社員のおしゃべり

日々の生活の中でのできごと

理屈では理解できるが・・・

2014-05-22 10:36:42 | 楽しく楽しく
 先日、陶芸教室へ行く際に、バス乗り場までの道中、転んでしまった。 自分では「なぜ?」なのだ。 しかし「そうなのよねえ」理屈ではなく、足がいいくらいに上がっていなかったのよねえ・・・。 道路のアスファルトのほんのちょっとした傾斜と言うか、変化が足には調整できなかった。 あのあとは足を思う以上に上げて歩かないといけないんだと思うようになり慎重になっている。 骨折でもしたら大変。 生きていても自身の足で自由に出歩くことができなくなったら、たまらない。

 以前友人宅に伺った時、ものが足元(玄関、廊下、その他も含めて)には極力ものを置かないと言っておられた。 見た目ではなく、「安全のため」だとかおっしゃっていた。 今になって納得。 本当にそうだなあと痛感する。 モノは極力足元には置かないで済むように整理しておかなければ。

 ほんのわずかでも「物不足を経験している」私は「勿体ない」が先に来る。 「何かに使えるかもしれないから」と言う感覚がずっとあるのだ。 でも「今後これを使うことってあるのかしら」「時間がそれだけあるのかしら」と最近では思うようになってきた。 これを進歩と言うのか何と言うのか・・・。

 着物は義母と母のものそして私のもの・・・。  まだ縫いかけの着物や帯もあったりした。 最近ようやく解いたのだが、その後は畳んである状態だ。 完成したら着たいと思っていたんだろうになあ・・・。 お台所には義母が使っていた小物がまだまだある。 決して傷ついていたり壊れていたりしてはいない。 どんな気持ちで使っていらしたのかなあ?などと思ったりする。 嫁ぐ時に持たせくれた品物もあったり・・・。 一気にその当時の思いに戻ってしまう。

 娘たちの幼い時分からのあれやこれや・・・。 あのかわいらしい小さな手で一生懸命に描いたんだろう、作ったんだろう・・・。 服は例外として、案外自身のものが一番少ないかもしれない。

 こんな調子で、過去の思い出の品がそれこそまるで財産ででもあるかのような・・・ああいけないなあ・・・。 

 昔に比べて100円ショップや通販などいつでも物が安く手に入る。 とても買いやすいが、反面処分には手がかかる。 実に細かい分別が大変な時代だ。 袋をいくつも用意して処分しなくてはならない。 片付けには体力と気力を伴う。 安易に物を買ってはいけないと痛感。 

 残された者が迷惑する。 理屈では分かっているのだが。 ため込まないで整理整頓し、減らす方向へ。 まあじっくり時間を掛けて・・・。


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