@幕張日記

@幕張が日々を想いのままに綴る日記

靖国神社を思ふ

2005-05-28 10:39:50 | @幕張の主張
 多くの国には「無名戦士の墓」という記念碑・慰霊碑があります。
これは先の2大戦を始め、多くの戦争で亡くなった自国の兵士達を慰霊するもので、その国を国賓として訪れた外国の首脳、特に軍関係者は必ず花を手向けに訪れる所です。

 翻って、日本の場合はどうなっているのか、と申しますと、諸外国の「無名戦士の墓」に該当するのが靖国神社であったり、各地方にある護国神社であったりするわけですが、多分に「英霊=神」という宗教的な意味合いを含むために諸外国の首脳も花を手向ける、という事はありません。来日した諸外国の首脳や閣僚は広島や長崎の原爆慰霊碑、沖縄の平和公園で花を手向けるのみなのです。

 そして外国の来賓が靖国を参拝しない、もうひとつの理由があります。
それは日本では死んでしまえば皆一緒、A級戦犯も死刑になる事で罪を償ったのだから同じ戦争の犠牲者、という見方をしますが、世界の多勢は違います。
海外では多くの国々で、例え死刑になっても罪は罪、彼等が他の多くの無名戦士と共に祀られる事は永久にないのです。
良い例が、A・ヒトラーを始めとしたナチスの面々に対するドイツの例、そしてもう一つの枢軸国、イタリアの例を見ても分かる事でしょう。

 @幕張的には閣僚の靖国神社参拝は公的にも私的にも賛成です。国の礎となって犠牲になった方々なのですから、むしろ参拝すべきだと思います。
しかし、諸外国との意識の違い、特に戦犯に対する処遇の問題については特に注意すべきものであり、それを考慮すると日本の閣僚はむやみに参拝はできないのが現実なのではないでしょうか。なぜなら、自国の権益のためであれば何でも利用する中国などの国々にとって、『靖国問題は諸外国が日本につけ入るための隙』になっているからなのです。
靖国と唱えておけば、自国に対する不利な懸念をすべて凍結できるかのごとく振舞う国々にとって、靖国問題は絶好の外交道具なのです。

   “祖国の先祖の霊を祀る靖国神社が外交道具”

皆さんはこれをどう思われるでしょうか。

「勝てば官軍」という言葉がある通り、大戦で勝った連合国が連合国側のロジックの通り、つまり連合国側の都合の良いように負けた日本を断罪し、多くの戦犯を連合国側の都合次第でいいように処断した、という見方はある意味、正しいのです。仮に日本が大戦に勝利していれば、彼等は皆英雄と称されたはずの者達でしたから。
しかし現実として日本は負け、彼等は戦犯として処断されたのです。

そして広島や長崎に原爆を落とし、年を追うごとに倍々ゲームの如く犠牲者数が増える南京大虐殺よりもはるかに多くの市民を殺戮した連合国兵士や、一夜にして数十万の市民を殺戮した東京大空襲の爆撃をした連合国兵士達は皆、大戦の英雄としてその後の人生を生きているのです。

@幕張的は、そろそろ靖国参拝とは別に第三の選択肢を用意すべきだと思うのです。
合わせて、先の大戦で犠牲となった多くのその他の市民に対する慰霊碑も必要ではないかと思うのです。東京大空襲で亡くなった多くの市民の慰霊碑はいったいどこにあるのでしょうか。
(たぶん、都下の多くの神社に祀られているとは思うのですが...)

靖国神社とは別に、過去の諸外国との戦争で犠牲となった兵士達を祀る「無名戦士の墓碑」、そして戦闘に巻き込まれて犠牲となった多くの市民を祀る「市民の墓碑」を作る時が来たのではないかと。

靖国神社は神様、仏様となった兵士達の英霊を祀る場所。
それは日本人の秘めたる心の内幕。

しかし、それとこれとは別なのです。

諸外国の来賓や過去の連合国兵士達が頭を垂れ、戦争の犠牲者を悔やむために祈る場所が日本にはもっとあって然るべきなのです。
中国や韓国の閣僚達が花を手向け、「二度と戦争はしまい」と語ることができる場所を作らなければ、永久にこの外交上の日本の隙、日本のアキレス腱はなくならないと思うのです。

外交とは相手の隙につけ込むものでもあるのだから。
       

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3 コメント

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追記 (@幕張)
2005-05-28 17:04:11
ちなみに、かの中国で戦争に負けた者たちは一族郎党、皆殺しにされて首を晒されてきた歴史があります。



もちろん、彼等の土地財産はすべて勝利者のもの。



彼等としては、戦に負けた日本人を根絶やしにできなかった事、日本という土地を自らの領地にできなかった事が、それほどまでに悔しいのでしょうか?



まあ、一族郎党皆殺し、というのは中国の時代物語にもあるように血塗られた復讐の歴史を繰り返さないため、と言う事もあるのでしょうが...



そう言えば、昔の中国の映画はそんな復讐を果たす、あだ討ちをする、という内容の映画が多かったように思います。



韓国は言わずと知れた、『恨(ハン)の国、恨の民族』ですから…。
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「違う」ことの大切さ (doushi)
2005-05-29 07:00:27
トラックバックありがとうございました。

靖国のご意見拝見致しました。確かに私もそう思います。

ただ私としては、もうそろそろ世界中の人々が、

そんな姿勢を終わりにしなければならない時が来ている、

そう考えています。



そのためには、相手を認めた上でお互いに調整する以外、道は無いと思うのです。そしてそれには理にかなった内容の意思表示が必要です。

そしてさらに、相手を認め、調整するためにこそ、人間には他の動物にはない様々な特性と能力がもたらされている、そんなことを思っています。

そしてそれができなければ、永遠に勝ち負けと奪い合いの世界が続くだけなのだと思います。



それで本を書き、ブログを開設致しました。

もし機会があれば本をお読み下さいね。

最もタイトルも著者名も、ブログのどこにも書いておりませんが・・・。

ヒントはちょっとずつブログ内に書こうと思っていますが・・。

私の本が世の中に出てきたら、きっとたくさんの方々が私の考えに賛同してくれる証だろうと思っています。出なければ、全く無能な考えなのでしょう。

私の考え方が、沈没するか、認められるか、全人生の賭けが始まったばかりです。

私のブログをお読み頂き、ありがとうございました。
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泥酔は妙案・・・! (doushi)
2005-05-29 15:28:10
コメントありがとうございました。



泥酔はとっても妙案かも知れません。

どこかのNGOで、肩書きをはずした首脳陣のための、世界平和のための温泉ツアーなど企画すると良いのでしょうね、きっと。



いずれにしても、あらゆる人や物を、心から幸せにしたいと願う姿勢が会間見えるトップリーダーに出会いたいと、つくづく思います。
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