娘たちとよく亡くなった義父母や父母の話をする。 主人はあまり話したがらないが私は自分自身が死んでしまったら伝えることができないと思うので、いろんなことを話す。 長女が生まれた時にはもう実家の父しかいなかったので、「おばあちゃん」と言うものを知らない。 だから「こんなだった。 あんなだった。」と話す。 私自身、自分が母が亡くなった時の年齢を超えた今では「もしも生きていたらどうだったんだろうかあ、どんなふうだったんだろうか」と想像するしかない。 主人も義父が亡くなった時の年齢を超えた。 もちろん母や義父の姿を追い、同じように生きているとは言えないが、それでも記憶の中には生きている。 でもきっと同じだったはず・・・。見えている時も見えていない時も、子供の為に頭を下げたり、一緒に喜んだり悲しんだり苦しんだりして、子供のことを一番に考えていたと思う。
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岩国市、周南市、下松市、光市、防府市、山口市、柳井市、その他周辺地域の不動産に関してはご相談ください。⇒山口県岩国市岡村不動産鑑定事務所
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