私はこんな思いに追求しないで、今夜の用意に取りかかった。
目指すは玄関。
小さい頃にお婆ちゃんが、『新しい靴を夕方や夜に下してはいけない。』って言っていたのを思い出したからだ。
道明寺は、下駄もだけど巾着まで用意してくれていた。
男の人なのに、気が付きすぎるでしょ。
道明寺が用意してくれた下駄を見て、足が痛くなるだろうなって思った。
子供の頃、お婆ちゃんの家に行った時に浴衣や着物を着た時は…。
『つくしの足が痛くなったらいけないから。』ってパパが少し履いて、鼻緒や前坪を伸ばしてくれていたよね。
パパってお金にはだらしなかったけど、家族思いで優しかったな。
さっとシャワーを浴びた私は、メイクをして久しぶりに髪の毛をアップにした。
そして、西門さんからもらった分厚い《着物 実技編》の本から浴衣のページを見ながら、なんとか浴衣を着た。
これだけでも、私には一苦労どころか二苦労。
エアコンで冷えた部屋にいるのに、背中にじんわりと汗が出てくるのがわかる。
そして、これからが難関の帯。
道明寺は、西門さんが選んでくれた帯と同じ幅の帯を用意してくれいた。
着物実技編の本と睨めっこを繰り返した私は、なんとか浴衣を着ることが出来た。
『誰か私のこと褒めて~。』って思いながらソファーにゴロンと横になった。
!!!
ギャー!!私のバカっ!!
折角、長時間を掛けて結んだ帯がっ!
私の力作&傑作の帯なのにっ!!
しかも、自分で潰してしまった・・・。
ウソでしょ!
自分のバカさに泣きたくなる。
西門さんに言われていたんだった。
『着物の時は、立ち居振る舞いに十分気を付けるように。普段の自分が出るからな。』
って、笑いながら言われていたんだ。
私は自分で結んだ力作の帯を結び直した。
18:00
道明寺は、帰ってこない。
花火大会は19:00からだもんね。
19:00
道明寺は、まだ帰ってこない。
花火大会、始まったよ。
ドーン!ドドーン!
夏にだけ聞こえる音が、バルコニーから聞こえる。
19:30
道明寺は、まだだ。
仕事が、忙しいのかもしれない。
ピロン♪
メールの着信音が鳴る。
タップすると、道明寺からのメール。
【仕事で遅くなる。花火が終わるまでには帰る。】
仕事なら仕方ないよね。
花火が終わるまでに帰るって何時くらいなんだろ?
花火大会には間に合うの?
会場には行くの?
なんて返事をしたらいいんだろ。
【了解です。気にしないで。仕事、頑張ってね。】
こう打った文字も消した。
気にしてって言っているみたいじゃない。
なんて送信するのが良いのかな?
【わかった。頑張ってね。】
私が、何度も打ち直した文字。
これがいいのかどうかもわからない。
でも、これ以上考えられない。
私は、この文章を道明寺へ送信した。
少し残念に、そして、寂しく感じながら私はバルコニーに出た。
建物の向こうに見える花火だから、ところどころ欠けている。
花火が見えなくても、音だけが聞こえる時もある。
でも、明らかに向こう側は花火の煙で充満されている。
きっと、あの煙の下ではたくさんの人がキラキラした顔をしながら花火を楽しんでいるんだろうな。
花火の大きな音にビックリしている子供もいるかもしれない。
この日、道明寺は20時を過ぎても、20時半を過ぎても帰ることはなかった。
21時になる少し前。
ドドドドーンっ!!
離れている、このマンションまで大きな音が聞こえた。
きっと、これが最後の花火。
私はこの最後の花火を見ることなく、草履をシューズクロークの中へ直した。
そして、自分の部屋に戻った。
着る時はスゴク大変で困っていたのに、脱ぐときは一瞬。
もう二度と着ることの無い道明寺が用意してくれた浴衣。
私は、静かに浴衣と帯を畳みだした。
私は普段着に着替えて、アップにしていた髪を下した。
直毛って、スゴイの。
アップにするのは大変なのに、おろした途端に直ぐ元に戻る。
浴衣も私の髪も、直ぐに元に戻るのに…。
パンパンに膨れて大きな風船みたいになっていた私の気持ちは、空気が抜けた風船みたいになってしまっていた。
契約じゃなかったら?
本当の夫婦だったら?
こんな関係ではなければ『来年は絶対に行こうね。』って言えたのかな。
お読みいただきありがとうございます。