還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

保育園の運動会

2013年10月28日 | 近郊・日帰り
孫が通う保育園の運動会が雨で一週流れましたが、今度は快晴とは言えないまでもまずまずの天気となり、無事に行われました。
入園して半年の孫はまだゼロ歳児です。
1歳児以上は開始時に既に会場に設けられた椅子に座っていますが、ゼロ歳児はそれはまだ無理なので、出場種目の始まる直前にゴンドラのようなものに乗って入場しました。
そのゼロ歳児、予定通り現れなかったので、プログラムの組み替えが行われました。

祖父母が出られる種目もあり、30年ぶりに玉入れを楽しみました。

終了後は娘の家に行きのんびり過ごしましたが、孫はテンションが上がりっぱなしで、いっぱいおしゃべりをしてくれました。娘の夫や夫の両親は運動会を楽しめなかったので、私の撮影した写真や動画は娘のパソコンにコピーしてもらいました。

娘は運動会に合わせてビデオカメラを買っていましたが、デジタル一眼レフカメラより安いんですね。しかも小型になったし。値段は4万円台だそうです。撮影したデータはメモリーカードに記録するのでメカが不要となり、データの扱いも楽になっていると思います。

戊辰戦争後の会津の人々-2

2013年10月26日 | 雑記帳(その他)
続きです。

松平容保
藩主容保は戦争後鳥取藩に預けられ東京で蟄居しますが、嫡男の容大(かたはる)が家名存続を許されて華族に立てられました。
容保はそれから間もなく蟄居を許され、1880(明治13)年には日光東照宮の宮司となります。
このとき西郷頼母も禰宜に就任します。容保は正三位を叙任し、1893(明治26)年12月5日に東京小石川で死去しました。享年59。
なお、容保は8月18日の政変(蛤御門の変の前年の争いのことで西暦では1863年9月30日)での働きにより、孝明天皇から賜った宸翰と御製は片時も手放すことはなかったそうです。

照姫
会津城開城後に、郊外の妙国寺に移され謹慎しました。その時高木時尾も付き添っています。総勢50人くらいでした。
翌年2月に東京青山の紀州藩邸にお預けとなり上京。さらに12月に実家に預け替えとなり飯野藩邸に移りました。この時点でおそらく付き人達はそれぞれの道に進んだものと思われます。
以後は実弟の保科正益に庇護され、1884(明治17)2月、東京で死去しました。
享年51。

山川二葉
二葉は山川大蔵(後の浩)、健次郎、咲子(後の大山捨松)らの姉で山川家の長子です。
梶原平馬と結婚していましたが、戦争後に離婚し実家に戻りました。
その後1877(明治10)年より28年間、お茶の水女子大学の前身の女子高等師範学校に寄宿舎長として勤務しました。
1909(明治42)年永眠。

日向ユキ
会津戦争後、ユキと家族は他の会津藩士とともに斗南藩に移住しました。その後、仕事の関係で青森に移住したようです。一年ほど青森で暮らした後、雑賀家で奉公するため函館に移りました。
1872(明治15)年に結婚しましたが、相手は元薩摩藩士で北海道開拓史の内藤兼備(ないとうかねとも)という人です。
薩摩藩士と会津女性の結婚は、大山巌と山川捨松との結婚以外にもあったんですね。
その後1887(明治20)年には八重が札幌を訪れ、ユキと八重は再会を果たしています。ユキは1944(昭和19)年、94歳で死去しました。

高木時尾
戦争後照姫のお付きとして妙国寺に赴きますが、その後斗南に移住し元新選組の斉藤一と結婚しました。姓は斉藤ではなく時尾の母方の姓である藤田を名乗っています。
夫は名前も一から五郎に改名。斉藤一改め藤田五郎と言うわけです。
夫が警視庁に就職したので東京に移住、かなり後には、女子高等師範学校の生徒を自宅に下宿させています。
1925(大正14)年死去、享年75。

山川浩
西南戦争の時、政府軍に加わり活躍を見せます。その後1880(明治13)年には陸軍大佐に昇進しました。1885(明治18)年には、東京高等師範学校(現・筑波大学)他の校長に就任しました。
1898(明治31)年2月4日死去。
明治維新史は勝者の薩長側から語られることが多いですが、会津から見た明治前史として書かれた「京都守護職始末」の編纂でも有名です。実際には書いている途中で没したため、弟の健次郎が仕上げていますが、出版時には著者浩として世に出ました。
ドラマで川崎尚之助が書いていた未完の「会津戦記」と、この「京都守護職始末」はどうつながっていくのでしょうか?

こうしてみると明治以後の山川家の人々は、山本兄妹もそうですが、教育に力を尽くした人が多いことが窺えます。

※出典はウィキペディアや歴史読本7月号です

藤原効果のようですね

2013年10月24日 | 雑記帳(その他)
台風27号と28号、27号が西にあって停滞気味。28号は27号を追いかけるように西に進んでいます。
太平洋上に台風が2つでき、比較的接近すると複雑な動きをします。
藤原効果と言うそうですが、今回は時間待ち型のようです。
西にある台風が、東から西進してくる台風を待つ形です。

今回の2つの台風はかなり離れているので、28号は27号に追いつくことはなく、多分もう少しで東にそれますが、そうすると27号も北東に動き出すのではないかと思います。
1965年の24号と25号もこんな感じでした。
中学生の頃は気象にとても興味があり、学校の図書館で気象に関する本を次々に借りては読んでいました。
新聞やテレビによる台風や雨の情報は、大変興味深かったです。

藤原効果による台風の動きは他にもあり、私が覚えているのでは、2つの台風がお互いに反時計方向に回っていたこともあります。回るうちに小さい台風のエネルギーが大きな台風に吸収されてしまうので、何回も回ることはありません。こんな事が起こるのは太平洋上ですが、回る中心辺りに島があり人が住んでいたら大変ですね。

最後の面談♪

2013年10月23日 | 日記
今月中頃にマネージャーとの面談がありました。
基本、各半期の初めと中間、それに期の終わり、これが年に2回ありますので合計年に6回、マネージャーとの面談があるのです。各社員が作成、提出した業務計画書に基づいて面談があり、いろいろ指導(横やりとも言う)が入ります。
いやはやマネージャーは大変ですね。昔はパワハラ全開でしたけど、今はそうはいきませんし。

・・・・・人の心配はさておき、約20年にわたり受けてきた面談がついに終了しました♪
上半期の初め、再雇用なんだから項目を減らしても良いでしょと、今までよりは簡単な計画書にしました。面談の前に、計画に対する達成度や今後の課題など、まとめるわけですが、マネージャーにとっては、私から後任者への引き継ぎがうまくいっているか(だけ)が関心事です。
会議も5月頃からは意図的にサボってばかりで、ほとんど参加していませんが、何も言われませんでした(^O^)
残り3カ月ですが、次の計画書の話はなくフリーです。

今日、管理業務を一つ引き継いだので、また一つ楽になりました。
残り、3つくらいです。

今年は接近する台風が多いです

2013年10月20日 | 雑記帳(その他)
気象庁のサイトで台風に関するデータを見たのですが、
発生数は平年:25.6個
接近数は平年:11.4個
上陸数は平年:2.7個
今年は現在で発生数が27個、接近数が12個となっていて、発生数と接近数は平年を上回りました。
上陸数の多かったのが2004年の10個が過去最高で、それまでの年間6個の記録を大幅に更新しました。
この年は23号により私の実家が被害に遭いました。浸水はありませんでしたが、強風に煽られて裏の木が離れの窓に倒れかかり、窓1枚全壊、中が水浸しになりました。
また母屋2階南側の屋根瓦が何枚か飛ばされて、ひどい雨漏りとなり、一階にまで・・・

この頃は年に数回しか帰っていなかったので、被害の全貌がわかったのはだいぶ時間がたってから^^;;;
結局直したのは翌年の梅雨入り前となりました。
一度簡易に瓦を並べ直してもらいましたがそれでは追いつかず、屋根1枚を全面的に葺き替えました。誰も住んでいないのにと業者さんに言われましたが、たまに帰ったときに寝泊まりしていましたので、直す必要は感じていました。

23号というと過去にも凄い台風がありまして、1965年(東京オリンピックの翌年)の台風23号も風が凄くて大きな被害に遭いました。この時は離れの瓦が何十枚も飛んでいきました。ごく近所のシュロの木2本も途中で折れました。第二室戸台風(1961年)でもびくともしなかった木でしたが・・
1965年は23号と24号が続けて上陸しました。四国に上陸した23号が抜けた後一旦晴れましたが、24号が接近、上陸する1週間ほどは雨が降り続き、テレビでも連日台風と豪雨のことを放送していました。
24号は速度が遅く、東で発生した25号とお互い牽制したような動きをしていて、日本の南で1日ほどほとんど停滞状態となりました。ところが25号が方向を変えて先に東に進んだので24号もおもむろに動き出し、近畿南部に上陸しました。この期間の総雨量は多いところで1000ミリを超えました。

健保組合の決算より

2013年10月19日 | 雑記帳(その他)
健保組合の決算報告が社員に配付されました。
それによると収入に対して支出が9%ほど多く、赤字決算となっています。
支出で多いのが、通常の保険給付(法定給付と付加給付)
付加給付はせいぜい法定給付の4%ぐらい
両方合わせて、支出の44%です。

同じくらい多いのが納付金となっており内訳は
前期高齢者納付金
後期高齢者支援金
退職者給付拠出金
その他
以上4点で締めて42%、昨年比で納付金が30%以上増えた、となっています。
このまま増えていけば、保険給付を逆転しそうな勢いです。
社員に対してはジェネリック医薬品を使うようにとか、生活習慣病の予防に積極的に取り組んで欲しいと訴えていますが、納付金がこれだけ増えていけば社員がいくら頑張っても限界があります。私も定期診察時に処方される胃薬は、ジェネリック医薬品に変えています。他の薬はジェネリックがありません。

この納付金という支出、いったい行方がどうなっているのか調べてみました。
これは比較的若い世代が多く、財政に余裕のある組合健保から財政の厳しい国保に対し財政を援助するという仕組みなんですね。社員が定年退職時には組合から抜け、老いてから国保などに加入するわけですし、寿命も延びていますから、国保の財政が厳しいのは考えてみたら当たり前のことです。
私も間もなく健保組合から抜けます。任意継続するか国保に入るか、保険料を調べてから決めようと思っています。任意継続の場合は会社負担の保険料も自分で払います。ですから保険料が倍ほどになるわけですが、それだけ払っても国保より安いかもしれないんですね。

納付金制度の導入時には、組合健保から猛反対が起こったことを覚えていますが、ある程度は仕方がないと思います。しかし、納付金が保険給付と同じ程度とは・・・・少し驚きました。

34回目の外来受診

2013年10月14日 | 手術後の外来診察
10月11日(金)は、ヴォーリズ記念病院循環器科で7週間ぶりの診察でした。
9月2日の浅井先生の診察時にいただいた、寺尾先生宛の手紙は受付でお渡ししました。
前回は3種目の検査がありましたので、今回は無し。各種検査は年2~3回程度のようです。
そして前回の血液検査の結果表を受け取りました。
血圧は108/68で、良好(^O^)

手紙の内容を教えていただきましたが、特に駆出率の数字が74%で、とても良いとのこと。
エコー検査の結果は9月の診察時にコピーをいただいたのですが、バタバタと忙しくてあまりよく見ていないんです^^;;;
何が忙しいのかよくわからないんですが・・・・

血液検査の結果で、基準値からはみ出している項目を挙げてみると
ZTTが+0.8
HDLコレステロールが-2
尿酸が+0.1
MCHが-0.2

前回(2013年2月)の検査結果と比べてみると
ZTTは大幅悪化(7.1→12.8)、それ以外はほとんど同じ。
むしろ基準範囲外の項目数は、前回の半分となっていました。
それでZTTとは肝機能検査の一つで、基準値よりかけ離れて大きいと、肝機能が正常に働いていないとのことです。これが基準を外れたのは初めてかも。

以前より多少気になっていたBNPは、2回続けて基準の18.4を下回りましたので、心臓は調子良いようです。

がん幹細胞

2013年10月06日 | 雑記帳(その他)
最近、がんのラスボスが見つかったというテレビ番組を2つ見ました。
がんのラスボスとは・・・・がんには幹細胞があり、これが並のがん細胞と違いとても強敵なのです。がん治療における最後の敵が見つかった、言わばラスボス。。。
どちらも同じ放送局でしたが、深夜時間帯に放送された番組ナビゲーターが、幹細胞のことをラスボスと呼んでいました。
がん幹細胞がどう強いかというと、がん幹細胞は放射線も抗がん剤もほとんど効かないそうです。普通のがん細胞はどんどん分裂して増えていきますが、放射線も抗がん剤も、がんの細胞分裂に介入し正常に分裂できなくして死滅させます。抗がん剤は分裂を促進させるらしいですね。
ところが、がん幹細胞はめったに分裂しないんです。めったに分裂しないため、薬が効ききません。

がん幹細胞はたまにしか分裂しませんが、そのたまに分裂するとき、幹細胞と普通のがん細胞に分裂します。新たにできたがん細胞は短時間で分裂を繰り返し増殖します。
今までがん細胞は無限に分裂すると考えられてきましたが、そうではなく正常細胞と同じくらいの50回ほどで分裂が停止し、それ以上には増殖しません。
しかし幹細胞から若いがん細胞が供給されることにより、がん全体は大きくなっていきます。それで無限に増殖すると考えられてきました。がん幹細胞はがん全体の数%の割合だそうです。
今は細胞を光らせることで、幹細胞か普通のがん細胞か識別ができるようになりました。
細胞を光らせるのは2008年にノーベル化学賞を受賞した、下村脩氏の研究成果によるところが大きいですね。

がん幹細胞には、細胞分裂を押さえる仕組みがあるらしいです。それでその仕組みを壊すと分裂が起こるようになり、分裂が起こるタイミングで薬が効いて幹細胞を殺すことが可能になります。
がん幹細胞は白血病でまず発見され、ほかのがんでも次々に見つかりつつあります。
現在世界レベルで、幹細胞を標的とする薬の開発競争が始まっています。中には既に他の病気治療用に市販されている薬が応用できる例もあります。
市販されている薬なら治験や承認が不要ですから、臨床試験で良い結果が出れば応用は早いですね。

がん治療に大きな光が見えてきたようです。

人事から打診

2013年10月02日 | 日記
再雇用の契約期限(12月末日)まで残り3カ月になりました。私の勤務先の再雇用制度は1年契約で、契約切れの3カ月前に次年度をどうするか聞かれます。
私の契約は1~12月なので、3カ月前を少し遡って9月下旬に、人事からマネージャー(課長クラス)宛にメールがありました。
マネージャーが私の席にやってきて、メールを印刷した紙を私に見せながら、前聞いた通り、更新無しで人事に回答して宜しいですね!、と念を押されました。
その紙には「豆パパ殿においては、1年延長で宜しいか」のようなことが書いてありました。

これで最終決定しました。仕事の引き継ぎもOJTやファイル化を進めています。
しかし、あと3カ月で今抱えている懸案事項が片づくのかという問題がありますが、一応道だけは付けておきたいと思います。

それはそうと、再雇用制度が変わったと聞きました。今は現役時より激減した給料も一時金も査定はされないので、決まった額がもらえます。ところが来年度から一時金に査定が入ることになったそうです。
成績優秀だと最大+5%
劣悪だと最大-15%
極端ですね。マイナスの振れ幅が大きいんですよね。
高齢者雇用の法律が変わり、社員が希望すれば、会社は65歳まで雇用しなければならなくなったんですね。
今までは成績劣悪だと、契約更新しないという奥の手で雇用を切ることができました。
ところがそれが出来なくなったので、査定制度を導入したのでしょう。
しかしですね。頑張って成果上げて増えても5%、仕事がうまくいかず減るときは15%もあり得ると言うことは・・・・やはり高齢者は歓迎されてないってことだと思います。