記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

西鉄ライオンズと日本一桃太郎祭の生みの親

2009年04月19日 22時48分44秒 | 吉田初三郎
 18日、写真集「西鉄ライオンズとその時代」発刊に際して、西日本新聞社の
取材を監修者の和田博実さんと共に受けた。近々、記事にしてくれるようだ。
取材は熱が入り、和田さんの現役時代、指導者時代にわたっての質問に、丁寧
に答えていただいた。以前伺っていた、稲尾さんと和田さん、そして福岡県を
代表する俳優・高倉健さんの3人の若かりし日の3ショット写真を初めて拝見
した。皆さん若い!稲尾さんのデビュー(昭和31年)の年だという。

 遡る16日、写真集初刷本が完成し、各所への配送も始まった。私のサイト等
から予約いただいた方へは書店へ並ぶより一足先に通販にて対応中。限定100
冊のみ特典で「昭和30年代福博町並み写真絵葉書」3枚セットを進呈中である。

写真集「西鉄ライオンズとその時代」通販

 RKBラジオでは早速16日夜の「ホークス対ライオンズ」戦の中継、「うたの
応援団」にて写真集の紹介&プレゼントも実施。野球解説の加藤伸一さんは、
ライオンズ写真集の制作過程(1月地点)で高倉照幸さんと一緒に校正紙を見
ておられる。南海時代から加藤さんファンでもあった私は加藤さんの前で柄に
もなく緊張。紹介してくれた久保さんに感謝。

 加藤さんといえば、彼をプロで指導したのは西鉄ライオンズ出身の故・河村
英文(久文)氏だから、野武士ライオンズの流れを組んでいる。さらに福岡へ
移ってきたホークスの中でも「野武士」的雰囲気が一番ある投手だったし、西
鉄ライオンズのファンがダイエーホークスファンへと移る橋渡し的役割を担っ
た選手だと私は思っている。

 17日、連絡をもらっていた大分県九重町・筌の口温泉の小野さんを訪問した。
吉田初三郎と油屋熊八が九酔渓や飯田高原を見いだした際、そして九州横断道
路構想の草案を練る際に常宿とした小野屋旅館は戦後すぐ廃業したが、旅館の
向かいで戦後は商店をしていたとのこと。初三郎の後援者であり、昭和天皇を
はじめとする皇室との橋渡し役であった二荒伯爵や高松宮らも宿泊した銘旅館
だったそうだ。油屋熊八の直筆扇面や、二荒伯爵らの書など様々な資料を拝見。

 油屋熊八からの毎年の年賀状や手紙、地元観光協会設立に関する資料、そし
て実現しなかった吉田初三郎作「飯田高原鳥瞰図」の経緯など、私が把握して
いる資料と先方の資料の擦り合わせ・確認を行った。初三郎と熊八、そして前
田虹映にも関係する気になる資料があったのは収穫。事実確認をせねばならな
い。小野さんは戦後の久住飯田高原絵葉書や登山地図の発行元でもあり、その
点でも興味深い資料群をじっくり拝見した。

 小野邸を後にし、その足で玖珠町の宮本さんを訪ねた。ここには現物が他で
は確認されていない吉田初三郎「玖珠の涼味」ポスターが保管されている。そ
して宮本さん宅のすぐそばには、初三郎とも懇意だった童話作家・久留島武彦
氏の生家つまり、豊後森藩・久留島邸跡や久留島武彦資料館もある。ポスター
を拝見し、さらに制作時のエピソードも伺うことができた。

 久留島武彦の記念碑のそばには、久留島が園長を務めた小倉・到津遊園で戦
前に行われていた「日本一桃太郎祭」の際に作られた桃太郎像が移設保存され
ている。この像を作り祭りを開催した際に、吉田初三郎が到津遊園の絵葉書を
描いている訳である。桃太郎像の脇には、2000年に閉園した到津遊園に置かれ
ていた別の石像なども移設保管されている。閉園の際に展示されていた初三郎
の肉筆原画は行方不明、ひょっとして久留島園長ゆかりの玖珠へ原画も来てい
るのでは?と思い、調査を始めることにした。

 そういえば到津遊園の親会社である九州電気軌道の専務・社長から西日本鉄
道合併時の社長も務め、西鉄ライオンズの生みの親である村上巧児は、幼少の
頃から久留島武彦と親しく「桃太郎」など童話振興にも熱心だった。村上は早
稲田卒業後に大阪毎日新聞社、三越呉服店を経て九州水力電気へ入社。大阪毎
日新聞社や三越など関西にいた時期は、吉田初三郎が東京での修行から戻って
関西資本(松竹など)のバックアップで「演芸文庫」社を設立し、川上音二郎
や貞奴らを取材していた時期とも重なる。村上が九水へ入社した同じ時期、初
三郎は村上の故郷である中津・耶馬渓に滞在し踏査スケッチに明け暮れていた。

村上と初三郎の接点は数多く、また初三郎が戦前に見いだした九州の名所それ
ぞれに西鉄が戦後、観光バス路線や観光ホテルを築いていったのが偶然なのか、
それとも油屋熊八と初三郎が小野屋を舞台に「九州横断観光道路」構想を練っ
たことに関係しているのか。

 村上の親友・久留島武彦は大正14年、大阪商船や油屋熊八、そして初三郎の
勧めもあって初めて久住飯田高原を訪れ、日本ボーイスカウト連盟の理事だっ
た久留島と二荒伯爵の推薦で翌大正15年に、初めての全国ボーイスカウトキャ
ンプ大会が飯田高原で開催されて、全国から脚光を集めた。それらの事実は偶
然というより必然だったのだと、小野さんの資料や玖珠の宮本さんを訪ねて確
信を持った。

 縁は繋がるもので、宮本さんの故郷は山を超えた宇佐。私の生誕地でもある。
生誕百年の松本清張が小説の中で「邪馬台国」論を展開した際に紹介している
ルートが、筑後川を遡り玖珠から駅館川を経て宇佐に到るルートだったことを
思い出した。宮本さんの生家は不世出の大横綱・双葉山の古里そばで、ゆかり
の神社から宮本姓をもらったそうだ。鉄腕・稲尾のお父さんは若き日の双葉山
と宇佐大相撲で対戦したというのも伝説のひとつだ。

今日の写真は、日本の歴史公園百選・玖珠町「三島公園」の「日本一桃太郎像」。
久留島武彦の生家、久留島庭園や末廣神社などがある公園の一角にある。戦前は
小倉・到津遊園にあったもの。
5月5日はここで日本童話祭が開催され、今年は第60回の節目。宮本さんは日本一
の「ジャンボこいのぼりの会」の会長さんだ。

A HREF="http://www.asocie.jp/lions/">写真集「西鉄ライオンズとその時代」
美しき九州「大正広重」吉田初三郎の世界
 九州・初三郎研究会

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