marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(521回目)豪雨死者157人に(その3)再度:生存をおびやかす不条理

2018-07-12 06:02:25 | 日記
 西日本豪雨の大変な被災に心が傷む。平成の時代になって最悪の天災と。6月23日にアップしたカミュを採り上げたNHKテキスト6月号に、その作品「ペスト」について、天災に相応させる記述が見られる。ペストは、病気で媒介となる生き物の処置について対処すれば、現代ではどうにかなるという希望も、限られた地上に生きるしかない人についての天候やそれによる地形変動、まさに脅かしについて、ぼくらはどう考えたらいいのだろう。テレビのニュースの画面でもこれは大変な被災状況だ・・・。
◆僕はすぐにお金に換算する落ちぶれた経済思考になってしまっているが、アメリカのお荷物の効果も定かで無い危なっかしい一機1000億円とやらの迎撃ミサイル導入どうのこうのではなかろうと、すぐに思ってしまった。日本のお金を吸い上げるために、北と米国はいいように交渉されているのは推察できるが、原発安全と導入したように真っ当に使えない代物だと思う。で、確実に救済すべく、誠実に真っ当なお金を早急にこの国に使いなさいとの思し召しであるなどと思ってしまうのであった。
◆ここ数週間のブランクに僕は、並行して古本やで手に入れたかつて紹介した作者の本をくたくたの毎日の労働の帰宅後の合間に読んでいた。そして、天候による西日本豪雨。カミュの「不条理」は僕の現状から言えば、小説「異邦人」についても述べたが、僕なりの解釈では、その異邦人とは肉体に関する事なのである。全て人は肉体を持ちしかも、朽ちていく、退廃的な、疲労して、いわゆる肉体のそれらのオーバーヒート気味のマイナス思考にとって、その思考さえにも届かない、言葉が前頭葉までいかず、自己認識による言語統括さえもできない単なる肉として、動物としての享楽的志向のみを満足するためにのみ生きている人間に対して、それ以上のことを志向しない人々を言っているのではないかということである。全ては、朽ちていく肉体に係わる、それに影響されている事柄と・・・。
◆518回目の約束が掲載出来ないでいる。それは、まったくそのレールにある列車に乗り込んでいる聖職者のメッセージなのである。キリスト教には、時代時代に語られたきたメッセージがある。教派に別れてきているということもしかりで、ぼくらは、それらの時代の証言にどうしても普遍性を読み取ろうとしてしまう。時代、時代に語る神の声があり、かつ、また、人それぞれに語っている声がある。それらの微妙な言葉の現れに、初めてのかたが触れると随分、難しいおかしなものをキリスト者は信じているのではなかろうかと思うのではなかろうかと。カミュが神を信じないと言わせている場面、そして彼自身の、そう言わせている神のイメージは、まさに人間はその時代の神のイメージを人間界に引き下ろして、上澄みを凝りしてしがらみと成り立ってきた神のイメージなのである。(先の、相矛盾するようなイエスの「自分」という言葉に関する語りは、実はとても大切なキーワードなのです。)
◆そして、一般的に組織体に甘え、依存し、肝心な限界のある人間として自分にも宿題があることを忘れさせ、そのそれぞれの解消に彼の十字架が一人ひとり背負っているのだということを忘れさせるものだからであったと思う。一人ひとりは、その痛みをもつ筈である。それは爽快なイデオロギーの明言や、人という生き物を解析すると理解できるが他者を排他する傾向をもつ思考に乗する、あるいは自己優位性を鼓舞するヒロイズム思考では決してないのである。カミュの「世界の不条理」と「人間の不条理」を彼は、ごっちゃにしてわかりにくいところがある。おまけに哲学が理性で語るのであれば、理性外の「不条理」とは、事象の周辺を語らざるを得ない。しかし、究極を理性で語り終わった時に、それがイデオロギーとしてとんがってしまって、文字は人を殺し(パウロの手紙にある)となってしまうだろう。僕は、究極を求めつつ、その周辺でうろうろしている大多数の人々と共にあるのがカミュの好きなところなのである。
◆カミュがノーベル賞受賞の際の演説の一節・・・・
「私はこれまで自分がその中で育ってきた光、生きるという幸福、自由な生活それを断念することは決してできませんでした。この郷愁に似た想いが私の誤謬や失敗を説明するものだとしても、おそらくこのおかげで私はこれまで私の職業をよりよく理解することができたのだと思いますし、またいまもその郷愁に似た想いを感じ続けているからこそ、私は、あのもの言わぬ人びと・・・束の間の幸福な想い出にすがってあるいはそういう幸福がときおり舞い戻ってくるのにたよって、この世界における現在の生活をかろうじて支えているだけの、あれらのもの言わぬすべての人びとの側に、無条件でくみするのであります」(「1957年12月10日の演説」清水徹 訳 新潮社)・・・