marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

〈Ⅵ〉源義家が東北制覇に協力してくれた豪族に名字を与えたことと黒子の秘密:親愛なるSへ(その22)

2022-03-20 20:21:07 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

  親愛なるSへ PS:大切なことを忘れていたよ。僕の田舎のお墓に菊の御紋が柏の葉につつまれて刻まれいる墓がひとつあるんだな(写真参照)。東北の田舎にこのようなのがあるのは、曰く古代に源義家の国家権威天皇からが東北の地の制定に協力した地方豪族に名字を与えたからならなのね。無論、天皇が関知しない勝手に争いを沈めて義家は褒章をもらえないこともあったけど。。。

◆源氏は、東北制定に上古代からのその筋の由来の天皇から遣わされた者たちであったから、「青山」という姓を義家に名字をもらったこの墓のご先祖は、忘れぬようにとこの家紋にしたものだと思われる。NHKの日本人のお名前でやってたな。地方豪族で、俺は国権側の協力をしたんだぞと いかばかり誇りに思ったことだろう。16枚が天皇家の菊の御紋だから花弁が下位の者は枚数が少ない、でこれは14枚。草彅剛の草彅もそうだというのは前にブログに書いているよな。弓のうまかった義家の前を草をなぎ倒して道を切り開いて貢献したので名字をもらったという。「彅」という漢字のなりたちが「弓」に「前」に「刀」と書くのが”なぎ倒す”の意味だってさ。田沢湖に行く途中の「わらび座」に行く途中に確かにその部落があったなぁ。ところで、・・・

◆先までのブログ。山形県の出羽三山と関東武士の深い繋がりを理解されただろうか。つまり、極論をいうとね、僕が黒子と言っているのは紀元前からのこの地上の人をも創造したという神を信じて来た民族、つまりそれは、神の存在のこの地上での証明のために存在せしめられたと言われる選ばれた民、ユダヤ人、世界に離散させられた彼らが、その使命を受けたが故の歴史の歩ませ方が、この国の表だって学ぶ歴史の実の深層に関わって来ていた。つまり彼らが国家に東へ行こうと歌われ、順次、島々まで行くと旧約聖書にある、日本を暗示するのだけれど、確かに彼らはこの日本に順次帰化同化し、彼ら各種族の歴史を動かす演出をし続け、戦い、しかし、深層には神の理想の国を目指すという神の思いの実現の下に、黒子として暗躍し、あるいは表だってヒーローを作り出し、加担し、世論操作し、あるいは排除し世相を動かし歴史を作り出していく、そのもって生まれた神からに使命というようなDNAをもっていたからに他ならないからなのであろうと思われて来るのだ。そのような考えが、まさに旧約時代を生き抜いてきたユダヤ人的思考なのだと思うのだな。この発想は、やはり彼らがモーセの出エジプトやその後の捕囚から帰還した、先祖が身に受け、抜けきれないDNAだったと思われる。そして、それを、つまり世界人類に神の存在を知ら占めるための世界中への離散を起こし、世界の人々への同化を図っていったわけなのだという摂理を思い浮かばさざるを得なくなるのだ。現在もその摂理が働いている・・・。

◆古代、先人の利根川近辺の鹿島、香取は、神事を執り行う専門職、つまりユダヤ的にはレビ(司祭、神の言葉を取り次ぐ、あるいは王に神の言葉を伝える役割をもつ)の礼拝所だったわけです。太陽の昇る端に先陣としてきていた来た彼らは、それぞれのレビ(旧約の祭司)を自分たちの部族に中臣、忌部の二部族が預かっていた。本来、政治に係わらない彼らが、新しい神である仏教を天皇が取り入れることによって、あからさまにその政治を動かすDNAがうずき始め、政治に係わるようになってくる。中臣とはのちの藤原である。武御雷という神になって鹿にのって春日大社と今ではなっている社(やしろ)に乗り込んだと言われるが、中臣鎌足、のちの藤原鎌足になり、天才政治家、藤原不比等を輩出、自分の家系のみを藤原とし天皇にも近い地位を持ち家系存続を画策した。実は自分の手は汚さないこの時代の陰の黒幕だったのではないかと言われる。本来の東国、関東を無視し、天皇よりの大和、九州地方からの日本の歴史へと編集していく。頼朝が藤原をみちのく平泉に成敗したのは、弟義経をもヒーロー仕立てにしたてあげ政治を画策しようとした、今までの東国ユダヤ人のと言えば極端だが積年の思いがあった為であろうと思われる。藤原三代はミイラとして残っている。四代目、泰衡はこの秋田の大館で裏切りに遭い亡くなっている。やはり彼らは旧約を知っていた者らだったのではないか。エジプトの地で大臣にもなったヨセフは、死後エジプトの地でミイラになり、そして、父の眠るカナンの故郷の地にモーセによって運ばれたのである。我らは地上においては旅人である。死後、天のエルサレムに帰還するのだと、そこまで考えていたのかは分からないけれど。

鎌倉時代の紀元前の古代から順次、日本に来た渡来人として帰化したユダヤ人たちは、個々の部族にレビ(祭司)がいて、それぞれの覇権を争っていたわけです。神が仏教の木や石の神々に代わったが、彼らが守護地頭に連なるものとして利用され、その争いは旧約聖書の列王記や歴代誌の物語にも見られるではないか。あの織田信長の古い先祖は、祭司の忌部一族に遡るのだそうだ。当時の伴天連を受け容れ、体たらく横暴になった僧兵らに立ち向かい、延暦寺を焼き払ったのも彼の持っていた、あるいは存在した黒子の演出のもとになされたのではなかったか、と思われて来るのである。この国の人の信仰心というものの追及をこれからも続けようと思う。・・・ それでは、お元気で!!