@幕張日記

@幕張が日々を想いのままに綴る日記

IKEAについて、カルフール幕張で買い物しながら考えたこと

2006-07-06 23:35:45 | @幕張の主張
 久し振りに近所のカルフール幕張へ行ってきた。
ここは2000年12月に世界第2位の小売業売上高を誇るフランスのカルフールが鳴り物入りでオープンしたものの、業績の悪化から昨年、2005年3月にイオングループに店舗を売却してカルフール本体は撤退してしまった、いわばカルフールの残骸とでもいう状態のハイパーマート。カルフール名物だった、イケメン店員のおにーさん達がローラースケートで店内を走り回る風景はすでになく、一時は大きなコーナーを占めていた輸入食品コーナーも大幅に縮小されて、イオンのトップバリュ商品に売り場を明け渡してしまっている。

カルフールは商品の品揃えが豊富で安いだけでなく、エアコンの効いた専用ワインカーヴに並べた1本数万円の高級品を始めとする世界各国のワインや国内随一を謳った直輸入チーズの品揃えなど、当時のスーパーとしては画期的な内容でもあった。
               だが、日本進出は失敗に終わった…

失敗の理由は数多く語られているが、豊富な品数、安い価格、直輸入の珍しい商品の数々でも勝負できなかった背景には、日本独特の客の嗜好を把握できなかったことも原因の一つと云われている。確かに日本人は安けりゃ良い…ということは絶対になくて、安い価格以上に高品質を求めるし、一時のブームには乗るものの飽きっぽいという欠点もある。

@幕張は当時、近くにあるWBGという大きなオフィスビルで働いていたことからカルフールの開店当初の狂乱振りを知っているのだけれど、大勢の人々が押しかけ、車が列をなす姿は今のIKEAの姿とデジャブとなって重なって見えるのだ。

IKEA船橋に近い幕張には主に高級品を扱う大塚家具を筆頭に、東京インテリアやROOM DECOなどの専門店があり、客はあちこちの店を回遊して商品を選んでいる。安い商品は飽きやすい…ということもあり、結局、日本人の場合はある程度の高級品志向で落ち着くのではないか、という気がしないでもない。
友人のY氏のように、10数万円の子供用デスクをアウトレットで半額で買う、というような、高品質な商品だけれど自分自身が納得する部分の小さな瑕疵は気にしないでお得なショッピングをする、という買い方が“安くて良いものを賢く買う”のが好きな日本人の最終的な到達点になるのではないか…とも思えるのだ。

昨日IKEAに行った時、レジカウンターのブース近くにあるアウトレットコーナーにも立ち寄ってみた。
6月27日に立ち寄った時には多くのB級品が展示されていたこのコーナーだったが、昨日は雑貨が数点と薄汚れたソファが一脚残っていただけで、ほぼ完売状態だった。
あれほど、安い価格とデザインを売り物にしていたIKEAにおいても“更に安くてお得”なものから先に売れていく。
「10数万円のデスク」とは品質の面で格段の差はあるものの、「いい物を更に安く買いたい」という客の根本的な心理は同じはずで、それは店側が顧客に対して常に買い得感を演出しなければならない…という、店側にとっては地獄のスパイラルへの入口でもあるのだ。

進出の手法が何となく似ているようなIKEAを見る時、5年後には果たして何店舗になっているのか…?といらぬ想像をしてしまう@幕張なのであった。

                ま、それはさておき…

  
今のカルフール幕張でも、往時より品数は随分と減ったもののまだまだ面白い輸入品が置いてあった。
たとえばタバスコ。“世界一辛い”と言われるハバネロである。
何種類もの野菜を加えた酸っぱくない大辛ハバネロや、グリーンハバネロにサボテンを加えた緑色のハバネロなど、およそ他のスーパーでは扱っていないようなコアな商品も。

高級ワインを保存してあるワインカーヴにも、一時大量に保管してあった数万円の超高級ワインの数が減ったものの、5,000円から10,000円前後のもそっと買いやすい価格帯のワインが増えている。
以前は年に2回行われていた「ソルド(バーゲンセール)」では超高級品のワインも半額になっていたので、@幕張的にはあのバーゲンセールの再現を熱望したいところ。

           だって、大好きなパヴィヨン・ルージュの2003年モノが8,000円もするんですもん…

今回買った食品の中で、もっともお買い得だったのは「佐藤錦」1パック198円。
50粒以上入ったパックの中身は、大きさが不揃いだったり、身に小さな傷が入っていたりしてはいるが、味の方は1パック900円の佐藤錦と同じ、食べ頃の美味しいさくらんぼ。
  

再び、靖国問題について考える

2005-10-20 22:26:54 | @幕張の主張
 小泉首相が靖国神社を参拝した事が周辺の国々に波紋を広げている。
相変わらず「来るなら来い!」式に挑発をするのが好きな首相殿、今度も外相の訪韓直前に噛ましてくれた。まあ、靖国神社参拝に賛成な@幕張としては韓国や中国がどうのと騒いでも気にする必要はないと思っているが、台湾の李元総統が靖国参拝賛成を打ち出したことで逆に心配になってきた。

   首相殿。ヤッパ、靖国はもう少し整理しといた方が良くないか?

「靖国神社参拝の是非」が、本来の“問われる”部分を離れ、中韓両国によって「外交の道具」にされている、という問題は以前に書いた。問題にされているのはA級戦犯の合祀。以前この問題に触れたことで、A級戦犯についてその後いろいろ調べていて気付いたことがある。それは、戦時中の兵士達を呪縛した「戦陣訓」が実は昭和16(1941)年1月に東條陸相の名前で全軍に示達されたものであったということ。

戦陣訓は兵士達の道徳を戒めるもので、現代でも通用する内容のものが幾つかある。しかし、その中の第8項の「名を惜しむ」の項はまったく不合理なもので、「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。」つまり、捕虜になることは恥辱であるという思想を日本陸海軍の将兵達に刷り込み、全将兵に死を強制したことは戦争末期に多くの将兵が行なった“弾が尽きた銃”や銃剣、中には“竹やりもどきの武器”や“徒手空拳”で連合国の機関銃の前に突撃した万歳突撃による玉砕を生み、また沖縄やサイパンなどで多くの民間人が岬から身を投げ、互いの喉を突いての集団自殺を選んだ元凶がこの戦陣訓だった。

「玉砕」と書くと何かしら高貴で美しいものが失われたように思われるが、早い話が犬死で、戦争論から言っても貴重な将兵という人的資源の浪費である。そして後に残るは、3日も経つと遺体の身体全体に蛆が湧くような南国の自然環境の中で、占領した連合国の将兵たちが足を踏み入れるのも戸惑うほどの、日本軍、もとい、日本国民の地面を覆うばかりの腐乱死体の山なのである。

故に、この「生きて凌辱の辱めを受けず」を作成した元首相、東条英機の日本国民に対する罪はどう裁かれたのか?

         彼の日本国民に対する贖罪は?

靖国問題が論議される時、東条元首相はA級戦犯の象徴としてよく俎上に挙げられるが、それらに常に反論する東条家の長女、東条由布子氏の言う「東条元首相も戦争の被害者である。また東条元首相等A級戦犯を裁いた東京裁判は戦勝国の一方的な私刑である。云々…」という主張については、ある一面においては正しいのかもしれない。ただし、それはあくまでも一面的な、「連合国 vs 東条元首相」という角度から見た場合の主張なのであって、もう一方の大多数の戦死者、戦没者を出した日本国民側から見れば「なぜ我々を死に追いやった彼が、我々と一緒に祀られなくてはならんのだ」という疑問が湧いてきても何ら不思議ではない。

この際、東条家のアイデンティティーは横に置いておいて、日本とドイツ、つまりと東条英機とアドルフ・ヒトラーを比較して論じた場合、あるいはムッソリーニと比較した場合、自国民を苦しめ、単に戦争で…という理由では推し量れないほどの理不尽な死を同胞に強いた、時には自身の主義主張を通すが為に同胞を処刑してきた…という点ではヒトラーやムッソリーニは東条英機と非常に似通った存在である。なのにドイツやイタリアでは戦後から未だに同胞から忌み嫌われ、名前を唱えるのも不吉とされる彼等と違い、東条英機は絞首刑によってすべての罪は贖ったとされるのは何故か。敢えて言うなら東条英機自らの手で死に追いやったとも言える他の戦没者と共に靖国で祀られているということはある意味、異質であり、海外ばかりでなく日本国民から見ても違和感があるのではないか。

誤解を懼れずに例えるなら、海外から見た日本の現状は「憎むべきヒトラーやヒムラー達、ナチスの幹部が他の無名戦士と共に国立墓地に埋葬され、それをドイツ大統領や首相を始めとした政権幹部が“英雄”として称え、花を捧げている…」とでも見えるのではないだろうか。このように書けば、違和感がある、とした意味が分かり易いと思う。

また同時に、「軍上層部からの玉砕命令や憲兵隊による理不尽な取り締まりや迫害に苦しめられてきた将兵たちの家族や末裔が、その命令を下したトージョーに何故に日本国民は花を手向けるのだ?」と訝しがっても不思議ではない。

 なぜなら、東条元首相は日本国民に対する贖罪をしていないのだから。

海外の諸国が、もし日本の現状をこのように見ていると仮定するならば、現在の日本の首脳には説明責任があるはずである。靖国は内政問題…と言いつつも、確かに内政だけでは済まされない問題を孕んでいる。なぜなら日本人から見れば「亡くなってしまった人は神様になるのだから、皆平等に祀って当たり前、先祖を拝んで当たり前」と言った常識も、宗教観の違う海外から見れば「ヒトラーやムッソリーニと同じ種類の人間のトージョーを日本人は信奉している」と見えるからである。

もっと分かりやすく言えば「大量殺人犯が死刑になったのだから、死んだ人は皆仏様。だから被害者の家族も彼を拝みなさい。」といっているようなもの。彼が当時の植民地政策地も含む日本国民に課した理不尽な迫害と死は、戦争の遂行とは何ら関係のないものも数多くあったはずで、それは「戦争による非常時の死」ではなく「東条元首相率いる国家による殺人である」とまで言えないだろうか。

そんな形で靖国を見たとき、靖国に祀られたA級戦犯がクローズアップされて、日本が“いつか来た道”を再び歩もうとしているのではないか、と疑心暗鬼になっている海外の反応が過敏に出ているとすれば、それは理解できないこともない。

先の小泉首相の靖国参拝では、相変わらずキャンキャン吼える韓国と違って中国は控えた論調の批判で終始し、春に起きたような反日運動を押さえる傾向にある。春の反日運動の盛り上がりで中国方面への旅行を敬遠し、中国を訪れるツアー客が減ってしまったからだという。
今年は中国ツアーの販売を諦め、やっと昨年の地震と津波の後遺症が癒え始めてきた東南アジア方面のツアーの販売にシフトしていると昔の職場の同僚が言っていた。中国政府としても、一人当たりの客単価が欧米ツアー客の数倍になる大得意様の日本人観光客が激減し、更には中国に進出や投資を考えていた日本企業が躊躇する事態になったことで、やっと中国に対する日本人の反感を和らげようと現実的な対応をし始めたということか。
しかし、中国政府が現実的な対応を始めた、ということは今までの騒ぎは何だったのか。図らずも、中国政府は靖国問題を政治カードとして利用していた事を自ら露呈してしまったわけである。

小泉首相や東条由布子氏は東京裁判の正当性を理由にしたり、または中韓に対する感情的な意地で靖国参拝を正当化する前に、A級戦犯とされた人々が大戦前から戦時中にかけて同胞である日本人に対して行なった罪に対する贖罪について考えてみる必要があるのではないか。たとえそこで東条家のアイデンティティーが問われる結果になったとしても。

         なぜか。

再三、繰り返すが、東京裁判は日本国外に対する罪を問うたもので、日本国民に対する行為については問うてない。故に、彼等は日本国民に対しての贖罪を未だ行なっていないからである。

@幕張的には、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」と多くの日本人に犠牲を強いた彼の、逮捕直前の無様な自殺未遂が仮に成功していれば、その後の歴史も少しはマシになったかな…、と思っているのだが。

“奇跡の生還” JetBlue社のA320事故で感じたこと

2005-09-23 22:34:48 | @幕張の主張
 今日から三連休。先週から三連休が連続していて、サラリーマンなら嬉しい一週間。ちなみに、4寝後だったか5年後には、祝日の繰り合わせでこの週が5連休になるらしい。

   4月から、ずっと夏休みが続いている@幕張には関係ないか…

ところで昨日、母上や妹夫婦、お手伝いさん等と一緒にハワイに旅立つ友人のO氏に携帯メールで土産を頼んでいたら、テレビでとんでもないニュースをやっていた。

そう、アメリカの航空会社JetBlue社のA320が、前輪が90度曲がった、つまり横を向いたままで無事に着陸したニュース。
旅客機に乗った経験のある人ならば分かると思うけれど、普通、旅客機は胴体中央の主脚が接地してから3秒前後で前輪が接地する。なぜなら、機体の重心にある主脚を最初に接地することで着陸時のGを後方と上方に分散して機体や乗客へのダメージを最小限に留めるため。ちょうど、白鳥やワシなどの大型鳥類が着地する時の姿勢と同じロジック。

ところが、主脚が接地してからフラップをフルに下げ、エンジンを逆噴射してスピードを急激に落とすと機体が前のめりになるから前輪もすぐに接地してしまう。この間をどう保つかがパイロットの腕の見せ所で、前後の車輪が同時に接地したり前輪がすぐに接地したりすとと、機体が滑走路からバウンドするように上方に力が働くので着陸の衝撃がモロに客席に伝わる、いわゆる“ハードランディング”になる。

かと言って、前輪が接地するまでの間を長く保とうとすると、フラップを上げ、エンジンにパワーを送って機体の姿勢を上向きにしなければならないから着陸時の滑走距離が長くなってしまい、これも滑走路のオーバーランの危険性がある。

だから今の日本国内の旅客機はほとんどの飛行機が主脚が接地してすぐに前輪も接地してしまい、客席に座っていると着陸の衝撃で思わず身を硬くすることが多い。時には、着陸の衝撃で天井の荷物収納棚のドアが開いてバッグが飛び出す、なんてこともある。ヘタクソなパイロットだと、機体の姿勢が斜めになったまま着陸し、前輪が接地した途端に機体が蛇行するような着陸をする……もう映画真っ青の恐怖体験を味わうことだってある。

そんな操縦の難しい大型旅客機の着陸を、まるで卵をふわりと受け止めるような、正に操縦の見本のような着陸。なんでも、主脚が接地してから前輪が接地するまで12秒近くも堪えたらしい。エンジンパワーとフラップを巧みに操作して成し得た着陸。

      すごいパイロットだ!!

事故を起こしたA320は世界中で1,429機運行されていて、日本でも全日空を中心に28機が空を飛んでいる。なんでも、同様の前輪の事故は過去に4件あったそうで、グアムで起きた同様の事故では着陸時の衝撃で前輪が折れ、機体が損傷して何人かのケガ人が出たそうだ。

ニュースでは機長の技量のすごさと共に、周りの関係者との情報の共有、チームワークも褒め称えていた。

そう、情報の共有とチームワークは仕事のベースとして最低限必要な要件だし、クライシス・マネジメントの基本でもある。情報の共有とチームワークが欠けていると危機に対応できないばかりか、通常の業務にだって支障をきたす。

そう言えば、前の職場にいた独り善がりなチーフプロデューサーが、またまた独走して何か大失敗をしたらしい。前の職場の友人が「いつもの事でしょ」と言っていたが、相変わらずチームの中で情報の共有もしないで、部下に「黙って従えッ」って大見得切って失敗したんだろうなあ…。

      おっと、話題が逸れた。

時々思うのだが、アメリカ人って危機に直面すると火事場の馬鹿力みたいな団結力を見せる時があるように思う。

     日本人には絶対にない気質。

この辺りが国力の差じゃないかと感じるんだけど。


※事故機と同型機のJetBlue「エアバスA320」の写真は、AirTeamImages.com の所有するイメージから借りています。
*Photo by (c)AirTeamImages.com http://www.airteamimages.com/

衆院選、 戦いすんで、日も暮れて…。

2005-09-11 23:49:58 | @幕張の主張
       衆院選が終わった。

つまんねぇ選挙だった。今回の選挙はまるで三文芝居。ヘタクソなシナリオと演出、そして何よりも揃った大根役者。

マドンナに刺客に抵抗派、おまけに最初っから政権を諦めて「反対、反対」と、与党に反対を唱える事だけを喧伝する政党や、すっかり政権を取ったつもりで「ボクが総理になる」などと発言して赤っ恥をかいた政党まで。ここまで大根役者ばかりだと、誰に投票しようか迷いに迷う。なぜなら誰に投票しても同じに思えてくるから。

おまけにセクハラで辞めた議員どころか、汚職や横領で議員をクビになったはずの輩まで立候補しているし。@幕張、生理的な嫌悪感で見たくもない顔や聞きたくもない声が、さっきから何人もテレビに出てきているので腹立たしい。なので、テレビのスイッチは切っている。当然、そろそろ日が変わるこの時間の開票状況なんて分かっていないが、それはそれで、それでも結構。

だいたい弔い選挙だとかマドンナ候補だとか、まったくもって馬鹿馬鹿しい。奴らはドラマのタレントか?

およそ、新聞の政治欄すらロクに読まないような輩が候補者だなんていったいどういうことだ? 資金と後ろ盾さえいれば、政治理念も経験も下積みもいらないということか。「政治なんて興味ない」とか「政治って良く判らないんですけども…、オホホホ」なんて発言をしていた人間が、どのツラさげて手を挙げているのだ。

       厚顔無恥もここに極めり!

戦後しばらくの間、政治家への道は最初に先輩政治家の家に書生として入り、そして秘書を経て政治家になる、という王道が存在した。だから政治に確たる理念があったし、歴史に名を残す政治家が何人も出てきた。

ところが現在はどうだ。
粗製濫造も甚だしい。もうほとんど外見と知名度だけで選んだ、としか思えないような“素人そのもの”の候補者までいるじゃないか。

しかも、そんな候補者が当選してしまうのだから恐ろしい。議場で居眠りをするどころか、たぶん自分の意見も信条も持たないままに登壇し、上から言われるがままに投票の賛否の木片を差し出す「政界の操り人形」が今回の選挙でいったい何人増えたのだろうか。

“烏合の衆”という言葉があるが、政界の“操り人形”は政界の“烏合の衆”よりも二倍危険なのに。

なぜなら、“カラス”はエサを食べるが、“操り人形”は何も食べない。しかし、議場で投票用に使用する青票、白票の木片は、“カラス”でも一票、“操り人形”でも一票なのだ。美味しいエサをやらなきゃ集まってこない“カラス”よりも、糸を手繰れば自由に操れる“操り人形”の方が楽に決まってる。

       これこそ、“数の論理”

「たかが一票、されど一票」と言いつつも、最近は「たかが一票」の方が比重が増してきているように思えてならない。だから今回の選挙は何が何でも投票したかった。青でも白でも良い。政治信条を持っている政治家に投票したくて、わざわざ信州の山奥から住民票の置いてある千葉まで出てきたのだ。
     “カラス”や“操り人形”はご免こうむる。

もう我慢ならん! 女性ドライバー免許は1年更新にしろ !!

2005-08-30 22:47:18 | @幕張の主張
 現在、免許の更新は初心者の1年、通常更新の3年、優良ドライバーの5年の3種類なのだが、そこにもうひとつ、女性ドライバーの免許をすべて1年更新にするよう法改正できないものかと。

@幕張が出合った、運転のめちゃくちゃな女性ドライバーを上げたらもうきりがない。

先月、信号機のある交差点で@幕張が右折待ちをしていたら、女性ドライバーが携帯電話のメールを見ながら軽乗用車を運転して@幕張の目の前を横切っていった。もちろん、軽乗用車は赤信号を無視しての運転である。

今月も女性の運転する軽乗用車が脇道から一時停止の標識を無視して飛び出し、危うく@幕張は相手の車のどてっ腹に突っ込みそうになった事もある。すれ違いのできない脇道で、@幕張の車が見えるのにすぐ脇にある待機場所を無視して無理矢理脇道に進入し、狭い道路でお見合いになってにっちもさっちも行かなくなってしまう事なんか茶飯事。たった20mのバックができない下手糞な運転の女性のために、@幕張が100m近くもバックさせられたこともある。

先日、余りにムカついたので無理矢理相手を車から降ろすと、@幕張が相手の車を運転してバックした。@幕張の後には後続車が何台か続いている。女性の車の10mほど後方にはすれ違いのできるスペースがある。なのにそのクソ女はそんな状況判断ができない上に、バックすらできないなどと言う。

そのクソ女の運転席に乗り込むと座席の背もたれは思い切り後に倒してあり、おまけに座席自体を後方に引いているから@幕張でも足がまともにアクセルやブレーキに届かない、こんなんじゃあ、まともな運転なんてできっこない。@幕張よりも10cm以上低い身長のクセに、そのまま座ったら確実に路面なんて見えない体勢で運転しているのだから太い根性をしている。

もうそんな例を挙げればキリがない。

そう言えば昔の職場にもヴァカがいて、会社名がドアに大きく印刷された社用車で歩道を突っ走ったトンデモナイ女がいた。たまたまT字路の赤信号で停まっていた@幕張の目の前を、○○旅行と大きく書かれた車が歩道を進んでいく。後で本人を呼んで注意すると、道路の信号が赤なんだから車は歩道を走っても良いと言う。彼女は歩道と道路の区別がつかず、信号の意味も理解していないのが判明した。つまり、走って良い所と悪い所の区別がつかずに免許を持っていたのだ。

          ああ、まるで悪い夢だ。

前進する以外の運転ができない、標識が読めない、ブレーキも踏めない、何よりキチンと前を見て運転できないのであれば、遊園地にいるおサルの運転と同じ。

   ヴァカ女の運転する車 = 遊園地で猿が運転するミニSL、なのだ。

だいたい、ロクな運転もできないくせに、注意すれば開き直る。今度そんな運転に出会ったら、急ブレーキも踏まずに突っ込んでやろうか。狭い脇道でお見合いしても、何時間でも動かずにいてやろうか。

こちらがわざわざ100m近くバックしても、女性ドライバーからは一言の礼だってありゃしない。当たり前のように踏ん反り返って通り過ぎていく。男だったら、どんなに改造した車に乗ってるアンちゃんだってクラクション一発、道を譲ってもらった礼をして通っていくのに。

こんな事を書くとセクハラだ、などと言う輩が出てくるがそれは大間違い。
交通弱者とは歩行者や自転車のことで、決して軽乗用車で携帯を見ながら運転をしている女性ドライバーのことではないのだから。

車を運転している間は男も女もないのだ。“自分が女性なのだから相手は道を譲って当たり前”などという、たわ言を信じている女性は幼児用の足こぎ三輪車でも運転していれば良いのだ。

「ありがとう」と言う言葉は無料、クラクションやハザード点滅で感謝の意を表すのも無料。道を譲ってもらったら、通り過ぎる際に手を挙げたり、頭を下げたり、たった一言「ありがとう」と言うだけで互いに気持ちよく一日を過ごせるのに、そんなこともできないヴァカ。

            再度言う

女性ドライバーの免許は1年更新にしろ
そして、免許の更新ごとにマナー試験と実地試験を受けさせろ
       

アメリカ人の意識 ~ 戦後60年特別番組を見て ~

2005-08-05 23:46:40 | @幕張の主張
 TBSの特別番組『ヒロシマ』を見た。NHK以外では久し振りに良い番組を見た気がする。

原爆開発の一員として原爆を作り、広島に投下した際の記録フィルムを回し続けた男。戦後一貫して来日を拒み、自らの行為を正当化し続けた男の言葉は衝撃的だった。

自らが落とした原爆被害に対して「bad business」と他人事のようにしか反応を示さないくせに、自分の過去に関係した質問が及ぶや、「被爆して亡くなった市民や今もなお被爆症で苦しむ市民に対して何と言いますか?」との問いに、「Remenber Pearl Harber」とにべもなく答える男。挙句の果てに「毎日、爆弾を落とすより原爆1つを落とした方が簡単」と言い放ち、当時13歳だった被爆者に対して「戦争を起こしたのだから謝罪しろ」と迫る態度。頑迷でエゴイスティックな最も醜い顔をしたアメリカ人。呆れて物も言えない。こんな男こそ吊るし首にすべきなのに。

ああ、まだ日本とアメリカの戦争は終わっていないのだな…と感じた一瞬だった。
確かに戦争は60年前に終わっている。しかし当事者の中に相手に対するわだかまりが消えない限り恨みは恨みを呼び、復讐は復讐をもたらす。
あの男の言葉によって、ハーバード大学やコロンビア大学など多くの大学や個々の研究者達が議論してきた「ヒロシマ論争」はすべて無に帰したように思う。戦後、原爆使用の是非についてあれだけいろいろ論争されてきたものが、実は原爆を自らの手で放った当事者は今でもなお原爆を作り原爆を落とした事を後悔していない、それどころか必要があればいつでもまた核兵器を使うといった意識が根底にある事がはっきりした事で、核兵器の是非についての論争が実は仮面論争であり、アメリカに何か起きた場合、すぐに次の核兵器使用へと世論が流れてしまう、その表面上の平和主義の脆弱さをさらけ出した番組でもあったように思う。

実はアメリカは第二次大戦以降は戦争に敗れたことはあっても勝利したことはない。朝鮮戦争を始め、ベトナム戦争と続いたアジアでの戦争では、虫けら以下にバカにしていた“服を着た黄色いサル”“第二次大戦で同じ黄色の肌をした日本サルを徹底的にやっつけたのに、ちっとも懲りないサル”と見下していた“サル”達に逆に徹底的に痛めつけられた。これらの戦争がトラウマとなり、パパブッシュの時代やレーガンの時代に『強いアメリカ』を標榜し、パパブッシュが引き起こした湾岸戦争ではイラクに対して牛刀で鶏を裂くような物量を投下している。しかし、パパブッシュの湾岸戦争では国際世論に押されて中途半端な状態での撤退を余儀なくされ、さらにブッシュJr.の起こしたイラク戦争では国家を標的にした戦争から、世界各地に散らばったテロ細胞を標的にした戦争へと様変わりをさせて、完全な勝利どころか世界中をテロリズムの危険に晒してしまっている。

ここではっきり言いたい。アメリカはパパブッシュの湾岸戦争から戦略を完璧に失敗していると。

@幕張が思うに、キリスト教徒は自らが「絶対正義の下」で、言い換えれば「キリストの御名の下」で事を運ばないと気が済まないらしい。特に第二次大戦やベトナム戦争を経験した世代の一部の人々は、自身のすべてを正当化し正義を名乗って絶対に後を振り返らない…と書くと聞こえは良いのだが、要はやりっぱなし、検証も反省もなしで「俺は正しい」と主張して自らの欲望の赴くままにただひたすらに好き勝手に動き回っているだけの話。少なくとも検証したり反省したりする場合はベトナム戦争の時のように戦死者が増え、完膚なきまでに叩きのめされた時か、事が起きてから何年も経って、当事者ではない人たちが当時を振り返る時位しかない。幸いにして最近は過去の歴史を検証しようという風潮が起き、1995年のスミソニアン博物館におけるエノラゲイ号展示の可否論争に端を発した「ヒロシマ論争」など、やっと理知的、論理的な動きが出てきたと感じていたばかりだったのに。

もっとも、「キリストの御名の下」で事を運ばないと気が済まない、という事は、自分の姿から「正義」の看板を取ってしまえば自己のアイデンティティが崩壊するという意味で、嫌でも正義を名乗らなければまともに生きていけない、日々の生活が成り立たないという意識と表裏一体であるということだ。

そしてそもそものアメリカの成り立ちが、迫害を逃れてイギリスから逃げてきた清教徒を中心とした世界各国からの移民で形成された国家であるにも係わらず、実は第二次大戦時には日系人だけを強制収容所に隔離し、土地や財産を没収した人種差別の国だという事実をアメリカは認めたがらない。いや、アメリカは国家としては戦後に日系人が起こした訴訟に負け、日系人隔離が誤りであったと認め謝罪をしているので一部のアメリカ人、と言い換えた方が正しいのかもしれない。そんなアメリカ人にとっては、日本人は今でも“黄色いサル”なのである。

そしてそれが軍隊内部などではなく、政治や科学研究といったいわゆるホワイトカラーの人達の間に根強く残っている意識、ということが恐ろしい。

@幕張は10年間、沖縄のアメリカ空軍基地でボランティアを行ない、空軍や海兵隊の友人達と一緒によく飲んだり遊んだりしたが、彼等は人種のことなど気にも留めないし、場合によっては日本人や韓国人を夫や妻に迎えて日本や韓国が第2の故郷になる人間も多い。だが、カータン政権時にホワイトハウスで仕事をしていた生粋の日本人であるS嬢によると、ワシントンでは未だに日本人は差別されるとの話であった。

まだまだ書き足りないが、取り留めもなくなりそうで、未読の資料も膨大なので、また気が向いたら続きを書くことにする。番組を見て、この科学者のあまりの認識の違いにショックが隠せないから。

番組の最後に、ヒロシマ平和祈念公園の平和の灯火を指して、「核兵器が無くなるよりも先にこの灯がガス欠で消えるさ」と罵ったこの科学者の名前は、

       Harold Agnew
(Los Alamos Historical Society Director
               /Los Alamos Nuclear Laboratory)

世界に色々な意見があって良いと思うし、また色々な意見がなければ民主主義ではないとは思うのだが、@幕張、この男だけは許せない。

この男が一日も早く天に召され、天の裁きによって地獄の業火に焼かれんと祈念する。
       

靖国問題と対中国外交に思うこと ~前編~

2005-08-04 21:16:46 | @幕張の主張
 5月28日に靖国問題に関するテーマのブログを書きました。
そのブログにトラックバックをいただいたので、御礼と共にコメントを書いたのですが意外と長くなってしまいそうでしたので、今日のテーマとして本稿を書かせていただきました。

TBをありがとうございました。
このコメントが、自分のコラムで靖国のテーマを取り上げるキッカケとなったdoushiさんへのコメントと一部重なる事をお許しください。

最近、会社を辞めてから中国の方とお話をする機会がまったくなくなってしまった@幕張にとって、今の自分の状況はたぶん多くの中国人民と同じ状況にいるのではないかと思われます。

それは中国の情報が氾濫し、その中で何が正しいのか自分で判断する術を持たない私と、国による情報統制がされ、私達が住んでいる日本とは別の“日本小鬼”というイメージこそ真の日本だと扇動された彼の国の国民が、共に「自分で判断する」という真っ当な事をせずにただただ周囲の情報に流されているからであります。

私は以前、旅行会社で来日する外国人を担当していた時期がございまして、その際に中国の副首相や鉄道公司の総裁から観光で来日された一般の中国人民の皆様までお会いする機会がございました。お会いした際に感じたことは、中国の方々は決して理解不能の民族ではないという事です。ただ、その後の情勢を見るにつけ、ここまで国民の個々人と国家との間に印象のギャップがある国も珍しいとは思いましたが。

さるテレビのインタビューで、何人かの中国国民が「日本には行ったことがない。日本について実は何も知らない。」と答えていました。そう、多くの中国人は店で見る日本製品や歴史で学んだ“日本小鬼”という程度の知識、認識で日本を判断しており、そんな認識の中から彼等の心の中には“近くて遠い国”日本に対する興味、憧憬、羨望、妬み、etc.等、あらゆる日本に対する思いが可燃性の油のように渦巻いたのではないでしょうか。そして「中国の誰か」がその油の中に火のついたマッチを投げ込んだ結果が最近の排日運動なのではないかと私は考えています。そして、その結果として「赤信号、みんなで渡れば怖くない」式に先の大規模デモに発展していったのだと思います。

では、「誰が」マッチを投げ込んだのか。アメリカ在住の華僑だとか、中国政府の高官だとか、中国の財界関係者だとか、日本の新聞、雑誌、テレビではあらゆる情報が錯綜しており、真実は何か判断つきかねる、というのが@幕張の本心です。ただ、明らかなのは中国国民の日頃の不満、鬱憤や何かの非日常的イベント(=変化)の場を求めていた若者達のガス抜きになった事は確かであり、靖国問題が政治的に利用されている側面を示した事だけは確かであります。

なぜ政治的に利用されたと言えるのか、それはそこに中国政府のしたたかさ、狡猾な外交手腕が垣間見るわけですが、その後反日デモが大きくなり、アメリカをはじめ西側諸国が中国政府に対して治安能力に懸念を示した途端に事態を沈静しにかかった。という現象一つを捉えても、つまりは政治的にコントロールできていたのではないかと思わせるものです。

マッチポンプのように「庭の枯葉を集めて焚き火をするよう小僧(人民)に言いつけ、掃除の褒美として焼き芋用の芋を与える。枯葉に火がついたところで母屋の中から団扇で煽り、隣の家まで火の粉が飛んでいくよう煽ったものの、風向きが変わって自分の母屋にも火がつきそうになったので慌ててバケツの水を掛けさせた…」塀の外から見ていれば、母屋の中から小僧にマッチと芋を手渡し、中から団扇で火の粉を煽った人物は塀の外からは見えません。単に庭で焚き火をした小僧が悪いように見えます。
小僧は言いつけ通りに庭の枯葉を集めて掃除をしたものの、褒美の焼き芋が食べられなくなったどころか、火事の犯人にされそうになってしまいます。かくして小僧の不満は一層膨らんでいくのです。どこかの事象に良く似ていませんか?

何か問題が起こっても、子供がやった事なら親が出て行って謝れば良い。子供のイタズラなら大きな問題にはならないだろう…というような思惑が見え隠れしているように思えて仕方ないのです。

そんな中国外交に対して日本外交はあまりにお粗末過ぎ、現在行なわれている六カ国協議でも露呈しているように、口ごもりながらオズオズと他の五人の代表の中に端から手を伸ばす事しかできない、あまりに弱気で貧弱な日本外交が中国政府を思わず勢いづかせてしまった、と言うところが事の真相なのではないかと思うのです。

「靖国」という言葉は現在の中国政府にとって、国際的には日本に対しての打ち出の小槌、国内的には国民へ配る甘い飴玉なのです。国が急激に経済的高度成長を遂げる中国国民にとって現在は自分が裕福になる、または権力を得る最大のチャンスであり、その時流に乗り損ねた、または最初から乗る事ができなくて諦めている人達に対して一瞬の甘美を味わうために国が配る飴玉。もちろん、そのツケはすべて日本が払います。打ち出の小槌としての経済援助、悪役としての日本の存在。

下賎な例えで恐縮ですが、テレビドラマに例えれば、ちょうど中国がヒモで日本が情婦、女のために怪我をした男がその怪我を理由に女にたかり続け、ヒモがチンピラに自堕落したのは自らが原因だと黙って支える情婦、という構図を描けば解りやすいでしょうか。中国が現体制のまま、なし崩し的に自由経済主義化し、現在の権力構造を変えることなく経済を発展させるためには、日本はそれこそ絶好の、何をしても黙って見逃してくれる情婦のような存在になっているのです。
                               (続く)

靖国問題と対中国外交に思うこと ~後編~

2005-08-04 21:08:43 | @幕張の主張
 最近、週刊誌やテレビで度々お見受けする靖国神社の宮司さんが何度「日本人は死んだ祖先を神として祀る」と声を枯らしたところで中国国民に絶対に理解は得られません。なぜなら、そもそも遺体を物と同列に扱う人々にとって、一般の人が亡くなって神になるなどという論理は太陽が西から昇るような驚きなのであり、表面上は無宗教国家として宗教を否定して存在する中国はあくまでも個人崇拝の国だからなのです。

ここまで違う文化、宗教概念の違いをどのように中国人民に理解させるか。その解決法として日本が採るべき対抗策が二つ提案できます。

一つはプロバガンダです。プロバガンダというとおどろおどろしいイメージがありますが、要はもっと日本を知ってもらうために行なう文化の輸出です。最も効果の早い媒体はテレビとマンガではないでしょうか。TVドラマ「おしん」や谷村新司氏の「昴」など、中国で人気のドラマや歌が日本のものだと知っている中国人民はいったい何人いることでしょう。歌やドラマ、マンガ等を通じてもっと日本に親近感を持たせる、日本を知ってもらうことが「よく知らないけれど恐ろしい国、悪い国」という“日本小鬼”のイメージを少しずつ崩していくのではないかと考えるのです。@幕張的には、以前中国と韓国が共同でリメイクした「101回目のプロポーズ」のようなトレンディドラマや恋愛ドラマが意外と彼等の中にスルリと入り込んでいくような気がします。

中国国営放送がそんなに簡単に日本の番組を放映するのかという疑念もあると思いますが、何も中国国営放送を通す必要などありません。電波に国境などないのです。NHKは海外でも受信できるのですから。後は中国国民が言葉を理解できるようにすれば良いだけです。

そしてもう一つは査証による入国制限の緩和です。こちらは正直なところ、大きなリスクを伴う可能性があります。しかし、日本をもっと開放し、日本を知ってもらうためには多くの中国人民に日本に来てもらわなければ本当の意味で日本を知ってもらう、彼等自身が自分で日本を判断することはできません。ですから、もっと多くの中国人民が日本を訪れ、日本人と交流して日本を判断してもらう必要があるのです。その上で日本を批判し、日本を嫌いになるのであれば、今度は日本が変わって行かねばならないのです。

何といっても人間は話し合うことで様々な問題を解決する能力を備えていますから、日本と中国はとことん話し合うべき時に来ているのかもしれません。昔から「同じ釜の飯を食った仲」と申しますが、一緒に杯を重ねた者同志、同じ食事を食べた者同志というのは自然と親近感が沸くはずなのですが…。
いっその事、各国の国民同士、首脳や閣僚同士をベロンベロンに酔わせてから、腹を割った話し合いに参加させてみたい気もします。

他にも必要な事が考えられます。それは外交路線の転換です。私は以前、靖国神社とは別に国の“無名戦士の墓”としての墓所を築く時ではないかと書きました。それは靖国神社の存在が政治的に利用され、日本外交の隙となっているように感じたからです。しかし、それ以外にも日本外交には多くの隙があり、特に現在は相手国への直接外交が中心となっている事は日本外交を不利に運ぶことが度々あるように思えてならないのです。

現在の外交は多数決が中心です。あの独断専行を好むアメリカでさえイラク侵攻の際には英仏を中心とした多国籍軍を編成し、“世界の平和の代弁者”の名の基にイラクに進撃しました。

翻って日本はどうか。
日本は現在行なわれている六カ国会議でも露呈したように、周辺の国々を味方につけることなく、ただただ直接交渉にこだわって失敗をしています。城を攻め落とすには最初に堀を埋めねばなりませんが、日本は堀を埋めることなく城を攻め続けました。北朝鮮に対して譲歩を引き出すには中国とロシアを抱き込む、中国とロシアを抱き込むためにはアメリカとEUの国々を最初に自陣営に引き込む必要があったはずですが、日本がそれらを行なった形跡が見当たらないのです。

六カ国会議とは言いつつも、その背後にある多くの国々を味方につけ、北朝鮮に圧力を掛けねば何の意味もないのです。それと同じ事が今の日中関係にも当てはまるのではないでしょうか。

中国に対して自らの国内失政の隠蔽や支配者層の利権のために日本をダシに使う事を止めさせ、都合の良いように利用させないためには中国に対して物言える国々を味方につけ、自らが中国に対して物言える国にならなければこの問題は解決しません。靖国問題と共に東京裁判の是非が取り沙汰されていますが、東京裁判を受け入れた事実を過去に確認しながら「東京裁判は無効である」という日本の二枚舌の論理は諸外国には通用しないのです。靖国問題が東京裁判を根拠にしており、国連理事国加盟反対についても国連の旧敵国条項を根拠にしているのですから、論理的には中国側に分があるのです。

その論理の上に立って、中国は日本からの多額の援助、円借款は戦争犯罪国家としての過去の行いに対する償い、賠償であると言明しているわけですから、日本がいくら友情の証と言ったところで中国にとってはゴマメの歯軋り、戦争犯罪国家のたわ言程度にしか感じていないのです。

「靖国問題には根拠がない」というためには東京裁判が戦勝国による不公平な制裁、私刑だったと証明せねばならず、そのためにアメリカやロシア等の旧戦勝国にどのように接するか、そしてそのための戦術はどうするか…。日本の対中国外交戦略には直接外交という近道がなく、ひどく遠回りな迂回路を行かねばならない、そんな意味では中国は相変わらず“近くて遠い国”だと思いますが。

外交問題はまったくのシロウトで門外漢の@幕張ですが、十数年間旅行会社に所属して中国を訪れ、また中国からのお客様を迎え入れた者として、また国際会議や国際イベントで中国と係わってきたものとして興味があります。

取り留めのない文章になってしまいましたが、ご感想などを拝聴できれば幸甚でございます。
       のち

観光地と産廃施設(最終処理場)

2005-07-04 17:13:07 | @幕張の主張
 地元の山間部に企業の最終処分処理施設の建設計画があることがわかった。

ったく、どうして田舎の連中はここまでバカなんだろう。@幕張の住んでいる塩尻はキレイな水と空気が不可欠のブドウ栽培や高原野菜、果樹栽培などの農業と精密機械産業が盛ん。隣の松本市のベッドタウンでもあるから過疎地でも人口密集地でもない…という一見中途半端に見えて、実は市内に空港も高速道路もあり、3施設ある総合病院をはじめ大学、温泉、高原、湖も揃った日経某誌での「全国住みやすい街ランキング」でも必ず上位二桁以内に入る、それなりに住みやすい街なのに。TVドラマのロケでもたまに使われる街道の宿場町も残り、ワインや日本蕎麦などの観光産業もそれなりだ。

     そんな所に産廃施設を誘致して何になる?
       しかも、造成予定地は山の上。

       はぁ!? バッカじゃねーの?

水は上から下に流れるという万物の法則を理解しない大バカ者。

       もう脳の重さは信州信濃の山猿と同じ。

すでに@幕張の住む近所の勝弦という地籍には3箇所ほどの処理場ができているらしい。「らしい」というのは、峠に行く途中の林道からダンプが通れる程の脇道が造成され、そのどれもが途中で鉄の門で閉ざされているから。それも格子の門ではなく、奥が見えないよう3m近い高さの鉄板で作られた門。ここは中世の砦か城か?と見間違う程にオドロオドロしい。

       絶対、怪しい。

隣の岡谷市との市境に位置する王城パークライン付近ある最終処分場は入り口も胸くらいまでの格子の門だし、道路沿いに歩くと処分場の奥を見る事ができる。やましい事がなければ、そんな格子の門でも充分なのに。
廃材となった材木を埋めると言うけれど、そんな鉄板の門の奥に何が埋められるのかわかったもんじゃない。そんな処理場が3箇所もあるのに、他にまだ最終処理場を作ると言うのか? 山の上に作った処理場から何も漏れ出さない、という保証はない。しかも地図で見ると、その処理場のある場所から続く沢(川)はナンと@幕張のすぐ近所の湖に注いでいる。

何か起きては遅い。
もし土壌汚染や水質汚染が起きたら葡萄もワインも高原野菜も汚染される可能性が高いのに。

おまけに、産廃施設のある観光地に来る観光客なんていないだろ! 観光地のネガティブなイメージは口コミで簡単に拡がる。そんな簡単な事も解らないバカ。

だいたい、ナンで市や県は240万立方米もの広大な産廃施設の建設計画を野放しにしているのだ? 東京ドームがいくつ入る大きさなのか理解できているのか? この際、「土地の使用目的は所有者の自由」だなんて寝言は言うなよ、市長ドノ、県知事ドノ。

某雑誌の「住みやすさ市町村ランキング」も、次からは産廃場などのマイナス面も審査してほしいな。ランキング圏外になっても、たぶん誰も目が覚めないと思うけれど。
       

ニセモノの国 中国

2005-06-05 21:13:33 | @幕張の主張
 TBSニュースで中国の贋物商品についての特集をやっていた。
贋物といえば、@幕張的には韓国の方が贋物商品が多いという印象が強いのだけれど、最近は中国もすごいのだとか。

 中国は個人に対して何事にも「無限の義務」を課す共産主義の国、だから中国人は自分達が主張できる数少ない「権利」については異常に主張が強い。拡大解釈どころか、こじ付け解釈なんて日常茶飯事。
中国は2001年にWTOに加盟したはずだが、そんな自分に都合の良い、もっと言えば「自分さえ良ければ、他はどうでも良い」、という意識が、WTO加盟国に課される「知的財産権の遵守」という事項を蔑ろにしている。

「自分さえ良ければ、他はどうでも良い」という意識は「自分の物は自分の物、他人の物も自分の物」という思考につながり、それが何時しか「欲しいモノは殺してでも奪え」という自己チューが極大化した犯罪へと繋がる。
日本でも僅かな金品の為に、青龍刀を振り回して日本人一家を惨殺する事件があったが、中国では子供の教師を親が気に入らないからといって殺してその肝臓を取り出して食べたとか、ちょっと信じられないような事件が起きている。種の中で共食いは倫理的には最悪なのに、中国ではつい30年ほど前まで頻繁に行なわれていたとか。

おっと、話が逸れた。

そんな知的財産に対する意識が薄い中国に対して、@幕張が懸念する事がひとつ。
それは、いよいよ3年後に迫ってきた北京オリンピック。
オリンピックでのマーケティングはオフィシャルパートナー制となっている。つまり競合排除、競合対策として1業種1社と限定されて、スポンサーとなる企業がオリンピックというコンテンツを利用した営利事業に独占的な権利を持っているのだが、果たして、北京オリンピックではこれが通じるのかどうか。
現状として粗悪な贋物が出回り、売る側は「売れれば良い」、買う側も「安ければ良い」という意識の低さが罷り通っている今の中国で、「守られるべきマーケティングの権利」、「知的財産に対する認識」がどの程度、改善される見込みがあるのか。

今までは「ナンでもあり」の中国にとって、北京オリンピックは知的財産の保護というものに対する、いわば倫理観のグローバルスタンダードを試される大きな試金石になるのではないかと考えるのである。

広東語では「贋物の商品」を「假物」と書く。日本語に訳すと「偽造した物」の意味。
日本語のように「コピー商品」とか、曖昧な言葉でごまかす国民性とは違うのだから、ヤル気になればできる国のはず。
ただし、無神論を唱え、特に文化大革命から行なわれた徹底的な共産党崇拝(=個人崇拝)と唯物主義により、古来から育まれてきた倫理観、そして相手を尊敬し、敬う気持ちが霧散していなければ、だけれど。

しかし、SONY がSQNY とか、Canon がCanona とか、Panasonic が「松下の星」とか(w
中国人って結構、オヤジギャグのセンスは高いと思うゾ。
     

靖国神社を思ふ

2005-05-28 10:39:50 | @幕張の主張
 多くの国には「無名戦士の墓」という記念碑・慰霊碑があります。
これは先の2大戦を始め、多くの戦争で亡くなった自国の兵士達を慰霊するもので、その国を国賓として訪れた外国の首脳、特に軍関係者は必ず花を手向けに訪れる所です。

 翻って、日本の場合はどうなっているのか、と申しますと、諸外国の「無名戦士の墓」に該当するのが靖国神社であったり、各地方にある護国神社であったりするわけですが、多分に「英霊=神」という宗教的な意味合いを含むために諸外国の首脳も花を手向ける、という事はありません。来日した諸外国の首脳や閣僚は広島や長崎の原爆慰霊碑、沖縄の平和公園で花を手向けるのみなのです。

 そして外国の来賓が靖国を参拝しない、もうひとつの理由があります。
それは日本では死んでしまえば皆一緒、A級戦犯も死刑になる事で罪を償ったのだから同じ戦争の犠牲者、という見方をしますが、世界の多勢は違います。
海外では多くの国々で、例え死刑になっても罪は罪、彼等が他の多くの無名戦士と共に祀られる事は永久にないのです。
良い例が、A・ヒトラーを始めとしたナチスの面々に対するドイツの例、そしてもう一つの枢軸国、イタリアの例を見ても分かる事でしょう。

 @幕張的には閣僚の靖国神社参拝は公的にも私的にも賛成です。国の礎となって犠牲になった方々なのですから、むしろ参拝すべきだと思います。
しかし、諸外国との意識の違い、特に戦犯に対する処遇の問題については特に注意すべきものであり、それを考慮すると日本の閣僚はむやみに参拝はできないのが現実なのではないでしょうか。なぜなら、自国の権益のためであれば何でも利用する中国などの国々にとって、『靖国問題は諸外国が日本につけ入るための隙』になっているからなのです。
靖国と唱えておけば、自国に対する不利な懸念をすべて凍結できるかのごとく振舞う国々にとって、靖国問題は絶好の外交道具なのです。

   “祖国の先祖の霊を祀る靖国神社が外交道具”

皆さんはこれをどう思われるでしょうか。

「勝てば官軍」という言葉がある通り、大戦で勝った連合国が連合国側のロジックの通り、つまり連合国側の都合の良いように負けた日本を断罪し、多くの戦犯を連合国側の都合次第でいいように処断した、という見方はある意味、正しいのです。仮に日本が大戦に勝利していれば、彼等は皆英雄と称されたはずの者達でしたから。
しかし現実として日本は負け、彼等は戦犯として処断されたのです。

そして広島や長崎に原爆を落とし、年を追うごとに倍々ゲームの如く犠牲者数が増える南京大虐殺よりもはるかに多くの市民を殺戮した連合国兵士や、一夜にして数十万の市民を殺戮した東京大空襲の爆撃をした連合国兵士達は皆、大戦の英雄としてその後の人生を生きているのです。

@幕張的は、そろそろ靖国参拝とは別に第三の選択肢を用意すべきだと思うのです。
合わせて、先の大戦で犠牲となった多くのその他の市民に対する慰霊碑も必要ではないかと思うのです。東京大空襲で亡くなった多くの市民の慰霊碑はいったいどこにあるのでしょうか。
(たぶん、都下の多くの神社に祀られているとは思うのですが...)

靖国神社とは別に、過去の諸外国との戦争で犠牲となった兵士達を祀る「無名戦士の墓碑」、そして戦闘に巻き込まれて犠牲となった多くの市民を祀る「市民の墓碑」を作る時が来たのではないかと。

靖国神社は神様、仏様となった兵士達の英霊を祀る場所。
それは日本人の秘めたる心の内幕。

しかし、それとこれとは別なのです。

諸外国の来賓や過去の連合国兵士達が頭を垂れ、戦争の犠牲者を悔やむために祈る場所が日本にはもっとあって然るべきなのです。
中国や韓国の閣僚達が花を手向け、「二度と戦争はしまい」と語ることができる場所を作らなければ、永久にこの外交上の日本の隙、日本のアキレス腱はなくならないと思うのです。

外交とは相手の隙につけ込むものでもあるのだから。