東比恵の自宅から二日市方面へチャリで撮影旅に出かける際、必ず通るのが大野城市の新川緑地公園です。1月2日もここを通りました。
二日市入船から博多川端町へ至る藩政時代に築かれた新川運河跡、昭和55年まで水路だったそうですが、四季折々チャリや徒歩で散歩するには心地よい緑道です。
これまで幾度か、博多川端町・住吉・蓑島(美野島)・那珂・諸岡・麦野・雑餉隈~新川緑地(瓦田)・大利・吉松・二日市(入船)のルート探訪にチャレンジしましたが、部分的にはそれらしき水路があるものの、区画整理や埋立で完全なルート探しは困難なのかもしれません。
江戸時代も筑後川から博多への運河(水路)建設は試みられましたが、松本清張「陸行水行」に書かれているような邪馬台国探しの旅につながる気がして、とても興味がある分野です。菅原道真公が大宰府へ赴任する際も、陸路ではなく御笠川を中心に水路で移動。堅粕の地禄神社や下大利の天満宮のように、道真公が休憩した場所に社が建てられていることからも、明治以前は水路が重要だったことも分かります。
この緑道沿いには西鉄天神大牟田線の前身、九州鉄道が運営した春日原運動場(野球場・陸上競技場など)へ至る新設道路の記念碑(大正13年)も遺っています。