小さな日記

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2008年01月16日 | Weblog
古紙再生の配合率偽装が発覚した。世界中で毎日ゴルフ場200箇所分の樹木が伐採されているそうだ。日本の樹木自給率は20%。アマゾンやフィリッピンなど世界各地の樹木で日本の大量紙消費社会が成り立っている。たった50年前には、日本でも紙は貴重だった。黒ちり紙という新聞からの再生紙すらもったいないと買わずにあちこちからかき集めた不要紙をよ~くもんで、トイレ紙としていた家も多かった。赤ちゃんのおしりを拭くのも、生理用品も、繰り返し洗って使う布だった。

今年は、我が家でよく使う封筒を、包装紙などでたくさん作ろうと思う。きょう、宅配で届いた贈り物に添えられた手紙は、綺麗な和菓子ののしの裏にしたためてあって、奥ゆかしくて素敵だった。

道具

2008年01月15日 | Weblog
なるべく道具は増やさないようにと思っている。でも、とても重宝している道具は離れられない。そんな4点をご紹介します。

左から。やすりたわしのような毛玉取り。さっとなでれば驚くほど取れる。カミソリで何枚もセーターを切ってしまったわたしには有難い品。
小さいろうと。じょうご? ちょっと余った自家製ソースやドレッシングを小瓶に詰める時に。自家製化粧水にも必需品。
細いゴムベラ。ケチャップ、マヨネーズ、の口の部分にも入ってすくえます。ソースの瓶のはしっこもくまなく。ケチなわたしは大満足。
小さい泡だて器。卵もココアも味噌も、これ一本。

絵のある部屋

2008年01月14日 | Weblog
小口賢司さんが、わたしたちが魅入られた絵を贈ってくださった。ピアノの部屋にかけて、廊下から見えるようにした。部屋は広がって物語が始まるようだ。結婚祝いに連れ合いの友人から贈られた黒いチェストの上には娘と息子に贈られた世界各地の楽器、横には北海道の陶芸家に贈られた素敵な時計が不思議な時を刻む。調律したばかりの母の友人の娘さんのピアノも嬉しそう! 

ん? 我が家はプレゼントばかりだなぁ。ありがたい。

自家発熱

2008年01月13日 | Weblog
東京はきのうから寒くなってきたが、暖房はずっとつけていない。お手製の毛糸のルームシューズと息子が腕立て伏せをする時に出す熱、お料理のガスコンロの熱で十分暖かい。息子がでかけると室温は下がるが、お湯で食器を洗うか、わたしが踊って発熱する。豊かな生活!

便利が脳を変える

2008年01月12日 | Weblog
津田晴美さんは、一時期、家の中に本は一冊と決めていたそうだ。つまり、読みかけの一冊しかない。読み終わらないと新しいのを求めない。読み終わったらすぐ誰かにまわすとかして処分する。潔く、今この時だけがその本との逢瀬と思うと、真剣に向き合うし、あとで確かめられないとなると、大切な箇所は頑張って覚えようとする。すごい覚悟だ。

DVDとかCDとかインターネットとか、便利になった分、必要な情報はいつでも取り寄せられると思っていて、自分の中に入れる必要はないと思っている時代だ。
映画館で映画を見ていても、あとでDVDを見て確かめようなどと思っていることがある。一期一会とは夢にも思っていないから、昔のように真剣に見ていない気がする。映画館を出た途端、交通事故でさようならってことだってあるというのに。

便利になった分、出会ったものとの関係を希薄にしてしまっているのかもしれない。小さいころ、若草物語も小公女も数十回繰り返し読んだ。ビデオもない時代に、映画館に何度も通って見たヴィスコンティ。今はそんなことはない。DVDを繰り返し見ても、早送りしたり巻き戻したり。

これって、ちょっと違うんじゃないか?と思いました。こんなことしてたら、脳が肝心なことに反応できなくなりそうな。。。

2008年01月11日 | Weblog
連れ合いは、ピアノ目で、どこに行ってもピアノがあるとすぐ気づくし、覚えている。わたしは手仕事目で、珍しい美しい布や糸で作ったものが深く印象に残る。

けれど、年末から掃除していて、近頃は汚れ目とでも言おうか、ちょっとした汚れや落ちている小さいゴミがすぐに目にはいってくるようになった。それでも、対処できる状況ではないと、切り替えて、ゴミは見えない、シミは見えないモードになれる。

外出の前に鏡を見るときは、表情しか見えないモードにスイッチして、しみ、しわ、傷、毛穴など、全くみえなくする。でないと、出かけられなくなる。

縁の道

2008年01月10日 | Weblog
わたしが幼稚園のころ親の留守に遊んでくださっていた方が、母に会いに我が家を訪問してくださった。50年ぶりの再会。目がちっとも変わらなくて、お元気そうで嬉しい。父の言葉をいろいろ覚えてらして、感慨深い。父との繋がりで結婚の縁があったそうだ。それぞれの道が数年交差して響きあって、お互いの今がある。相手にとって重みのあったことも、こちらでは記憶にも残っていなかったりして、父の恩恵を、今、わたしが受けているような気がする。

直前に宅急便が二つも届き、和菓子と北海道のにしん漬けだった。それもまた、この出会いが導かれて祝福されているようで。思えば、きのうは父の誕生日だった。

いつでも母の世話をしたいとおっしゃってくださるのは、ありがたいことと思う。

手土産

2008年01月09日 | Weblog
南アフリカ、オレンジファームのテボホという障害児の施設を訪れた時、とてもとても愛くるしいラッキーくんがいた。華奢な体につぶらな瞳、大きな笑顔で甘えてきた車椅子のラッキーくん。訃報が届いた。

今、テボホは、政府からのお金がなぜか滞って、食糧がない状況と聞く。いつだって不足していて、近所のボランティアのおかあさんたちは、こっそりというか、堂々と、自宅用に食糧を持ち帰ったりもするという。自宅だって食糧が不足しているからだ。来月から訪れる娘にマッシュポテトでも持たせようと調べてみたら、カルビーの不祥事が出てきた。
http://chuchu.tea-nifty.com/foods/cat3234252/index.html
お土産に持たせる食糧も、ウカウカしていると安全ではない日本。廃棄処分命令を受けたものが、わたしたちの口に入っているのか。


ぬいぐるみ

2008年01月08日 | ハンドメイド
初めてぬいぐるみを作ったのは、中学の時だった。「幸せの青い鳥」という名前で、フェルトと刺繍糸の簡単なものだったが評判がよくて、高校に行ってからも作り続け、何体もあちこちでかわいがられた。今でも持っていてくださる方がいて驚き!

今年はねずみ年ということもあって、息子が以前描いたねずみのイラストをぬいぐるみにしようと思い立ち、気楽に作り始めたら難航。仕上がったら疲れてしまってバタンキュー。朝まで眠ってしまった。着せ替えぬいぐるみ、名前は「マチュ~」

七草粥

2008年01月07日 | Weblog
きのう、我が家の向かいの99ショップで七草パックが売っていた。愛媛県のもので、4~5人分、もちろん99円(税抜き)である。JA西条とあり、生産者の名前までついている。生協では今年いくらだったのだろう?毎年、わたしの記憶では高すぎるし、少なかったから、しかたなく買っていた気がする。去年はフリーズドライの七草にしたような。。けれど、99ショップの七草は、新鮮そうで「おいしいよ!」とわたしに目パチクリをしてみせるので、2パック買って、きのうはお蕎麦に、きょうはお粥に入れた。本当においしかった。感謝、合掌。

食の表示が全く信じられなくなって、近頃は、じーっと見て、手をかざしてみて、自分の体に、買うか、買うまいか、尋ねてみることにしている。体をもっともっと敏感にしなくっちゃね。

無心2

2008年01月06日 | Weblog
12月に30人31脚の無心を書いた。そのあとみつけたこのビデオ。無心そのもの。何度も見ては元気をもらっている。
http://www.youtube.com/watch?v=RleHOr2fO5A

地球ハーモニーで招いた南アフリカのこどもたちも、最初の2,3年は、こういうひたむきな歌が聞けたのだが、オーディションで選抜するようになってからはプロになりたい舞台慣れした子の上手い歌になってしまった。得ることによって失うことのせつなさを感じたものだ。

小林秀雄によると、ピカソは、陶器もつくったそうだ。陶器は、火との共同作業で、作者の思い通りの色や質感ができるものではない。ピカソは、自在に絵筆を操ることができたので、思惑通りにいかない陶器を作ることで、無心に戻ろうとしたのではないか、と小林秀雄は書いている。

おとなになっても無心であれる歌手はそうそういない。楽器の演奏者のほうが、無心でいられるようだ。なぜだろう? ともあれ、わたしが感動するのは、無心に対してであって、上手さには感心しても、心動かされることはない。

実は、最初のビデオは、1986年ころのもので、現在のソウルチルドレン・オブ・シカゴは、CDで聞く限り、メチャウマで、このビデオのようなブレスの位置がおかしかったり、高音が薄くなったりということは全く無いけれど、ただの上手いソウルゴスペルとわたしは感じてしまう。

「歌が好き?」と聞かれて「わかんない!」と答えるこの子も、CDデビューを果たしたようだが、どう育っていくのだろう。

http://www.youtube.com/watch?v=Vc_ahz5c4-s&feature=related

子どもの成長を邪魔しないというのは、難しいことだ。
無心である子どもに、なにかを吹き込むことはとても容易だから。
無心の時期をそうっとほったらかされて育った子どもは幸せだ。大人になっても、きっと、世界と1人相対峙できる強靭な静けさを心に呼び戻すことができる。

大富豪の気分

2008年01月05日 | Weblog
きょうは、楽しみにしていたお宝の整理をした。わたしのお宝は、布や糸。引き出しの型紙を作り、それに合わせて丁寧に折ったら、収納量が大分増した。布を見たり触ったりして何を作るか考えるのはとても楽しい。ずっと片付けと料理で、手仕事から離れていたので、指がウズウズして、古い着物を連れ合いのつっぱりにリメイクした。90cmの残り布でふろしきも作った。それで、糸はあした。

新春来客

2008年01月04日 | Weblog
JVC南アフリカ事業担当のW.Nさんとラオスに井戸と水道を作るSさんが遊びに来てくださった。食べて歌って笑って、とっても楽しいひととき。

わたしたちが知っている都会中産階級の南アフリカ人の逸話は、Nさんをびっくりさせた。Nさんのまわりの南アフリカ人からは想像だにしないと言う。日本の4倍半も広くて、しかも、経済格差が激しいから、生活習慣も激しく違うのだ。

一昨年会った実直を絵に描いたような男性の奥様がエイズで亡くなったそうだ。彼自身もひとが変わってしまったと聞き、とてもせつない。南アフリカでは、日本の何倍ものスピードで変化が起きているような気がする。コーラスグループを引率してきた教師は、会うたびにひとの評価を変えた。「あの子の親は立派で素晴らしい」が、翌年には「貪欲でケチでいいかげんだから気をつけろ」となった。子どもにも同じだ。社会の変動がひとを変えるのか、それともひとの評価を変えるのか。

ラオス政府は、交差する大きな道路をつくってもらう代償に、中国人200万人を、人口600万人の国に受け入れる約束を中国政府と交わしたそうだ。どうなっちゃうの?

日本もおかしいけど、ほかの国もおかしい。人間は、どこでも「おかしいおかしい」と思いながら、言いながら、大きな波の中、流されていく。流されながらも、自分の地点で自分がよろしいと思うことをしていく。その方向が大勢で一致したときに、新たな大きな波となる。
きょう、恐れと怯えがひとを保身で固め、他人を侵略、強奪する因となるという話が出た。恐れない心を個人個人が培っていけば、きっと、それは、新たなる大きな波となって、人間をほがらかな思いやりの社会に導いてくれると、わたしは信じている。

Sさんは、テレビや新聞の情報操作を嫌い、あえて見ない、読まない生活をしている。恐れを増大させ、消費拡大を狙う企業群の魂胆には乗らないことだ。いい加減な情報に右往左往するより、五感を磨いたほうがよっぽど危機に備えられる。

味わう

2008年01月03日 | Weblog
湯あたりでヘロヘロの体なので、きょうは年賀状書きに専念。楽しい作業だった。ひとりひとりに思いを込めて一枚ずつ作る年賀状は、なんて久しぶりだろう。もちろん、宛名や添え書きは毎年してきたけれど、夏のツアーの準備など、あわただしい中でどうしてもやっつけ仕事になっていたと思う。頭の中がざわめいていたのだと思う。今年の志は、今在ること、今在るものに目を向けて、慈しみ「味わう一年」にすること。まさに、年賀状書きもじっくり味わった日だ。

あすは、日本国際ボランティアセンターの南アフリカチームの方たちが遊びに来てくださるので、中華ちまきとひじきの煮物、さつまいものお菓子を夜中に作った。
おせちは3日で全部なくなった。

やすらぎの湯

2008年01月02日 | Weblog
きょうは、早起き! 遅ればせながら年賀状を書こうと、用意していた写真をプリンターにセットしようとしたその時、テレビでは地球温暖化の特番をやっていて、電気使用量を減らしましょうと訴えていた。そうか、年賀状の印刷も電気か。

意を決して、今年は全部手書きにすることにした。ねずみさんのお着物には、わたしが小学校2年生のころ着ていた小紋の羽織生地。のりでひとつひとつ貼るのは、とても時間がかかるけれど、全て違う顔で全て違う柄行の着物を着たねずみさんの絵。出すのが惜しいほど、みんなかわいい。

夕刻からは連れ合いと母と、八王子やすらぎの湯で羽を伸ばした。湯あたりで、きょうは早く寝てしまいそう。