marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(652回) イエスはどこによみがえったのか? マタイ福音書28章から

2020-04-15 13:58:45 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

タイトルに書いた「答え」は復活の時、現れた天使とイエスの言葉にある ***マタイによる福音書28章5節から10節まで***

◇・・・天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体のあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなた方より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かにあなた方に伝えました。」婦人たちは恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」*******

◆マタイの福音書には、他のマルコ、ルカ、ヨハネの福音書と違い2度もそれは「ガリラヤ」である、と書かれている。しかも、天使とイエスの言葉として・・・。マルコにはマタイの天使が語った『 』の言葉だけであり、ルカには24章9節には、「・・・まだ、ガリラヤにおられたころお話になったことを思い出しなさい。・・・」と出てくるだけである。最も後に書かれたと言われるヨハネ福音書には、その場所は書かれていない。なぜなのだろう・・・。このような、聖書の内容から比べたり、どのような立場の記者がどこで、そのような相手に福音書を読んでもらおうと書いたのかを推察する研究も面白いし、それぞれの記者に思いを同期するという意味合いで深い学びができそうだ。(講談社学術文庫 荒井 献著「イエス・キリスト(上下)に比較がまとめられている」)

当時のガリラヤは、弟子たちの日常の生活の場であった。華々しい都会でもなんでもなかった。ただそこは、喜びの知らせが述べ伝えられ、始まった場所だった。マタイは「そこに戻りなさい」と、天使と復活したイエスに語らせているのです。2020年の今も復活したイエスは、すべての人に「あなたが、わたしを思うその場所」に、つまり「誰でもが生活する日常のひとりひとりの生活の場所」に復活しているのだ(そばにいるのだ)と語っているのですね。「気づきなさい、わたしは日常のあなたのそばによみがえって共にいるのだ」と。「あの方は、よみがえってここ(墓)にはおられない。わたし(イエス)を思うその場所に、常に変わらず復活しているのだ」と、いうことになるのです。

◆それでは、再びわたしたちは、どういうイエスか、と思い、ガリラヤで福音を述べ伝えたイエスに出会うために「聖書」を読み返すのです。つまり、彼がふたたび来られるまで、復活したイエスに会わんとする人は、福音書を読み始めるのです。そのリフレイン(繰り返し)がいつも語り掛けられているのです。***読者の方へ! どうぞ、どんな時でも特に困難に会っているときは彼の言葉を思い出して欲しい。***わたしは、ガリラヤであなた方を待っている。そこで会えるであろう。」と ・・・Ω 


世界のベストセラーを読む(651回) '20年4月12日 イースター:イエス様の復活!合同礼拝

2020-04-15 10:16:09 | 日記

イエスの復活については、イエスが弟子の足を洗ったとされる洗足木曜日、そして十字架に架けられた金曜に続けてアップする予定だったが、新年度体制のための打ち合わせや、予算や報告資料つくり、さらに先にアップした内容に引き続き、東京での退任牧師から重ねて先方での信仰の学びの資料がメールで送られた来た件に、配信し、又、体調もあって目一杯だった。

◆’20年の教会歴では4月12日が復活祭(イースター)となっており、かねてより予定していた青山学院高等部の(かつて東北の地で牧師をされていた)聖書学の先生が現在のこのような状況で来県されなくなり、礼拝で原稿を代読しイースターの合同礼拝を持った。こちらの県ではまだ、重篤者が出ていないが夏の大きなイベントも中止となり、高齢者の方々の礼拝出席を自主的に遠慮された方が多かった中で、三密と換気をこころがけ、子供たちが作ったイースターエッグを配りながらの大変、恵まれた礼拝を短時間で行いお祝いすることができたことは感謝なことでした。

◆合同礼拝は、子供たちと大人と共に礼拝をもつことだが、原稿を送ってくださった先生のお話も小さな子供たちにもわかるとてもよいお話だった。*****~イエス様の復活~ ドキドキからワクワクの間 ~「マタイによる福音書28章1-11節」******

◇イエス様の墓に向かう女たち、そして逃げた弟子たちの死人のようになった番兵たちのドキドキに対して、墓の前に現れた天使がいう。「・・・あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。・・・」 女たちや弟子たちのドキドキは喜びのワクワクに変わったのです。私たちは、いろいろなところでドキドキとワクワクの間に立つことがあります。時には私たちはドキドキが大きくなりすぎて、何もできないままで終わることがあります。そのような私たちに、ワクワクしていいのだとイエス様は言います。ドキドキを抱えたまま、ワクワクに向かって走っていきなさいと復活したイエス様は言ってくださいます。私たちの悪い心を赦すために十字架にかかったのだよ、そのドキドキを赦すために復活したのだよと、イエス様が語っておられます。

 今の、この新型コロナウィルスによる様々なドキドキもドキドキで終わらないとイエス様は約束してくださっています。必ず、この先に喜びがあるよ、ワクワクがあるよ、と苦しみを受けてそれでも復活されたイエス様が「喜びなさい」と言われます。イースターおめでとうございます。それは、ドキドキから立ち上がって、ワクワクに向かって走って行こうということです。教会の皆さんにもイースターのワクワクがたくさんありますように。(以降 お祈り)*******(一部字数制限のため原稿4枚で要旨のみで一部変えています)********Ω