marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

<Ⅴ>黒子との対話:法律を制する者は政治を制するか…親愛なるXへ(その5)

2022-04-18 18:49:30 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 ◆黒子:深層に流れている思想なるものは、この国の古代からの、否、もっとそれ以前の地球規模のと言ったらいいか、文明の跡をその中に含んでいたと思われる。その一端が、時代の今の鎌倉殿の13人という大河ドラマに現れていると思われていると思うのだが。源は、東国武士言われる関東には、古代、多くの渡来人(帰化人)である血気盛んな(旧約聖書列王記や歴代誌参照)ユダヤ人が住んでいたのだから。古来からの政治を画策する傀儡政権を画策するようになった天皇公家政権から、大衆のものにという新しい時代が発生したのだった。本来の高い次元での黒子の願いであった。

◆つまり、思うところはこういうことだ。今までの歴史の黒幕の考え、思想というものの流れを追求すると、今や、この日本国の古代からの歴史の見直しが行われて来ているのだが、それが学問的にも流布され普遍化されるのは今から20年間後かもしれんけれども、僕らの根柢にある精神性のあり様としてこの国の歴史を考えても、そもそも、人民は宝であるという思想があったわけだが、その平等化には、どうしようもないダメな人民があれば仕組みの中で淘汰されていくという、古代からの歴史の中では、黒子のそういう基本思想に沿って、時代の為政者がプロデゥースしてきたのではなかったかということだ。

◆黒子はきっかけは作るが、決して直接、顔を出さない。バックヤードに常に控えている。時代的見方によるが黒子は、良いのもいれば悪いのもいる。

◆G: 僕が黒子の思いに浸るのは、まず、第一にそういう思考するのはユダヤ人しかいないだろうと、思っていたことです。先のブログに、第一に言葉を制する者は歴史を制す、と述べたがそこから考えて見たい。

◆彼らはまさに選ばれた民である。よくも悪くもといったらなんだが大変な苦難を背負ってきていますが、それにも耐えて曲げないところがあるわけです。天地創造来の思想が世界のベストセラーに書かれているのですが、その内容も自らのこととして、当然、今も信じて生活しているからです。今でいう旧約聖書のそれは、誰が書いたのか、実は、神はこういわれた・・・と著されているのですが、誰が、いつ、どのようにして書かれたのかは、正確には殆どわかっていないのです。書いた黒子がいたわけなのにですね。個人やあるいは集団で・・・。しかも、「神は、モーセに言った」とかなど書かれているのですから、神の霊感を受けていた人達(いわゆるレビ)か、神や天使そのものか、あるいはまったくのペテンの物語を創作しているということになるわけですね。客観的に全くの創作でないとすれば、黒子たちは、生きておられて神の霊を今も受信しているわけだ。いや、生きているのだな。(それが何故わかるかといえば、キリストが来られて神との幕屋が切り落とされ、ひとりひとりが神と交信できるようになったから、という訳なのです。)

◆黒子:古代の文明が日本にあっても、まさに古代の日本にもあひるくさもじやカタカムナ文字などなど、があったし、また、あちこちにその土地を支配するお山の大将たる豪族がいたのだけれど、それを、進んだ大陸の漢字に総まとめにして、この日本のありようを天皇を頂点にして古代からイメージつけた一族がいたのだ。その考え自体が、まさにユダヤ的だなと思っている。それが紀元前に国がなくなり離散し、東へ向かったユダヤ人たち、無論、その間、さまざまな国つくりにもかかわったわけなのだが、それを到着したこの日本の国つくりの物語、神話として創作したわけなのである。

◆聖書(旧約)の彼らの歴史において、彼らは何ゆえに預言どおりに離散するはめになったのか、彼らは何ゆえに預言通りに先祖の土地に帰還できたのか。イエスの誕生以前にも、すでに実に如実に黒子は、捕囚されたその土地で預言通りに(その敵国だった国の中枢の官僚となって、とにかく優秀だったから)政治を画策していたのである。これは、とてつもない才能なのではないか。まさに、過去と未来を予見する能力を持ち、現在のあり様を深くその為政者に影響を及ぼす天才的な才能があったと言わざるを得なくなるのですね。

◆単刀直入に述べると、こうゆことだ。言葉による八百万と言われる”神”の概念をもたらしたのは、渡来した離散して時代経てこの国に帰化したユダヤ人であろう。彼らは個々の部族に神の声を聞くレビ(日本で言えば神主)をそれぞれの礼拝所をもっていた、つまり社(やしろ)。それは古くは太陽の昇地を求めて来た鹿島、香取であって、伊勢も権威のあったレビの礼拝所であったということだ。八幡はネストリウスキリスト教に大陸で回心していた弓月国人秦氏で、古代、この一団は布教、日本の国への定着のさせ方が天皇崇拝という権威つけを避けた布教の方法が異なっていた。民衆の方を向いていたから日本中に八幡という神社やら名前があるのだ。頼朝も鶴岡八幡を崇拝していたのは対抗する根をどこにもっていたか分かるだろう。いずれ八百万というがそれぞれいた地方の豪族も何某神と名付けて、よいしょして手名付けたわけだ。

◆ここからが、仏教をも利用するユダヤ的才能を発揮するのが、神が鹿に乗って来たといわれるいわゆるのちの藤原なのです。まさに、鹿ですから先に陽が昇る古い鹿島から、神事を司るDNAを持ったレビだったから、それが政治の策士となって天皇家に入り込み(春日大社を創建)、権威をもって政治を画策する一族になっていくわけですね。この国のあり様を、言葉でもって総括的にまとめ、邪魔な神はまさに神話を作り出雲あたりに封じ込め、あるいは、蝦夷地においだした。長野の諏訪神社も古代にはみ出された神々。ここも旧約聖書の神話を古くから抱えている神社なのであるが。そういう、俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの、少なくても政治においては邪魔をさせない、とにかく大変な才能があったわけです。

◆蘇我一族を滅ぼした、中臣鎌足、のちの藤原鎌足、息子の不比等は超政治的天才だった。蘇我が天皇を背後に横暴を極またのに対して、自分ものちには似たようなことを背後でおこない、以降、利権はしっかり手にした。表に名前が表れた黒子となって藤原政権を作っていく。大宝律令や以降の法律を編集したのも彼ではなかったか。「日本書紀」も本来、背後で都合の悪いのは書いてないのは彼が背後でいたからではないのか。「古事記」が理路整然とまとめられているのに出だしが簡単過ぎないか。しかし、20巻もの総監的日本の出来事だと、提示されれば、当時はそういう文字もままならない時代、権威付けの本が書籍がないから、今でもこれが日本の間違いない歴史だと当時の天皇さえも思うだろうな。

◆ことしは、聖徳太子がなくなって1400年、聖霊会は行われるだろうが、聖徳太子後の一族を抹殺した背後での画策者は不比等ではなかったのか。法隆寺は、聖徳太子が建てられたと坊主も安直に言っているが、違うだろう。どうなっているんだ、この国の歴史は! 菅原道真をすっとばしたのは誰だったか。「万葉集」の中の歌聖と言われる柿本人麻呂の歌には、実の裏読みのその意味は、当時の天皇、公家政治の腐敗、敗退の痛烈な批判が隠されていたのであった。柿本人麻呂は、刑死となって津波によって今は見えなくなった島で海の底に眠っている・・・。この時代、誰が背後にいたのだろう。・・・



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