12月に30人31脚の無心を書いた。そのあとみつけたこのビデオ。無心そのもの。何度も見ては元気をもらっている。
http://www.youtube.com/watch?v=RleHOr2fO5A
地球ハーモニーで招いた南アフリカのこどもたちも、最初の2,3年は、こういうひたむきな歌が聞けたのだが、オーディションで選抜するようになってからはプロになりたい舞台慣れした子の上手い歌になってしまった。得ることによって失うことのせつなさを感じたものだ。
小林秀雄によると、ピカソは、陶器もつくったそうだ。陶器は、火との共同作業で、作者の思い通りの色や質感ができるものではない。ピカソは、自在に絵筆を操ることができたので、思惑通りにいかない陶器を作ることで、無心に戻ろうとしたのではないか、と小林秀雄は書いている。
おとなになっても無心であれる歌手はそうそういない。楽器の演奏者のほうが、無心でいられるようだ。なぜだろう? ともあれ、わたしが感動するのは、無心に対してであって、上手さには感心しても、心動かされることはない。
実は、最初のビデオは、1986年ころのもので、現在のソウルチルドレン・オブ・シカゴは、CDで聞く限り、メチャウマで、このビデオのようなブレスの位置がおかしかったり、高音が薄くなったりということは全く無いけれど、ただの上手いソウルゴスペルとわたしは感じてしまう。
「歌が好き?」と聞かれて「わかんない!」と答えるこの子も、CDデビューを果たしたようだが、どう育っていくのだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=Vc_ahz5c4-s&feature=related
子どもの成長を邪魔しないというのは、難しいことだ。
無心である子どもに、なにかを吹き込むことはとても容易だから。
無心の時期をそうっとほったらかされて育った子どもは幸せだ。大人になっても、きっと、世界と1人相対峙できる強靭な静けさを心に呼び戻すことができる。