私はこの1週間で大阪、東京を二回往復した。
もちろん、母のことで。
彼女は、死後20日にしてようやく、荼毘にふされた。
色んな事情があったのだけど、事件性とかはないのだけど、死後2週間も孤独の中、いや、孤高に過ごした彼女の身体は不明なことがありすぎて、一度目の東京いりでは、わたしには混乱のまま行政にしたがうしかできなかった。
だけど、このまま時間が過ぎるのをまっているのはつらく、なにもできない自分が腹立たしかった。だから、必ず荼毘にふし、わたしが骨を拾う。そう決めて、再び東京へ。
別れと、長いすれ違いの再会ができた。
私は今幸せ。あなたが生んだ私は、生まれてきたことを楽しんでいるよ。
あなたも、私とは違う価値観のなかで人生を楽しんできたのでしょう。
最後まで、独りで生きぬいたね。
どうかゆっくり休んで。と、伝えられた。
まだまだ、色んな手続きはのこっているけど、
この一夏、彼女には大阪の私の家ですごしてもらう。
昭和の戦後に秋田で生まれた彼女は、頭もよく、何一つコンプレックスもなく、白く透き通った肌をして、私は羨ましかった。高度成長の日本で、いつも、その容姿とはうらはらに、野心家で商売が好きだった。平成になっても、それは衰えることなく、ついに、最後まで、ハッとするような白肌はわたしの中で永遠になった。
今、骨だけになった彼女は、ようやく、
つかれたわ、
と、いっているかな。
休んでいいよ。
もう少しで大阪は天神祭。あなたが初めてきく祭り囃子。
彼女が天に昇って行った日の東京の夕空