アメリカメジャーリーグ、ナショナルリーグのセントルイス・カーディナルスがワールドシリーズで優勝した。
@幕張、テレビで「セントルイス・カーディナルス優勝!」のニュースを見て唐突に思い出したことが…
あの時のテディベアをどうしたっけ?
押し入れの中からゴソゴソと一つの段ボール箱を探し出すと、そのまま信州へ帰る車の中へ放り込んだ。
それは10年前、アトランタオリンピックが始まった1996年の夏のこと。
ちょうどその時、@幕張はセントルイス・カーディナルスの本拠地、ブッシュスタジアムⅡのホームベースにほど近い3塁側フィールドに立っていた。
なんでそんな場所にいたかというと……、
メジャーリーグの始球式 ( ̄∇* ̄ )V キラーーーン!
…もっとも、始球式で投げるのは@幕張じゃなくて、当時の長野オリンピック組織員会のN次長。
@幕張はこの時、長野オリンピック友好親善使節団に金魚のフンのように同行していて、長野オリンピックのマスコット、スノーレッツの一員として、
N次長がボールを投げた時、セントルイス・カーディナルスのマスコット、フレッドバードと一緒に踊っていたのだ。
で、その始球式に参加した隙をぬって購入したのがこのテディベア。
確か250ドルから300ドルくらいの値段で、売店の前で買おうか迷ってウロウロした想い出がある。
この旅行で、とある女性にプロポーズをしようと企んでいた@幕張、プロポーズが成功したらこのクマを新居に置こう…という下心もあって買ったのが事の始まり。
こうしてクーパースタウン社製、2,500個限定のテディベアの一つが海を渡って日本へやってきたのだった。
あの時、長野オリンピック組織委員会で働いていた@幕張の周囲には敵ばかりで、@幕張は孤立無援だった。
当時は@幕張に対する指揮命令系統が滅茶苦茶で、出向元の旅行会社から指示を出してくる上司が4人もいた。
そして出向先の長野オリンピック組織委員会では指示を出す上司が2人。
おまけに地元に陣取った旅行会社の上司は、東京からの指示を@幕張に伝えないばかりか、@幕張の報告書を東京に送らず破り捨てていたらしい。
だからいつも@幕張が出向元から受ける指示は支離滅裂なもので、おまけに出向元からの命令と出向先からの命令が相反するものだったこともしばしばだった。
「お前は俺を馬鹿にしてるんだろう」とか「大卒の本社様だからって、高卒の俺を舐めるな」などと、毎週の報告会議後の打ち上げで
必ず泥酔しては絡んできた出向元の旅行会社の地元駐在A担当部長とH課長。
旅行会社本社の生え抜き、S専務派と言われたT常務やH外国人旅行部長の元で仕事をしていたという、ただそれだけの理由で@幕張を忌み嫌った、
当時の激しく対立していたJR西日本出身のH専務子飼いだったT法人営業本部長。
そして極め付けが、組織委員会内で仲が最悪だった直属上司の県職員、触れたものは誰でも切り刻むと噂された、“錆びたカミソリ”T課長…
そんなイザコザから逃れるためにアメリカに渡ったのに、結局そのアメリカ行きが@幕張の結婚への夢もオリンピックへの希望も打ち砕いてしまった。
あの日を境に、1996年8月2日から@幕張の運命は、悪い方へ悪い方へとひたすら左前に下降するスパイラルを巡っている。
あれから10年。
結局アトランタでのプロポーズは不発に終わった。
それまで派閥争いなどとは無縁だったのに、あの出向先での経験から敵対する者は息の根絶えるまで徹底的に叩くことを学び、実行する陰湿なオッサンになった@幕張。
そしてセントルイスで買ったテディベアも、成田空港から宅急便でアパートへ送った段ボール箱を開けないまま、10年間押し入れの奥に放ってあったのだ。
10年前に厳重に封印した箱を開いて、あの日の思い出を取り出した@幕張。
さあて、あの日の忌まわしい思い出も開け放ったのか否や?
@幕張、テレビで「セントルイス・カーディナルス優勝!」のニュースを見て唐突に思い出したことが…
あの時のテディベアをどうしたっけ?
押し入れの中からゴソゴソと一つの段ボール箱を探し出すと、そのまま信州へ帰る車の中へ放り込んだ。
それは10年前、アトランタオリンピックが始まった1996年の夏のこと。
ちょうどその時、@幕張はセントルイス・カーディナルスの本拠地、ブッシュスタジアムⅡのホームベースにほど近い3塁側フィールドに立っていた。
なんでそんな場所にいたかというと……、
メジャーリーグの始球式 ( ̄∇* ̄ )V キラーーーン!
…もっとも、始球式で投げるのは@幕張じゃなくて、当時の長野オリンピック組織員会のN次長。
@幕張はこの時、長野オリンピック友好親善使節団に金魚のフンのように同行していて、長野オリンピックのマスコット、スノーレッツの一員として、
N次長がボールを投げた時、セントルイス・カーディナルスのマスコット、フレッドバードと一緒に踊っていたのだ。
で、その始球式に参加した隙をぬって購入したのがこのテディベア。
確か250ドルから300ドルくらいの値段で、売店の前で買おうか迷ってウロウロした想い出がある。
この旅行で、とある女性にプロポーズをしようと企んでいた@幕張、プロポーズが成功したらこのクマを新居に置こう…という下心もあって買ったのが事の始まり。
こうしてクーパースタウン社製、2,500個限定のテディベアの一つが海を渡って日本へやってきたのだった。
あの時、長野オリンピック組織委員会で働いていた@幕張の周囲には敵ばかりで、@幕張は孤立無援だった。
当時は@幕張に対する指揮命令系統が滅茶苦茶で、出向元の旅行会社から指示を出してくる上司が4人もいた。
そして出向先の長野オリンピック組織委員会では指示を出す上司が2人。
おまけに地元に陣取った旅行会社の上司は、東京からの指示を@幕張に伝えないばかりか、@幕張の報告書を東京に送らず破り捨てていたらしい。
だからいつも@幕張が出向元から受ける指示は支離滅裂なもので、おまけに出向元からの命令と出向先からの命令が相反するものだったこともしばしばだった。
「お前は俺を馬鹿にしてるんだろう」とか「大卒の本社様だからって、高卒の俺を舐めるな」などと、毎週の報告会議後の打ち上げで
必ず泥酔しては絡んできた出向元の旅行会社の地元駐在A担当部長とH課長。
旅行会社本社の生え抜き、S専務派と言われたT常務やH外国人旅行部長の元で仕事をしていたという、ただそれだけの理由で@幕張を忌み嫌った、
当時の激しく対立していたJR西日本出身のH専務子飼いだったT法人営業本部長。
そして極め付けが、組織委員会内で仲が最悪だった直属上司の県職員、触れたものは誰でも切り刻むと噂された、“錆びたカミソリ”T課長…
そんなイザコザから逃れるためにアメリカに渡ったのに、結局そのアメリカ行きが@幕張の結婚への夢もオリンピックへの希望も打ち砕いてしまった。
あの日を境に、1996年8月2日から@幕張の運命は、悪い方へ悪い方へとひたすら左前に下降するスパイラルを巡っている。
あれから10年。
結局アトランタでのプロポーズは不発に終わった。
それまで派閥争いなどとは無縁だったのに、あの出向先での経験から敵対する者は息の根絶えるまで徹底的に叩くことを学び、実行する陰湿なオッサンになった@幕張。
そしてセントルイスで買ったテディベアも、成田空港から宅急便でアパートへ送った段ボール箱を開けないまま、10年間押し入れの奥に放ってあったのだ。
10年前に厳重に封印した箱を開いて、あの日の思い出を取り出した@幕張。
さあて、あの日の忌まわしい思い出も開け放ったのか否や?