@幕張日記

@幕張が日々を想いのままに綴る日記

東京タワー/2016年東京オリンピック招致へ向けて!

2006-10-29 23:32:07 | 柄にもなくスポーツ関係
 横浜からの帰り途、五反田から白金を抜け赤羽橋の赤信号で停まった時のこと。
目の前にそびえる東京タワーの展望台に文字のようなものが書いてあることに気づいた。
赤羽橋からではよく読めなかったので、増上寺まで移動して東京タワーを眺める。



  




                           



増上寺から目を凝らすと、カラフルな色で互い違いに「」と書いてある。









               この独特の色遣いは…、 そう…





                                                        
   オリンピック・エンブレム

          


8月末に、第31オリンピアード(2016年夏季オリンピック東京大会)の招致都市が東京に一本化された。
先日には石原都知事を招致委員会会長と決定し、筑波大学の河野教授を事務総長候補とした招致委員会が発足している。
そこで東京タワーも「オリンピック招致サポート企画」を今月から11月末まで行うのだとか。



そこで@幕張の一言。








         招致委員会に入りたーい!








えッ?  何書いたのかわからない? 声が小さい??
じゃ、も一回。









        招致委員会に入りたーい!!




ホント、マジで招致委員会のプロパー職員を狙ってます。
今年行われた都庁職員の中途採用は年齢制限に引っ掛かって受験できなかった。
でも本気でオリンピック招致をするなら、OCOG経験者にだってチャンスはあるはず。
2009年のIOC総会でオリンピック開催招致に成功しても働ける期間は2016年までと短いけれど、@幕張、もう一度オリンピックをやりたい。




          どうしてもやりたい。



             チャンスはまだあるはず。




                …諦めない。



1996年の夏、アトランタオリンピックが終わって帰国した翌日から、@幕張の心の時計は止まったまま。
@幕張は絶対に忘れられない、屈辱の8月2日。無念の8月2日。




       @幕張、オリンピックでは未だ不完全燃焼なのだーーー!!!!




    No Guts,No Glory!!



*記事中の「TOKYO2016」とオリンピックエンブレムの組み合わせは@幕張が勝手に創作したものです。
 実際のオリンピック招致エンブレムはまだ発表されておりません。
 

東京都、2016年オリンピック立候補都市へ (その1)

2006-08-31 23:52:09 | 柄にもなくスポーツ関係
          


 昨日行われた日本オリンピック委員会による第31回オリンピック夏季競技大会の国内立候補都市選定委員会で、東京都は福岡市を33票vs22票で制して2016年夏季オリンピック招致都市として名乗りを上げることになった。そこで、勝った東京都と敗れた福岡市についてそれぞれ@幕張的感想を書いてみようと思う。

最初は敗れた福岡市から。
だいたい、『オリンピック開催都市』という名前からも明らかなように、オリンピックを開催するのは市町村レベルの自治体であって州や県レベルの自治体ではない。
だから財政規模が小国の国家予算ほどもある特別自治体の東京都と福岡市とでは、例えるならF1のミヒャエル・シューマッハの駆るフェラーリと佐藤琢磨の駆るスーパーアグリ・ホンダがタイマン勝負をするに等しい実力差があるように思う。

ところが、圧倒的に不利だと思われた佐藤琢磨…じゃなかった、福岡市は意外にも強敵だった。
当初、まだ札幌市も立候補を噂されていた頃の福岡市は超広域開催を戦略としていた。それはコンパクトなオリンピックの開催を目指す最近のIOCの傾向とは別に、完全にオリンピックを町おこしの道具としか考えていないような計画で、福岡県内はおろか、隣の大分県や佐賀県にまで競技会場を設置しようという意見もあり、それはまさに『福岡オリンピック』じゃなくて『九州オリンピック』だった。
もっとも、そんな独りよがりな考えが通じるはずもなく、もしかしたら当時の東京や札幌に対するブラフだったのかもしれないけれど、蓋を開けてみれば福岡の開催計画はサッカー競技以外は非常にコンパクトなものに変更されていて、それは東京の計画をも凌駕する内容のものであった。

とはいうものの、福岡市の大会開催計画は東京都と同じく埋立地の再開発を中心に作られている。
@幕張が思うに、埋立地を造成している自治体には神戸の成功幻想に取りつかれているような気がしてならない。神戸市が埋立地として造成したポートピアアイランドは、「神戸ポートピアアイランド博覧会」という派手なイベントを成功させた後にホテルやショッピングモールなどの商業施設、マンションなどの居住施設を導入して、埋立地の開発として成功した先駆者である。大阪オリンピック招致の際にも、成功した神戸を手本に人工島「夢洲(ゆめしま)」をはじめとした埋立地の利用で、最初に埋立地の再開発ありきで五輪招致を始めたが、招致計画が水泡に帰すと埋立地の開発そのものが頓挫してしまった。
ところが東京都も福岡市も、この大阪の失敗に見て見ぬ振りをしているかのように埋立地や人工島の再開発を念頭にオリンピック開催計画を立案している。

だが、いかんせん今回は相手が悪すぎた。
東京都は約12兆4億円の予算を行使し、約13兆5千億円の負債を抱えている。対する福岡市は東京都の約10分の1にあたる約141万人の人口を抱え、約1兆8,800億円の予算に対して約2兆7千億円の負債を抱えている。「都市博覧会」の中止で開発が頓挫し、遊休地となっている有明埋立地をオリンピック会場に使用としている東京都と状況が似ているとはいえ、埋立地や人工島に巨額の開発費を必要とする福岡市は財政的にスーパーヘビー級の東京都よりも遥かに分が悪い。
しかも埋め立て地である人工島や須崎埠頭の再開発に過大な投資を行っているものの、その開発自体も行き詰まりを見せているような状況に見え、その打開策としてオリンピック招致に頼った部分があるようにも見受けられる。

また福岡市のオリンピック開催計画には荒唐無稽な夢物語も含まれている。
宿泊計画に織り込まれた“客船のホテル使用”、これは大阪五輪や名古屋五輪でも提案されたことでもあり、費用を度外視すればあながち無理なことではないのだが今回はその構想そのものがネックになっている。

今年6月に就航し、カリブ海を中心に航海しているカリビアンクルーズの世界最大の客船「Freedom of The Seas」は総トン数 約16万トン、3,634人の乗客を15層のデッキに収容し、その大きさは2004年にデビューして日本にも寄港したことがあるイギリス・キューナード社の「クイーンメリーⅡ」の乗客2,620名、総トン数 約15万トンを上回る。そのカリブ海で人気の船を博多港に曳航して客船ホテルとして係留しようというのだ。

     更に更に、驚いたことに福岡市は破天荒な超弩級客船の建造計画の利用まで目論んでいた。

               船の名前は 「プリンセス・カグヤ」

一瞬、その名前からプリンセス・テンコーが絡んでいるかと思ったが、どうやら彼女は関係ないらしい。 当たりまえか…
このプリンセスカグヤ、何がすごいって収容乗客数が8,400名で全長500m、総トン数は37万トンもある超巨大客船ってこと。

            500mといったら、銀座1丁目から銀座4丁目までの距離だ。

建造を計画しているのはその昔、バブル全盛期に岡山でTIサーキット英田を作ってF1レースを開催した人が責任者を務める新興企業。

日本の造船した最大の客船は三菱重工長崎造船所が建造した乗客2,670名、総トン数が約11万6千トンもあるイギリスP&O社所有の「ダイヤモンド・プリンセス」である。
そう、あの造船中の2002年10月にドックの中で火災を起こし、20時間も延焼した結果総面積の4割が焼け落ちた船で、隣のドッグで建造中だった双子の船「サファイア・プリンセス」と急遽船名を入れ替えて就航したいわくつきの船だ。

だから福岡市は10年後のオリンピック開催に向けて、実現性も満足に検討しないで現在就航中の世界最大の客船の2倍以上、日本で過去に造船された最大の客船の3倍以上もある巨大な船をオリンピックのために利用しようと目論んでいたことになる。しかもまだできあがったのは計画書だけで、一説には2,900億円といわれる建造費の調達も途上の海のものとも山のものとも分からない建造計画に乗っての話だ。造船技術としては住友重機が総トン数 約64万8千トンのタンカー「Knock Nevis」を建造しているので不可能ではないものの、恐らくは全長500mになる船体を係留する港が世界にいくつあるのか、そして約8,400名もの乗客の食事の用意、エンターテイメント、何より彼等の世話をする乗員や運航要員も最低でも2,000名以上は必要なはずであるから、その運航能力には大きな疑問がつかざるを得ないと思う。
現在の日本で就航している最大の客船は郵船クルーズの「飛鳥Ⅱ」。この720名の乗客を収容する船は総トン数が約5万トンなので、その7倍もの大きさの船をどのように運営するのか? 
最早、そんな構想自体が夢物語というか「寝言は寝て吐け!」 という世界じゃないだろうか。

@幕張は1991年冬にキューナード社の「クイーンエリザベスⅡ」に乗ったことがあるけれど、乗客1,791名を収容する総トン数約7万トンの客船でも十分過ぎるほどデカイ。
全長300mの船の中で迷子になりそうになったことも何度かあり、この船の乗客収容力より5倍以上も大きな客船など想像しただけでもゾッとする。
洋上での火災などへの対応は勿論、船内で事件が起こっても把握できないかもしれないし、下手をすれば通常の航海中に船内で遭難するかもしれない。

そんな荒唐無稽な計画段階の造船話までいかにも決定事項のように開催都市計画書に盛り込むなど、ただただホテル不足を埋めるためだけに考えた“やっつけ企画”としか思えないような宿泊計画は杜撰だ。IOCホテルとして高級ホテルを建築すると計画しているものの、現状ではこれ以上のホテルを建ててどうするのか?という気もする。

2003年春に福岡市で「第26回医学会総会」という学術会議があった。医学会総会は国内に400以上ある医学会の頂点に位置付けされる学会で、専門領域の学術発表の場である各学会と違って日本の医学界の学術面や実践面の重要課題を総合的に論ずる場が医学会総会である。そのため、医者の中でもお偉いさんが多数参加するこの学会は参加者が3万名を超え、当時の福岡市内の宿泊施設はほぼ満室状態であった。

3万人の宿泊でさえ、市内とその周辺のホテルは満室になったのであるから、オリンピックで1日当たり11万人以上と想定される宿泊客の収容はいくら新設ホテルを建設したところで無理だ。
かといって、約2万室ある現在の福岡市内のホテルの稼働率はイベントやコンベンション等のピーク時で約90%、平均するとおよそ67%であり、これは全国平均とほぼ同じ数字であるからして、大型の新設ホテルを誘致するとしても1990年の客室数から2倍に増えた現在の客室数を更に倍増にすることは困難だと考えられる。

まだ計画段階の途方もない巨大客船の建造計画を利用するとか、カリブ海で人気の客船を日本へ引っ張ってくるとか、まだ建設計画すら存在しない高級ホテルを利用をするとか、宿泊計画に関していえば@幕張的には「お前はもう、死んでいる!」「ヒデヴッ!」なのである。

そしてこの福岡市のオリンピック招致の野望にトドメを刺したのが、長野県某元知事の「ミズスマシ」発言に匹敵する「毒ガス」発言をして他立候補都市の中傷を行ってはならないとするJOCのタブーを破った山崎福岡市長の舌禍と、立候補都市選定委員会開催直前に起きた福岡市職員の飲酒追突事故による殺人事件(と敢えて書く)であったのは言うまでもない。



とりあえず、思いつくままにだらだらと書いてしまったので今日はここまで。
写真の東京都庁の立候補都市当選祝賀のライトアップは9月13日まで行われています。
このライトアップを見る穴場は京王プラザホテルの43階。ホテルの上層階はすべてバーレストランや宴会場で、それらを利用しない限りはこの風景を見ることができない場所なのだけれど、43階のエレベーターホールには一部が窓に面しているためにこんな風にライトアップを楽しめます。



  


*上の五輪マークをあしらった「TOKYO 2016」は@幕張がこのブログ用に適当に描いたものです。
  その他に何ら意図するものではないことをここに明記します。

小布施見にマラソン、その後。

2006-07-25 14:01:52 | 柄にもなくスポーツ関係


 7月16日に終了した小布施見にマラソン。
@幕張はボランティアとして大会の写真撮影を担当したのだけれど、実はまだ実行委員会に写真データを渡してない。

表彰式が終わった後で写真データをどうするのかスタッフのSさんに聞くと、「後日、実行委員会からCDと返信用封筒をお送りしますから、そのCDに焼いて返送してください」と言われた。雨も降っていたし撤収作業で忙しいのだろうと、その時は「分かりました。じゃ郵送をよろしくお願いします。」と言って別れたのだけれど、その後全く音沙汰がない。
しびれを切らせて「写真データはどうするずら?」とメールを送ったら、数日経って別の担当のM氏から返事が来た。

        「データはそちらのCDに焼いて送ってください。」

                  はぁ

最初は何かの間違いだと思った。
なので、今度はSさんに直接電話すると、「Mからお返事を差し上げた通りです。そちらでCDを買って焼いて送ってください。」

            …最初と話が違うじゃない。

スイカを2個ももらった手前、嫌とは言わないけどさ…、だったら最初から「CDは自己負担で送ってね」って言えばいいのに。
いいや。そもそも閉会式で@幕張が声をかけた時に、現場で写真データを移させてくれれば良かったのだ。現場にノートPCもあったのだから。

仕方がないので、生CDと郵送用のクッション入封筒を街まで買いに行きました。
街から帰ってきたら、2004年の第2回大会で使った古い封筒で、なぜかボランティア感謝証が再び送られてきて…

           写真データの催促 嫌がらせ

             来年は…、もうないと思う。


小布施見にマラソン(Obuse mini Marathon) でボランティア

2006-07-17 10:38:20 | 柄にもなくスポーツ関係
 昨日は久し振りに早朝から働いた。もちろん、今回もタダ働き=ボランティア。
朝3時に起床して4時過ぎに信州の真中にある実家を出発、南北に長い信州の北部にある小布施を目指して、大雨が降る中をひたすら車を走らせたのだ。

集合時間に指定された朝6時よりも30分ほど早く町役場に到着。幸いにも雨は上がって曇り空。
そして町役場前の道路はすでに、マラソン参加者の車で大渋滞。
今回のボランティアは公式映像を撮る撮影車ということで車持ち込みのボランティアで来ているのだけれど、実行委員会から指定された関係者用駐車場に車を停めるために、渋滞整理のスタッフ一人一人にプリントしたメールを一々見せながら事情を話さねば前進できないのが超面倒臭い。

               ちょっぴり、ヤな予感……

総合案内で担当者を捉まえ、コース表や撮影ポイントを書いた資料をもらう。地図はコース全体図や拡大図などきちんと用意してあったので一安心。
もっとも拡大図は単に地図を拡大しただけでどの地区のものか一目で分からないから、地図の上に書かれたランドマークに大きな文字で地名や名前を貼るとか、全体図の中で拡大図の番号を区分けして書き入れるとか、その辺は詰めてほしいところ。

車に貼り付ける「撮影車」という2枚しか用意されていないステッカーを、もう1台の撮影車のボランティアが2枚とも持って行ってしまったので、現場で交渉してそのボランティアからステッカーを1枚譲ってもらう。スタッフの担当女性が気が優しいというか、相手に対してイマイチ押しが弱いみたいで、もう1台の撮影車のボランティアから「車の前後にステッカーを貼るの?」と聞かれて「そうで~す。お願いしま~す。」と答えてしまったらしい。
じゃあ、ステッカーがない@幕張の車はどうするのさ?と聞いたら、「公用車ステッカーがないから、その都度、撮影ポイントの駐車場でスタッフに口頭で伝えてください。」との指示。

               あー、こりゃ話にならんわ…

たぶん、彼女は忙しくて気が動転していたか、現場を知らないかのどちらか。
イベント公用車としての証明に使う関係者ステッカーがなければ、現場でボランティアがどんなに苦労するか知らないんだろうな。
町役場の関係者用駐車場に停めるだけでも15分近くかかったのに、それぞれの撮影ポイントの駐車場でそんな交渉をする余裕なんてないのに…
後で面倒を起こすのも嫌なので、ここはボランティア同士で話を付けてしまった。

なんだかんだとそんな交渉事に20分ほど時間を取られ、気が付けば開会式10分前。
車に同乗するボランティアのビデオカメラマンSさんと一緒に、慌てて最初の撮影ポイントに移動した。

最初の撮影ポイントについてからSさんと今日の段取りを打ち合わせる。
@幕張はスチール写真の担当なので、ビデオ撮影よりも撮影時間はかからない。Sさんは昨年もビデオ撮影を経験されていたので、それぞれの撮影ポイントではSさんの撮影時間に行動を合わせることにした。当初はスペシャル・オリンピックス長野大会でやったように、ワゴン車のトランクを開放して後ろからビデオを回して撮影するのかと思ったけれど、どうやらこのミニマラソンのコースは畑の畔道や堤防など、普通のマラソンコースとは一味違う道をコースにしているらしくて、撮影は定点で行なうだけで良いみたいだった。

ランナー通過予定時間になって、広報車がスタートが15分遅れになっていることを放送しながら通過。
この辺りから曇り空からぽつぽつと雨が降り始め、水気が苦手のデジカメの保護に追われる。雨対策用のビニール袋を忘れてしまい手拭いでデジカメを覆うものの、先頭ランナーが来る頃には雨も本降りになってきた。

  
<大会自体はコース沿道での音楽パフォーマンスなんかもあって、マラソン自体は結構盛り上がってた>

雨のせいか、デジカメの調子がいま一つ。
フラッシュの調子が悪くて発光時間が長いためか、写したランナーがブレてしまう。
全身ずぶ濡れになりながら、ビデオのSさんと共に淡々と各撮影ポイントで仕事をこなしてフィニッシュエリアに向かう。ところが、ここでまたトラブル発生。

フィニッシュエリア裏にある指定された関係者用駐車場に向かうものの、道が途中でマラソンコースと重なっていて駐車場へ入れない。地図に指定された道順は民家の庭を通過するようになっていて、はっきり言えば現場にそんな道路はない。地図上ではマラソンコースと公用車の通過ルートは重ならないはずなのに、実際にはどっぷりと50mはコースが重なっている。近くで交通整理をしていたボランティアに聞いたら「道が違うんじゃないの…?」と言われて20分以上周囲をウロウロ。ただでさえ狭い道路にランナーの車が路駐してあるので、対面車両とのすれ違いもままならない。

               オイオイ…ったく……

結局、どう考えても地図が間違っているとの結論になり、ランナーが途切れたわずかな隙を見て強行突破。右手に小川、左手に側溝のある狭い畔道を、路駐した車を避けながら冷や冷やしながら進む。やはり地図に書かれた進路が間違っていて、なんとか関係者専用駐車場に辿り着いたものの、そこにはびっしりと一般ランナーの車が停められていて駐車の余地がない。

           これじゃ、一般ランナー駐車禁止とか関係者専用とか、決めた意味ないじゃん…

仕方がないので、ビデオカメラマンのSさんをコース近くで先に降ろすことにして駐車場の端まで車を進めると、コースを監視していたスタッフ用オレンジTシャツ姿のオヤジに怒鳴られた。

          「おいッ! ここからは車は出られねーぞ。引っ込め!!」 by オレTオヤジ

                    ああ…@幕張、頭の中でプチっと…何かが……

「ウルセー バカ野郎 こちとらカメラマンを降ろすだけでぇ てめぇこそ引っ込んでやがれ by @幕張

ああ、すんません。
でも我慢ならなかったっす。あまりのスタッフの仕切りの悪さと口の悪さに…
Sカメラマンを降ろしてから車をバックさせ、路駐できる場所を探してウロウロ…  ウロウロ……

やっとこさ公園西側に車1台分の空きスペースを見つけて、路駐するとフィニッシュエリア付近の写真を撮り始めた。
タオルを被せているものの、デジカメは雨に濡れて最悪のコンディション。メディア容量が10%を切ったところで、フラッシュが作動しなくなり、写真の保存サイズが半分の容量になる誤作動が起きてしまった。おまけに、レンズの中が湿気で白く曇ってきて…

  
<コスプレ賞なんかもあって、これでホントに走れるの?っていうコスプレもちらほらあって、見ていてホント楽しい…>

急いで車に戻り、車の中でパソコンへデジカメの写真データを移動しながらエアコンでカメラの湿気を乾かす。汗と雨で全身がびっしょり濡れているので、車の中は生乾きの異様な臭い…

30分ほどでカメラ内部を乾かし、バッテリーを交換して現場へ。
スタッフから携帯電話で「コスプレ・ランナーのフィニッシュ写真をよろしく!」のオーダーがあり、グシャグシャになってる現場を縫って、すでにフィニッシュしていたコスプレ・ランナー達を撮りまくった。

  
<フィニッシュ近くでは大会実行委員長のセーラ氏がハイタッチでランナーを出迎えたり…>

表彰式の途中で、ビデオ・カメラマンのSさんが帰ると言い出したので小布施駅まで送り届ける。
戻って再び写真を撮り続け、表彰式と閉会式が全て終わった後に最終ランナーが到着したので、このシーンも押さえた。
撤収を手伝っていると、担当スタッフの女性からボランティア感謝状と「おぶせの湯」の入浴券をもらう。途中で帰ったボランティアやコース途中のそれぞれの持ち場でまだ働いているボランティアが大勢いたはずだけれど、入浴券などはフィニッシュエリア付近だけで配っていた様子。他の人へは後日配るんだろうか? でも、感謝状に名前なんて入ってないし、誰に配ったかもノーチェック…

           ああ、でもずぶ濡れだから、この入浴券は嬉しいや。

帰り間際、もう一人のスチールカメラマンのKさんと一緒に、実行委員会のスタッフのSさんから大玉2個入りのスイカ一箱をいただいた。
なんでも、ランナー用に用意した水やスイカやトマト、バナナが大量に余ってしまったので、最後まで残ったボランティアにも配っているそうな。

            と、ここで本日最大のムカつき事件が発生。

Sさんや、スタッフ用オレンジTシャツ姿の他の女性スタッフや大会実行委員長のセーラ氏があちこちにスイカを配っているのを、何もしないでボーっとただ立ったまま眺めていたスタッフ用のオレンジTシャツ姿のオジジ…じゃなかった、長老スタッフが唐突にこうのたまった。

「おいおい、そんなに景気良くスイカを配るんじゃねえよ。そんなの1個やりゃ充分だろ。そんな風に配ったらすぐになくなっちまうだろうが。」

           大勢いるボランティアの前で、んなこと大声で言うなよ…

ああ、こいつはきっと町役場の役人だな…
彼の後ろには、4tトラックに積んでも余るくらいのスイカやミネラルウォーターの箱が山積みになっている。その場にいるスタッフやボランティアにスイカ1箱を配ったところで、まだ余るほど残っているのに。その場に残っていたボランティア達が引いていく。そりゃそうだ。スイカを手渡されようとしたところでそんな大声を出されたんじゃあ、誰だって引く。
スタッフのSさんが「構いませんから持って行ってください。」と言ってくれたので、@幕張はKカメラマンと一緒にありがたく1箱づついただいたけれど。

自転車に乗って全コースを撮りまくったKカメラマンも慰労会はパスして帰るというので、彼のスイカを町役場の駐車場まで預かることにして、スタッフのSさんに挨拶を済ませるとそそくさと帰ってきました。
この日の終了時間、1時30分。早朝から今まで食事も取らずにずぶ濡れになって働いたボランティアにこの仕打ち。案の定というか、その後に予定されていた慰労会に周囲のボランティア達は「いや、ちょっと今回は…」と全員欠席。
@幕張も慰労会はパスして、いただいた入浴券で温泉へ一息つきに。

  
      <今回、最も嬉しかったのがここの入浴券>               <で、今回の@幕張的ベストパフォーマンス賞がこのコスプレ。この姿で約21kmを走り抜いたのだからスゴイ!>

スタッフのSさんからは「来年もよろしく」って言われたけど、来年はどうよ。
今年初めて参加した『小布施見にマラソン』だけど、あまりに仕切りが悪いし、一部スタッフのボランティアに対する見識も低い。
表彰式の途中でビデオのSカメラマンを駅に送り届けた時、「こんなの、やってらんねーよ」というランナーらしき声を駅で聞いたし、表彰式の途中で「進行が下手過ぎだよ」と文句を言いながら帰るランナーともすれ違った。
3,000人ものランナーが参加する大きなイベントに成長したのに、たぶん大会運営能力が追いついてない。大雨が降る中、1時間以上進行する表彰式をずぶ濡れになりながら待っているランナーの気持もきっと解ってない。現に、待ちきれずに途中で帰ってしまい、表彰で名前を呼ばれても出てこないランナーもいた。

          そろそろ、運営の方も“手作り”から卒業する時期かも。

         @幕張は好きでボランティアをやってるから、いいんだけどさ…

        【@幕張の独り言…】
          スタッフをオレンジTシャツ、ボランティアを青Tシャツで区分けするのはもう止めよう。
          同じ運営スタッフなのだし、同じユニフォームなら連帯感も湧く。
          スタッフとボランティアの識別が必要なら、腕章でも巻けば済むこと。
          これだけの規模になれば、ボランティア達が自分で考え、判断して行動する機会も増えるはず。
          ボランティアが育ってこそ、大きな大会にも対応できるようになると思うんだけど…
          これは、@幕張が10年間ボランティアをやってきた沖縄の嘉手納基地、シーリング・センターの
          ボスにして@幕張の師、Masakoおばさまが当時20代だった@幕張に教えてくれたこと。
          同じ事は長野オリンピックでも反省材料になったし、長野マラソンではみんなが同じ姿。
          仕切りの悪さは関係者が他の大会運営に参加して経験を積んだり、bw社長のようなプロを雇えば解決するけれど、
          スタッフの意識改革はスタッフ自身じゃないと無理だから。

2006 FIFA WORLD CUP が終わって…

2006-07-11 05:18:54 | 柄にもなくスポーツ関係
 一カ月に及ぶ長丁場のワールドカップが終わった。
2002年日韓ワールドカップの時と同じように、やはり求職活動中だった@幕張は、プー生活なのを良いことにこの日も早朝から呑気にテレビを見ていたのだった。
イタリアvsフランスというカードの面白さも、ジダン選手の不可解な頭突きによる退場と共に後味の悪い終わりを迎え、大会前にイタリア国内で八百長疑惑や審判操作疑惑などの大スキャンダルに揺れたイタリアが優勝した。

           そういえば、丸坊主にしたイタリアの“王子様”ってのも、なかなか…

予選リーグで早々に敗れた日本代表のことは、相変わらず何の反省もないまま話題から消えた。
2年前のアテネオリンピックで、あの長嶋ジャパンがプロ野球すらないオーストラリアチームにあっさり負けた時と同様に、今回もやっとプロリーグが発足したばかりのオーストラリア代表に負けたことも、選手や監督への一時的な糾弾はあったものの、代表チームの帰国を成田空港でファンが拍手で迎えるなど、おそよ信じがたいほどの甘い体質は未だ健在だった。
他国なら生卵やトマトが飛び交い、南米ではもしかしたら銃弾が飛び交うかもしれないような無様な試合運びを行った挙句、堂々と胸を張って選手が帰国できるのだから日本人はやはりお人好しな国民だと思う。


閑話休題。
日本コカコーラ広報の某氏は今年2月に東京で行われたあるセミナーの際に、電通のE塚氏に「トリノオリンピックは見に行きませんけど、ドイツは絶対に現地へ見に行きますよ。」と語っていたけれど、もしその通りにしていたのなら結局のところ彼は、トリノではフィギュアスケートの荒川選手が土壇場で劇的な金メダルをとるという、おそらく見ていた誰もが鳥肌が立ったであろう最高のシーンを現場で体験するチャンスを見逃し、その代りドイツでは日本代表の“バラエティ番組の親善試合”並な喜劇的シーンを見せつけられたのだから身も蓋もなかったのかもしれない。

           あ、でもドイツに見に行ってるから、それがとっても羨ましかったりして…

テレビで表彰式を見ていて、ふと思い出した事が。
そういえば4年前の決勝戦では、MCさっちゃんの手引きで潜り込んだ横浜の国際放送センターで、各国の放送関係者に交じってセンター内の大画面モニターで決勝を見ながら@幕張はいくつもの風船を膨らませていたっけ。
それはブラジル代表が勝った後、閉会式で彼らが頭上にトロフィーを掲げた瞬間に横浜競技場の空から降り注いだ無数の風船や折鶴や紙吹雪と同じように、パシフィコ横浜の展示ホールに設営されていた国際放送センターの中でも空から風船や折鶴を降らそう、というbw社長のプランによって数百個の風船を一つ一つ、bw社長やMCさっちゃんと共に@幕張が人力で膨らませていたのだ。

各国の放送関係者やJAWOCのスタッフ、ボランティアが参加して、その日の夜に催された「サヨナラパーティー」の会場で、ホールの天井から膨らませた数百の風船や数千の折鶴をbw社長と一緒にばら撒いたのだけれど、そういえばあの時どうなったんだっけ?

        下のパーティ会場には、その時ケータリングで運ばれていた無数の料理が置いてあったはず…

確かその後、料理を食べた記憶があるので風船や折鶴を料理の上にぶちまけなかったとは思うんだけど、4年前のことで記憶が定かでない…

それからもう一つ、4年前のちょっとした疑問が最近解決した。
決勝戦が行われていた時間、bw社長がしばらく行方不明になっていた。
MCさっちゃんに聞いても分からなかったので、モニターで試合を見ながら@幕張はひたすら風船を膨らませていたのだけれど、どうやらbw社長は競技会場へ決勝戦を見に行っていたらしい。

        あー、なるほど…。 それでパーティ会場ではフェイスペインティングして代表ユニフォーム着てたのね…

ドルトムントの喜劇、終わる。  FIFA ワールドカップ2006 日本 vs ブラジル

2006-06-23 09:41:03 | 柄にもなくスポーツ関係
  
 ドルトムントの喜劇が終わった。
終わってみれば、ブラジル代表の美技炸裂のシュートの嵐だった。
不調を報道されていたロナウドも、この試合で調整できたのか2本のシュートを決めている。

       
試合前から、あからさまに結果が見えている予選というのも珍しい。
それは日本のマスコミからウザいくらいに垂れ流された「ドルトムントの奇跡」という言葉。

          早い話が神頼みだ。

日本人の神風頼みは元寇の頃からの話だし、60数年前にも神風頼りの特攻を行った民族でもあるので、今度の神頼みもたいして驚かない。
だいたい、「奇跡」とか「神頼み」とか言ってる段階で勝負はついている。

  
日本代表は予想以上に頑張ったと思う。
@幕張、最初は6-0くらいで完封勝負になると思っていたから。
しかし所詮は日本とブラジルの力量の違い、『ワールドカップ出場が目標の日本』と『ワールドカップ優勝が目標のブラジル』の差が出てしまったように思う。

あるテレビ局のインタビューで、ドイツの選手がこう言っていた。
「私たちはワールドカップで始まり、ワールドカップで終わる。」「ワールドカップで優勝することを目標に4年間戦ってきた」…等々。
いみじくも日本の選手が言った「ワールドカップに出られて幸せ」という意識からして、他の強豪国の選手とはかけ離れているのだから仕方がない。
ワールドカップは終点じゃあない。でも日本代表の多くは終点だと思っている節がある。

日本代表選手は試合に負けた時、「次こそは、次こそは」と言うけれど、『次回』を期待して試合に臨むなら勝負なんて永久に勝てない。
ボクシングの4回戦ボーイがダウンを奪われて、「次こそは、次こそは」と思いながらマットから起き上がれないのと同じ理屈。
ダウンしたマットから起き上がらなければ、永久に4回戦ボーイから上に上がれないのが分からない。

  

ところで、『神風』を願った第二次大戦時の日本軍部の戦略といえば『大鑑巨砲主義』。
今大会で日本代表監督を退くジーコ監督の後任監督の選抜基準について、某週刊誌によると川渕キャプテンは「知名度」を最重要視するらしい。
要はジーコ監督と同様なビッグネームが第一条件だってこと。

       ビッグネームばかりに頼る戦略は、まさに大鑑巨砲主義と同じ。

4年前から進化のない日本代表に、8年前から進化が止まったJFA。
これじゃあ開催国としてのアドバンテージなしで1次リーグを突破できるのは、100万年くらい先。
       
@幕張的には、個人技ばかりでなく団体戦でも秀でた戦略を持って各国代表を率いてきたヒディング監督を招聘したら4年後が楽しみなのに。
何はともあれ、『今日で日本の2006年ドイツ杯は終わった』のではなく、『今日から日本の2010年の南ア杯が始まった』のである。 ((( (( (

*上記に掲載写真はすべて(c)2006_FIFA、(c)NHK

浅田真央選手、フランス杯で初優勝

2005-11-20 23:16:36 | 柄にもなくスポーツ関係

               (C)DPPI / PHOTO KISHIMOTO

 先日、地元で開催された世界ジュニア選手権に出場した浅田舞選手の妹、浅田真央選手がフィギュアスケートGPシリーズ、フランス杯で182.42点という高得点で優勝してしまった。あの伊藤みどり選手がメダルをゲットした時の三回転半ジャンプを決め、続いて三回転ジャンプを3回連続して飛ぶ難易度の高い演技。

ここまできたら来年のトリノオリンピックに期待がかかるところなのだが、残念ながら出場のための年齢基準までたった2ヶ月足りないために出場資格がないのだそうだ。彼女が出場資格を得られる次のヴァンクーバーオリンピックは4年後の2010年、彼女は19歳になってしまっている。

選手のピークは個人によって違うので一概には言えないのだけれど、高得点に繋がる回転数の多いジャンプを飛ぶためには小さな身体+強力な筋力が必要。女性選手の場合は第2次性徴を経て身体に脂肪がつく前の15歳から18歳位、ちょうど高校生位の年齢が筋力が身体とのバランスが最高になるのだそうで、フィギュアスケートと似たアクロバティックな特性を持つ体操競技などもこの年代に活躍する選手が多い。
東西冷戦だった頃には、旧東側の国々が薬物で少女達の身体の成長を止め、薬物によって不自然なほどに小さな身体で強い筋力をもつ選手を作っているのではないか?という噂があったのも、選手としてはこの筋力と身体のバランスが理想だったためらしい。

そんな理想的な身体をしているのが今の浅田選手ではないかと思うのだけれど、たった2ヶ月の年齢差でオリンピックや世界選手権で活躍できないのは不運としか言いようがない。あの安藤美姫選手が4回転ジャンプを決めたのが14歳の時。17歳となった今シーズンは身体の成長が筋力を追い越してしまったため、4回転ジャンプに必要な高度が得られないからと封印してしまったらしい。難易度の高い技を連発するための身体のバランスのピークを過ぎてしまったのではないか?と@幕張的に感じている彼女の状況と同様に、4年後に19歳となっている浅田選手が現在よりも身体が成長していることは確実で、その時に現在のような難易度の高い技を連発できるか?と問われると、それはひどく不確実なことだからである。

もっともフィギュアスケートは採点方法の中に選手が繰り出した技のレベルに対する基礎点と、その繰り出した技に対する選手のレベルを評価を採点した演技点を合わせた技術点(Technical Score)、そして採点競技としては異例な、以前は表現点と呼ばれていた演技の美を競う総構成点(Program Component Score)も取り入れていて、これは経験を積んだベテランの方が高得点を得られやすく、これは今回の世界選手権で3位になった荒川静香選手が良い例で、長い手足と柔らかな身体から見せる演技はすごく華麗で上品。
よって難易度の高い技と美しい技をより高い次元で結実させた選手が勝者となるわけで、そこが年齢の若い選手ばかりが有利とは言えないところがあるのだが、今の浅田選手が選手層の厚い日本女子フィギュアスケート選手の中にあってトップレベルに入ったのも事実。

“世界選手権での金”よりも“オリンピックでの金”の方が扱いが大きくなる日本では、短い選手生活の中でどれだけオリンピックで活躍したかが引退後の生活にも係わってくるわけで、そんな事を考えると@幕張的にとても残念なのだ。

     もっとも、天真爛漫な彼女にそんな心配は杞憂かもしれない。

*写真イメージは下記のサイトからお借りしています。
      (C)PHOTO KISHIMOTO(http://www.kishimoto.com)/(C)DPPI

にわかサッカーファンが叫ぶ!  キリンチャレンジカップ 対アンゴラ戦 

2005-11-16 21:53:29 | 柄にもなくスポーツ関係
  ~ エッ!? エエー!! ニッポン代表、マジかよッ? ~


今回は、日本代表の新しいユニフォームのお披露目試合。

前半は高原選手、中村選手、サントス選手のシュートが続く。やっぱり日本は序盤の速攻が得意なのかも。高原選手がポストに嫌われる惜しい連続シュート。

ところが宮本選手。 ミ・ヤ・モ・ト!!  また君かよ…
思わず先制点を取られるかと冷や汗の一瞬。アンゴラ代表のフリーキックが外れたから良かったものの、あれは完全に日本ディフェンス陣のミス。
一方、随分穴がありそうなアンゴラのディフェンス陣だけれど、シュート数の割にはまだ1点も取れない日本代表。
しかも前半終了間際、アンゴラの切込みをゴール間際でお見合いしてしまい、誰もカバーできない日本ディフェンス陣。

      まるで、外野フライをお見合いしてポテンヒットにしてしまう、どこぞの球団みたいだ。

後半は打って変わったようなアンゴラペース。激しい攻撃は、まるで前半の日本代表が入れ替わったような積極さだ。

ホームでの試合なのに、またもや決定打を欠いた日本代表。やっぱり、ラッキーボーイの大黒様がいないとダメなのか?
アンゴラペースの試合の流れを変えるかと思われた稲本選手から松井選手に繋いだボールは、惜しくもシュートには至らなかったし。

あーあ、今日もだめだろうなあ……。
ワールドカップ初出場で、しかも今回はエースのFW Mantoras選手を体調不良で欠いていたアンゴラ代表にホームの試合で分けるのかよッ!って諦めかけた後半43分過ぎ、松井選手のミラクルゴオォォーーール!

なんとか対面を保ったような日本代表。これでフル代表の実力なんだろ?
でもFIFAランキングが遥か下位のアンゴラ代表相手に、メンツを守っただけじゃどうしようもないと思うんだけど。

      来年のワールドカップ、日本代表は本当に大丈夫??  ((((( ...

北京オリンピックのマスコット発表

2005-11-12 22:19:55 | 柄にもなくスポーツ関係
        
北京オリンピックマスコットの福娃(フーワー/英語名:Friendlies)     これが問題の長野オリンピックマスコット、Snowlets/左端がスッキー
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 2008年北京オリンピックのマスコットがやっと発表された。
やっと、というのには理由があって、本当なら日本のこどもの日にあたる6月1日、中国の児童節に発表が予定されていたものが今まで延びていたのだ。

発表されたマスコットはオリンピックマスコット史上最多の全部で5種類。
中国ではおめでたいとされる魚(鯉)をモチーフにした「貝貝(ベイベイ)、“中国と言えばパンダ”で、国際保護動物のパンダ「晶晶(ジンジン)」、聖火をイメージした「歡歡(フアンフアン)」、8月25日の記事にも書いたが、天然記念物に指定された保護動物のチベットカモシカをモチーフにした「迎迎(インイン)」中華料理でも高級食材のツバメの巣絡みじゃないだろうけれど、ツバメをデザインした「妮妮(ニーニー)」の5種類で、全部の名前を繋ぎ合わせると「ようこそ北京へ」という意味の「北京歡迎你(ベイジン ファンイーニー)」と同じ発音になるのだそうだ。有力候補に挙がっていた中国の国鳥、丹頂鶴は落選してしまったらしい。で、この5体全部を総称した名前が「福娃(フーワー/英語名:Friendlies)」

う~ん…
5体全部揃った時の名前が「福娃」って、“5人揃ってゴレンジャー!”じゃないけれど、色といい数といい何となく子供番組の戦隊ヒーロー物を連想してしまうのは@幕張だけか…。真ん中の赤い歡歡がひと際目立って大きいっていうのも戦隊ヒーロー物に共通だし。
      真っ赤な炎のニクイ奴、ファンファン! …5人揃ってフレンディーズ!! ってか...

「福娃」というのは中国では「幸福をもたらす子供」という縁起の良い意味があるそうなのだが、「娃」の字に馴染みがないせいかどうしても「蛙」に見えてしまう…
日本語でも“うつくしい”という意味があるのだそうだが... 
      ンッ !? 美しい蛙女?

日本では鯛を抱えている戎様のように、中国では縁起の神様が抱えた川魚(鯉?)や中国の天然記念物として保護されているチベットカモシカやパンダなど、他の4体は中国でも馴染みの深いものだそうで、晶晶だけが何故かリアルにパンダ顔っていうのが情けないが、“それぞれのモチーフを象徴する子供達”っていうのがデザインコンセプトらしくて、@幕張的には全体的には可愛く親しみやすい印象。少なくとも長野オリンピックのマスコット、スノーレッツよりはパッと見の印象は良いように思う。

なんと言っても長野オリンピックのマスコット、スノーレッツは1993年6月の記者発表の時、知事室横の会議室で記者会見をやった後に県庁正門前で初お披露目をしたのだが、出てきた瞬間に「なにアレ?」とか「ヘンな顔」とか「一番左、鳥の足じゃネーよ」とか、着ぐるみの中で聞いた評判は散々だった。
      あ、最後の「鳥の足じゃネーよ」はマスコットのコトじゃないか。

「鳥の足じゃネーよ」と言われたのは左端にいた青とピンクの“一番ヘンな顔”の「スッキー」。実はそのスッキーの中に入っていた逞しい(?)足の持ち主が@幕張だったのだが、元祖スノーレッツ・アクターとしては初期のスノーレッツの評判の悪さは相当だったように思う。信州博などのイベントに出ると子供が逃げる。
小さな子供に近づいたら、子供が泣き出してしまう始末。慣れてしまえば「変カワイイ」とも「キモカワイイ」とも思えるのかもしれないが、当時は後からは「ふさふさで気持ちイイ」と言って触ってきた子供達も正面からは「怖い~」とか「気持ちワル~」とか言って逃げてしまったのだ。

リレハンメルオリンピックが行なわれたノルウェーでもPRし、いろいろなスノーレッツ・グッズも発売されてスノーレッツは徐々に人気が出始めたが、4羽のマスコットのうち、何故か@幕張演じるところのスッキーだけは人気がなくて、とうとう(?)NHKがインタビューをする始末。

   番組タイトルも『 なぜ!? スッキーだけが人気が出ないのか? 』  …って、オイオイ...

@幕張が受けた、たぶん人生で最初で最後のテレビインタビューも加わった20分間のこのショートコーナー、最初は長野県内だけの放送と言われていたのに翌週には全国放送されていたらしい。東京の知人から「見たよ。エヘヘ」という連絡をもらった。

そんなスッキーもオリンピック直前に整形手術(??)を受けて、“斜め前から見た姿”を“正面から見た姿”に変えてからは人気が出始めたらしい。オリンピック終了間際には市中でヌイグルミが売切れてしまって、IBC(国際放送センター)の放送関係者専用の土産品コーナーまでわざわざ買いに行かねばならなかったほど。

話が逸れた。
そんなスノーレッツに比べると、カワイイ子供の姿をしたこのマスコットは人気が出そうなのだが、なにせ数が多いから全種類を揃えるのに苦労しそう。

     おっと@幕張、すでに中国商法はまってしまったか!? ハアッ

割とリアルな描写で馴染みにくかったシドニーの4匹や、「これマスコット??」って未だに思っている来年のトリノのマスコットに比べると漫画的で馴染みやすい「福娃」。発表が遅れて、あと残りたった3年しかないオリンピック・マーケティングの中で、どんな人気が出ることやら。
     とりあえず、ヌイグルミは5体全部揃えよう。


ISU ジュニア グランプリ フィギュアスケート 国際競技大会・SBC杯 2005 最終日

2005-10-23 22:22:22 | 柄にもなくスポーツ関係
 午後からISU ジュニア グランプリのエキシビジョンを観戦。
昨日までのピリピリしたムードから一転して、氷上は和やかなで華やかなムード。
オリンピックのエキシビジョンではPilippe Candeloroがサーベルを持って三銃士をテーマに踊ったり、競技では禁止されている技のバックフリップを行なったりと、たぶん最もフィギュアスケートらしいかもしれない。最近はジュニアでも難度の高い演技をする選手が増え、ビールマンスピンなんかも楽々とこなしてしまう。アイスダンス、ペア、男子・女子シングルと、上位入賞者達が次々に演技をしていった。

何と言っても圧巻は、それぞれの種目別に選手が一斉に滑ったファイナル。アイスダンスがまるでヨーロッパのデビュダントのようにダンスを揃えてキメ、ペアは出場した4組が一斉に派手なリフトを見せて会場を湧かせる。男子シングル選手が同時にトリプルを飛び、女子シングル選手全員のビールマンスピンによって、リンクにいくつもの花が咲いたようになる。

      観ていて、思わず涙が出てきた。
         

ISU ジュニア グランプリ フィギュアスケート 国際競技大会・SBC杯 2005 3日目

2005-10-22 23:37:17 | 柄にもなくスポーツ関係
 書類作りに追われて、やっと3日目から「ISU ジュニア グランプリ フィギュアスケート 国際競技大会・SBC杯 2005」を一般席から観戦した。

3回のオリンピックを経験している@幕張だが、実はフィギュアスケートを実際に見るのは3月にモスクワで開催された「ISU World Figure Skating Championships」に続いてこれが2回目。学校選抜選手だったのがスピードスケートで、仕事の方は主にスキーやスノーボードなどの雪上競技を中心に担当してきた@幕張にとって、フィギュアスケートは未だにサルコウもルッツもフリップも見ていて区別がつかない、全然縁がなかったスポーツだったのだ。

会場の観客席は60%~70%の入り。半分以上は選手の関係者かファンクラブの観客のようであった。世界大会とは言え、ジュニア大会のため、今ひとつ客入りが良くないのかと思ったが、それ以上に地元テレビが主催なのにPRがほとんどなかったのが原因かもしれない。

アイスダンスには間に合わなかったので、ペアスケートから観戦する。アイスダンスとペアスケートはどちらも男女がペアになって滑る競技だが、最近は社交ダンスに近いアイスダンスの方の人気があり、大きなワザを連発するペアスケートは競技人口も減少しているのだそうだ。今回もアイスダンスは13組出場しているものの、ペアスケートは8組しか出ていない。次の時代を担うジュニアと言いつつも、下位の中国チームと上位のロシアや米国チームとでは、リフトもジャンプもレベル差が歴然としていた。

ペアの後は女子シングルのフリー競技。
冬季競技の中でも女子フィギュアスケートは人気種目。なので競技選手の層も厚く、今回も22人の選手がエントリーしている。フィギュアスケート種目は今年からISUの採点方法が旧来の採点法(6点満点法)から新基準へと変更され、6点満点という枠の中での相対評価での採点が絶対評価に変わった。

そのため難度の高い回転や技に挑戦するよりも、難度が低い技でも確実にこなして得点を積み上げる選手が増え、大きな舞台になればなるほど選手は確実性を選ぶ傾向になった。なので、日本の選手は大技に挑むよりも小技で確実に得点を積み重ねる方法を選ぶ選手がほとんどで、対する海外の選手は下位の選手ほど大技で一発逆転を狙おうとより高く、難度の高いジャンプをしているように見える。ただ、それらのチャレンジは軒並み失敗してしまい、減点の対象になってしまっていた。

そんな中で日本の澤田亜紀選手はジャンプも高く、技もすべて成功して満面の笑みで競技を終えた。“Kiss & Cry”と呼ばれる待機ブースに戻ると、周囲で取材していたカメラが一斉に彼女の元に集まる。フリー競技の中で、作った表情(笑み)ではなく心から笑みが滲む滑り、というのはそうそうない。あの伊藤みどり選手がオリンピックで3回転半をガッチリ成功させた瞬間に見せた顔や米国のSarah Elizabeth Hughes選手が暫定4位からフリー競技で大逆転して優勝した時の滑りで見せた笑顔位しか@幕張も記憶にない。

自己ベストを更新して、ダントツの高得点で彼女の初優勝が決まった。1位はポイントが16点、2位は13点のポイントなので、11月下旬にチェコで開催されるジュニアグランプリ・ファイナルでは今回2位だった中国のBinshu XU選手等とランキングがどう変わるかが楽しみ。

今大会一番人気の浅田姉妹の姉、前日までのCurrent Rankで2位だった浅田舞選手はジャンプでの転倒が響き、ちょっと残念な4位に終わってしまった。

実は@幕張、会場の出入口で彼女とニアミスをしている。幾重にも仕切られたカーテンを潜って会場の外に出ようとしたところを、中に入ろうとした彼女と鉢合わせしたのだ。目が合った瞬間、キッと睨まれてビビッた@幕張が道を譲ると、まるで女王様のように悠然と通り過ぎていったのだが、その時は彼女の162cmの身長はもっと小さく見えた。

しかし、リンクで演技をする彼女は@幕張よりも遥かに大きく見える。日本人には少ない手足の長い身体での演技は上品で流麗。演技前にはカナダチームから声援が飛び、カナダの男子選手が夢中になってビデオを回している。この大会では一般観客席では関係者と言えども写真撮影やビデオ撮影を厳禁されていたので、自由に撮影できた関係者席は羨ましい限り。

彼女はシニアになってオリンピックや世界選手権でメダルを取る、記録に残る選手になるか否かはまだ未知数だけれど、間違いなく記憶には残る選手になるだろう。
     たぶん…、ね。

*写真イメージは下記のサイトからお借りしています。
      (C)PHOTO KISHIMOTO(http://www.kishimoto.com)
 

F1 日本グランプリ  ~ 今年も行けなかった… ~

2005-10-09 13:12:10 | 柄にもなくスポーツ関係
 鈴鹿でF1グランプリ決勝が始まった。
@幕張が鈴鹿へ遊びに行き始めたのは、セナやプロストが活躍していた頃から。当時所属していた本社外国人旅行部で、鈴鹿に参戦するチーム関係者の滞在を取り扱ったのがキッカケで、翌年からほぼ毎年遊びに行っていたのだ。ところがここ数年、転職先の仕事に忙殺されて鈴鹿に行けなくなってしまっていたので、暇な今年こそ見に行こうと思っていた。なのに今年も諸般の事情で行けなかった。

 4年続けてのTV観戦。仕方がないといえば仕方がないのだが…。

ところでここ数週間、フジテレビが盛んに琢磨の情報を流し続けている。7月26日の日記に書いたが、琢磨は今年もリタイヤ続き、トラブル続きだった。入賞どころか、完走すらままならないドライバーに翌年のシートはあるのか? などと書いていたら、実際にその通りになってしまった。

来年、もしかしたらホンダエンジンを供給された新チームが参戦するかも? という報道もあるのだが、テレビの記者会見を見ているとエンジンと資金提供をする見返りに琢磨をドライバーズシートに押し込めようというホンダの目論見がミエミエな気配が…。

しかし、琢磨はwheel to wheelなんかの競り合いではドライビングテクニックに不安がある。他のドライバー同志だと、接触ぎりぎりのラインを通ってオーバーテイクしていくので観ていてもエキサイトするのだが、琢磨をパスする時のドライバーの多くは直線コースを選ぶか、コーナーでも距離を置いたラインを取っている気がする。彼は以前もシューマッハに接触してリタイヤに追い込んだりと、他のドライバーを巻き添えにしたクラッシュも多い。“クラッシャー”という評価。それは他のドライバーからの信用を失うことになり、F1の狭い世界では致命的な気がするのだが…。

スタート直後の第一カーブで早速、琢磨とバリチェロが接触してコースアウト。最終コーナーではモントーヤがクラッシュと波乱な幕開け。鈴鹿に通っていた頃はいつも第一コーナーのD席とかF席周辺で観戦していたので、直に見られなかったのが残念。

と、出てきたセーフティカーはメルツェデスのSLK55 AMG。1,000万円を超える価格で、コンパクトな車体に似合わぬパフォーマンスを持った車だ。ホンダの管理するコースなのだからNSXやプレリュードもセーフティカーとしてあるはずなんだけど、やっぱり生産終了になったモデルは使わないのだろうか。それともメルツェデスがFIAと契約しているのか? それならいっその事、6,000万円を超えるモンスターマシンのSLK Mclarenを走らせれば良いのに。 リニューアルしたトヨタの管理する富士スピードウェイでは間違いなくレクサスがセーフティカーに採用されると思われるので、今秋の東京モーターショウで発表予定のホンダのHSC(新型NSX?)が来年の鈴鹿に登場するのかちょっと楽しみ。

それにしてもフジテレビ、今年は生中継を行なうなんて珍しい。録画と比較するとテレビの生中継はスタッフの数も段違いに多く必要になるし、5秒ルールは生きてるんだろうけど原則として途中で編集する事もできないから緊張度も違う。レースが長引くと放送延長なんてリスクも負うことになる。

それでも敢えて生中継をするっていうのは、それだけF1の視聴率が落ちているってことだろうか。今までの放送は日曜日の夜、ゴールデンタイムの帯だった。もちろん、日曜日とはいえ夜の6時~9時の帯の方が午後1時~4時の帯よりもCMのスポット価格が高いから、F1がフジテレビのキラーコンテンツだった頃は夜の時間で放送した方が局の収入が上がる。それなのに、F1を日曜日の午後の放送にしたっていうことは、夜の番組でF1よりも視聴率を稼げる番組があるってこと。どの局も一押しの番組が揃う夜にはより視聴率を取れる番組を入れ、他局で紀行物とかゴルフ番組等が多い午後の帯ならF1でも十分視聴率を稼げるから生中継でって計算したのなら、なんとなく納得できる。とにかく琢磨人気にあやかってF1ブームをもう一度っていうフジテレビの必死さは痛いほど伝わってくる。

閑話休題。
ライコネンがシューマッハをオーバーテイクした130コーナーでは320km出ていたんだそうな。
     320km。 いったいどんな世界だろう。

@幕張も昔、ドイツのアウトバーンをBMWでリミッターの作動する240kmまで出したことがある。アウトバーンは制限速度がないとはいっても、だいたいみんな100km~150kmくらいで走っているので間違いなく顰蹙を買うスピードなのだが、正直に告白すると240kmの世界は興奮した。運転していて手に汗をかく、なんて経験は滅多にない。そんな経験はノルウェーに駐在していた時に、-20度以下に気温が下がる1月にアイスバーンと化した高速道路E5を140kmを超えるスピードでドライブした時くらい。

ちなみに、もう時効だから書くが、@幕張がFRのVOLVO 960を運転していてアイスバーンとなった高速道路で事故ったのは、確かその3日~4日ほど前。たかだか70km程のスピードで車が滑り、スピンして崖に張り付いてしまったのだ。だから140km以上で運転していたのは、その後に新しく借りたFF駆動のVOLVO 850での話。

ところで、レースはファイナルラップでライコネンがフィジケラをパスした。またもや第一コーナー。うーん、やっぱり今年は無理して行けば良かった…。
さてさて、今年でF1開催契約の切れる鈴鹿サーキット。来年は富士スピードウェイがF1開催に立候補するという噂もあってどうなることやら…。
      ヨシッ! 来年こそは見に行くゾッ!! 

そうそう、今週はお台場周辺に出没していたF1ドライバー。ボーダフォンにいる後輩、H氏の情報によると来週は港区のコーンズやボーダフォン本社周辺でフェラーリチームの関係者が見られるかも。気になる人は行ってみそ。

「高校生ドラフト会議」 テレビの生放送を見ていたら…

2005-10-03 18:52:53 | 柄にもなくスポーツ関係
 今年から大学生選手や社会人選手と分離されて、今年から始まった高校生選手のドラフト会議。何事も最初は失敗が付き物とは言え、今回の失敗はお粗末過ぎた。

第一順目の指名選手、大阪桐蔭高校の辻内選手と福岡第一高校の陽選手の確定選択球団が発表されてから数分後にどちらも取り消され、最初とは違う球団が交渉権を獲得したと訂正発表がされた、とんだ大失態。

オリックスに交渉権が決まったと発表された辻内選手が、実は巨人が交渉権を獲得したとの訂正を聞いた瞬間の弾けるような笑顔とは対照的に、意中の球団、ソフトバンクが交渉権を獲得したと聞いて嬉し涙を流していた陽選手が、交渉権が日本ハムに訂正された瞬間に見せた戸惑ったような苦笑い。

どちらも抽選の「当たり」の判断が分からないようなあやふやな抽選用紙が原因で、いわゆる“当たり”の用紙には「交渉権獲得」の押印と日本プロ野球機構「NPD」の朱印、“はずれ”の用紙には「NPD」の朱印だけが押してある。最初に、何が当たりで何が外れか説明すれば問題なかったのに、何も説明せずに抽選を開始したのだから呆れてしまう。
中継していたテレビでは「前代未聞のハプニング」と解説していたが、こんなのはハプニングなどという甘いもんじゃなくて、「日本プロ野球機構が犯した前代未聞の大失態」である。
     たった数分の間に運命を翻弄された選手が哀れ。

結局、動揺したのか福岡第一高校の陽選手はしばらく記者会見を行なえなかった。
30分ほど経ってやっと開いた記者会見では「今の気持ちは?」と聞かれて、しばらく沈黙した後「嬉しいです」と言葉少なにやっと答えた揚選手も、「日本ハムについて、どう思うか?」との質問には「良く分からないです」と戸惑っている様子がありあり。
     

FIFA WC2006  @幕張「ああ、大いなる勘違い!」

2005-10-02 12:51:09 | 柄にもなくスポーツ関係
 Gilletteのシェービング・ジェルを買うと付いてくるWC2006ドイツ大会のオリジナル・ネック・ストラップ。
おまけに釣られて思わず買ってしまったが、ナンかおかしい。ドイツ大会のロゴマークの右に「(c) 2002 FIFA TM」とプリントされて、その右には「Gillette」のロゴが入っている。

何がヤバイって、プリントされている大会ロゴマークは2006年の“06”をデザイン化したドイツ大会のもの。FIFAのロゴマークも中に含まれているけれど、あくまでも大会ロゴは使用権をFIFAがWOC(大会組織委員会)に貸し出してLOCが管理するもの。

だからスポンサーもロゴマークを使用する場合には「(c)2006 WC TM」とかローカルコミッティーの略称とかに統一する使用基準があって、そのガイドライン通りに使用しなければならないはず。オリンピックの場合には、ロゴを入れた商品にライセンス使用権を獲得した年号を入れるケースがあって、その場合は例えば1998年開催の長野オリンピックのライセンス使用権を1996年に取得した場合なら「1996 NAOC」と入れる。つまり、1996年にNAOCが商品を承認したって意味。

でも、「(c) 2002 FIFA TM」ってことは“2002年のFIFA大会(=WCドイツ大会)のTM(=トレードマーク)”って意味になるから、仮に2002年にGillette 社がスポンサーとしてライセンス権を取得していたからだとしても、絶対おかしい。

で、Gillette日本に問い合わせてみた。そしたら以下の回答が…。

  『ジレット製品をご愛用頂きまして誠にありがとうございます。

   ご質問頂きましたネックストラップの2002との表記についてで
   ございますが、こちらは、2006年ドイツワールドカップのTMを
   取得した年を表しております。

   今後のご使用におきまして何かございましたら、下記フリー
   ダイアルお客様相談室まで何なりとご相談いただければ幸いで
   ございます。

   弊社製品を末永くご愛用戴けますようお願い申し上げます。 』

          ………

んん?って思ってFIFAの公式ホームページでロゴを良く見ると、確かに2006年ドイツ大会のシンボルマークの横に「(c) 2002 FIFA TM」と書いてある。

         あれれれっ!? これで合ってるんだ。

    ゲゲッ!! 電通の担当者にも同じメール出しちまったぞ。

     久し振りにやってしまった、大いなる赤っ恥。 

東京都と福岡市、2016年・2020年夏季オリンピックに立候補する!!

2005-09-24 22:54:42 | 柄にもなくスポーツ関係
 先日開催が決まった2012年のロンドン夏季オリンピックの次、2016年と2020年の夏季オリンピックの招致に東京都と福岡市が相次いで名乗りを上げた。札幌市も立候補を検討しているので、日本の北と南の代表都市、そして首都が三つ巴の戦いになるかもしれない。夏のオリンピック招致は名古屋で負けて大阪でも負け、いよいよこれが三度目の挑戦となるのだが、果たして三度目の正直となるのだろうか。

 オリンピックの開催には様々な課題が付きまとう。
一つはオリンピックの開催地がなぜそこなのか、という理由付け。シドニーは南半球で初めてのオリンピック開催、アテネは近代オリンピック開催100周年を記念したオリンピック発祥の地への回帰、北京は10億人以上いる中国人民へのオリンピックアピール等々。
北京の場合は、多分に中国に商品を売り込みたいスポンサーの影響があったようにも思えるけれど、とにかくオリンピックを開催する必然性をアピールしなければ勝ち目はない。

そして次の問題が会場の制約。
長野オリンピックでの運営基本計画や実施計画の策定で、@幕張たちを散々悩ませたのがIOCのガイドライン、いわゆるオリンピック憲章。ガイドラインでは、選手からIOC関係者、ボランティアに至るまで、大会に携わる関係者達の待遇について細かなガイドラインが決められている。

その中で最も問題になるのが会場の制約で、選手の滞在する選手村と主な会場との間を何分以内で結ばねばならないとか、同様にテレビや新聞などの公式メディアの滞在するメディア村とメインプレスセンター、国際放送センターとの移動時間など、大都市になればなるほど難しい条件が書いてある。

1964年の東京オリンピックの時は信濃町の国立霞ヶ丘競技場、駒沢オリンピック総合公園、国立代々木競技場、代々木の選手村、渋谷のNHK…と大都市としては関係施設が集中したコンパクトな大会で、現在のIOCが理想とする大会に近いものであった。しかし、今の東京で当時とは比較にならないほど肥大したオリンピックを開催できるのであろうか?

IOCが規制する動きがあるとはいえ、すでに参加選手数はアテネオリンピックで11,000人を超えており、身分証を発行する大会関係者もたぶん4万人を超えるであろうことが予想される夏季オリンピックを東京で開催するとしたら…

競技の開催場所はどうするのだろう。やはり1964年と同様に国立霞ヶ丘競技場や国立代々木競技場、駒沢オリンピック総合公園等を会場にするのであろうか。すると、主な会場との移動時間が30分以内と規定された選手村の建設場所は以前と同じ場所、代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターしか場所がない。現在の国立オリンピック記念青少年総合センターを超高層ビルに建て替え、不足分は敷地内の公園などに仮設建物を作ればなんとかなるかもしれない。だが、そうするとメインプレスセンターや国際放送センターはどうするのか。

今のNHKでは、建物一棟を新築しなければとても間に合わない。メインプレスセンターに至っては、そんな大きな仮設建物を建てる余地はない。東京でそんな土地があるとしたら、新宿御苑か代々木公園、後はお台場くらいしかない。新宿御苑は恩賜公園だからだめだろうし、せっかく整備されて美しくなった代々木公園を大きく壊すのも時代に逆行する。すると、消去法でお台場が残る。お台場は数年前に中止が決まった都市博の影響がまだ残っていて、利用されないままに放置されている広大な土地がずいぶんある。

しかしお台場に関係する建物を建設するとなると、メディア関係者を信濃町や代々木、駒沢の競技場まで1時間以内に輸送しなければならない。首都高も一般道も渋滞続きの東京では無理な話。

       さて、どうする? レインボーブリッジでも封鎖するか?

大会期間中、首都高を関係者専用にすれば、あながち不可能な案じゃない。石原都知事は「大都市再生計画として行なう」と発表しているので、もしかしたら他にもっとすごいミラクルな案があるのかもしれない。首都高を上下二階建て構造にしたり、陸上競技場の地下に体育館を作ったり…。

でも、オリンピックに期待するのは止めた方が良いと思うよ。
「オリンピックが(我々に)何を与えてくれるのか」ではなく、「(我々が)オリンピックのために何ができるのか」を考えないと、長野の二の舞になるような気がする。長野オリンピックで高速道路ができて新幹線ができたって、それらは元々計画されていたもの。ただ完成が数年早まっただけ。

高速道路のインターチェンジからスキー場へ造成された新しい道路は広く、走りやすくなったけれど、その為に今までスキー場付近の宿に宿泊していたスキー客は街の安いビジネスホテルへと流れていった。今まで何泊かしていた観光客も、日帰りが可能になって宿泊数が減ってしまった。オリンピック需要を当て込んで雨後の筍のように開業したホテルも、もう何件も廃業したり経営権が移ったりしている。東京でそんな事態にはならないと思うけれど、福岡や札幌は長野を“他山の石”とせずに学ばなければ確実に失敗すると思う。

今年の夏に決着した2012年の夏季オリンピック招致には、ロンドンが50億円以上、パリが35億円以上の招致費用を使っている。招致に成功すれば見合う見返りがある…とは言いつつも、失敗すればすべてが水の泡。

それにしても、札幌冬季、東京夏季、長野冬季に続く4回目のオリンピックを招致するなんて、やっぱり日本人はオリンピック好き。