@幕張日記

@幕張が日々を想いのままに綴る日記

遂に買ってしまった、沖縄行航空券

2006-08-13 23:40:38 | @幕張の日本小紀行

<よんどころのない事情で、写真には少し細工しました…>

 遂に買ってしまった。
どうしようもないプータローのクセに、遂に沖縄行の航空券を買ってしまったのだ。

               フライトは10月上旬。

先週の記事にも書いた日本航空の特別運賃で、南九州便か沖縄便か購入期限日までぎりぎり迷った末に決めたのは沖縄だった。
この特別運賃は東京~沖縄間が片道7,800円なので、普通運賃の38,500円と比べると約五分の一。
チケットレスで購入したので更に割引となり、片道7,650円になった。

いつもは出発直前に旅行を思いつくことが多い@幕張、珍しく2か月も前から旅行の計画を立ててみたものの、ちょっと心配なことが…
それは、前もって旅行を計画すると必ず邪魔が入って土壇場で旅行計画が頓挫する@幕張のジンクス。

およそ10年前、長野オリンピック組織委員会の広報部にいた仲間たちがハワイのフェスティバルで広報活動を行うために、@幕張にも声を掛けて誘ってくれた時のこと。
その頃はすでに長野オリンピック組織委員会への出向を終え日本旅行に復職した@幕張だったが、ハワイでの広報活動へのお誘いに飛びついて準備万端、楽しみにしていた。
ところが出発日の前夜、会社で残業をしていると電話が鳴って悪魔からの伝言が…

電話は一人だけ残業もやらずに定刻で帰ってしまったチームの女性が、自宅近くの駅付近で事故ったという警察からの連絡。
何でも駅前の商店街で自転車に乗っていて、すれ違いざまにおばさんの自転車と接触して転倒したのだとか。
警察でよくよく事情を聞いてみると、狭い商店街の道路で車の横をかなりのスピードで無理やり自転車に通り抜けようとして相手の自転車と正面衝突したらしい。
しかも倒れる際に、自転車のハンドルを握ったまま、ペダルに足を置いたままの姿で転倒して軽い脳震盪を起こしたのだとか。

           @幕張、叫びたいのをグッとこらえた。「バカ野郎、ふざけんな!」って。

よりによって、ハワイ出発の15時間前に。
一体、どんな運動神経なら自転車のハンドルを握り、ペダルに足を置いたままの姿で転倒できるのか。
もう運動神経がマイナス100とちゃうのか!と罵倒したかった。
だいたい、どの世界に狭い場所を自転車に乗ったまま強引に走るバカがいるのか。
狭い道なら自転車から降りて、押して進むのが常識だろう。
地団太踏んではみたものの、彼女がいないと仕事の人手が足りないので、泣く泣くハワイ旅行を取り止めたのが出発当日の朝。
広報部の仲間たちは前日に出発していたから、現地へはFAX1枚でドタキャンを連絡した。

          後で聞いたら、ハワイでは大ヒンシュクだったらしい。 当り前か。。。

そして半年後。
その頃の@幕張は日本舞踊の某お師匠さんと一緒にフランスへ行くことを計画していた。
GW後にパリで開催される『Japan Week』というイベントへオリンピックPRの参加にかこつけて、彼女を彼女の両親と一緒に誘ったのだった。
そんな5月のフランス旅行に備えて、2月には5日間の休暇願を出していた。だって、他の人に先を越されたらアウトだから。
ハワイのドタキャン事件もあったので上司の課長は何とか休暇OKを出してくれ、GW後のフランス旅行を指折り数えて楽しみにしていたのだが…
二人目の悪魔は、オフィスの@幕張の後に座っていた。それは当時、人手が足りなくてバイトで来ていた台湾系日系人のKさん。
GW直前になって、彼女はいきなりGW後に休むと言い出した。理由は「GW中は旅費が高くて台湾に里帰りできないから。」

               イヤな予感的中。

2月に休暇願を出して5月の勤務表に有休を記された@幕張のことをすっかり忘れていた係長が、彼女の休暇願をOKしてしまったのだ。
当時在籍していた首都圏航空課は僅か7人で年間36億円を売り上げる部署だったため、前年のハワイ・ドタキャン事件と同じでチーム内で2人以上休むと仕事がきつい。
このフランス旅行のために、@幕張は年末年始やGWの休日出勤当番もすべて一手に引き受けていたのに、係長から強制的に5月の休暇を取り消されてしまった。
しかもフランス出発の一週間前に。

当然、キャンセル料は自腹、彼女はカンカン。
前日に成田のホテルへ行って彼女に詫びてきたものの、「話が違うじゃない」と責められ針のムシロ。
このフランス旅行ドタキャン事件はかなり後まで尾を引いてしまい、その年の夏、暑気払いの飲み会で酔った@幕張と係長が殴り合いになってしまった後日談も。

前から計画をした旅行は土壇場でひっくり返る…というジンクスは、その頃から。
そんな訳で、自然と自分の旅行は事前に計画しなくなった。
行こうと思い立っが吉日で、一人旅の計画を立てるのはだいたい出発の数日前。
去年の秋、山ちゃん&ゆっきーと行った京都旅行だって詳細を決めたのが前の週。

そんな@幕張だったが、暇だけは売るほど持て余しているものの財布は限りなく軽い今の状況に、背に腹は代えられず2カ月も前に買ってしまったのがこの航空券。

実のところ、今回は沖縄旅行がそんなジンクス通りになれば良いなぁ…と考えているもう一人の@幕張がいる。
もしかしたら転職先が決まって沖縄旅行どころじゃないだろッ!っていう状況にならないかと、密かに期待してるもう一人の自分。

                   気晴らしに行こうと考えた沖縄旅行。
  でも密かにジンクス通りのドタキャンを願うほど、今の@幕張的転職状況はヤバイ。

Special Bargain Fare by JAL & ANA

2006-08-08 22:21:31 | @幕張の日本小紀行
  

 今月1日から10日までの限定で、日本航空と全日空が国内線特別運賃の航空券を発売している。
日本航空は「スペシャルバーゲンフェア」、全日空は「超割」と銘打った航空券がそれで、10月1日から5日まで国内の全路線が一律7,800円で搭乗できる、というものだ。

久々に日本旅行の首都圏航空営業課にいた頃の血が騒いで予約に熱中してしまった。
元々、両社のマイレージ会員になっている@幕張は先月から始まった会員専用の事前発売を利用できたのに、その時は夏カゼで体調最悪だったのと転職モードだったので旅行の事は全然考えていなかったのだが…
ところが8月に入って@幕張のいつもの病気“急に旅行したいモード”にスイッチが入ってしまい、朝から何度も予約サイトを覗くようになってしまっていた。

         目的地は ①沖縄 ②南九州 のどちらか。

旅行会社で沖縄旅行の担当をしていた頃は年に5回も6回も沖縄に行っていたのに、ここ数年は「忙しくて暇なし」か、「貧乏で金なし」でずーっと行ってなかった。
沖縄にはもう数え切れないほどの想い出があって、10年間ボランティアを務めていた嘉手納空軍基地はまさに@幕張的“愛と青春の旅立ち”の場所。
もっとも@幕張はパイロットじゃなくてEntertainment Specialistだったし、恋も成就しなかったから映画と同じとはいかないけれど。

南九州は大学の頃にバイト添乗員で行って以来なので、実に20年振り。
たまたま偶然、お客さんの中に当時憧れだった大学の同級生の子がいたり、九州産交のバスガイドさんと仲良くなって何度も熊本へ遊びに行ったりと、南九州には甘い思い出だけがある。一度聞いただけで何故か覚えてしまった宮崎の「フェニックス・ハネムーン」とか鹿児島の「茶碗蒸しの唄」なんかもこのツアーでガイドさんが歌ったからだ。
そういえば、このガイドさんからは長崎を舞台とした永井博士の「この子を残して」とか「長崎の鐘」も教えてもらったっけ…

        現地の観光は勿論、飛行機に乗ること自体が大好きな@幕張。

         さて…、沖縄南九州、どちらに行こうか。

  

木曽福島と子どもの頃の思い出

2006-07-23 22:28:48 | @幕張の日本小紀行
 所用で長野県南西部にある木曽福島へ。
木曽福島は島崎藤村の小説「夜明け前」に「木曾路(きそじ)はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖(がけ)の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道(かいどう)はこの深い森林地帯を貫いていた。」(青空文庫版より抜粋)と書かれた木曾十一宿の一つで、江戸時代には東山道(木曾街道)の関所が設けられた古い宿場町だった。

この日はちょうど、水無(スイム)神社の水無祭が行われていて街の中は歩行者天国になっていた。
木曽福島へ来たのは昨年2月に行われたスペシャル・オリンピックス世界大会の「法執行者によるトーチラン」で訪れて以来。
役場から聖火を掲げて町内を走り出したランナー達の先導兼取材車の運転をした道は、今日は祭の出店が並んで賑やかだった。

  
<崖屋造り(下屋造り)の建物。>                    <世界初の鉄筋コンクリートローゼ桁橋 大手橋>

木曽福島には『崖屋造り(下屋造り)』という、川の上にせり出す独特の建築方法の建物や、世界で最初の鉄筋コンクリートローゼ桁橋の『大手橋』など、地方の歴史的な風景も残っている。
『崖屋造り』とは狭い土地の有効活用のために、川の上に数mもせり出した建物の建て方で、川に面した部屋の窓を開けると川面を渡る涼しい風が部屋の中に入ってきて風情この上ない。また独特の景観から、この風景をスケッチする人や写真に撮る人も多いらしい。
そして『大手橋』は昭和11年に中島武工学博士の手によって建てられた、世界初の鉄筋コンクリートローゼ桁橋。
今では車のすれ違いもちょっと難しい狭い橋なのだけれど、当時は最先端の設計だったらしい。

  

そんな歴史的なものより@幕張が感慨深かったのがここ。
今から30数年前、小学校低学年の時にこの町に遊びに来て、たまたまこの石段を降りて木曽川を見ると、川底には無数の雲母が煌めいていた。
当時から水晶などの鉱石に異常に興味を持っていた@幕張は、川底でキラキラと光る親指の爪ほどの大きさの雲母が欲しくて仕方がなかったのだが、その時はまだ小学校低学年。川の水深は20cmほどだったと思うけれど、この川縁の黒い石の上から手を伸ばしてみたものの、どうしても雲母まで指が届かなかった記憶がある。

当時はこの木曽川の川幅はもっともっと広いと感じていた。自分の記憶を辿ると、当時は幅が50m以上はある大きな川だと思っていたようだ。
今見ると川幅はせいぜい20mほどで、あの頃はなぜそんなに大きな川だと思ったのか自分でも図りかねるのだけれど、きっとその頃のミニ@幕張には20mの川幅でもずっと大きく見えていたのかも。

今は親水公園となってきれいに整備されてしまったが、昔はもっと素朴な石段が河原に続いていた。でも、記憶に残っている川縁の黒い石は30数年前そのまま。
残念ながら、豪雨の影響で水量が増していて今日は川縁まで下りることはできなかったけれど、30数年前の遠い記憶の中で見た同じ風景を再び見ることができてちょっと嬉しい一日だった。

【京都小紀行 その8】 11月26日 < epilogue >

2005-12-04 23:02:56 | @幕張の日本小紀行
 京都駅でお土産タイムと称して1時間ほど自由時間。
京都駅1階と地下にある土産店で三人バラバラになって買い物をするものの、八ッ橋以外を買う予定のない@幕張は専らユッキーにお付き合い。昔、お師匠さんとそのご両親と一緒に京都に旅行した時、彼女のお父様が「オトコはネ、女性の長い買い物には耐えるものなんだヨ」とポツリとつぶやいた事があったが、なるほど、女性の買い物は商品を見る目が厳しい。
京都駅の1階と地下1階にある土産フロアは嵐山並みの人出でマトモに歩けない。人を掻き分けるように前に進んで土産を選ぶ。@幕張は「えびじゃこ豆」と「生八ッ橋」を購入。

約束の一時間後に駅前で待ち合わせるとホテルに戻り、預けた荷物を整理して新幹線ホームに向かう。40分ほど時間があったので、本当はどこかで近くでお茶でも飲みながら…と探したのだが、どこも入口に行列ができていた。帰り間際に年末ジャンボ宝くじを買おうと思っていた駅地下の売り場にも行列。仕方がないから新幹線ホームで時間を潰す。

   こんな時に東京駅のような休憩広場がない駅は不便。

  

名古屋駅で新幹線から特急しなのに乗り換えると、山ちゃんがビールをくれたので、ありがたく頂戴する。一口、二口と飲む程に身体がシートに沈み込んでいった。

しばらくウトウトしていると、後から明るい女子高生らしいの声が聞こえてくる。どうやら山ちゃんが隣の女子高生と話している様子。いつ間に…と思ったものの、さすが山ちゃん、人の心を掴むのが早い。程なくして@幕張は夢の中に吸い込まれていった。
     夢の中で、何かが自分から零れ落ちる。

【京都小紀行 その6】 11月26日 <ホテル~金閣寺~大徳寺~泉仙 >

2005-12-02 22:03:16 | @幕張の日本小紀行
 朝、起きると山ちゃんが何となく、いや、明らかに不機嫌な顔。不機嫌、というよりは疲れている。
私が恐る恐る尋ねると「うるさくて、寝られなかった…△□×...」

      …ああ、やっぱり今回もやってしまった。

     @幕張、京都のホテルの中でも道路工事…

朝食の後チェックアウトをしたホテルに荷物を預けると、山ちゃんのリクエストにより金閣寺へ。実は山ちゃん、金閣寺は今回が初めてなのだとか。
金閣寺周辺の駐車場がいつも混み合っているので早めに行く。金閣寺には開門前の8時20分頃には到着し、入口周辺の参道でしばし写真撮影タイム。金閣寺の境内には色とりどりに色づいた木々があって写真を撮るには最高。

開門の9時前には何台もの観光バスが駐車場に入ってきたので慌てて列に並ぶ。開門した時には、私たちの後に100m近い団体さんご一行の列ができあがっていた。開門して列が動き出したので山ちゃんとユッキーには列に並んでもらい、唐門に先乗りして拝観料を払いに行く。混雑している観光地では早く入場するためのチョッとしたコツがあって、拝観料をいかに早く払うかによって入場時間が左右される。個人の参拝客は拝観料を払う人も同行の人たちもグループで一緒に動くので、一緒に彼等の後について行くと拝観料の支払いで更に待たなくてはならないのだ。だから一足先に行って拝観料を払う列に並び、チケットを受取ったら山ちゃんやユッキーが来るのを待てば良いのだ。団体ツアーの添乗員も同じで、いつも先乗りしてチケットを受取ってからお客さんの列が来るのをまっている。

  
正門から総門を望む                          定番の鏡湖池から見た金閣

金閣寺の庭園の中も例によって大混雑だった。団体さんや大きな三脚を持ち込んでいるオヤジカメラマンで鏡湖池の手前、葦原島を挟んだ閣寺の写真撮影スポットは身動きできない。
相変わらずおばさんたちが元気に動き回り、@幕張は揉みくちゃにされるうちに山ちゃんやユッキーとはぐれてしまった。金閣寺は昭和62年に金箔の全面張替えを行なっているが、18年前の張替えとは思えないほどに美しい。40分間ほどで金閣寺を出ると、総門前の道路は満車になった駐車場に入り待ちの車で大渋滞だった。

路線バスで大徳寺に向かう。大徳寺は石田三成の墓所など境内の中に30近い寺社があり、広大な境内は紅葉こそ少ないものの見ていて飽きない。
実は@幕張、大徳寺というと俳優の故大川橋蔵氏の銭形平次や中村主水が活躍する必殺シリーズなど時代劇の撮影に使われたイメージが強かったので、今回は撮影に出てきた石段に行ってみたかった。ところが案内係や受付に聞いても「石段…? さあ...」と言われるばかりで要領を得ない。境内案内図を見ても石段なんてなかった。後で分かったのだが、問題の時代劇撮影で有名なのは嵯峨野の「大覚寺」。@幕張、20数年間ずっと大徳寺だと思っていたのは大いなる勘違い。

     思い込みって怖い。

この日、大徳寺では普段は見る事のできない国宝の数々が虫干しされていて、偶然にも国宝の襖絵や屏風、掛け軸の数々を見る事ができた。こんなところは悪運が強い。
大徳寺を後にし、近くの精進料理「泉仙」で精進鉄鉢料理の昼食。
昨晩食べられなかった丸ナスも堪能し、ちょっと多いかな?と思った料理もすべて完食。


  
大徳寺                                  大徳寺の紅葉

【京都小紀行 その5】 11月25日 <下鴨神社~ホテル~知恩院~先斗町>

2005-12-01 15:29:27 | @幕張の日本小紀行
 下鴨神社からの帰り道、ホテルに帰ろうとタクシーを捜すが見つからない。
ちょうど時間帯が悪いのか10分ほど待っても客が乗っている実車しか通らなかったので、通りかかった路線バスに乗った。路線バスはかなり混み合っていて、バス後部から乗車した後に車内で前方に進めない。停留所に停まるたびに車内は混雑し、片手でバーを掴んだまま身動きが取れなくなってしまった。

バス車内は思いの外暑く、混んでいて身動き一つできないので額の汗も拭き取れない。途中から乗ってきたお婆ちゃんが@幕張の前に潜り込んできて「ちょっと棒に掴まらせてね」と言われてしまったので、腰を思い切り後ろに引いたナンとも不安定な格好でバスに乗ることになってしまった。本当は目の前の座席に座っている和服の若い兄ちゃんが席を譲っても良さげなものだったが、おばあちゃんが目の前に来てから狸寝入りを決め込んでいる。目の前に潜り込んできたお婆ちゃんに覆いかぶさるような実に不自然な格好で立たざるを得なかった@幕張、担いでいたバッグが邪魔になるので手で持っていたが、片手でバーを掴み、もう片手でバッグを持ったまま肩からずり落ちそうになったカメラを支えていたから本当に辛かった。 バスは四条通りに出てから渋滞にはまって動かない。車内は異様に暑くなってきて目の前が酸欠状態のようにクラクラする。 市役所前に来た時、バスのドライバーから「道路が混雑しています。京都駅方面にお急ぎの方は次の停留所から地下鉄にお乗換えください」との車内放送。

     @幕張にとっては天の声。

山ちゃんとユッキーを促してバスから降りると、外の涼しい空気を思いっきり深呼吸した。地下鉄に乗り換えてホテルへ帰ると、一休みしてからタクシーで再び祇園へ向かい、食事の前にライトアップを見学することにして、その前に甘い物でも…となり祇園の鍵善良房に向かうが、なんと営業時間を過ぎていた。

     しまった... リサーチ不足だった。…@幕張、不覚。

向かいの2階にあるパフェで有名な茶寮都路里も階段から下の歩道にまで列ができていた。ヤバッ、どうしよう...と逡巡したが、ユッキーが近くの大原女家をしっかりチェックしてくれていたので、そこで一休みして美味しいぜんざいをいただく。暖かくて甘いぜんざいが美味しい。何だかんだと5時間近く歩いた身体の疲れが、ぜんざいの甘さで解けていくようだ。
帰りにユッキーが「窯風呂」という名前の和菓子を買ったところで店を出た。

祇園の繁華街を抜け、知恩院のライトアップを見学する。去年来た時に行った高台寺のライトアップは、1時間も並んて見学したのに期待外れでがっかりしたものだが、光ファイバーまで使った高台寺の派手な演出に比べて知恩院のそれは、照明に照らされた建物もうっすらと浮かび上がり、小さな灯篭も使ってセンスも良い。
一箇所だけスポットライトが当てられて人だかりができている場所があり、誘われるように覗き込むと知恩院の七不思議のひとつ「忘れ傘」を照らし出していた。


<知恩院 三門 ライトアップ>

知恩院のライトアップを見学した後に夕食。山ちゃんの希望でおばんざいを食べに行こうと思ったが、何度か通った四条の店が閉店したのか電話が繋がらなかったのでとりあえずタクシーで先斗町へ。一言でおばんざいの店と言っても、居酒屋風の店から小料理屋風の店、割烹風の店までいろいろある。折角京都に来たのに居酒屋ではつまらぬと、小料理屋か割烹を探したのだが、先斗町も以前とすっかり様変わりしてしまい店が全然分からなかった。

実は京都に行く前にいくつか店を調べていて、偶然にも西院に@幕張と同じ名前のおばんざいの店を見つけていた。元々造り酒屋だったそうで、お屋敷を改築した店の中では“@幕張”という@幕張と同じ姓の酒も飲めるらしい。ところが、この時すっかりこの店の事を忘れていた。夕食にはここに行ってみようと住所や連絡先まで調べておいたのに、先斗町の様変わりに焦ってしかって記憶から抜け落ちてしまっていた。西院の店、“@幕張”を思い出すことなく通りをウロウロと歩いた挙句、山ちゃんが何とか見つけてくれた小料理屋風の店で夕食。
     添乗員@幕張、ここでも大減点...
             

【京都小紀行 その4】 11月25日 <南禅寺~哲学の小径~下鴨神社>

2005-11-30 22:23:35 | @幕張の日本小紀行
 南禅寺の大伽藍を見学し、よく響き渡る鐘楼の横から寺の横道を抜け奥丹総本店の前を通り過ぎる。哲学の小径へ行く途中、永観堂の紅葉にも興味があったが中は
かなり混んでいる様子。山ちゃんとユッキーと相談してパスすることにし、永観堂に付属している幼稚園の中を通り抜けただけで出てきてしまった。

  
哲学の小径の紅葉①                           哲学の小径の紅葉②

時間は3時を回り、今日の予定が消化できるか微妙だったので哲学の小径へと急ぐ。哲学の小径なんて高校生の修学旅行で歩いて以来。当時歩いた道はもっと細くて川の土手みたいな印象がだったけれど、周辺を整備したのか立派な歩道になっていた。すでに3時間近く歩いていたため甘味処を探して休憩することにしたが、肝心の甘味処が見つからない。和菓子の有名店がガイドブックに書いてあったが、路地を入ったところにあるのかなかなか見つからなかった。いくつか目印を探し当ててこの辺、と目星をつけた周辺の店で場所を聞く。すると近くにあったものの道路が一本隣の通りにある事が分かった。ガイドブックなんて、こんなものか...

やっと目的の和菓子屋を見つける。ガイドブックによると和菓子をいただきながら抹茶を飲める…と書いてあったのだが、中に入ると様子が変。恐る恐る「この店の中でいただけるのですか?」と尋ねると、店の女将が「いいえ、ウチのところは買っていただくだけどす。」との答。

      またガイドブックかよッ!

地図の場所が違えば店の内容も違う。ま、一つ間違えれば後は同じか...
周囲が少しづつ薄暗くなってきたのでタクシーを捉まえ、今日最後の見学地の下鴨神社へ。
神社に到着したのが4時30分過ぎで、もうかなり薄暗くなってしまっていた。広大な参道をとぼとぼ歩いていくと大きな鳥居の手前に小さな祠を見つけた。祠には「相生社」とあり、横に生えた木が絡まっている。いわれを書いた高札には「京の七不思議 連理の賢木(さかき) 縁結びの御神木」とある。それによると、二本の木が一本に絡まったところから縁結び、安産子育て、家内安全のご利益があるのだそうだ。とりあえず今回は「縁結び」とある社には端からお参りすることにして、ムニョムニョ…とお願い事。

  
縁結びのご利益がある相生社                     下鴨神社の大鳥居

周囲が薄暗くなっていたせいか、大鳥居の横には天皇家の御印である『十六葉八重表菊形』の入った提灯が掲げられていた。鳥居をくぐり、中に入ると右手にかわいいカラスの子供が着物を着て千歳飴の袋を持っている絵の書き割りを発見。最初に見たときは「かわいい絵だけれど、ナゼにカラス?」という疑問だった。それによく見ると二羽のカラスの絵はどちらも三本足。

     
       ンッ? 八咫烏?

最初、下鴨神社と八咫烏がどのように繋がるか@幕張には分からなかった。下鴨神社のご祭神「賀茂建角身命」が八咫烏に姿を変えたのだと知ったのは帰ってきてからの事である。境内の中には十二支それぞれの祠があったので、それぞれにお参りする。午後5時を過ぎた頃、禰宜さんから閉門を告げられ神社を後にした。

【京都小紀行 その3】 11月25日 <円山公園~青蓮院~南禅寺>

2005-11-28 21:36:56 | @幕張の日本小紀行
 二年坂を北に上り、円山公園の中を横断する。
ここ数年、市中の町屋や二年坂、産寧坂の旧家が次々と土産屋に改装され“どことなく和風土産屋”らしき店が増えた。“どことなく和風土産”というのは別に京都でなくとも良く、金沢でも萩・津和野でも高山でも、小京都と云われるところならどこにでもありそうな和風の土産物の事で、土鈴や着物の端布を使って作った小さな動物の置物やら骨董品らしきもの、自家製の染を施した日本タオルや藍染の服などを扱っている。別に「ここでなければ買えない」という代物でもないけれど、たぶん京都に来た勢いで買ってしまいそうな土産だった。


<円山公園の中の見事な楓>

円山公園から三条通を横切り、そのまま岡崎に入る。京懐石料理で有名な美濃吉本店の竹茂楼や朝粥、鶉粥で有名な瓢亭などの横を通り過ぎ、高級住宅街の中になぜかポツンと2軒だけ建っているラブホテルの脇を通り過ぎて南禅寺へ。

京都国際会館前の五叉路は警察官が3人で交通整理をしていたものの車が渋滞しており、大型観光バスが急カーブを曲がるために切り返しを行なったり、運転の下手なオバンが無理矢理、交差点に突っ込んできたりして車はちっとも前進していないようだった。そんな車道の横を通る歩道も南禅寺に向かう観光客と南禅寺から帰る観光客で溢れていて、何人かは車道を歩いている。一時的に細い道路を一方通行にしたり進入禁止にするだけで随分渋滞も解消すると思うのだけれど、そんな解決法を探っている様子はここ十数年お目にかかっていなかった。

南禅寺へ通じる参道も大型観光バスがすれ違いができなくて立ち往生していた。土産屋の一角に駐車した乗用車が道路にはみ出していたことが原因だったのだが、どちらか一方のバスが後退して道を譲れば擦れ違いできない幅ではない。しかし両方とも強情で図々しい事で有名(?)な関西系ナンバー、京都ナンバーとなにわナンバーのバスのためか道を譲る気配がない。共に前に進むだけ進んでしまったために、後から別の車がつかえて二進も三進も進まなくなってしまっている。後は道路にはみ出した乗用車が移動しなければどうしようもないところまできていた。旅行会社時代の@幕張ならすぐにバスから降りて交通整理を行ない、自分のバスがいち早く渋滞から抜け出す方法を考えるのだけれど、車内のバスガイドも添乗員も動く気配がない。
「ヤレヤレ…」というため息と共に狭いバスの脇をすり抜けた。ハアッ!!

南禅寺も混んでいたから、最初に三門横にある天授庵を見学する。天授庵は南禅寺がどれほど混んでいようと、いつも人が少ない@幕張の大好きな穴場。方丈の渡り廊下に腰掛け、ボンヤリと枯山水の庭園を眺めていると時の経つのを忘れられる場所。庭園の紅葉は何本かすっかり葉を落としていたけれど、昨年に比べて紅葉が美しいせいか見ていて飽きない。ここでも山ちゃんとユッキーと交互に記念写真。いつもは一人で来るため「自分の写った写真」というものをほとんど撮らないが、今回は3人もいるために交代で写真を撮り合った。

  
<2004年 11月>                                <2005年 11月>
<去年の紅葉に比べ、今年は左手前の楓がすべて葉を落としてしまっていたが、右手奥の紅葉が去年より美しく色づいていた。>

天授庵をゆっくり見てから南禅寺境内へ。南禅寺三門は知恩院や東本願寺大師堂門と並び京都三大門と称され、特に歌舞伎の「楼門五三桐」ではかの石川五右衛門が楼門の上から「イヨォ~オ 絶景かな、絶景かなあ~」と大見栄をきるところで有名な場所。本当は三門に上がりたかったが、観光客が行列を作っている。

     しかたない、諦めよう。次の機会でイイや。

【京都小紀行 その2】 11月25日 <八坂神社~奥丹~清水寺>

2005-11-27 22:46:27 | @幕張の日本小紀行
 ホテルで荷物を預けると、早速目当てのM嬢ご推薦の昼食場所に連絡をしてみたのだが残念ながら予約は一杯で入れそうもなかった。そこで3人で5分ほど相談して、清水の奥丹で湯豆腐に決めた。京都には京懐石、精進料理などと和食の名物が揃っているのだが、豆腐や湯葉料理も有名で至るところに店がある。その中でも奥丹は順正などと並び称される湯豆腐の名店だった。とは言っても、昼食はお手頃価格である。夜は諭吉先生が同伴しないとダメらしいのだが、昼食なら漱石先生か一葉先生の介添えで食べる事ができる。電話をすると11時からオープンで予約制ではなく先着順だというので、少し時間は早かったが先に昼食にすることに。

駅前でタクシーを拾うと、この季節は観光地はどこも大渋滞になるためか「今日は行きたくない、行きたくない…と思っていたら、早速お客さんがその場所に行くんですよ」などとドライバーは軽口を言いながら裏道を走っていく。八坂神社の袂、道の突き当たりで車を降りる。降りたタクシーの前ではナンチャッテ舞妓が記念撮影をしていて、いきなり萎えてしまった。@幕張はかつて、過去に佳つ乃さんや豆狸さんなど、祇園や先斗町の舞妓さんや芸妓さんに何人かお会いした事があるが、皆、凛とした雰囲気があり、時にはそれがひどく冷淡に見える時があった。しかし、ナンチャッテ舞妓は顔に締りがなく、着物の着付けもすぐに乱れて気品が感じられないので、誰でもすぐに見分けがつく。一時、舞妓の格好でタバコを吸ったりカメラを構えたりと、「京都の顔である舞妓の名誉を汚す」として総スカンだったナンチャッテ舞妓も、最近は業者が観光客にきちんとお願いをしてから舞妓姿に変身させているので随分マシになったのだが、それでも本物は大口を開けて笑ったりなどしない。

八坂の塔から清水寺の方角へ写真を撮りながらブラブラ歩き、11時過ぎに奥丹に到着すると、すぐに奥の座敷に通された。
既に何組かの客が入っており、開店早々だというのにあちらこちらの座敷から賑やかな声が漏れてくる。奥丹は寛永12年の創業で、おそらく湯豆腐では最も古くからある店。清水店の方は南禅寺店より新しいのだが、人一人がやっと通れるような狭い廊下や急な階段を歩いていると、それで十分に京都らしさを感じる事ができた。


<奥丹の湯豆腐。旨い!>

最初にゴマ豆腐、次に木の芽田楽が出る。豆腐は昔豆腐という江戸時代の製法で作られたものだそうで、いつも食べている木綿豆腐等に比べても締まって食感は固い。絹ごしよりも木綿ごしと、食感の固い豆腐が好きな@幕張としては美味しい料理を食べるのは最高に幸せな時間。田楽を食べているとお待ちかねの湯豆腐が出てきた。3人分が一緒に入っている鍋はかなり大きく、一人あたりの分量も一丁以上あるのではないかと思えるほど。この湯豆腐のだし汁は一子相伝というか、店に一人しか調合できる職人さんがいない門外不出のだし汁なのだそうだ。昆布と鳥か何か動物系の出汁が合わさっているような気もして美味しいのだけれど、薄味なので中身は全然分からない。続いて天ぷらとご飯が出てきたのでとろろ汁をかけて食べたが、この時点でお腹一杯。大食漢の@幕張にとっても、かなり量が多い食事だった。
帳場で昼食代を精算していると、店の入口付近にはずらりと順番待ちの列ができている。中の一人に聞いてみると、もう30分も並んでいるのだとか。

二年坂から産寧坂(三年坂)に入り清水寺に向かう。通りは観光客でびっしり。思わず山ちゃんとユッキーに「貴重品に気をつけて」と声をかけた。そうなのだ。ここは昔から人混みを利用するスリが出没していて、観光客は懐中を狙われる要注意箇所なのだ。肩に下げたバッグを前に担ぎなおし、人を掻き分け前に進む。人の流れの沿って歩くが、後ろからおばさんたちのグループがぐいぐい押してくる。どうやら前を行く団体さんの一行らしい。「すみません、失礼します」と一言あれば快く道を譲るのに、失敬にも後から両手で@幕張の背中を突いてくるので道を譲らなかった。挙句に身体をグリグリと強引に間に割り込んできたので思わず独り言。

     「ったく、常識のないオバンだぜ…」

たぶん本人にも聞こえたはずなのだが、3人のおばさんはそ知らぬ振りで今度は前を歩いているカップルをどついていった。

       だから、中年のオバンはイヤだ。


<もう人、人、人… >

なんとか清水寺に辿りつき、清水の舞台から周囲を見渡すと周囲は素晴しい紅葉。紅葉の清水寺には初めて来た@幕張だが、これほど美しいとは思わなかった。清水の舞台で写真を撮っていると、ユッキーがおみくじを引いている。山ちゃんが何気に「どうだった?」と聞くと何とも複雑な顔。

           「…凶だった」
            エッ? 凶?


< 凶...  >

おみくじにも凶が入っているのは知っているが、実際に引いた所出くわしたことは少ない。だいたい、小吉とか末吉とか「吉」の最後の方でも凹むのに、出てきたのは「凶」。ユッキーはおみくじを結ぶ枝を捜しているが、周囲には「枝結びご遠慮ください」と書いてあって結ぶ場所がない。気を取り直して、清水の舞台の奥にある地主神社でお参り。地主神社は別名「縁結びの神社」といって恋の病を治す神社として有名なところ。山ちゃんに促されて@幕張もお参りする。どちらかというと@幕張には転職の方が先な気がするが、この際どっちが先でもイイや。


<清水の舞台も大混雑>

地主神社でお参りをしてから音羽の滝までぐるりと一周して歩き、もと来た産寧坂から二年坂を経由して丸山公園へと向かった。 (続く)

【京都小紀行 その1】 11月25日 <Prologue>

2005-11-26 23:31:22 | @幕張の日本小紀行
 久し振り、ちょうど1年振りの京都旅行。
いつもなら春の都踊りの季節と夏の大文字送り火の季節を中心に何度か京都に行っているのだけれど、今年は転職活動&プー生活の為に一度も京都に行っていなかった。おまけに最近とみに人付き合いが減ってしまったので、これはいかん!と京都旅行を思い立ったのだった。

昨秋に京都に紅葉を見に行った時には一人だった。その後、例によってbw社長から「一人で京都に行く@幕張って……(^_^;)」と言われてしまったので、今回はしっかり仲間を募っての旅行。だって、去年は会社の人間関係のわずらわしさから逃げ出すための京都旅行だったけれど、今回は友人とたっぷり楽しみたい旅行だったから。同行してくれたのはバンコック旅行や金沢旅行にも一緒に行った県庁職員の山ちゃんことY氏、ユッキーことY嬢。山ちゃんは長野オリンピックやスペシャルオリンピクス長野の時に@幕張の上司だった人で、同じく県庁職員のユッキーと共に@幕張のいつもの旅行仲間だ。

朝7時16分発の特急列車に乗る。
実は@幕張、前日は遠足に行く小学生の如く全然寝付けなかった。なんとか布団の中で目を閉じたのが午前2時30分過ぎ、うとうとしていて「あ、寝坊した!」という夢に慌てて飛び起きたのが5時30分。結局3時間余りしか休んでいなかった。特急列車が駅に滑り込む少し前、同行の山ちゃんから何通かメールが来ていた。

     「7号車(自由席)です。混んでいて座席がありません」

そうなのだ。京都旅行を思いついたのが先週だったので始発の「しなの」の指定席の予約が取れず、始発駅の長野から乗車する山ちゃんとユッキーに自由席の席取りをお願いしていたのだが、始発駅からすでに混み合っていて席が取れなかったらしいのだ。列車が駅のホームに入ると、山ちゃんが電車の中から手を振っているのが見えた。車両の一番後ろの席だったので、席と車両の隙間にでも入ろうかと思って乗り込むと、車両の中央に進めと盛んに手振りをしている。

     「真ん中にユッキーがいるから…」

そう言われて前を良く見ると、4~5列ほど先の座席にユッキーが座っている。オマケに隣の席には山ちゃんの鞄が置いてあって、@幕張のために座席を取っておいてくれていた。終点の名古屋駅で降りてから知ったのだが、実は長野からは本当に座席が一杯で2席しか取れなかったのだそうだ。ところが偶然にも車両の一番後ろに共通の知人の県庁職員のM氏の奥様が乗っておられて、その隣がたまたま松本で空いたのだそうだ。そこですかさず山ちゃんが空いた座席をキープし、@幕張の為にユッキーの隣の席を空けてくれたのだった。

電車の中ではユッキーと今日の予定について簡単に打ち合わせる。
急に旅行が決まった事と、京都の観光地の混雑が予想されていたので大雑把に観光する地域の候補を挙げておき現地の情勢によって予定を決めよう、という@幕張お得意の『行き当たりばっ旅』である。運良く、やはり旅行仲間のM嬢が先週京都を訪れていたとかで、ユッキーがM嬢から現地情報をたっぷり仕入れていた。なので、彼女の情報からとりあえず今日の昼食場所だけ決めた。途中から電話を入れて予約できれば昼食場所で午後の予定を決めてしまおう、というわけだ。

木曽福島を過ぎた辺りまで旅行の打ち合わせを行ない、今回のだいたいの旅行イメージを膨らませる。今回の旅行テーマは「美味しいもの食べ歩き&紅葉見学ウォーキング」になりそうだった。
                                       
木曽福島を過ぎた辺りから異様な睡魔に襲われ熟睡。
仲間内では工事現場のようだと評判の自分のイビキが一瞬気になったが、自分で気にする間もなく寝込んでしまった。
                               
     ま、顔が下向いてりゃ大丈夫でしょ…

気が付くと終点名古屋まであと10分ほどの位置。幸い、寝ている最中の@幕張は大人しかったようだ。

名古屋駅で新幹線に乗り換える。いつも思うのだけれど、新幹線乗り換えの自動改札機って何とかならないものだろうか。改札機のゲートの部分に小さく「キップはまとめて入れてください」と書いてあるだけなので、新幹線への乗り換え以外の乗客が間違えて切符を挿入したり、改札機械に入れる切符が足りなかったりなどと、改札機でエラーになるケースが多くていつまでも混雑している。自動改札機よりも手前に大きく『しなのの特急券、新幹線の特急券、乗車券の3枚を改札機に一緒に入れてください』と大きく注意書きを掲げれば済むはずなのに、駅員が一人大声を張り上げるだけなのでちっとも列が前進しなかった。

乗り継いだ新幹線「のぞみ」は500系という車体の断面が細く丸いボールペンのような車体の車両で、中はいささか狭い。この車両は元々スピードアップの為に導入されたために天井が従来の新幹線よりも低く、車内も天井付近が旅客機のように丸く絞られているために「狭い」「閉塞感がある」として不評だったのだ。この後に導入された700系は空力を更に追求したカモノハシ形の先頭車両と車内を広々使える断面が四角形の車体に変更されたため、結局500系だけが「早いけれど狭っ苦しい」といわれていた。

  
<旅客機のような500系新幹線の中>                <滋賀県の民家>

この新幹線の車内も大混雑で、3人ともバラバラの指定席に座る。
窓の外を流れる景色を見ていて気付いたのだが、静岡県から以西、愛知県・岐阜県・滋賀県の民家は明らかに東京や信州の民家と作りが違う。随分と昔に富山県に赴任した時にも向こうの民家の作りの違いに気付いた事があったのだが、壁が板張りになっている愛知・岐阜・滋賀の民家の外見は、モルタル壁が中心の東京や信州、富山のどれとも違っていた。実はこれが更に京都・大阪と続いて岡山辺りからまた作りが変わってくるのだが、その辺りは別の紀行で書くことにしよう。
名古屋から京都までは、のぞみで僅かに40分ほどで到着する。駅に到着すると、最初に歩いて数分のホテルへと向かった。  (続く)

館山にトド現る!  ~ 館山二日目 ~

2005-08-21 20:10:46 | @幕張の日本小紀行
 いつもの癖で朝5時に目が覚める。
二度寝をゆっくりと楽しみ、10時過ぎから館山のビーチで日光浴。

実は@幕張、海パンが少々きつかった。昨年買ったばかりの海パンなのに、ウエストどころか股の辺りも収まり具合が悪い。

       ああ、また太った…(泣

海パンの中にソーセージでも作るように諸所の余った肉を詰め込むと、冷凍庫でキンキンに凍らせたドリンクを持ってビーチへ。@幕張は昨年日焼けで失敗したので、今年はキレイに日焼けするようSPF4のスプレータイプのCoppertoneを持ってきた。

O氏はSPF40のCoppertone日焼け止めクリームを塗っている。O氏と@幕張は共に色が白く、日焼けをすると赤くなってすぐに日焼けが落ちるタイプ。9月下旬からハワイに行くO氏は軽い日焼けにする予定らしい。対する@幕張はしっかり焼く。

       ビーチでしばし、死んだように眠る。

ビーチチェアに寝っころがった@幕張の姿はO氏いわく、岩の上に横たわるトドかゾウアザラシなのだそうな…。

       確かに…、その通り…。(恥

       ヤッパ、すこし痩せなきゃ。

ビーチで2時頃まで過ごした後別荘に戻り、シャワーを浴びて帰途に着いた。館山から東京方面へは午後3時~5時頃が混み合う。特に金谷のフェリー乗り場の近辺から渋滞が始まると東京までは4時間は覚悟しなければならないので少しだけ早めに出て様子を窺ったが、拍子抜けするほど国道は空いている。

帰りは“葵ちゃんと近藤さん”の話題で盛り上がる。
もう10年以上も前の話題なのに、未だにO氏と話すと新しいエピソードが出てくるから不思議。“葵ちゃんと近藤さん”とはO氏の友人で名古屋の銀行員だった二人の女性のことで、ダブルデートでクリスマスに斑尾高原へスキーに行ったのが知り合ったきっかけ。

O氏が近藤さん、@幕張が葵ちゃんとこれまた完全に好みが分かれていて、@幕張の好きなタイプにど真ん中ストライクな葵ちゃんに一目惚れしてしまった@幕張がO氏に何度かデートのセッティングをお願いしたので、いろいろと恥ずかしいエピソードが出てくるのだ。

木更津付近で遅い昼食を食べ、千葉で給油をする。今回の館山旅行では魚と蕎麦の食事が多かった。O氏も最近、食事の嗜好が変わって魚や蕎麦を食べる機会が増えたと言う。

         互いに年を取ったと再認識。

   こうやって遊んでいる時は、今でも心は20台後半なんだけど。
         

友人Oの別荘にて…  ~ 館山初日 ~

2005-08-20 23:51:47 | @幕張の日本小紀行
 N旅行時代の友人O氏と彼の別荘に遊びい行く。
三年前に彼がハワイ駐在から帰ってきてから毎年の恒例行事で、@幕張がハイテンションになってしまう数少ないイベントのひとつ。

神官のような名前のO氏はN旅行の1年先輩なのだが、誕生日は一浪している@幕張とたったの4日違い。@幕張と生まれた日がほぼ同じで、N旅行では同じ外国人旅行部に所属していた、ということ以外は信州信濃の山奥の山猿…もとい、信州信濃の山奥から上京してきた@幕張と違って、実家は高円寺で代々開業していたお医者様で、O氏も妹さんも学習院出身で妹さんは紀宮清子内親王殿下とご学友、御所にも何度か出入りしている家柄で身長も185cmほどある。

そんな堅苦しい肩書きとは反対に、顔はちょっとアニメのバズ・ライトイヤーに似ていて顎に“の”の字が書いてあるのはご愛嬌で、見合い写真を見れば完璧な三高男なのに、身長167cmの@幕張とは凹凸コンビ、ちょっと古いが巨人阪神みたいな間柄。ナゼか未だに独身で、たまに@幕張の遊びに付き合ってくれる十数年来の気の良い友人なのだ。

幕張で待ち合わせをすると房総半島の養老渓谷を横切り、彼のナビゲーションで最初に御宿へと向う。房総半島における彼のナビゲーションはほぼ完璧なので、いつも安心してハンドルを握っていられる。月の砂漠で有名な御宿につくと、早速二人でビーチを歩いた。歩きながら、「お、あの子、カワイイ」とか「俺は右が好き」「俺は左の方」とかキョロキョロする。

こんな事をやっていると完全に中年のオッサン二人組なんだけど、いつまでたってもこの遊びが止められない。そう言えば、ずっと前から六本木でも渋谷でも銀座でも二人で同じ事をやっている。

O氏と@幕張は女性の好みが180度違うので、二人組の女性を見ても面白いように好みが分かれるのだ。もしかしたら、それが面白くて止められないのかもしれない。

ビーチ際のベンチに、どう見てもビーチには場違いなアキバ系の格好をした二人組が肩にカメラを掛けて座っていた。最近はビーチでカメラを持ち歩くと盗撮を疑われるらしいので、その辺と一緒にされては堪らない。デジカメはケースの中に入れたままにしておいた。

砂浜には思いの外、人出が少なかった。8月も下旬となるとシーズンも終わりらしい。一通り砂浜を歩くと車に乗り込み、海岸線を館山へと向かった。

近くのスーパーやパン屋で買い物をしてから別荘に到着して一息つくと、O氏は一日溜まった携帯メールの返事を書いたり、@幕張のパソコンに秘蔵の(秘)データを見て喜んでいる。

8時過ぎまで一休みした後、館山駅前の「波奈」へ行く。
こんな生活はハワイと同じ。ハワイでは仕事が終わったら家でシャワーを浴び、昼の暑さが落ち着く8時過ぎから10時頃までゆっくりと夕食を楽しむ。翌朝は早朝からビーチで波乗りを楽しみ、9時過ぎに出社。N旅行のホノルル支店勤務だったO氏は日本からの飛行機が到着する朝6時には出社しなければならないので朝のビーチは楽しめなかったようだが、夜は結構優雅な駐在員生活だった様子。

       O氏ならではの休日の過ごし方

         いいなあ。優雅で。

気温が氷点下20度以下になる早朝5時に愛車のボルボの暖機運転を20分こなしてから、真っ暗なアイスバーンの高速道路を約50km先の勤務先まで毎日走っていた@幕張のノルウェーでの駐在員時代とは月とスッポンの違いだ。あの頃の@幕張は小さな町での食事場所にも事欠いていて、お気に入りの中華料理店に行くとき以外はアパートホテルの部屋の中に持ち込んだ電熱器と鍋でご飯を炊き、カレーやシチューを作って食べていた。

食事を終えて別荘に戻り、テレビ番組の中で唯一の共通の話題になる日テレの「恋のから騒ぎ」を見る。O氏は月9なんかの恋愛ドラマが好きで、@幕張は映画やドキュメンタリーが好き。この辺の番組の嗜好も全然違うのだけれど、“恋から”はO氏に言われて見始めた@幕張が最近はまっている番組。さんまのトークはすごい。何がすごいってHな内容の会話でも、さらりと普通の軽い会話にしてしまうところがすごい。ムッツリ@幕張には絶対無理。

ビールを飲みながら出演者の女性を「あれイイね」とか「サイテーな女」とか言いたい放題。テレビの中の女性達と立場が逆だったら…と思うとゾッとずるが、幸いにして@幕張はパンピーだから情報の末端のテレビの前で好き勝手に情報を消費できるのだ。

       うーん、やっていることは昼間のビーチと同じだけど…
          

@幕張、秩父へデイキャンプに行く

2005-08-07 23:51:38 | @幕張の日本小紀行
 前の会社を辞めて以来、久し振りに会う元同僚と行くデイキャンプ。
長野の山奥から出てきて秩父の山の中でキャンプというのもナンなのだが、いつもの山の中や海辺で一人野宿するのと違って仲間と一杯飲みながらワイワイやるのも新鮮で楽しい。

M嬢と一緒に買出しに行く。Jリーグ サンフレッチェ広島MFの李 漢宰(リ・ハンジェ)選手と顔面アミーゴのちゃーさんが「肉、肉」と額に“肉”の字でも浮かびそうなほど肉が大好きだと聞いたので、人一倍大食漢の@幕張の必要量も考えながら牛、豚、鳥、ソーセージ等を購入。M嬢が「レバー食べたい」と豚レバーをカゴに入れたので驚いた。聞けばラム肉なんかも結構好きらしい。@幕張の知り合いにはレバーやラム肉はもちろん、普通の肉すらあまり食べない、という女性が多いのでM嬢の存在はちょっと嬉しい。@幕張は牛、豚、鳥なんかの正肉よりも内臓を使った料理や羊、山羊、鹿、猪、熊、兎、雉などの歯ごたえのある肉の方が好き。食事のメニューで気を使わなきゃならない女性との食事は一番疲れるので、好き嫌いのない何でもOKの女性との食事ってすごく楽しいのだ。

他にもサラダ用の野菜や焼きソバ等々を購入した。長野県産のレタスが一玉50円だったのを始め、野菜がかなり安い。そういえば長野県内ではレタス類の生産調整がまだ続いていて、ここのところ毎日の出荷量の3割は畑で野積み廃棄をするようJAから指示が出ている。実際には農家は畑での収穫を後日にずらせているだけなので廃棄されたレタスが山積みにされている訳ではないのだが、長野県内のスーパーでは生産調整の結果、県内産レタスが一玉100円前後になっているので埼玉県内で長野県産が半額というのはちょっと不思議。単に長野県JAが出荷先をミスっているとしか思えない。

キャンプ場に戻ると芝生の上でお約束のバーベキュー。
網焼きでスペアリブを焼く。炭の上に脂が落ちて焦げ、とってもいい感じ。スペアリブを焼いた後にF嬢が持ってきてくれた特製ベーコンを焼いた。ベーコンだから脂がすごい。炭の上に落ちた脂が白い煙となって@幕張を燻す。@幕張、ポロシャツに焼いた肉の匂いが染み付き、メガネのレンズまでもが脂の煙で白くなって、まるで動くチャーシューみたいになってしまった。隣のタープにいた秋田犬がこっちを見て尻尾を振っていたから、きっと@幕張が焼肉の塊に見えていたのかも…。

一通り焼いてからY氏に焼き係を交代してもらって食べる。今日は運転係なのでビールは缶1本までと自分で決めていたのだが、その貴重な1本はあっと言う間に飲み干してしまった。仕方がないので、長野から来る途中に白州で汲んできた南アルプスの天然水を飲む。う~ん、水はこれはこれですごく美味しいんだけど、やっぱり焼肉にはビールが欲しいなぁ…。焼いたベーコンなんか塩味が効いていて、ビールがあれば最高なのに…。

ふと気が付くと、テーブルに置いた@幕張の皿のベーコンが1枚から4枚に増えている。ポリタンクから紙コップへ水を汲むために皿を置いたのだけれど、皿の中にはかじりかけのベーコンがあったはず。「誰だ~? @幕張の皿にベーコン置いたの。どれか1枚は俺の食べかけだぞ~。」そう声を掛けると「エェエ~ッッッ!」っとブーイングが聞こえてきた。調子に乗った@幕張が「じゃあ1枚ずつ取ってよ。最後の1枚は自分が食べるから。たぶん大きいベーコン2枚のどちらかが@幕張のかじったヤツだと思うけど。いいじゃん、ロシアンルーレットで。」と皿を指差すと、Y氏がすかさず小さな2枚を取っていき、M嬢は後ずさりをしている。(笑
かくして、大きなベーコン2枚は@幕張の腹の中に納まったのだった。

しばらくすると、M嬢がお手玉を始めた…と思ったら、フォイルで包み焼きをしたジャガイモを取ろうとして手を滑らせている。奥ではちゃーさんが何か口に入れて噴き出している。ちゃーさん、さっきスペアリブも落としていたからこれで2回目。

なんやかんやとワイワイやりながら食べたのだけれど、思ったより食事が減らない。何と言っても一番食べる予定のちゃーさんと@幕張が食べていない。今回は一人あたり約200gの肉や野菜、焼きソバを用意したのだけれどかなり余ってしまっていた。かく言う@幕張もスペアリブとベーコン、鶏肉をつまんだ後はトマトばかり食べている。う~ん、何かおかしい。@幕張はいつも人一倍食欲があるし、この量なら楽勝のはずなのに…。

今日は朝から何かおかしな感じが続いている。Y氏の車を先導して運転していても何か仕切りが悪いというか、タイミングが悪いというか、スムーズに事が進まないし。徹夜で運転したのが響いているのか? それで食欲もいつもと違うのか?

     食欲がないことで悩むなんて久し振りだぁ。

食事の後はF嬢のお子様たちと河原で水遊び。
膝下まで水に浸かると荒川の冷たい水が心地良い。魚影が濃いのか、浅瀬には3~4cmの小魚が何匹も見え、何人もの釣人が鮎を釣っている。
しばらくの間、平たい小石を水面に投げて遊んだり、水中の色とりどりの小石を拾ったりする。秩父は鉱石の宝庫で天然記念物の紅簾片岩を始め、色々な種類の石が採れる。河原の小石も鮮やかな紅色をしたものや緑色、青色や白色等、色とりどりで集めてみると結構面白い。

午後4時を過ぎたところで遠雷が聞こえ始めたので撤収準備を始めた。片付けながら、ちょっと気づいた事がひとつ。芝生の上に投げ出された桧のまな板に大小何匹もの蟻が群がり、昨日買ったばかりの包丁に錆が浮いている。う~ん…
ちょっと女性陣にそこまで求めるのは無理だったのか…?

バーベキューコンロを洗いに行っていたちゃーさんが手を油まみれにして帰ってきた。初代の道具箱の中には魚の生臭いヌメリや手についた油を洗うための強力な専用の洗剤を入れてあったのだけれど、今回の二代目道具箱の中にはうっかり忘れて入れてなかったので、とりあえずポリタンクの南アルプスの天然水で手を洗ってもらう。

幕張までの帰途、それぞれを都合の良いところで降ろしながら帰る。顔や腕が日に焼けて心地よい痛さ。子供の頃の海水浴を思い出した。

家に着いて荷物を片付けていると、ちゃーさんのいた車の後席に飲みかけのペットボトルを2本発見。
     ちゃあーさぁん!!  っんとに、もう! (笑 
 (写真は皿ごと肉を落として慌てるちゃーさん 

<<おせっかい情報>> 八重山離島情報 竹富島 編

2005-06-28 21:27:48 | @幕張の日本小紀行
@幕張個人からの個人宛の沖縄旅行お節介情報です。
興味ない人は飛ばして読むよーに。(笑

以下の情報はガイドブックには載っていない沖縄スクラップ(=ゴミ箱)情報です。@幕張が沖縄担当をしていた頃の結構古い話になりますので、必ず現地で確認をしてくださいね。

[お役立ちガイドブック]
沖縄で出版されているガイドブックやタウン誌に役立つ情報がたくさんあります。都内は銀座一丁目の「わしたショップ銀座店」(銀座1-3-9;プランタン銀座の並び、有楽町駅から徒歩5分、地下鉄/銀座一丁目駅から徒歩1分)(http://www.washita.co.jp/info/shop/ginza/)に何種類か置いてあります。
沖縄で出版されている主なガイドブックは以下のURLを参考にしてください。(http://members.at.infoseek.co.jp/monpanoki/guidebook.htm)

特に、「沖縄・離島情報」(480円)というガイドブックは、パックツアーを利用しない個人旅行の場合に公共交通の時間など、他のどのガイドブックよりも詳細に掲載されていて役に立ちます。他には「やえやま GUIDE BOOK」(1,260円)に離島情報が詳しく載っています。この2冊は全国の書店にありますが、他の本は本土の書店にはあまり置いてありません。銀座のわしたショップ以外では沖縄県内の書店か空港で入手できます。

ちなみに、観光には全然関係ないですが、「沖縄・離島情報」を出版している「林檎プロモーション」という会社はその昔、沖縄出身の「きゃんみゆき&林檎プロモーション」というアイドルグループのメンバーだった方が経営している会社だったと記憶しています。
ホントに関係ないですね、イヤ、すみません。(汗

[石垣島から竹富島へ] ~空港で預けた荷物を早く手にする方法~
石垣空港に到着すると、飛行機の到着にあわせて路線バスが来ています。路線バスは飛行機到着後20~30分後には出発してしまうので、バスを利用する場合には到着ロビーで荷物をピックアップしたらすぐに目の前のバス停に移動しましょう。
羽田空港か那覇空港で、「石垣港から乗る船への接続時間が短い」と言えば、預けた荷物を優先して出してくれるかもしれません。(@幕張はこの方法を良く使います。)もし路線バスに間に合わなくても大丈夫。タクシーでも港まで10~20分位です。

[竹富島の交通]
竹富島にはタクシーがありません。集落は島の真ん中で港からかなり距離がありますので、竹富島に泊まる場合は必ず宿屋に船の到着時間を連絡して迎えに来てもらいましょう。島の中央の集落の中に宿屋があるのか、周辺のビーチに宿屋があるのかでも、夜の外出計画が全然違ってきます。ちなみに、この島は飲み屋以外は夜は何もないです。
島内の移動はレンタサイクルかレンタバイクが便利です。

[竹富島 島内]
運が良ければ、水平線の彼方に南十字星の一部がちょこっと見えるかも…。夜の星空は関東地区の数十倍も星の数がありますよ。天の川のミルクがすごく濃く見えます。

島内で携帯電話が使えるか否かは分かりません。@幕張が行っていた時は使えませんでしたが、現在はだいぶ状況も変わっていると思います。

島には店がほとんどありません。食事は朝晩は宿屋で食べると思いますが、昼食をどこで食べるのか良く調べておきましょう。
特にビーチに行くと周囲に何もありませんから、本当はミニクーラーがあればすごく便利なんです。弁当の類は暑いところに出しておくと、3時間もすると臭ってきます。@幕張は浜辺に一日いる場合はクーラーボックスに氷と一緒に飲み物や食べ物を入れてビーチに持って行きます。

で、そこで提案。
竹富島ではすべての行動を半日単位にしましょう。
ビーチも半日、観光&買い物も半日。牛車による島内観光も2~3時間で済みますし、ビーチは砂が白くて空からと地面からの両側から太陽の光が反射するので疲れます。半日単位で行動するとすごく楽です。

@幕張の行った頃は、居酒屋などは全然なかったのですが、もし飲み屋があれば是非泡盛で地元の肴を楽しんでください。個人的には、マース炊き、各種チャンプル、海ぶどうがお勧め。
チャレンジャーはアバサー汁(ハリセンボンの味噌汁)、チイリチャー(山羊の血を炒めた物)、山羊刺し(山羊の刺身)、山羊焼肉、山羊汁、イラブー汁(乾燥海蛇から出汁をとった汁)にも挑戦してみてください。
食い意地の張った@幕張はアバサーも山羊もイラブーも大好きです。(笑

[ビーチで]
原則として、ビーチには何もありません。売店もトイレもありません。看板があるだけです。ですから必要な物は事前に用意していかなくてはなりません。飲み物も食事もです。
ただし、宿屋や旅行会社、ダイビングショップが主催するオプショナルツアーに参加する場合には、昼食が用意されている場合もあります。

ビーチでは関東のビーチと違ってすごく早く日焼けします。地元の子はつばの広い帽子をかぶり、水着の上に長袖のTシャツとトランクスを着て海の中に入ります。夜、日焼けしたところがベッドのシーツに擦れて痛かったり、水で洗顔しても顔が火照ったり、皮膚が痛くて熱いシャワーが使えない...等は後でもっと酷くなりますよ。
ワンピースとかタンキニでも同じです。また曇っていても紫外線は強いです。特に顔から首筋、二の腕、肩から背中、腹、太ももは注意しましょう。

コンドイビーチ等の有名ビーチ以外の海岸では人影もまばらです。

シュノーケリングを行なう場合は潮の満ち引き(干潮、満潮)の時間を宿屋で確認しておきましょう。時間によっては水深が2~3mも変わってきます。
リーフ(環礁)の外は一気に数百mも深海に潜ります。リーフの内側でも、潮や風や波の具合によってはリーフの外に押し出される場合がありますので、リーフ付近までは行かない方が安全です。

ビーチにも時々サンゴが流れ着いている事がありますので、ビーチサンダルよりもスニーカーの方が重宝します。特に砂浜から海にエントリーしてシュノーケリングを行なう場合は、フィンの抵抗で上手に水の中を歩けません。フィンは直接足を入れるタイプでなく、ブーツの上から装着するタイプの方がイザと言う時にすぐ脱げますので安全です。直接足を入れるタイプの場合は、バランスを崩したりしてフィンが外れた場合、裸足になってしまって危険なんです。
なお、ダイビングショップのツアーなどで船からエントリーする場合は、フィンは直接足を入れるタイプでもOKです。

その昔、@幕張の友人で、@幕張の制止を振り切ってビーチサンダルでサンゴ礁に入り、足をザクザクに切った友人がいます。酔っていたのでその時は「血が止まらん!」って騒いでいただけですが、宿屋で手当てをしたら足の傷の中に欠けたサンゴが入り込んでいて結局は病院に連れて行く羽目になりました。

サンゴ礁ではウツボやクラゲ、ガンカゼやイラブー(海蛇)などの危険生物がいる場合があります。ウツボなどは大変カラフルな色をしていますから注意してください。

星砂はコメントにも書きましたが、ビーチよりも海中の砂の方が沢山星砂を含んでいます。それでも両手一杯の砂の中に数十個あるかどうかです。

それから、治安面では安全な島なんですが、数年前には近くの波照間島で一人旅の女性が殺される事件もありましたので、人影の少ないビーチとか夜はそれなりに用心してください。

[@幕張が使っている、お役立ちURL]
インターネットuruma;八重山離島情報
(沖縄情報誌「うるま」のインターネット版です)
   http://www.u-r-u-m-a.co.jp/04islands/
竹富町の公式ページ
   http://www.town.taketomi.okinawa.jp/
竹富島のページ
(日本トランスオーシャン航空の沖縄紹介ページ「美ら島物語」)
   http://www.churashima.net/shima/taketomi/
竹富島 閑話
   http://www.big.or.jp/~ishigaki/taketomi/
八重山情報
   http://www2b.biglobe.ne.jp/~yharajp/
全国竹富島協会
   http://www.napcoti.com/index.htm
石垣島観光協会
   http://www.yaeyama.or.jp/
それでは、楽しい八重山旅行を! 

私信Ⅱ:14年前の思い出

2005-06-06 10:00:02 | @幕張の日本小紀行
 前の会社から持ってきた私物を入れたダンボールを整理していると、懐かしいトロフィーが出てきた。
湾岸戦争の翌年、沖縄の米軍嘉手納空軍基地で、前年のボランティアから選ばれた10人に授与されたトロフィー。"TOP GUN"ならぬ"TOP 10 VOLUNTEER OF THE YEAR"として、基地の中にあるAIRMENS CLUBで催された晩餐会で、基地司令官から直接もらった@幕張の宝物。

あの頃の沖縄は@幕張の前で眩しく輝いていた。

F-15パイロットの友人と夜通し語り合い、海兵隊の友人と飲み比べ、そして地元の短大生に恋をした。初めて結婚を意識したのもこの頃。
基地の上司に誘われて、本気で沖縄に移り住み、米軍基地に就職する事を考えていたあの頃。

@幕張の、ちと甘酸っぱい思い出が沢山詰まった小さなトロフィー。

翌年、長野オリンピック組織委員会に出向した事が運命の分かれ道になってしまったが、あのまま沖縄に移り住んだら今頃どうしているだろう…、と想像するとちょっと複雑。

歴史に「if」はないけれど、もし自分が二人いたならもう片方は躊躇せずに沖縄に移り住んでいただろう。

ここしばらく沖縄に行っていない。
その間に何人もの友人が亡くなり、何人もの友人が消息不明となってしまった。

沖縄は東京よりも時間がゆっくり流れる、なんて言われているけれど、@幕張的には沖縄の方が時間の流れが早い気がする。
楽しい時間ほど、泡沫の夢のようにあっという間に過ぎ去るんだろうか。

@幕張の、心の奥底のもう一つのドアを開けてくれるのが、この小さな時計のトロフィー。