博多湾つれづれ紀行 益田啓一郎のブログ

博多湾に面した福岡市を拠点に、仕事にプライベートに活動する日々を綴ります。趣味の吉田初三郎話や郷土の旬ネタも満載!

元西鉄ライオンズ田辺義三さんの訃報

2018年09月14日 22時24分41秒 | 西鉄ライオンズ

9月12日(水)夕刻、お世話になっている埼玉西武ライオンズのKさんから電話をいただき、元西鉄ライオンズ田辺義三さんの訃報を伺いました。今年は2月に高倉照幸さんが亡くなり、訃報続きです。

プロ野球史上初の高卒新人捕手の日本選手権出場など捕手・外野手として活躍した田辺さん、稲尾和久さんや畑隆幸さんらと同期の昭和31年入団でした。(上の写真2枚は2011年9月4日、ライオンズクラシック最終戦前のトークショーにて。)

私は生前に一度だけ、OB会の事務方をお手伝いし始めてから西武ドーム(2011年9月4日、ライオンズクラシック最終戦・vsソフトバンク)でお会いしました。写真はその際に記録撮影したものです。上の写真では、挨拶する故・豊田泰光さんの後ろが田辺さんです。

12日の夜、西鉄ライオンズOB会の安部和春幹事長のお店(上川端通り「ドンレオあべ」)に急遽伺いました。安部さんは昭和38年、最後のリーグ優勝の際の優勝投手です。

昭和37年秋、練習中の事故(打撃投手を田辺さんが買って出て、安部さんの代わりに投げ、伊藤光四郎さんの打球が頭部を直撃。言語障害など後遺症)で選手生命を絶たれた田辺さん、安部さんは目の前で目撃したそうです。当時まだ一軍に定着できず打撃投手としてチームに帯同していた安部さんに代わり、急遽田辺さんが打撃投手を買って出たそうですが、安部さん曰く「俺がそのまま投げていたら、俺が田辺さんのようになったかもしれん」とのこと。

翌38年シーズン、安部さんは後遺症が長引く田辺さんの無念を胸に、一軍に定着して中継ぎ中心で10勝をあげて優勝に貢献。翌39年も11勝をあげ活躍した安部さんに対して、田辺さんは39年限りで引退。安部さんからOB会長の中西太さんや畑隆幸さんら関係者にも連絡したとのことで、故人を偲び語り合って帰宅。謹んでご冥福をお祈りします。

 

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