marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

<Ⅵ>見えない黒子の姿:自然の中で『独白』シュライエルマッハー…親愛なるXへ(その6)

2022-04-25 07:42:53 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 ◆ロックバランシング。毎年行っている田舎の山の中の誰もいない川のほとりに石を積む。五個積むのを基本としているが多く積む。今度来る夏まではどこまで残っているかな。

 ◆数年だいぶ、キャンプ用品も使っていなかった。ひとりそこで、即席ラーメンとコーヒーをいただく。山の中、ひとり。川のせせらぎと風を感じて、木々を眺める。・・・からだが自然と一体となることを感じる。

◆太陽が出るときは、日光を浴びる。”かっけ”という病気にならないために。ビタミンDの欠乏症とならないために。修行する坊さんたちが、一番なる栄養欠乏症はこれらしい。船乗りもそうだと聞いたことがある。無論、昔の話。僕の思う宗教は科学性・・・煎じ詰めると衛生面と合理性が大いに入り込む。歳を重ねるにつれ、からだも劣化し魂もさび付いてくる。自然と一体となった浄化性を僕は求めたい。

◆草花が急に成長する。太陽の恵みである。このエネルギーを不思議にも思い、与えられる無限の自然のエネルギーとして、崇めたくなる理由も分かる気分である。このような時は、外に出て体を動かす。よって、長期の机上の作業はしない。するとしてもほんのわずかな庶務のこと。長期の机上作業は、エコノミー症候群やそれに心房細動という奴には要注意、というこで老齢化が進んでは、体を動かすようにしている。

◆シュライエルマッハーという神学者・哲学者の『独白』の序文を思い出した。

『人間が人間に贈りうるもののうちで、人間が心情の奥底で自分自身に語ったものにまさる心おきない贈り物はない。それは、此の世の中で最も秘奥のものを、自由な本質を洞察する開けた、見通しのきく眼差しを相手の人に与えるからである。・・・』

◆自分自身で語ったものにまさる心おきない贈り物?・・・自分の肉体の中で(あるいは頭脳の中で)、語る自分とそして語られる自分とは誰なのか。・・・つまるところ、それも自己という言葉の呪縛から逃れられていないのではないか、と思ったりした。

自然の中で、青い空、白い雲、川の流れを見、せせらぎを聞き、木々の彩を見て、我を忘れる。・・・