Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

牧師そして神学研究者の孤独

2010-05-29 19:00:08 | 豆大福/トロウ日記
人が亡くなると、遺された責任ある立場の人間――夫婦の場合、夫または妻で残った一方――は、悲しみの中にありながらも雑務に追われるのが普通である。私たちの場合事実婚であったから、そういった雑務は尚更、煩雑さが増しているような気がする。

そのようなわけで、外出せざるを得ないときにはマスクが欠かせない。いや、風邪の具合はもう大分いい。上着のポケットにマスクをしのばせるのは、街を歩いている時にも不意に涙がボロボロ溢れ出てくることがあるからだ。そんな時にはせめて顔半分でも隠していなければ、すれ違う人々はドン引きするだろう。

私の頭は、まだおかしいままなのだろうか。1ヶ月前には、頭が混乱して、覚えているはずの電話番号も分からなくなってしまったこともある。今では、電話番号とかルーティーンの仕事での混乱は、次第に治まってきていると思う。だが、もっと私の実存に関わる仕事や社会との関わりにおいては、きっと、私の頭はおかしいまま、このままずうっと、恐らく一生涯、おかしいままに違いないと自分では思う。

頭がおかしい、というよりも、こう言った方が正確かもしれない。私の内の、大きな、そして本当の部分が欠落した状態、と。つまり、今ある私の姿は抜け殻に等しい。

私の夫は、心臓の最後の鼓動が止まるまで、彼らしい、いかにも野呂芳男らしい生き方を貫いた。それは、愛なる神の導きのもと、生を生き抜くということだ。生を、闘いと希望の交差の中で生きる生き方だ。私たちは、最期の時にも確信に満たされていた。だから、私は涙でぐしゃぐしゃの顔ではあったけれども、私たちは絶望など全くしていなかった。

朝の優しい陽の光が部屋に差し込む中、医師によって臨終が告げられたとき、「これで、私も終わった」と思い、私はガクンと頭を垂れた。彼の命が尽きるとともに、私自身の内でも大きな部分が、死んだ、と認識した。

だから、今の私は抜け殻である。

しかし、抜け殻といってもあまり悲観することはない。私は抜け殻になったけれども、故人から遺された使命は依然として存在しており、それを果たしていこうとすることはできるのであろう。進むべき道を行き、すべき仕事をすること、私に残された時間の中でこれらを行うことは、抜け殻であってもできるかもしれない。いやむしろ、抜け殻であるからこそできることもあるかもしれない。

兄弟子の桶川さんが、「追悼 野呂芳男先生」という記事を書いて下さった。そこでは相変わらずの、桶川さんの観察眼の鋭さと分析力が発揮されている。桶川さんの記事を読んで、ああそうだった、私も野呂の学生だったんだと、改めて思いを新たにした。野呂の弟子として、私は一番年若い者である。年齢が二つ違いの桶川さんと私は、直接の弟子の中では最も若い世代に属することになる。若い、といっても、そろそろ四十代も半ばにさしかかろうという、世間的にはいい中年ではあるけれど。

理系、とくに医薬系の研究者たちがチームで成果を出すことが多いのとは対照的に、研究活動や思索が個人単位でしかも多岐にわたるのは(悪く言えばてんでバラバラ)、人文科学系の研究者たちの宿命である。だから私たちの場合も例外ではなく、野呂の弟子たち、といってもそこに一定の統一があるわけではなく、研究の対象は実にさまざまである。しかし、野呂の弟子を名乗るにあたり、これだけは外せないというポイントがある。それは何か。それが桶川さんの記事から窺えると思う。

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