赤ちゃんを見ていて飽きないのは、どんな動きも一生懸命だから。なにかをみつめるのも、うんちするのも、一生懸命に集中している。全てが、「良い悪い」など超越して、自分全体で向かっている。わたしには、それが、神々しく感じる。
自分さがしとか、自分らしさとか、おとなになるにしたがって迷うようだが、自分らしくない赤ちゃんなんていない。
赤ちゃんのように、今という瞬間を自分全体で生ききるようにしたい。
それには、「ながら」をやめるのも役に立つ。効率を考えて、なにかをしながらなにかをすることが、とても良いことのように思ってしていた時期もあった。流し台に脚を上げてストレッチしながら食器を洗っていたこともある。今でも、単純な手仕事をしながらテレビを見るのが日常だ。でも、、、
そういうことをして、失っていったなにかがあるような気がする。きちんと向き合う必要がある時にも、おざなりになっていないだろうか? 自分がバラバラになって、自分全体を見失っていないだろうか?
自分さがしとか、自分らしさとか、おとなになるにしたがって迷うようだが、自分らしくない赤ちゃんなんていない。
赤ちゃんのように、今という瞬間を自分全体で生ききるようにしたい。
それには、「ながら」をやめるのも役に立つ。効率を考えて、なにかをしながらなにかをすることが、とても良いことのように思ってしていた時期もあった。流し台に脚を上げてストレッチしながら食器を洗っていたこともある。今でも、単純な手仕事をしながらテレビを見るのが日常だ。でも、、、
そういうことをして、失っていったなにかがあるような気がする。きちんと向き合う必要がある時にも、おざなりになっていないだろうか? 自分がバラバラになって、自分全体を見失っていないだろうか?