還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

一階和室とリビング間のドア戸車の取り替え

2013年09月29日 | 日記
1990年に引っ越したこの家の、和室の敷居を転がっている戸車がへたりました。
ドアを動かすとガタガタするようになり、動きも渋くなったのでドアを外して戸車を見ると見事にダメになっています。
こんな感じ

なんかある一線を越えると一気に破壊するみたいです。
寸法を測り、ホームセンターで探しました。
測った場所は車輪の直径、金具の寸法と取り付けピッチです。
悪くなっていたのは一つですが、左右2枚とも取り替えようと4個買いました。
商品は、サイズ別に何種類もありましたが、車輪の直径により区分されていました。
あと、車輪の溝の形状がフラットなものと、U字型の2種類。
写真の金具の色から判断すると、金具は鉄でメッキはクロメートメッキと言われる毒性のある六価クロムが含有されています。新たに買ったものも同じ色なのでやはりクロメートメッキのようです。
毒性の少ない三価クロメートの場合、色は銀色っぽくなるのですが、まだ流通しているんですね

戊辰戦争後の会津の人々

2013年09月22日 | 雑記帳(その他)
大河ドラマも後半となり、舞台が京都に移りました。
前半は会津と京都を行ったり来たりしていましたが、主は京都となり、たまに会津が戦争後の消息は如何にといった感じで描かれています。
そして新しい登場人物が次々出てきますが、その分これまで主だった人のかなりが、登場しなくなりました。
歴史読本七月号から、それらの人々の消息を簡単に記してみます。

秋月悌次郎
秋月悌次郎はドラマでは藩主容保の命により、会津戦争終結の降伏文書を持って、新政府軍の陣営に駆け込んだ人です。
実際の降伏式は道路上に菰を敷き、さらにその上に非毛氈を重ねたそう・・・
式の後、藩の重臣達は毛氈を切り取り、「この日を忘れまい」と懐中に入れたと言われています。
秋月は明治5年に特赦となり政府に採用されましたが、その後教師として、東京大学予備門、第一高等中学、その後、熊本にある旧制第5高等学校の教授として赴任しました。熊本にはラフカディオ・ハーンがいて秋月のことを「先生は神のような存在だった」と語ったそうです。
晩年は東京に戻り77歳で永眠しました。

ちなみにラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は1890(明治23)年に来日し、松江で英語教師をしていましたが、翌年11月に旧制第5高等学校に英語教師として赴任しました。
その後、1896年からは東京帝国大学で英文学を教え、1903年に退職しました。
後任は夏目漱石でした。
そして翌年1904年9月に狭心症により永眠、満54歳でした。

西郷頼母
ドラマではただ1人非戦恭順を唱え、藩から追放されました。もっとも白河の戦いにおいては軍事総督を任され、仙台藩と合わせて2500の大軍で700の薩摩軍に対峙しましたが、敢えなく敗北しました。貧弱な装備と戦術ミスが原因でした。追放された後北海道に渡り、榎本軍に参加しましたが戦いに敗れ、館林藩にお預けとなりました。
その後1880(明治13)年に日光東照宮の禰宜に迎えられました。
(禰宜とは宮司の補佐役)
藩主容保が宮司に就任したのと同時だったようです。容保が指名したのかもしれませんね。
70歳で会津若松に戻り明治36年に死去しました。享年74歳。

梶原平馬
会津戦争に先立って奥羽越列藩同盟成立のため奔走し、成立にこぎ着けました。その立役者です。
イギリスの外交官、アーネスト・サトウによると色白でかなりのイケメンだったそうです。
戦争後は妻(山川大蔵の長姉)を離縁し、北海道に渡りました。その後消息不明でしたが1988(昭和63)年、再婚した妻貞が根室の教育史に名をとどめていたことが発見されました。
貞は江戸から根室に赴任し、教職にありました。
平馬は文房具店を営んでいたそうですが、明治22年に永眠しました。享年47歳。

~続きます~

中秋の名月

2013年09月19日 | 天文・気象
今日は旧暦で8月15日です。
今夜の月は中秋の名月、今まで知りませんでしたが、中秋の名月が必ず満月とは限らないのだそうです。
一昨年から今年まで3年連続で満月でしたが、来年からはそうではなく次に中秋の名月が満月になるのは8年後、東京オリンピックの翌年らしいです。

去年も一昨年も雲でよく見えませんでしたが、今年は快晴でとても良く見えます。
デジタル一眼レフに望遠レンズを付けて撮ってみましたが、これ以上の解像度は無理みたいです。


台風18号

2013年09月18日 | 天文・気象
台風18号が大雨を降らせ、各地に大きな爪痕を残しました。
私の住んでいる地域では、15日夜から本格的に降り始め、16日の昼前まで降り続き合計で300ミリ近い雨量となりました。時間雨量は20~30ミリなんですが、止むことなく降り続きました。そしてこの大雨により大雨特別警報が発表されました。
今年の8月30日に気象庁が運用を開始して、初めての発表とのことです。
過去に経験したことのないような大雨であることから、特別警報として発表されたそうで、携帯にも緊急速報メールが全部で6本届きました。
内容は特別警報発令、避難指示の地域、避難指示の解除、下水道使用自粛について・・・・

大雨特別警報は京都府、滋賀県、福井県に出されましたが、目安は50年に一度経験するほどの大雨になる場合に出るそうです。
関西に出てきて40年あまりになりますが、今までに経験したことがないほどの雨でした。
1ヶ月に降る雨の総量が1日で降るわけですから、あちこちで冠水、浸水被害が出ました。
鉄道線路の法面が崩落したり、高速道路に土砂が溜まって通行止めになったり、県内では初めての経験です。

そして・・・・下水本管が満水状態となっており、使用を自粛して欲しいとのメールも届きました。
それで、急遽昼食も夕食も簡単なものですまそうと、昼はサンドイッチ、夜は弁当を買うことにしました。雨が止んでから買い物に出てみると、田畑は冠水、下水のマンホールは蓋の隙間から30センチほど水が噴き上げていました。道理で使用自粛指示が出るはずです。この地に住んで20年以上になりますがこんな事は初めてです。
しかし使用自粛と言われても、ゼロには出来ません。
取り敢えず、シャワーは諦める、トイレは極力流さない、料理はしない・・・・と言うことにして弁当など買いましたが、その弁当作るのに水使ってますから、どれだけ効果があったのかよくわかりません。

この台風の特徴は、進行方向の左側で特に雨雲が発達したことですね。たいていは進行方向の右側に雨雲が発達し、何百キロも離れた地域にも雨を降らせる半面、左側は風も雨もそれほど強くはならないものですが、今度の台風は逆になっていました。ちょっと珍しいのではないかと思います。

それと緊急速報メールですが、これは自治体から発せられます。該当する地域にいる人すべての携帯に入る仕組みです。しかし住民全員が携帯持っているわけではないのに広報車も出ないし、防災無線も一般的な定時の連絡だけでした。
市役所のHPを見るとトップページに下水使用自粛依頼が書かれていましたが、ようやく今日解除となりました。これも見に行かないと知る由もありません。下水道がそのような状況になっていることを知らない人も、多かったのではないでしょうか。

この雨で琵琶湖の水位がマイナス25センチからプラス75センチまで、一気に回復しました。都合1m上がったわけです。
実は1995年5月にも大雨で琵琶湖の水位がプラス1mとなり、高すぎて大きな被害が出ました。しかしこの時は今回ほどの雨ではありませんでした。もともとの水位が高めに推移していたのかもしれません。

ボイジャー1号太陽系脱出

2013年09月15日 | 雑記帳(その他)
おとといの新聞で、NASAの無人探査機ボイジャー1号が太陽系外に出た、という記事を読みました。

ボイジャー1号は1977年に打ち上げられましたが、NASAによると去年8月には太陽系末端を通過したと見られているそうです。
ボイジャー1号は打ち上げ時にも大きなニュースになり、その後もたびたび新聞や雑誌に掲載され、注目を浴び続けてきました。
打ち上げ後35年かかってとうとう、太陽系の外に出たことになります。

ボイジャー1号は現在太陽から187億km離れた位置を、時速6万kmで飛行中です。
(太陽との相対速度)
187億kmという距離は、太陽と地球の距離1.5億kmの125倍です。
太陽の光が地球に届くのに要する時間は8分20秒ほどですが、ボイジャーから地球に信号が届くのに17時間余りかかります。
太陽の光が冥王星に届くのに要する時間が約5.5時間なので17時間はこれの約3倍です。冥王星も相当遠いのですが、ボイジャーはさらに3倍遠いところまで行ってしまいました。

ところで、ボイジャー1号はどこに向かって飛んでいるのか新聞には書かれていませんでしたが、特定の恒星系に向かっているのでもないようです。
時速6万kmは秒速に直すと約17km、東京・大阪間をわずか31秒で到達する速度になりますが、これはボーイング787の約60倍です。
ボイジャー1号がこの速度で太陽系に最も近いケンタウルス座α星に向かったとして、到達するのは約8万年後です。新聞には4万年後と書かれていましたが間違いですね。

このボイジャー1号には、55カ国(日本も含む)のあいさつなどを吹き込んだレコードが積まれています。将来宇宙人がボイジャーを確保して、地球にコンタクトを取る可能性も考えられますね。

このボイジャーの電源は太陽電池ではありません。余りに遠くまで飛行することを考えれば太陽電池ではエネルギーが足りません。太陽電池が使えるのは木星付近までだそうです。
そこでプルトニウムを利用した原子力電池という電源を積んでいます。新聞によると、プルトニウムの崩壊熱を熱電変換素子を使い電気に変換して、探査機の電力をまかなうものです。放射性物質を使用していますが、原子炉とは全く異なる発電原理です。原子力電池は寿命が長いので、今もボイジャー1号に電力を供給しています。

このボイジャー1号、打ち上げから35年たっても故障せずに観測を続け、地球にデータを送信し続けています。太陽と恒星カノープスの位置関係から地球の方向を計算して、地球にアンテナを向け観測データを送信しているんです。
ボイジャーには2号もあります。実は2号の方が1号より1ヶ月早く打ち上げられましたが、軌道の関係で1号の方が速度が速く、太陽系を先に脱出しています。
やがては、2号太陽系脱出というニュースが発信されることでしょう。。。

木星の衛星イオの火山活動を発見

土星最接近の4日後に撮影された土星

めまい

2013年09月10日 | 雑記帳(その他)
よく知らなかったのですが、めまいってとても広い意味があるのですね。
ウィキペディアによると
めまいは、目が回るようなくらくらとした感覚の総称である。眩暈・目眩・眩冒などと書く。
眩は目がかすみ目の前が暗くなること
暈はぐるぐる物が回ってみえたり、物が揺れ動いて見えること
目眩は目がかすみ頭がくらくらすること
眩冒はひどく頭がくらくらして目の前が暗くなることと
単にめまいと言われたとき、人によって表現したい現象が異なっていることがめまいの特徴である(=様々な症候を示している)。医学的には視覚、平衡感覚と固有感覚の不統合によって感じる感覚と言われている。運動失調とは区別が必要である。

と書かれています。
めまいが起こっている最中は眼振と言って、眼球が実際に回ったり振動していることもあります。

手術の翌日ICUで目が覚めて朝食の時間になったとき、看護師さんがベッドの頭の方を起こしてくれたんです。すると天井の蛍光灯がすごく揺れ動いて見えました。これは眩暈ですね。ベッドを水平にすると治まりました。細かく調整していただきましたが、結局ほとんど水平しかダメなことがわかりました。その所為もあってあまり食べられませんでした。
しかし、この眩暈は昼にはきれいに治りました。昼にはベッドが起こせたので、昼食は何とか半分くらい食べられました。

私は夏になると時々立ちくらみを起こしますが、この立ちくらみもめまいの一種と言われています。
また、アーチスト錠の副作用と思われるめまい(ふらつき)も頻繁でしたが、以前の2錠から1錠に減ってからふらつきはなくなりました。さらに減って今は半錠です。
それでも注意して観察すると、立ち上がるとき一瞬ですが意識に違和感を感じることがあります。

ごくたまに気が遠くなることもあるので、まだまだ注意は必要なようです。

ところで目まいの原因のおよそ半分は、内耳にある耳石の一部が剥がれて三半規管に移動することにあるそうです。三半規管内で耳石のかけらが動いて感覚毛を刺激することで姿勢が変わっていると脳が判断、しかし実際には姿勢は変わっていないのでその代償として眼振が起こり、目まいになってしまうのだそうです。

33回目の外来受診

2013年09月04日 | 手術後の外来診察
9月2日は1年ぶり、術後4回目の滋賀医大の受診でした。
病院再開発計画が終了し、1階ロビーは何もかもリニューアルされています。
もっとも去年の今頃には装いも新たに・・・・でしたが、年に1回しか行かないのでなかなか頭に入りません^^;;;
去年は妻も同行してくれて、診察後レストランで食事しましたが、今回は予約が9時だったので電車とタクシー(←ちょっと贅沢)で行きました。
駅を下りてタクシーにしたのは、バス乗り場が余りに大変な混雑だったこともあります。

病院に着いて、まず再来受付機に診察券を通すと本日のメニューが出てきました。
3種類の検査を済ませてから、外来受付に行きます。
検査はレントゲン一般撮影(正面と側面)、心電図、心エコー。
検査部門でもまず診察券を機械に通すと、検査内容が印刷された番号札が出ます。
同時に各検査担当に受付情報が流れるようで、そのまましばらく待っているとディスプレイに受け付け番号が表示されます。番号札を持って検査室に入ると本人確認の後、検査に移ります。
検査室に入るまで名前を呼ばれることがないので、個人情報は守られるシステムです。
放射線科は従来通りの受付でしたが、扱うのが放射線なので機械任せにしなかったのかもしれません。

各種検査終了後外来窓口に行き、受付を済ませてから自動血圧計で測定。この測定器も新しいものに変わっていました。以前教わったようにゆっくり深呼吸を繰り返しながら測ったところ、結果は123-50でした。OKOK。
血圧結果票を受付で渡しながらふと目を移すと
「心臓血管外科外来では、手術を受けられた患者さんからのエピソードを募集しています。
これから手術を受けられる患者さんへのメッセージとしてだけでなく、同じように手術を受けられた患者さんがどのよう過ごされているのかなどの参考になるのではないかと考えております。(以下略)」と書かれた貼り紙があり、記入用紙が何枚かカウンターに置いてありました。
これは協力しようと言うことで、A4の用紙半分くらいに、思いつくまま書かせてもらいました。
これはいい試みですね。

そして待つこと1時間、2年半ぶりに浅井先生の診察です。
レントゲン、心電図、心エコーのどれも異常なしで、診察の主たる目的はものの3分で終わってしまいました(^O^)
心電図でよく右脚ブロックが指摘されるので質問したところ
心電図波形図には正常心電図と書かれている。波形をよく見ると右脚ブロックと診断されるかされないか微妙なところだが全く問題はない。不整脈も出てないし、良いですよ・・・・と。

心エコーデータはコピーをいただきました。
データがほとんど英語の略称で書かれているので、一目見たぐらいではよくわかりません。
以前より気になっていたところでは
各弁は大動脈弁の逆流がゼロ以外は、レベル1(ごくわずか)
右心室収縮期血圧(肺血圧の最大値)は30で良好。
ちなみに35以上で肺高血圧です。

先生からは酒飲んでも良いよと、飲酒の制限はなくなりました。でも下戸なので多分飲まないと思います。
その他趣味を聞かれたり、様々な話題で。。。
趣味のことは話し出すときりがないので、またメールしようと思います。
浅井先生も手術の時は音楽を聞きながら・・・だそうです。
そういう先生、多いですね。
最後に、普段診てもらっているヴォーリズ記念病院の寺尾先生宛に手紙書くから、外で少し待って下さいと言われました。

診察室を出て椅子で待っていると緑のファイルを渡されました。それを持って会計窓口に行き、番号札をもらいます。
支払窓口の上のディスプレイに番号が表示されれば、支払可能となります。
クレジットカード自動支払機も使えるのでとてもスムーズです。
診察室から呼ばれた以外、名前を呼ばれることはありませんでした。

再来受付機も自動支払機も以前より使いやすくなっていました。
ただ、検査後心臓血管外科外来受付に行くのに迷ってしまいました。方向音痴?