marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(526回目)(その5)「潔めを受けつつ、栄えに進み」 メソジスト教派のメッセージ  福音の成果 

2018-07-20 07:37:28 | 日記
 説教は、今回で終わります。

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◆神との生ける交わりを味わうとき、私たちの視界は大きく広げられていきます。教会でどうすごすか、ということから、日常生活のただ中でどう福音に生きるかということに視点が広げられて行くのです。私たちの日常的な一切の事柄を、すべて神御自信への経験と献身の事柄へと変えてしまう。日常の他愛もない一言、それは教会の中の交わりでも同じことです。礼拝後のほんの他愛もない挨拶程度の言葉のかわし方であったとしても、それら一つ一つが、すべて訓練、献身の事柄へと変えられているという経験。これが礼拝で恵みを受ける訓練の成果だと思います。独りよがりの召命から共同体全体で共有する召命。教職の召命然り、みなさん一人ひとりがもっておられる「イエスはキリストである」と告白することへの召し出し。これらすべては、この群全体で共有することの出来る召命感となってはじめて意味を持つのだということ。そのただ中に、ただ唯一の十字架が横たわっていることを私たちは知るのです。

◆「おのが十字架を取りて我に従え。自分の命を救いたいと思う者はそれを失うが、私のためまた福音のために命を失うものはそれを救うのである」。主ははっきりと仰せになりました。自分自身の思いに死にたいと思います。砕かれたいと思います。「主イエスはキリストである」という告白をし、洗礼を受けた時点で私たちはもう砕かれています。ペトロの告白の文言の正しさではなくてその告白の背後にある本当の出来事を私たちは自覚し、共有して歩みたいと思います。

◆****130年の歩みを想い起こし、今までそうであったように、今も、そしてこれからも、祈りあい、励まし合って、十字架の道を共に歩む召命を共有しつつ、約束された復活のいのちに与るその日、主が再び来られる終わりの日まで、共に「地上を旅する神の民」として歩み続けましょう。 (終わり)

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 現在、教会での讃美歌21の「475番」は弟のチャールズ・ウエスレーが作詞したものです。メロディーも好きですね。
 その4節に今回の説教題と全く同じ文言があります。「きよめを受けつつ、栄えに進み」

 実践神学では、メソジスト教派のそれはもっとも優れたものだろうと僕は思っているのです。・・・ Ω