と聞いてきます。

私がボソッと介護のとか…と言うと
そんな掛け金の高いのが必要かはわからないよ。
でも入りたいのなら何でもかいてあげるよ。と
不安のないように言葉を返してくれます。

2006年春

2006年12月22日 22時09分19秒 | いままでのこと…
今まで同じことを訴えてきても
どうしようもできないとか
気を紛らわせるしかないと言われたりすることもあった中で
診察時決して多くを話さないI医師ですが
症状について確認してくれることで
経過を観察してもらえている安心感がありました。

呂律がうまく回らないことがあり相談すると
すぐ言語療法士の診察も手配してくれました。
言語療法士も状況に心配はないと言葉を添えながら親身に話を聞いてくれ
とても安心して通院することが出来ました。

こうしてとうとうF医師からの投薬内容とは変更され
それっきりH医師にはもちろんF医師にも受診する機会をなくしています。

2005年冬

2006年12月21日 22時04分47秒 | いままでのこと…
大学病院のリハビリ科のI医師を受診しました。

両腕の肩から指先までの痛みが強く
いつも湿布を何枚も貼っていたのですが
とにかくステロイドで痛みをとることになりました。

一番最初A医師のところでもステロイドを少し使いましたが
A医師はとても慎重なタイプでステロイドの弊害を心配し
ほんの数日使っただけでした。

このステロイドで痛みからかなり解放され
湿布をベタベタ貼るようなことがほとんどなりました。
その後も痛み止めや安定剤や色々な薬を試しながら
月に一度の割合で受診となりました。

2005年秋

2006年12月20日 21時00分39秒 | いままでのこと…
大学病院の神経内科での受診がうまく進まなかったことで
G医師は髄液漏出の検査の必要があるか調べたほうがいいでしょうと
また新たに別の医師を紹介してくれました。

いったい何人目の診察になるでしょう?
このドクターショッピング状態をどう考えましょう?

不便と痛みがあっても日常生活が送れないという状況と
いうわけではありませんでしたが、
自分におこっている症状が今まで周囲では見聞きしたことがなく
他に誰にも相談できずにいたこと、
G医師がいつも親身に診察してくれたことに後押しされて
I医師を受診することにしました。

I医師は先日受診した大学病院の医師でしたが
月に何回かは他の病院の外来を受け持っているということで
そちらに紹介状を書いてくれました。

限られた診察担当日に合せて紹介状と画像を持ってI医師を訪ね
指がうまく動かないことに
腕の筋肉がひくつくこと
足元がおぼつかないこと
顔や舌に違和感があること
痛み・疲労感があること
大学病院の神経内科で検査をし治療の必要がないといわれたこと
等を伝えました。

画像を見ただけで髄液の検査は必要がないでしょうと一言。
そして大学病院に検査記録があるなら自分も大学で外来を持っているので
そちらの外来でもう一度診ましょうと言ってくれました。

さらに病院が違っても自分で自分に紹介状を書けないので
もう一度G医師に今度は大学病院の自分宛に
紹介状を書いてもらってくるといいとアドバイスしてくれました。
大学病院の外来も整形外科とリハビリ科とに席があるので
どちらにかかってもよいとのこと。
言葉数は少ないI医師ですが丁寧に説明してくれました。


こうしてとてつもない時間をかけてまたG医師からの紹介状をもらい
大学病院のI医師を頼ってリハビリ科に受診しました。

リハビリ科にしたのは整形外科よりも混雑が少ないのではと単純に判断しました。

2005年夏…2

2006年12月15日 19時21分02秒 | いままでのこと…
数日後大学病院の神経内科医H医師を訪ねました。
先日の筋電図や頚椎のMRIの結果を聞くためでした。

検査を担当してくれた医師は同席せずベテランらしきH医師は
一通り検査結果に眼を通した風で
「うん。あなたは手根管症候群でしょう。」と一言。

今まで何箇所かで筋電図検査をしてきた中で
一度もそのように診断されたことはありませんでした。
たとえそういう診断だったとしても
筋肉のふるえや足元がおぼつかない原因に繋がるとは思えないものでした。
その頃は眼の周囲のふるえも気になっていて
その症状を訴えると
「君は最初にそう言ってくれてた?」と不審顔。
そんなことは最初の問診票にちゃんと記入していたはず。
きちんと見てくれていないのでは…と不安になりました。
顔に症状が出ているなら脳の検査をするしかないとのこと。
今度は脳のMRI検査の予約となりました。

一ヶ月ほどの間に検査を済ませ後日結果を聞きに行った時のこと…。
脳のMRIには異常はありませんでした。
「はい。僕が診断してあげましょう。あなたは病気です。
頚椎症ですね。」ですと!

前回は手根管症候群といっていたはずなのに…。
なんとも言いようがなく
「前回は違う風におっしゃってましたが…?」
と控えめに言ってみましたがどうも話の要領が得ず
診察を受ける気力が一気にうせました。

その後の経過観察では医学生が診察室に数人おり
H医師は私の顔さえ見ず医学生のほうに向かって
何か医学用語を話しています。
さすがに肝に据えかねて「さっぱりわからない!」と訴えると
医学生のほうが「申し訳ありません…」と一言。
で、H医師はというと「手根管症候群でしょう」と言い放つ始末。
前回は頚椎症って言っていたはずなのに…。

これが大学病院で学生を指導するべき助教授の診察内容でしょうか。
すっかり信頼する気力も何もかにもが失せました。
H医師はF医師が処方してくれていた薬と同じ処方で対応してくれていましたが
最終的にこのH医師は私の顔を見て
「多くの患者を僕は見てきているがあなたは病人に見えない。
もう診察しなくてもよいね。」
との結果に終わりました。

H医師を紹介してくれたG医師には紹介状の返事を書いてくれていましたが
G医師曰く「字が読めない!」と…。
私の受診した結果等を聞くと大笑いして
今回の紹介はまずかったということになりました。

こんな結果は笑い飛ばすしかありません。
こんなことでいちいち怒りを感じていてはバカバカしいほどのことです。

2005年夏…1

2006年12月08日 23時12分11秒 | いままでのこと…
舌がつっぱる感じ。
なかなか言い出しにくい症状でしたがそんな症状も伝えながら
リハビリを続けていましたが
G医師は私の症状の訴えを聞いて
今経過観察している脳神経外科もよいが
大学病院の神経内科を受診してはどうかと勧めてくれました。
おそらくG医師は地元の大学病院の出身だったのでしょう。

いままでの流れから気長に経過観察していけば
回復するかもしれないし
症状がもっとはっきりあらわれて状況がはっきりするのではと思っていました。
なのであまり焦る気持ちがありませんでした。
今まで数件の病院をめぐることによって
結果的にドクターショッピングとなってしまったことが
少々後ろめたくこれ以上転院する気は失せていました。

でも診察のたびに大学病の受診を勧められ
「その病院がいやであればもうひとつの大学病院でもいいし
かかりたいところがあれば何処でも良いから紹介状を書きますよ。」
と親身に勧めてくれたこともあり
とうとう大学病院の神経内科を紹介してもらうことにしました。

いったいこれで何人目の医師とかかわることになるのでしょう。
面倒に思う気持ちと原因がはっきりするのではという期待もありました。

転院の度に診療担当曜日を調べ
仕事の休暇を取って受診するのはなかなか大変です。
でも忙しいスケジュールの1つに組み入れるような感覚で
受診しました。

大学病院の神経内科では
また頚部CTや筋電図の検査となりました。
筋電図の検査の担当医師は特別以上は見られず
舌や眼の周囲のひくつきなど首から上の症状は
頚椎が原因では起こらないと説明してくれました。

2005年春

2006年12月07日 00時17分20秒 | いままでのこと…
事故以来リハビリで通院していたA医師の病院ですが
常勤職員へと変更になったため平日の通院が出来なくなりました。

そこでいつも丁寧に観察してくれているリハビリ担当者に
適当な病院がないか相談しました。
経過観察や投薬はF医師のもとでするとして
少しでも指がスムーズに動けばとリハビリを続けたかったのです。

ちょうど勤務先から車で7~8分のところの整形外科に
仲間の理学療法士がいるとのこと。
この転院はA医師を通さず口コミ紹介のような形で受診することになりました。

初めてこの整形外科病院のG医師を受診し
事故以来肩腕の痛みが続くこと、指がうまく動かなくなったこと、
左足が時々つまずくこと、左腕の筋肉が震えること等を伝えると
とりあえずCT検査を勧められました。

今までの病院でも何度もしてきていますが
今回は紹介状も今までの画像も持参していないのでしかたがありません。
その結果やはり軽いヘルニアがあるものの
指が動かなくなるほどの状態ではないとのこと。
F医師の下で観察していることも伝えてあったので
とりあえずリハビリを受けることとなりました。

それと平行して月に一度F医師のところを受診して
経過観察服薬をする状況が続いていたので
結果的にD医師の言っていた
たくさんの医師にかかっているように…という状況になりました。

動きにくい指だけがプルプル震えたり
足が貧乏ゆすりのようにふるえて止まらない等
今までになく不思議な症状が出ることがありました。
また、食事をしていると急に飲み込むのが疲れて
食事が出来ないことがありました。
いずれの症状もづっと続くわけではありません。
ある日ある時ある程度の時間だけ症状がでるのです。

それに加えてどうも舌がつっぱっている不思議な感覚が気になり始めました。
舌がつるって普通ではありえないことです。
今まで自分の周りで病気と闘う人達とめぐり合うことも数多くありましたが
舌がつるなんて聞いたことがありませんでした。
その状態があまりに不思議すぎて舌がつることは
2箇所も病院を受診しているのに
その状態を医師に伝える勇気が出ませんでした。

2005年3月…医療の遭難

2006年11月27日 11時09分48秒 | いままでのこと…
2005年になってD医師を受診してから次々と医師を紹介され検査をしましたが
その結果を踏まえて具体的な説明を受けることもなく
いったいどう受け止めて良いのか自己消化できずに過ごしていました。

思い余ってD医師を訪ねることにしました。
交通事故の影響で巧緻障害がおこりリハビリを続けてきたつもりが
交通事故が原因ではなさそうとのこと。
巧緻障害の範囲は広がり、筋肉のふるえが治まらない状況から
神経のトラブルなのではとの思いがけない展開に
戸惑い、理解ができないことを率直に伝えました。

そうするとD医師は図を描きながら
今の状態だけでははなく、半年後一年後と経過観察をして原因が探れるとのこと。
病院から離れずきちっと経過観察をしていくことが必要で
今の状態ではあなたは遭難しかかっているので遭難しないように
大勢の医師にかかっているほうがいいとゆっくりゆっくり説明してくれました。

「遭難」ってなんでしょう?
自分のなかでは「治療」が…という風に受け止めていました。

大勢の医師に受診?
そんなに診断が難しいのだろうか?と不安も大きくなりました。

そうはいっても今の自分の状況がどうなのか、
いったい何を経過観察しなくてはいけないのか、
もっと細かいことを聞きたかったのですが
D医師はとにかくずっと経過観察をしなければ
改善されるか悪化するかそのまま変化がないかがわからないとの説明に終始し
今後また行き詰ったらまた僕のところでもE医師のところでもよいので
また来て欲しいと言葉を添えてくれました。

この言葉は頼れる医師がいるという心強さにもなりましたが
いくら説明を聞いても自分の状態がどういうものなのかわからないままでした。
もしかしたらとても大変な病気が隠れているのではという
気がしないわけでもありません。
とにかく経過を観察していくとよいのですよね。

このD医師の言葉を信じてあまりくよくよせず
じっくりF医師のもとで自分の状況を見つめていこうと
覚悟をすることにしました。

この焦らないでおこうという気持ちは
自分から医療にアプローチする気持ちでは
医師にも自分にも先入観を植え付け治療の邪魔になるのでは…と
とても消極的な気持ちになってしまいました。