昨日の夜のことだが、虹橋1号店で日本人のお客様から握り寿司1貫は2個ではないかと質問があった。
うちの店では握り寿司は1貫とは表示せずメニューには1個、2個と、個数での表示を心がけているだが、通常は1個ずつお出ししている。
以前、握り寿司1貫とは1個なのか2個なのかを調べてみたことがあるので今日はその話をしよう。
そもそも、なぜ、1貫と言うのか、「かん」の語源は諸説あって定かではないようで、海苔巻きや棒寿司などの巻寿司1つを「1巻」と数えたことからという説もあるし、重さの単位「貫」から転じたという説などがある。
しかし、1貫=3.75㎏にもなってしまって、こんなに大きな握り寿司はありえないだろう。
そこで、江戸前寿司について文献を調べてみた。
江戸時代、当時流通していた穴のあいた銭96枚を銭さしに通してまとめると100文(銭さし百文、通し百文)として通用し、これを10個まとめて輪にした960文が1貫(銭さし一貫、通し一貫、1000文)として通用していた。江戸年鑑によると、この通し100文の重量が360gであり、当時一般的だった鮨とほぼ同じ重量であった事から、当該鮨を景気付けて「一貫鮨」と呼んでいたとされる。その際の鮨は現代の押し寿司の様なものであり、鮮魚の保存技術に乏しい時代でもあったため、大変贅沢な縁起物と考えられていた。また、それは寿司飯の上に9種類あまりのネタを載せた大きな食べ物であったと伝えられている。
文献(守貞漫稿 - 1853)によれば、文政年間(1818-1830)に、その一貫鮨を江戸両国の華屋与兵衛が、より気軽に、各々が好きな部分(好きなネタ)だけを食べられるようにとネタ1種類と、それに対応する寿司飯の分量(文献によると40g×9個)に分けて出し、支持を得たとされる。当時一般的となったこの分量を、一貫鮨にあやかり、貫という助数詞を付加して寿司の分量単位における「1貫」であると定め、多くの寿司職人や消費者の合意を得て確定していった。
それにしても、江戸時代の握り寿司は1個40gもあって、おにぎりのような大きさである。
現代の握り寿司は約20g位で、せいぜい大きくても25gだろう。
握り寿司の数え方が「貫」であることは分かったが、なぜ、2貫ずつになったのか?理由はこの寿司の大きさにあるようだ。
もともと、江戸時代の寿司とは大工や左官ら力仕事の職人の食べ物だったようで、ネタも大きくておにぎりのような食べ物だったのが、一口では食べにくいので、包丁で二つに切って出したのが、その後、すしが小さくなった後でも、二つづつ出すということになった。
それと、握り寿司1個はもともと40gとして、これを2つにすると握り寿司1個は、半貫ということになってしまう。
しかし、昭和の時代にネタの大きさを売りにするお寿司屋さんがあり、そういう店では握り寿司1個を1貫として出していて、それが誤って真似され、1個を1貫として、お寿司を出す店が増えていったので、いつのまにかそれが定着してしまい、今では、握り寿司1貫が1個で通るようになってしまったという。
また、1貫という呼び方は、握りの中に職人が、1貫目に相当する気持ちを込めて握ったものであるから1貫という意味には、店によっては2個を1貫と表現する店もあるようだ。
今では、握り寿司1貫を1個とする店が多いようだが、本来40gの握り寿司を1貫としていたのならば、これを2つに分けても、1貫とするのが正しいのかも知れない。
さて、今日は上海 虹橋店の看板商品の「花ちらし」を紹介しよう。

和さ美 名代 花ちらし
この料理は、マグロ、カンパチ、玉子焼き、ホタテなどを約1cm各のダイスに切って、イクラを上から散りばめたちらし寿司だが、必ず蓋をしてお客様に出している。
蓋を開けると、ちょうど宝石箱を開けたように食材達がキラキラと輝き女性のお客様にも喜んでもらっている。
いといろな魚の味のハーモニーと、プチっとはじけるイクラの食感もたのしい商品だと思う。
うちの店では握り寿司は1貫とは表示せずメニューには1個、2個と、個数での表示を心がけているだが、通常は1個ずつお出ししている。
以前、握り寿司1貫とは1個なのか2個なのかを調べてみたことがあるので今日はその話をしよう。
そもそも、なぜ、1貫と言うのか、「かん」の語源は諸説あって定かではないようで、海苔巻きや棒寿司などの巻寿司1つを「1巻」と数えたことからという説もあるし、重さの単位「貫」から転じたという説などがある。
しかし、1貫=3.75㎏にもなってしまって、こんなに大きな握り寿司はありえないだろう。
そこで、江戸前寿司について文献を調べてみた。
江戸時代、当時流通していた穴のあいた銭96枚を銭さしに通してまとめると100文(銭さし百文、通し百文)として通用し、これを10個まとめて輪にした960文が1貫(銭さし一貫、通し一貫、1000文)として通用していた。江戸年鑑によると、この通し100文の重量が360gであり、当時一般的だった鮨とほぼ同じ重量であった事から、当該鮨を景気付けて「一貫鮨」と呼んでいたとされる。その際の鮨は現代の押し寿司の様なものであり、鮮魚の保存技術に乏しい時代でもあったため、大変贅沢な縁起物と考えられていた。また、それは寿司飯の上に9種類あまりのネタを載せた大きな食べ物であったと伝えられている。
文献(守貞漫稿 - 1853)によれば、文政年間(1818-1830)に、その一貫鮨を江戸両国の華屋与兵衛が、より気軽に、各々が好きな部分(好きなネタ)だけを食べられるようにとネタ1種類と、それに対応する寿司飯の分量(文献によると40g×9個)に分けて出し、支持を得たとされる。当時一般的となったこの分量を、一貫鮨にあやかり、貫という助数詞を付加して寿司の分量単位における「1貫」であると定め、多くの寿司職人や消費者の合意を得て確定していった。
それにしても、江戸時代の握り寿司は1個40gもあって、おにぎりのような大きさである。
現代の握り寿司は約20g位で、せいぜい大きくても25gだろう。
握り寿司の数え方が「貫」であることは分かったが、なぜ、2貫ずつになったのか?理由はこの寿司の大きさにあるようだ。
もともと、江戸時代の寿司とは大工や左官ら力仕事の職人の食べ物だったようで、ネタも大きくておにぎりのような食べ物だったのが、一口では食べにくいので、包丁で二つに切って出したのが、その後、すしが小さくなった後でも、二つづつ出すということになった。
それと、握り寿司1個はもともと40gとして、これを2つにすると握り寿司1個は、半貫ということになってしまう。
しかし、昭和の時代にネタの大きさを売りにするお寿司屋さんがあり、そういう店では握り寿司1個を1貫として出していて、それが誤って真似され、1個を1貫として、お寿司を出す店が増えていったので、いつのまにかそれが定着してしまい、今では、握り寿司1貫が1個で通るようになってしまったという。
また、1貫という呼び方は、握りの中に職人が、1貫目に相当する気持ちを込めて握ったものであるから1貫という意味には、店によっては2個を1貫と表現する店もあるようだ。
今では、握り寿司1貫を1個とする店が多いようだが、本来40gの握り寿司を1貫としていたのならば、これを2つに分けても、1貫とするのが正しいのかも知れない。
さて、今日は上海 虹橋店の看板商品の「花ちらし」を紹介しよう。

和さ美 名代 花ちらし
この料理は、マグロ、カンパチ、玉子焼き、ホタテなどを約1cm各のダイスに切って、イクラを上から散りばめたちらし寿司だが、必ず蓋をしてお客様に出している。
蓋を開けると、ちょうど宝石箱を開けたように食材達がキラキラと輝き女性のお客様にも喜んでもらっている。
いといろな魚の味のハーモニーと、プチっとはじけるイクラの食感もたのしい商品だと思う。