還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

定年後の日々

2011年12月30日 | 日記
といってもまだ10日が過ぎただけです^^;;;
それに年明けからは以前のような日常が始まりますので、つかの間の休息…
少し休んだらまた出てくるんだから・・・・というわけでよほど緊急のこと以外片づいてないでしょう。
21日以降の暮らしですが、正月前でもあり、こんな感じです。

1.年賀状作成

2.年金の請求手続き
満額支給は65歳以降ですが経過措置というものがあり、60歳から特別支給の厚生年金が出ます。
それで先月には年金機構から請求書が届いたのですが、60歳にならないと手続きが始められないため、いままで待っていました、というか放ってました。
請求に必要なものはいろいろあるのですが、まず戸籍謄本を取り寄せしました。
私ら夫婦の本籍は私の実家に置いたままになってまして、当地の役場に宛てて送付を依頼しました。年末のせいか届くのに1週間ほどかかりました。
手続きは担当地区の年金事務所に電話して、予約を取りました。
請求書はあらかた書き上げましたが、わかりにくいところは空白のまま^^;;;
ですが、再雇用で収入がある場合は、法律により請求しても減額されることがあります。

3.運転免許証の更新手続き
近くの警察で手続きしました。
講習は来年2月3日を予約しましたが、手続きが次第に面倒になる感じがしています。
以前は手続きと講習が同じ日にあり、免許証は後日もらいに行くか郵送を選択できました。

4.買い物
正月明けに北九州に行く(ちょっとあらたまった)用事ができ、そこに着ていくのに相応しい服を買いました。

5.「ガレとドーム~四季の花」展
JR京都伊勢丹内美術館で開催されていた「ガレとドーム~四季の花」を観覧しました。
これは長野県は北澤美術館所蔵のガラス作品の中からエミール・ガレとドーム兄弟のガラス作品を展示したものです。
ドーム兄弟は余り知らなかったのですが、びっくり…とても良かった
他にはルネ・ラリックも大好きなガラス工芸作家です。

その他、たまっていた録画済みのドラマ関係はようやく全部見ました。

手術適応と診断されたときの心境

2011年12月26日 | ワンポイントアドバイス
去年(2010年)の6月末日に滋賀医大心臓血管外科を受診し、各種検査の後浅井先生から

重度の僧帽弁閉鎖不全症のため手術適応です。手術をお勧めします。

と告げられたとき…そうだろうなと、うすうす予想はしていたんです・・・・が…
自分の耳で聞いたとき、動揺しなかったと言えばウソになります。やはりショックはありました。
待ち時間の間に覚悟は次第にできてきましたが、それでも・・・・

その2日前、ヴォーリズ記念病院で心エコー検査を受けたときに

中等度と重度の間ぐらいの僧帽弁閉鎖不全症です。
僧帽弁とはかくかくしかじか
閉鎖不全症とはかくかくしかじか

と告げられたとき、心の中ではなんでやーーー?
と叫んでました。しばらくは心そこにあらずと言った感じでした。
若い頃に受けた健康診断時に、良い心臓してると言ってくれたことがあるのに?
いつ悪くなったのか?
何して悪くなったのか?

ヴォーリズ記念病院には心臓外科がないので手術適応かどうかの判断のために滋賀医大を紹介されたわけですが、まだ手術は必要ないと言ってくれれば有りがたいと思っていたんでしょうね。
まるで往復ビンタを食らったようなもの(笑)
けど、立ち直るのは早かったです。
気持ちの切り替えは年の功でしょうか、早くなりました。

ところで11月下旬のこと、夕方のあるテレビ番組で滋賀医大心臓血管外科(というよりは浅井教授)の特集があり、番組内で浅井先生の外来診察風景が映像で流れたのですが、
「心臓病と診断され、まして手術が必要となると半分死刑判決あるいは有罪判決くらいショックを受けるの、人間は……」
と、患者さんに告げられていました。
それを見てなるほどそうかと…死刑とか有罪とか、言い得て妙でしたよ。

浅井先生は続いて
「手術によって心臓はもちろん体が元気になり……そしてそういうものから立ち直って初めて治療に意味がある。」
「我々に任せてください、絶対に大丈夫ですから」×2
と患者さんと握手しながら締めくくられました。
その言葉なんですよね。言葉ひとつで患者が勇気を出せるようになります。
もしかしたら人生で最大、最重要な決断をするかもしれないのですね。
その言葉が本当ならひとつがんばってみようかな・・・と。
絶対大丈夫か、それなら安心して先生にお任せしよう・・・・
ちなみに私も握手してくれましたし、名刺もいただきました。

私は手術前日の夕方、回診の先生から
豆パパさん、明日手術ですよね、絶対に大丈夫ですから
と力強く言ってくださいました。
そのおかげか夜は熟睡できました。

その他番組で流れたのは、隣り合った手術室で2件の手術(うち1件は救急車で搬送されてきた患者の緊急手術)が同時進行していましたが、ドラマではない本物の手術風景でした。
ドラマ見すぎの人は物足りないかもしれませんけど(笑)
テレビカメラは「不潔」ですから余り近づけないはずです。

ところで、ドラマでは手術開始時に執刀医が
メス
と言うと看護師がメスを渡しますが、実際の手術ではメスと言わないそうです。
手術開始時は必ずメスから始まりますので執刀医はだまって手を出し、看護師はメスを黙って渡す…そうです。

これは娘の以前の勤務先に元オペナースがいらっしゃって
メスとは言わないよと聞いたと言ってました。

つまりは演出なんですね。

定年になりました!

2011年12月22日 | 日記
12月20日、定年を迎えました。
60歳の誕生日の翌日なので、2日続けて記念日です。
いつも通り出社して、珈琲入れてブログなどあちこち見てラジオ体操して、2分後に業務開始のチャイムが鳴りました。
今日は定例ミーティングの日で、8時から9時過ぎまで各担当から報告を聞きました。
私は少しお門違いの仕事をしているので聞くだけです。
それが一通り終わるといよいよ定年式です。

3年前から各職場でやることになったそうで、去年の9月20日に続いて私はこの職場で2人目です。
去年の9月20日はちょうど入院していたときなので、その方の定年式には出ていません。
それで…定年式って何やるんだろう?

豆パパ殿は昭和47年に入社し…業務に精励され…社業の発展に寄与した功績は…
よってここに感謝状を…
と読み上げられ感謝状を押し頂きました。
取り敢えず黒字だから良いようなものの、赤字だったら(読む方も?)複雑ですよね。
それと記念の食事券(ギフト券ですが)も付いています。これは楽しみです(^^)
周りではパチパチパチと拍手。
そして一言お願いと促され、一言二言、三言かな?
社内に留まらず、外に出てたくさんの人に会って刺激を受けて欲しい
というようなことを言いました。聞いてる方は鬱陶しかったかもしれませんが、出張で外に出るようになってから外の空気の味を占めた? ので、心底そう思うわけです。
式はいたって簡単なもので10分ほどで終わりました。

席に戻って、あいさつに行けない関係先にメールを発信しました。
それから午前中は普段通りの業務、午後一番には付き合いの深い業者さんがお見えになり、ひとしきり歓談。仕事の話は一切抜きで…もなかったかも?

その後社内をあいさつ回りして机の上をちょっと整理しました。
規則では本日退職、そして翌日より再雇用になるのですが、勤務は翌月からなんです。
つまり明日(21日)より年内は会社に出たらいけないので、その不在中の業務について上司と打合せ。
結局不在期間が短いのでほとんど肩代わりしてくれることにはならず・・・・正月明けが思いやられます。
…が、年末に退職、年初から新たに雇用開始というのは引き締まってなかなか良いですね。

さすがに残業はしたくないので定時で帰宅しましたが、風呂に浸かったときの気分はなかなか良いものでした。
まだ肩の荷が下りた感じはしませんが、来年からはどんな気持ちになるんだろうか?
再雇用されている先輩に聞いたところでは、少しは気楽になった、と。
来年からは肩書きは一切無いのですが、この前出張の直前に名刺を作ったので対外的には…(苦笑)

定年の送別会

2011年12月18日 | 日記
先週金曜日は職場で開催された定年の送別会に招待いただきました。
…兼忘年会…
忘年会だけなら結構欠席者がいるのですが、職場のメンバー、大半参加でありました。
別に私に人徳があるわけでは全然なくて…
誰であっても送別会となれば私だって参加しますから^^;;;

賑々しくトップの挨拶に始まり、乾杯。
40分後ぐらいに
定年を迎えられた豆パパさんから一言お願いします。
と促されましたが、40年も会社にいると一言ではすみません(笑)
二言、三言、おおやけの話しを前半にして…
何をいおうかと、一応準備はしていました。
出張が多かったこと、海外出張も10回余りありましたのでその時のエピソードなどなど。

おおやけの次はこやけのお話しです。
ここは、去年心臓手術したものですから
「実は去年、人生において最大のピンチに陥りました・・・・・」、と。
去年9月のことなのでまだみんな覚えてくれていました。

続いて花束と寄せ書きをいただきました。
寄せ書きはこれです(部分)。


最初、幹事から真ん中に写真を入れたいのでと申し出があったのですが、さすがに写真は断りました。なんだか恥ずかしくて(^^ゞ)
寄せ書きはカバンに入りますが、花束をそのまま持って電車に乗るのはちょっと、と思っていたら手提げ袋をくれました。

席に戻っていろいろ話ししていたところへ職場で近くの席の人が来て
豆パパさん、手術前より声に張りがありますよ、特に電話しているときの声は以前より元気に聞こえますね。と、言ってくれました。



こういうのって自分では全くわからないんですね。息切れしなくなったこととかはよくわかりますが。。
大変うれしかった。40年の間には会社も何度か難破しそうになりましたが・・・・
やがてお開きの時間となり、一本締めで終了となりました。

そして翌日…昨日ですが、ジャズのコンサートに出かけました。クラシックが多くて実はジャズは初めてです。
行きの電車で妻に手術前より声が元気になっていると言われたと話したら、その時はよくわからないようでしたが、帰りの電車で
そう言えば電話で妹とかとしゃべっているときの声は、手術前はなんだか大儀そうだったけど、今は全然そんなこと無いよ…と。
それって昨日聞いたのと同じ内容です。やはりそうだったんですね。
面と向かってしゃべっているときは術前、術後で違いはわからないそうですが、電話では違いが出ているそうです。

しかし弁膜症は極めて緩慢に進行しますので、この頃電話で大儀そうにしゃべってるから心臓が悪いのかな、と気づくことはまず不可能と思われます。

今日の日曜日、寄せ書きを見てしんみりしていました。

術後初めての出張♪

2011年12月14日 | 日記
・・・・って、もう術後1年と3カ月になろうとしてますので^^;;;
何がどうというようなことは起きませんでした。

今年3月までは産業医から出張禁止を言い渡されていたのですが、それ以後出張の話は今までありませんでした。
ところが先月あるお客との間で若干すったもんだがあり、それの解決と新しい企画を説明したいと提案したら、じゃあ14日に話ししましょうとなりました。

昼前に支店に着きましたが、実に10数年ぶりです。支店に顔を出すのは。
この頃は支店に寄らずに直接お客の事務所に行くのですが、メンバーもだいぶ変わったのでちょっと挨拶を、と・・・
少し下打ち合わせして、お茶飲んで、みんなで食事に行って…
みんなで食事ってのは初めてで、そしてこれが多分最後になりそうな。。。
セッティングしてくれたんですね。ありがたいことです。

それから車でお客のところに向かいました。
競合する会社の話しが出たり若干牽制や宿題が入ったりと、でもまあまあ友好的に話は終わりました。
どつき合い? したこともありますので(別のお客ですが)
家に帰り着いたのは7時前だったので、通常よりかえって早いくらいでした。

みんな、体を気遣ってくれましたが、もう100%だから今まで通りでお願いしますよ…と。
手術時間は3時間ほどだったと言ったらちょっとびっくりされました。
昔は5時間とか6時間くらいはかかってたそうです。
ついでにその地域の有名な心臓外科病院と、先生を紹介しておきました。

タイトルに「♪」を付けたのは、出張大好き人間なもので^^;;;

別の方向のウォーキングルート

2011年12月11日 | ウォーキング
しんどい坂道が途中にあるウォーキングルートです。この秋は1回しか歩けませんでした。何が忙しいのかよくわかりませんが、あまり時間が取れないままに12月になってしまいました。
9月の終わりに歩いたのですが、今頃書きます^^;;;

家を出て駅に行くのと反対方向に行くとこの道に出ます。

(この写真は再掲です)

そして突き当たりを右に取って数分後、もう山中の雰囲気です。


この辺りが一番勾配のきついところ。振り返って撮りました。


ちょうど峠に差し掛かったところで振り返ってみました。


峠の向こう側に降り、平地に出てもしばらくは山沿いなのですが、山から離れて農道にはいると道端にコスモスが咲いていました。


後は平坦な道でいろいろとルートは選び放題、その時の気分で右に行ったり左に行ったり・・・・

形成した弁の持ちはどうなんだろう?

2011年12月07日 | ワンポイントアドバイス
11月20日のオフ会の時に出た話題のひとつなんですが・・・・
形成した僧帽弁はどのくらい持つのだろうか?
いつか再手術になるのだろうか?

先生に質問しても答えは一様に
「人それぞれ…」
まあそうなんでしょうけど、最近ふと思ったのは
人それぞれの、その【人】というのは患者だけを指すの?
もちろん患者それぞれも言えるけど、執刀医それぞれでもあるのではないか?
と・・・・

私が入院する直前の診察時に浅井先生から聞いたところでは
滋賀医大に来て2000人に手術をしたが、現在まで再手術に至った例はない…と。
どんな手術も執刀医の技量に負うところは大きいですが、弁形成術は弁置換術以上に執刀医の技量に左右される術式といわれています。

止めた心室を生食で一杯にして心房に逆流させて、弁葉の痛み具合を診て形成のやり方を判断し、手順を決め、途中何度か逆流テストを行い形成を完了させます。
生食による逆流テストでは圧力はほとんどありませんが、心房を閉じて大動脈の遮断を解いて心臓が鼓動を始めれば何十ミリかの血圧が生じます。弁には大きなストレスがかかりますよね。そこで逆流がなければ本当に完了なのですが、その時はもう目に見えないんですよね。その状態を想像しながら形成するわけですから凄い業だと思います。

この弁形成の時、傷んでいる弁葉を切ることもあれば、切らないまま形成することもあります。
病院のHPなどを見ると、後尖は切除して形成するような絵がよく描かれていますが、前尖や交連部をどう形成するかという絵は見たことがありません。
私の場合は前尖と交連部の閉鎖不全でしたが、ビデオ映像を見たところではどこも切らずに形成されたようでした。ケースバイケースなんでしょうね。
それらの判断は執刀医それぞれで、形成術は名人芸とも言われています。

それで形成した弁が果たしていつまで持つのか?
一生行けるか、将来的に再手術になるのか?
どの程度の運動をしても良いのか?
お酒はどのくらい飲んでも良いのか?
結局は、誰にもわからないように思います。
それで経過観察を続ける必要があるのでしょう。

私の場合、弁葉を切らずに形成したと言うことは、もし将来再手術になった場合切るという手段を執ることができるよう含みを持たせたのでしょうか?
来年9月の定期診察の時に聞いてみよう。
(覚えていたら…)

アドバイスのカテゴリーにアップしましたが、これじゃアドバイスにはならないですねぇ。

もう少し調べてみたいと思います。

定年まで半月となりました

2011年12月05日 | 日記
いやあ、早いですわ。
後たったの半月で定年になってしまいます。
二十歳で就職して60歳までの40年のうち、残りわずか半月……
ということで書くのが遅れましたが、2日前の金曜日に営業系(一部工場系)有志による送別会に招かれました。

実はこの日は何ヶ月も前から空けとけよと、押さえられていたのです。
時間は6時からでしたが、一週間前に差し歯が外れて歯医者通いが始まり、差し歯は再利用して治してもらったものの他にも虫歯が見つかり、この日は5時に歯医者に行って治療してもらった後に送別会に参加したのでした。

はるか?百キロも離れた地域から駆けつけてくれた方がいたり、心温まる記念品をいただいたりして豆パパとしては感謝感激しまくりでありました。

再雇用なので全く縁が切れるわけではなく、また来年から当分は顔を合わせるわけで、幹事さんも本来の送別会ではなく、ごにょごにょ・・・
豆パパさん大感謝祭みたいな(爆)

それにしても久々にカラオケ歌いまくりで…一曲目に「いきものがかり」を持ってきてみんなをビックリさせてしまいました。
何年か前には韓流ドラマ「オールイン」の主題歌を韓国語風に歌えたのですが(カタカナで書かれた歌詞カード見ながら^^;;;)、今回はさすがに無理でした。

で、とうとう隠していたというか、黙っていたこのブログの存在やらオフ会など、明らかにしてしまいました。
ますます変なことは書けませんねぇ。

最近の受診事情・・ブログの役割

2011年12月04日 | 雑記帳(心臓と関係有り)
この頃はどんな病気でもそうだと思うのですが、病気が発覚したけれども緊急の手術を要しない場合、入院したり手術を受ける病院を決めるのに、インターネットで情報収集するケースが増えていると思われます。
東京ハートセンターの南淵先生はご自身のブログに、このごろ来院する患者のほとんどがカムバックハートさんのブログを読んでおられると、書かれていました。

少し前に滋賀医大浅井先生に弁膜症手術を受けて退院された方からメールをいただいたのですが、その週の夕方のテレビ番組に滋賀医大心臓血管外科の特集が放送されると、教えていただきました。

その放送では手術風景や外来診察、入院患者の診察、患者へのインタビューなどが映し出されました。
その中である患者さんへのインタビューでは
「…インターネットで知り、是非この先生に診ていただきたいな、と…」
そのような意味のことをおっしゃってましたが、おそらくこのブログも見ていただいたのでしょう。
もしかしたらメールをいただいたその方なのかもしれないと思いました。

病院のHPもさることながら手術体験者のブログなども、「正しい」情報提供という役割がさらに増して来ているように思われました。

手術室が停電?

2011年12月03日 | 雑記帳(心臓と関係有り)
ちょっと前に病院を舞台にしたドラマがCMのない局から放映されました。
前後編2回完結のドラマでしたが・・・・毎クール医療ものはたいていありますが。。

犯人が病院の電気室に爆薬を仕掛け遠隔操作で爆破すると、病院中停電しました。
手術室も真っ暗になりました。しばらく後に無停電電源が立ち上がり手術室は何事もなかったかのように手術が続行されました。しかし停電が長引いたのでやがて無停電電源のバッテリーが上がり、再び真っ暗に・・・・

という展開でしたが・・・・

実は…あれは…前半は…ウソ…です。
病院の電源が落ちたとしても手術室がほんの少しでも暗くなることはありません。手術室の無停電電源はその名の通り、停電しない電源・・・・つまり手術室の中にいる医師、看護師達は外部の電源が失われたことなど知らないままに手術を続けられます。
もしそんな病院があれば、入院するのは止した方が良いです。

手術室の無停電電源(UPS…Uninterruptible Power Supply)は発電所から送られてくる電源(商用電源)と完全に同期した電源です。そして一般にはあまり知られていませんが、通常はUPSから電源供給しています。つまり商用電源を直流に変換してバッテリーに蓄えつつ、再び商用電源に同期した交流を生成して手術室内の電気をまかなっているのです。こうすることで外乱や瞬時停電などの影響も受けないようにしています。
したがって停電が長引いたとき、ある程度の時間(10~30分)まではバッテリーから交流を生成して供給することができます。
バッテリーの容量にもよりますが…
やがて数分以内に非常用発電機が起動して無停電電源と交代します。

しかし~~後半は本当ですね。バッテリーが切れて、非常用発電機も起動できなければ電源は落ちてしまいます。

あの場面で手術室を停電させたのは、ドラマ展開上の演出なんですよね。
暗くすることで視聴者に、ドキドキ…大丈夫かな…と思わせておいて
明るくして、ああ良かったと・・・・