あたしが泣いている間─────。
亜門は、ずっとあたしを抱き締めてくれていた。
抱き締めてくれている亜門の体温が心地よくって─────。
あたしは、しゃくり上げが出るほど泣いた。
道明寺とよく似ている亜門。
でも、香りは全く違う。
道明寺からは、森林を連想するような爽やかな香りだった。
でも、亜門は─────。
スパイシーさの中に柑橘系のサッパリした香りがして…。
そして、道明寺からは絶対にしなかった煙草の匂いがした。
煙草の匂いは苦手なのに…。
その煙草の匂いすら気にならなくって、あたしの昂った心を落ち着かせてくれた。
亜門の香りに包まれて、ホッとしてしまったのか…?
泣き疲れてしまったのか…?
亜門の胸の中で、あたしは舟を漕ぎそうになった。
あっ…。
あたし、今、ウトウトしてしまった。
いつもみたいに、また皮肉を言われるんじゃないかって
思いながら、亜門をチラって見上げると─────。
亜門は、すごく優しい顔であたしを見ていた。
そして、
「泣いた後は、メシだ。」
って言って、あたしの手を取ってきた。
亜門に手を引かれ、あたしは駅の方へ向かって歩き出した。
大きな道路に出る時に、救急車とすれ違う。
救急車のサイレンと赤い回転灯で、あの日のことを思い出す。
全く心が痛まないって訳じゃないけど、昨日までの痛みは無い。
もしかすると…。
あたしは、一番苦しかった時期を乗り越えることが出来たのかもしれない。
頭を、ハンマーで殴られているような痛み。
そして、グルグルと回転する眩暈に─────。
俺は、意識を失ってしまっていた。
好きだった女を、やっと手に入れた─────。
はずだった…。
でも、俺は─────。
手に入れた瞬間、手離してしまっていた。
事故以降の日々。
そして、必死で牧野を追いかけていた日々が、頭の中を交差する。
俺は、今まで…。
何をしていたんだ?
牧野のことを『類の女』と呼んでいた。
しかも、牧野以外の女を、そばに置いてしまった。
その上、牧野が作った弁当を、あの女が作ったと思ってしまった。
薄らと目を開けると─────。
そこは、さっきまでいた公園ではなく、俺はベッドで横たわっていた。
ここは、つい最近まで入院していた病院で…
しかも、最悪なことに同じ病室だった。
俺を、あきら、総二郎。
そして、三条が、俺のことを心配そうに見ていた。
体を起こすと、めまいも無く、頭痛も消えていた。
そして、靄は完全に消えていた。
部屋の端椅子に、類が座っていた。
でも、牧野はいなかった。
当然といえば、当然なのかもしんねー。
「大丈夫か?」
「気分はどうだ?」
「私、先生を呼んできます。」
こんなことを、こいつらが口々に言い出した。
それには、返事をしねーで、俺は気になったことを口にした。
「牧野はどうした?あいつと2人で、どこかに行ったんじゃねーんだろうな。」
この俺の言葉に、あきらと総二郎の目が見開いた。
そして、病室を出ようとしていた三条の足が止まった。
「司、記憶…。」
「記憶、戻ったのか?いつ、戻ったんだよ。」
「道明寺さんっ。先輩のこと、思い出したんですかっ?」
こんなことを、口々に話し出した。
でも、類は─────。
驚きもせず、黙ったままだ。
それどころか、怒っているのが感じ取れる。
俺の記憶が戻ったことなんて、類にはお見通しなんだろう。
記憶を無くした俺が、気付かなかっただけで、
もしかすると、あの事故以降─────。
類は、ずっと怒っていたのかもしんねー。
類が怒っていたとしても、牧野だ。
俺は、ベッドから立ち上がろうとした。
このタイミングで、廊下からスゲー足音が響いてきた。
医者とナースが来たか…?
正直、今は俺の診察とかじゃなく─────。
牧野に会って謝りてー。
こんなことを思っていると─────。
入ってきたのは、滋だった。
こいつの足音、どれだけ大きいんだよっ。
しかも、滋は部屋に入って来るなり
「司、大丈夫っ?桜子から、電話もらって…って、あれ?もう目を覚ましたの?」
こんなことを、デケー声で話し出した。
そして、
「また、この個室?まさかと思うけど、あざと女のオプションは付いてないよね。名前は言わないけど、司の彼女の海って名前の子。」
っつー余計なことを、言ってきた。
こんな余計なことだっつーのに、
あきらと総二郎にはツボだったらしく─────。
「あざと女のオプション。」
「名前は言わないけどって、言ってるだろっ!」
なんて言いながら、滋と一緒にゲラゲラと笑い出した。
バカ笑いしてるこいつらをよそ眼に、俺は牧野に向かって走り出した。
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