記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

大洋映画劇場さよなら興行、閉館まであと8日。

2024年03月22日 21時29分55秒 | 福博まちの記憶

30年近くお世話になってきた中洲大洋映画劇場の閉館(2024年3月31日現在の建物が老朽化のため閉館取り壊し)まであと数日。ご縁をいただき大洋映画劇場メモリアルブック『映画のまち中洲・大洋映画劇場クロニクル1946〜2024』の編纂製作を担当させていただき、3月1日のさよなら興行開始に合わせて劇場で販売されています。

メモリアルブックの中身は、1946(昭和21)年4月開館以来の大洋映画劇場さんに遺る写真や資料を中心に、私が独自に収集してきた中洲の映画館の歴史資料、ご縁をいただいた30年近くの間に大洋さんで映画を観るたびに撮影してきた写真なども加えて構成しています。

また、館内では3月1日からメモリアル映像4種も上映中!これは永年「記憶探偵シリーズ」「ひと駅ノスタルジー」などでご一緒している映像ディレクターを中心に、大洋ゆかりの方々にご協力いただいて編集したもの。ナレーションは、KAWAMURA BANDでの音楽活動や数々のモノマネ吹替で知られる河村和範さんと、映画に関するラジオ番組や舞台挨拶などの司会を務めてきた山本真理子さんが担当。

山本さんと私はLOVE FM「JAL九州歴史ロマン街道」でご一緒したご縁、さらにコロナ禍で大洋映画劇場1階にあるキネマカフェの運営業者が撤退した後はご自分でカフェ運営を引き継ぎ、今やっている方たちにバトンを渡した経緯があり、大洋さんへの想いを込めて協力いただきました。もちろん皆さん手弁当で吹き込み編集に協力し、大洋さんで上映されています。発端は、3月になると4月以降の新作映画の予告編が無くなるのでどうしようか、という岡部社長のひと言でした。

私が企画編纂を担当したメモリアルブックも同じで、昨年末の時点ではグッズ等もまだ決まっていなくて、映画館の記録と思い出になる冊子(映画のパンフレットをイメージ)が欲しかったとのこと。正月返上でメモリアルブックや映像の企画をまとめた次第です。

製作に合わせて館内すべての記録撮影も実施し、開館以来78年間の上映作品記録を読み解きながら、岡部社長にお願いして毎年の入場者数ベスト5作品も確認してもらって掲載しました。

並行して、お付き合いのある西日本新聞さんや朝日新聞さんの「大洋映画劇場」記事企画などにも協力させていただき、FBSさんやNHKさんの企画も側面支援。この数ヶ月は他の仕事もそれぞれ佳境に入っていて、目まぐるしい日々を過ごしてきました。新聞各紙で大洋さんの連載や特集記事が出ていますので、以下私が関わったものだけまとめます(一定の無料公開期間を経過して全て有料記事)。

中洲大洋メモリアルブック限定販売!78年間で計2120万人来館、最多動員した作品は…(西日本新聞me)

福岡市・中洲大洋隣の試写室も幕。親しまれ60年、常連の作家も惜しむ(西日本新聞me)

「博多に笑顔」届けて78年 中洲最後の映画館「大洋」いったん終幕(朝日新聞)

朝日新聞の記事は2面にわたり掲載いただき感謝です。西日本新聞さんも連載記事でしっかり追跡いただき、企画に協力している身としては嬉しい限り。ラストに向けて、ある程度盛り上がりが無ければ「映画のまち中洲、最後の映画館」が再開することも困難になりそうで、自分に出来る動きはやり尽くした感があります。

先日は、中洲町連合会の皆さんが大洋さんへの惜別挨拶と花束等の贈呈。お知らせいただき駆けつけましたが、急なことで記者さん達は誰も駆けつけられず。少し残念でした。

大洋映画劇場で観た映画は39年間で200本以上、近年はまず大洋さんで封切りされるなら大洋1で観ると決めてました。さよなら興行も本日3月22日から4週目、時間をやりくりして一本でも観たいと駆けつける日々です。

とりあえず大洋さんの思い出は尽きないので、何度か書き留めておこうと思います。

 

天神の過去と今をつなぐ(西日本新聞meの連載)

・にしてつWebミュージアム(企画構成を担当)

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