衆院選が終わった。
つまんねぇ選挙だった。今回の選挙はまるで三文芝居。ヘタクソなシナリオと演出、そして何よりも揃った大根役者。
マドンナに刺客に抵抗派、おまけに最初っから政権を諦めて「反対、反対」と、与党に反対を唱える事だけを喧伝する政党や、すっかり政権を取ったつもりで「ボクが総理になる」などと発言して赤っ恥をかいた政党まで。ここまで大根役者ばかりだと、誰に投票しようか迷いに迷う。なぜなら誰に投票しても同じに思えてくるから。
おまけにセクハラで辞めた議員どころか、汚職や横領で議員をクビになったはずの輩まで立候補しているし。@幕張、生理的な嫌悪感で見たくもない顔や聞きたくもない声が、さっきから何人もテレビに出てきているので腹立たしい。なので、テレビのスイッチは切っている。当然、そろそろ日が変わるこの時間の開票状況なんて分かっていないが、それはそれで、それでも結構。
だいたい弔い選挙だとかマドンナ候補だとか、まったくもって馬鹿馬鹿しい。奴らはドラマのタレントか?
およそ、新聞の政治欄すらロクに読まないような輩が候補者だなんていったいどういうことだ? 資金と後ろ盾さえいれば、政治理念も経験も下積みもいらないということか。「政治なんて興味ない」とか「政治って良く判らないんですけども…、オホホホ」なんて発言をしていた人間が、どのツラさげて手を挙げているのだ。
厚顔無恥もここに極めり!
戦後しばらくの間、政治家への道は最初に先輩政治家の家に書生として入り、そして秘書を経て政治家になる、という王道が存在した。だから政治に確たる理念があったし、歴史に名を残す政治家が何人も出てきた。
ところが現在はどうだ。
粗製濫造も甚だしい。もうほとんど外見と知名度だけで選んだ、としか思えないような“素人そのもの”の候補者までいるじゃないか。
しかも、そんな候補者が当選してしまうのだから恐ろしい。議場で居眠りをするどころか、たぶん自分の意見も信条も持たないままに登壇し、上から言われるがままに投票の賛否の木片を差し出す「政界の操り人形」が今回の選挙でいったい何人増えたのだろうか。
“烏合の衆”という言葉があるが、政界の“操り人形”は政界の“烏合の衆”よりも二倍危険なのに。
なぜなら、“カラス”はエサを食べるが、“操り人形”は何も食べない。しかし、議場で投票用に使用する青票、白票の木片は、“カラス”でも一票、“操り人形”でも一票なのだ。美味しいエサをやらなきゃ集まってこない“カラス”よりも、糸を手繰れば自由に操れる“操り人形”の方が楽に決まってる。
これこそ、“数の論理”
「たかが一票、されど一票」と言いつつも、最近は「たかが一票」の方が比重が増してきているように思えてならない。だから今回の選挙は何が何でも投票したかった。青でも白でも良い。政治信条を持っている政治家に投票したくて、わざわざ信州の山奥から住民票の置いてある千葉まで出てきたのだ。
“カラス”や“操り人形”はご免こうむる。
つまんねぇ選挙だった。今回の選挙はまるで三文芝居。ヘタクソなシナリオと演出、そして何よりも揃った大根役者。
マドンナに刺客に抵抗派、おまけに最初っから政権を諦めて「反対、反対」と、与党に反対を唱える事だけを喧伝する政党や、すっかり政権を取ったつもりで「ボクが総理になる」などと発言して赤っ恥をかいた政党まで。ここまで大根役者ばかりだと、誰に投票しようか迷いに迷う。なぜなら誰に投票しても同じに思えてくるから。
おまけにセクハラで辞めた議員どころか、汚職や横領で議員をクビになったはずの輩まで立候補しているし。@幕張、生理的な嫌悪感で見たくもない顔や聞きたくもない声が、さっきから何人もテレビに出てきているので腹立たしい。なので、テレビのスイッチは切っている。当然、そろそろ日が変わるこの時間の開票状況なんて分かっていないが、それはそれで、それでも結構。
だいたい弔い選挙だとかマドンナ候補だとか、まったくもって馬鹿馬鹿しい。奴らはドラマのタレントか?
およそ、新聞の政治欄すらロクに読まないような輩が候補者だなんていったいどういうことだ? 資金と後ろ盾さえいれば、政治理念も経験も下積みもいらないということか。「政治なんて興味ない」とか「政治って良く判らないんですけども…、オホホホ」なんて発言をしていた人間が、どのツラさげて手を挙げているのだ。
厚顔無恥もここに極めり!
戦後しばらくの間、政治家への道は最初に先輩政治家の家に書生として入り、そして秘書を経て政治家になる、という王道が存在した。だから政治に確たる理念があったし、歴史に名を残す政治家が何人も出てきた。
ところが現在はどうだ。
粗製濫造も甚だしい。もうほとんど外見と知名度だけで選んだ、としか思えないような“素人そのもの”の候補者までいるじゃないか。
しかも、そんな候補者が当選してしまうのだから恐ろしい。議場で居眠りをするどころか、たぶん自分の意見も信条も持たないままに登壇し、上から言われるがままに投票の賛否の木片を差し出す「政界の操り人形」が今回の選挙でいったい何人増えたのだろうか。
“烏合の衆”という言葉があるが、政界の“操り人形”は政界の“烏合の衆”よりも二倍危険なのに。
なぜなら、“カラス”はエサを食べるが、“操り人形”は何も食べない。しかし、議場で投票用に使用する青票、白票の木片は、“カラス”でも一票、“操り人形”でも一票なのだ。美味しいエサをやらなきゃ集まってこない“カラス”よりも、糸を手繰れば自由に操れる“操り人形”の方が楽に決まってる。
これこそ、“数の論理”
「たかが一票、されど一票」と言いつつも、最近は「たかが一票」の方が比重が増してきているように思えてならない。だから今回の選挙は何が何でも投票したかった。青でも白でも良い。政治信条を持っている政治家に投票したくて、わざわざ信州の山奥から住民票の置いてある千葉まで出てきたのだ。
“カラス”や“操り人形”はご免こうむる。