marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(528回目)この時代の自分の思考の基軸:ブランク期間に読んでいた本 哲学者 内田 樹

2018-07-23 07:17:04 | 日記
 先月からのブランク期間、哲学者 内田 樹(タツル)の「死と身体(コミュニケーションの磁場」とブログ開始頃の2016年6月11日掲載の文教堂で見つけた本の紹介での若松英輔の「イエス伝」を 古本屋で購入していたので読んでいた。

◆第518回目のブログ以降、紹介したNHKテキスト6月号A・カミュの「ペスト」の中に哲学者(・・・と肩書きだが)内田樹さんの評論が採用されていたので紹介。・・・・「ためらいの倫理学 戦争・性・物語:角川文庫」というカミュを論じた鋭い文章の中で、人間が、国家や社会という立場から異論の余地のない正義を引き合いに出して死刑に賛成したり、全体的な真理や未来の幸福のために革命のための殺人や戦争やテロをおこなったりすることに「ためらい」を感じる倫理的感性こそ、カミュの精神の本質的な特徴だと見ています。そして、自分が善であることを疑わず、自分の外側に悪の存在を想定して、その悪と戦うことが自分の存在を正当化すると考えるような思考パターンが「ペスト」なのだ、ときわめて示唆的な読解をしています。(p78 アンダーラインは僕)・・・ 
◆今のこの日本はどうなのか。東日本大震災で僕らは何を学んだのか・・・原発は安全だと言われ続けて来たではないか・・・ 効果も定かならぬ一機1000億円と言われるイージス・アショアなる武器を住民の反対があるにも係わらず山口と秋田に今、導入しようとしているのはなぜなのか。22日夕、たまたまBS放送で見た「JFK」ケビン・コスナー演じたギャリソン検事の法廷での訴えにも、作家カフカの「審判」や、ヒットラーの「大きな嘘を言い続ければ真実となる」というような文言が飛び出していたな。今、世界に求められているのは、何か不安を感じている僕らのこういうおかしなことに対応する誠実な自己という基軸を求め続けることではないかと僕は思っている。
◆内田 樹(タツル)の本は、医学書院というところからケアシリーズとして出されていたもので、この先生のを僕は「私家版・ユダヤ文化論」、「下流志向」「日本辺境論」などを読んでいたが、今回も多くの示唆を受けた。特に、僕が難解すぎて中途で止まっている、フランスの哲学者エマヌュエル・レヴィナスの研究者でもあられると・・・で、やはり、求めるものはどこかで繋がっているのかと、僕はなりに納得し、内田先生の著作を読めば、難解な書物の理解がすすむかなと思ったりして少し喜んでいる。内田先生もお考えの中にカミュを採り上げたか・・・。で、先生ご自身も、レヴィナスは難しくて何を言っているか分からんかったと述べておられた。いずれ、book offで見つけた10分の一の値段で買ったこの本は、哲学者かのニーチェやラカンなど、それからレヴィナスなど採り上げ、僕がずっと考えて来た、異界との対話、そして語るこの地上では制限のある人の「自分という基軸」となるもの、その過去から現在、未来へと繋がっている人の命の通奏低音の確認のために多くの示唆を与えてくれた。「他者」とは「死者」なのであると・・・。
                     
◆内田先生のこの本の最後はこういう文章で終わっています。
「僕は一昨年父を亡くしました。小さな骨壺を貰って、それを居間の棚に置いてあります。僕は一人暮らしなんですが、家に帰ると誰かが「おかえり」と言っているような気がする。それで、僕も写真にむかって「いま帰りました」と手を合わせます。気が向くとときどき線香を上げる。父は線香のにおいが大嫌いだったんだけれど、それでもあえてあげ続ける。そのうちに「線香のにおい、おれは大嫌いなんだけれど。樹、もうそろそろ止めてくれないか?」と父が我慢できなくなって言ってくるかな、というような詮方ないことをふと思います。人間が「死者の声を聴く」というのは、そういうふうな想像的な境位でのことなんです。そして、それは人間でしかできないことなんです。」 ・・・