marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(781回) 神学は哲学に負けてはいけない!

2021-01-21 07:08:18 | 日記

◆「数学は科学の女王である」と中学時代、教室に貼られていた。「哲学は神学の僕である」という言葉もある。使徒パウロが、キリストの霊に東(当時のアジア、現トルコの東方面)に行くことを遮られ、マケドニア(現:ギリシャ)に向かったのは、これも神の摂理かという思い。当時も、多くの絶大な宗教があったのだ。先のゾロアスター教(拝火教とも)は、遠く日本(奈良の大仏)へも影響を与えていると言われる。最大の教父と言われたアウグスチヌスもマニ教と戦った。しかし、先立つ、当時の哲学の国ギリシャにパウロが導かれたのは、実に我ら人の言葉に対して、自らの人の言葉で自らの足元を見よ、自分の足で立て(イエスも語る場面が多い)と語るものだったろう。キリスト教が言葉の宗教と言われるゆえんである。あぁ、面倒くさい?!◆宗教でありながら、他力本願でありつつ、自らの足で立ちなさい。パウロが当時の哲学と格闘したのは実に大きな意味があるのである。キリストは、観念にのみとどまらない、現実生活を変え、歴史を変えていく。「天になるごとく、地にもなさせ給え。」それは、事実、哲学を用い、現実を変えて来た。それは、天上の神であろうが、媒介となるのは地上の人なのであった。光に向かい前進する。光があれば闇ができる。無論、悪魔も人を媒介として命を抹殺しようと働いているのだ。◆アメリカの第46代大統領バイデンさんの就任がなされた。おおくの問題課題。アメリカ民主主義国家内の分裂。僕らこの国の普通の人々でも冷静に考えれば、何故、世界にそれが露出してきたのか。おおよそ分かることなのではないだろうか。ブログで述べたきた内村鑑三がアメリカで体験した拝金主義、人種差別、盗み・・・。何らその底辺での人の136年前のそれらとその底辺では変わっていないのだと。聖書が語る、パウロが獄中で祈りに求めて書いた多くの手紙を人が読み、伝統としてそれらが伝えてきたものも理解するのは、いかに難しいことなのだろうと。科学的思考者でもあった内村に”第9章キリスト教国にてー神学に触れる”の冒頭において、すでにこのことを見抜いているのである。◆哲学は、言葉の定義、その時代、発する者と受け取り聴く者、哲学自身の履歴をもって現状分析と将来への展望と。だから、僕らは今、どう考え生きるか。・・・続く