marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

<休息2>事実は小説より生きることとはどういうことかを教えてくれる

2022-04-15 11:05:23 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 ◆先に書いた「雪国」の駒子さんのモデルとなった方の新聞記事は、小説とはかけ離れたその方の生涯を伝えているので、映画にでもなればこちらの方が真実だから、とても胸をうつものになるだろうな、と今でも思う。あの”おしん”の時代と言ったらいいのだろうか、あの貧しい時代、10歳の頃から仕事にでて奉公に励んで・・・とそれが、東北の地の貧しい生活だったけれど、それでも若い頃から芸子にでて若い時代の華やかな時を過ごしたのではないだろうか。仕事を辞めて、川端康成から貰った原稿や本を神社で焼いた、という過去の思い出からさっぱりさよならをしたところが、どういう思いだったのだろうと思うとまさに女性のドラマでしょ。その後の人生を考えた時に、今でも一人ひとりが、与えられたその人それぞれの人生を歩んでいるのだと思えば、人というのは何なんだろうと思って、あの時代、みんながそうだったのだと感動してしまう。東北は貧しかった。雪と寒さはつきものなのだ。幼い”おしん”が、奉公に出るため親元から離れ、ひとり船にのり川をくだる場面、雪をこいでくる親元から分かれる場面。そういえば、宮沢賢治の”永訣の朝”も雪の日だったな。

◆小説と言えば、文系の方の頭ではなかったので、殆ど読んでいないのだが、高校時代は、五木寛之のファンだった。大陸からの引き揚げ者で筑豊での若いころが”青春の門”に描かれているけれど、”青年は荒野をめざす” とか ”青ざめた馬を見よ” とか、”ソフィアの秋” とか・・・、彼の小説は高校の夏休みに布団の中で、外がしらじらと明るのを感じながら読んだことを覚えている。『若者は朝、日の出と共に出発する。』・・・これが、若いころの将来に対する漠然としたイメージだった。彼の小説からは、すべてに渡って人生の悲哀というものを教えられたなぁ。石原慎太郎が亡くなられて、この方は小樽の船漁具などの備品を扱う裕福な家庭の御曹司で、それからの高度成長期に入りたての時代に ”太陽の季節” などを書いたけれど、彼がクルーザーなどに乗っている時、五木寛之は早稲田を受けるために九州から上京して、寝るところと金がなかったので早稲田大門の正面にある虫封じとかの神社の縁の下に寝たとか。血を売って(献血して)生活をしのいだとか、そんなことが書いてある表紙に村上豊のイラストの入ったエッセイの文庫「風に吹かれて」を持って、僕は親父の仕事の関係で仙台を離れたのだった。これはその人の性格か、僕は小説を読んでも何故か悲哀を感じてしまう。小さな頃から雪国に育ったせいなのかもしれない。・・・



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