小さな日記

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「ねたみ」と「人の不幸への喜び」

2009年02月13日 | Weblog
朝日新聞13日朝刊に、「ねたみ」と「人の不幸への喜び」が脳のどの部分に反応するかの実験報告が載っていた。ねたみに関わる脳の領域の活動の高い人ほど、他人の不幸を喜ぶ領域で反応が強く出たそうだ。
http://www.asahi.com/science/update/0212/TKY200902120302.html

興味深かったのは、ひとの不幸を喜んだときには脳の線条体が活発に動くが、線条体は、社会的、金銭的な報酬を得たときに活動する部分であること。
ねたむというのは、ひとが不当に評価され、報酬を得ていると感じることで、そのひとが不幸になると、やっと正当な評価、報いがくだったと喜ぶということか。そして、社会的評価、報酬を受けて喜ぶというのも、正当な評価、報酬を得たという納得感なのかもしれない。

ひとをジャッジするのが癖になっているひとには、この傾向が強いと思う。誰かへの評価が、不当か正当かを自分で判断することをやめれば、ねたみは起こらないということだ。自分の報酬を、自分の評価への見返りと思わなければ、不当感も湧かない。

昨今の事件は、「わたしを認めて!」という叫びが聞こえてくるものが多い。ある高校生のシンガーソングライターの歌に「かわいくも美しくもないわたしだけど、ちゃんと生きている」という歌詞があった。生きるのに夢中だと評価などする暇がないのだけれど、頭が暇だと線条体が発達するのだろうか?

「動物は惨めな表情をけっして見せない
木の枝で凍えて地に落ち逝く鳥は
自分が惨めだと哀れむ気持ちなどない 」
        -----D・H・ロレンス「自己憐憫」

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