誕生日番外編。
わたしは、ここのパンを食べた事ないけど、パンのみで上場しようとは、IPOで入った資金を期限目一杯で売り抜ける気かね?って感じしか漂わないな。芳ばしいパンのかおりはどこえやら?というかんじ。
なぜ、これが誕生日番外編で急遽アップしようとなったかというと、わたしも、ここではないけど、ちょっとフランチャイズを考えた時あった。だけど、フランチャイズはよっぽどの条件吟味しないと不利益な事の方が多いかなと、辞めた。
自分が暖簾分け的にフランチャイズを作った方がまだ楽やん。
と
未だ私は仕事らしき事して、会社を残してのろのろ慎重運転してる。
ふとね、誕生日だからか、そんな事から、母を思いだした。
(嵐大野くんはいつも、お母さん生んでくれてありがと~が誕生日の決まりセリフ)
でね、話し戻し、
わたしの母も、事業するのが大好き、しかも私よりなん倍も規模が大きく夢も計画もデカい人。
彼女が、事業を膨らまそうとした50才のとき、わたしは、大反対で、しまいには、ののしりさえした。
昔アタマで、失敗したらどうする気?私をあてにしないでよ!たのむから、大人しくゆっくりした生活しててよ!と50才の彼女に言った。
が、辞めるわけもなく、彼女が今の私の歳、57才の時にはバリバリ仕事大成させていた。
その頃は私の方がまったくの昔アタマでアホね。
そしてね、血はあらそえないのか、DNAなのか、50からが商売人の血が騒ぐやないの!なんておもってる今、もし私にワタシを止める娘がいたら、やはり絶縁かな(笑)私が宿泊施設始めたのは50歳。
そんなことをおもいだした、この、のがみの記事だった。

57歳だった母へ。
靭公園のバラ。
花より商売のあなたも、今は花くらい愛でるのか?