鎌仲さんの作品では、鎌仲さん自身が出演者に質問をする。切れ味が鋭い。答えが曖昧だともう一歩突っ込む。見るたびに、わたしにはできないと思う。
わたしはひとに質問をしない。(と思っている)ひとの個人的事情、思いを尋ねることは、滅多にしないと思う。聞きたくなっても、ストップをかける自分がいる。それはきっと、自分が質問されるのが嫌いだからだ。質問されると、正直に答えようとする。けれど、わたしには、言いたくないことが山ほどあるのだ。そこから、嘘ではなく、言いたくないことは避けて答えようとすると、頭が疲れる。だから、質問されるのが嫌いだ。
それで、質問をする代わりに、自分の意見を言ってみたりする。自分の意見を補助線として、相手が言いたいことを言ってくれないかと期待している。自分が意見を述べることは、自分に責任があることで、ひとに負担をかけないだろうと思っているのだ。けれど、率直に意見を言うと「他人に気をつかわないで、好き勝手に物言うひと」と思われることもある。わたしが自分の意見を忌憚なく述べるのは、質問して相手を追い詰めないようにと気を使っているつもりなのだけれど。
鎌仲さんの質問は、淡々と鋭いけれど、追い詰める圧力は感じない。やさしいわけでもない。冷たいわけでもない。我を感じさせない穏やかさ。画面に姿を現さないせいもあるのか、空中に質問が浮いている感じだ。きっと、彼女の心が、ゼロなのだろう。
ひとと接するとき、好意も悪意も賛同も拒否もなく、ただゼロでそこにいてもいいのだと思う。そして、質問を受けても、ゼロで答えてもいいのだと思う。
わたし自身が、自分にそれを赦して(認めて)いないから、質問されると焦燥感がつのり、質問することに後ろめたさを感じるのだとわかった。
画像は、我家の玄関前の階段の踊り場から見える夕日。うろこのような珍しい雲。
わたしはひとに質問をしない。(と思っている)ひとの個人的事情、思いを尋ねることは、滅多にしないと思う。聞きたくなっても、ストップをかける自分がいる。それはきっと、自分が質問されるのが嫌いだからだ。質問されると、正直に答えようとする。けれど、わたしには、言いたくないことが山ほどあるのだ。そこから、嘘ではなく、言いたくないことは避けて答えようとすると、頭が疲れる。だから、質問されるのが嫌いだ。
それで、質問をする代わりに、自分の意見を言ってみたりする。自分の意見を補助線として、相手が言いたいことを言ってくれないかと期待している。自分が意見を述べることは、自分に責任があることで、ひとに負担をかけないだろうと思っているのだ。けれど、率直に意見を言うと「他人に気をつかわないで、好き勝手に物言うひと」と思われることもある。わたしが自分の意見を忌憚なく述べるのは、質問して相手を追い詰めないようにと気を使っているつもりなのだけれど。
鎌仲さんの質問は、淡々と鋭いけれど、追い詰める圧力は感じない。やさしいわけでもない。冷たいわけでもない。我を感じさせない穏やかさ。画面に姿を現さないせいもあるのか、空中に質問が浮いている感じだ。きっと、彼女の心が、ゼロなのだろう。
ひとと接するとき、好意も悪意も賛同も拒否もなく、ただゼロでそこにいてもいいのだと思う。そして、質問を受けても、ゼロで答えてもいいのだと思う。
わたし自身が、自分にそれを赦して(認めて)いないから、質問されると焦燥感がつのり、質問することに後ろめたさを感じるのだとわかった。
画像は、我家の玄関前の階段の踊り場から見える夕日。うろこのような珍しい雲。